後編(悪女メルシーナ、それでも君を愛している。)
夜会から一週間経った。
マルティスはメルシーナと婚約して幸せだった。
美しきメルシーナ。
カルデルク公爵家を訪ねれば、メルシーナが嬉しそうに抱き着いてくれて。
二人でテラスでお茶をしながら、話をした。
「ごめんなさいね。あの時はわたくしの事ばかり…どうかしていたわ。自分に自信がなくなっていたのね。だから、あんなに饒舌になっていたのだわ。」
マルティスは首を振って、
「それはクラビス王太子殿下に婚約破棄をされたのですから、心が傷つく気持ちは解ります。」
「そう?そう言ってくれると嬉しいわ。」
メルシーナは思い出すように話し出した。
「クラビス王太子殿下とは幼い頃からの婚約者で…愛していた?いえ…愛などないわ。だけどわたくしは王妃になる為に努力してきた。カルデルク公爵家の為にも…だから…許せないの。」
「え?気持ちは解るけれども。もう、終わった事なのだから。」
「そうよね…でもね。王太子殿下の心臓にかぶりついて、生き血を啜っている夢をみるのよ。
ああ…とても美味しいの…とても…」
マルティスは立ち上がると、椅子に座っているメルシーナの身体を背後から抱き締めた。
「もう、忘れましょう。これからは俺がいます。メルシーナ様の傍にずっといますから。」
心配だった。いまだにクラビス王太子殿下に心が囚われているメルシーナの事が心配だった。
メルシーナはぽつりと一言。
「あの女も死んでしまえばいいのに…」
「そうだ。ソヨソヨの木を見に行こう。行きたがっていましたよね。」
「ソヨソヨの木?そうね。行きたいわ。」
「きっと気が晴れるに違いないですよ。」
彼女を癒してあげたい。幸せにしてやりたい。
だから、ソヨソヨの木へ連れて行ってあげることにした。
お弁当を持って、豪華な馬車に乗って、彼女の好きなミラレールのチョコレートを持って、
晴れ渡った良いお天気の日にソヨソヨの木へ二人で出かけた。
ソヨソヨの木は王都の外れにある巨大な木である。
空高く伸びて、葉が茂り、色々な動物の鳴き声が聞こえて来て。
人々がソヨソヨの木の下でのんびりと、初夏の風を楽しんでいた。
ソヨソヨの木の下で、シートを広げて、二人でのんびりと座る。
「気持ちいいわ。ここにずっと来たかったのよ。」
「喜んでくれてよかったです。ああ。動物の声が聞こえてくる。何だろう?」
見上げてみれば、猿のような動物が枝から枝へ飛び移っている姿や、尾の長いカラフルな美しい鳥が優雅に飛んでいる姿が見えて。
メルシーナは微笑んで、
「有難う。忘れないといけないわね。王太子殿下の事も、憎いあの女の事も…わたくしね。虐めていたのよ。本当は…」
「え?」
「だってそうでしょう?王妃の座を取ろうとしたのよ。わたくしは王妃になりたかったの。
グラビス王太子殿下の事なんてどうでもよかった。でも、王妃になりたかったのよ。
だから、あの女に夜会の控室に言って、いい加減にしなさい。わたくしの婚約者、王太子殿下と親しくしないでって言ってやったわ。あの女はせせら笑っていたけど。頭に来たから頬を思いっきりひっぱだいてやったら虐めたって泣きわめいて。煩かったから、近くにあったコップの水を頭からかけてやった。」
「今でも王妃になりたいのですか?」
「いえ…でもあの女だけは許せないわ。」
ああ…王国の騎士として、止めないと。メルシーナを止めないと…
メルシーナは耳元で囁いて来た。
「貴方の事を愛しているわ。あの女がいるとわたくしは前に進めないの…わたくしは自分の幸せを見つける事が出来ないのよ。」
「メルシーナ様。いかに愛する貴方の頼みとはいえ、騎士としてそれは出来ません。」
「何よ。意気地なし。」
メルシーナは不機嫌な顔をして立ち上がり、
「先に帰るわ。」
そう言って、馬車に乗って、マルティスは置いていかれてしまった。
マルティスは王都から来ている人の馬車に乗せて貰い、なんとか伯爵家に帰る事が出来た。
何だろう…この事をクラビス王太子殿下に報告した方がいいような気がする。いや、メルシーナの発言をそのまま報告するのはまずい。ただ、マリーナに危険が迫っている事を知らせたい。
最低の男爵令嬢マリーナ・オットスとはいえ、彼女が殺されるのを見たくはなかった。
未来の王妃になるお方だ。
出かけようとしたら、メルシーナが訪ねて来たと言う。
慌てて通せば、
「先程はごめんなさいね。わたくし、どうかしていたわ。」
「メルシーナ様。」
「心を入れ替えます。わたくし、カルデルク公爵家を貴方と共に盛り立てていかねばならないのですから。だから…お願い。わたくしの事を許して下さらない?」
「許すも何も…俺はメルシーナ様の事を愛しているのですから。」
愛しいメルシーナ。その身体をぎゅっと抱きしめた。
「今宵は…泊めて下さらない?」
「え?まだ婚約期間中で…」
「わたくし…貴方の物に早くなりたいの。」
そう言って、メルシーナはマルティスの唇に唇を重ねて来た。
間近で頬を優しく撫でながらメルシーナは囁いて来る。
エメラルド色の瞳がとても綺麗だった。
「だから…目を瞑って…何も聞かなかったことにして…貴方の事を愛しているわ。貴方はわたくしの事だけを考えてくれればいいの…マルティス様。マルティス様。愛しいマルティス様。」
「メルシーナ。メルシーナ。メルシーナ。」
もう、何も考えないことにした。
これから何が起きても…知らんふりしていろというのだろう。
自分は王国騎士として失格かもしれない。
それでも…愛しいメルシーナの為ならかまわない。
マルティスは考える事を放棄し、誘われるがままにメルシーナと褥を共にするのであった。
しばらくして男爵令嬢マリーナが馬車の事故にあって亡くなった。
クラビス王太子殿下は酷く悲しんだが、一年後に再び、王家はメルシーナに婚約者に復帰しないかと打診してきた。
王家の使者に向かってメルシーナはにこやかに微笑んで、
「わたくし、もうすぐ結婚致しますの。いかに王家の命とはいえ、一度、婚約破棄をされた身。再び婚約し結婚するなんて考えられませんわ。今、幸せですのよ。本当に申し訳ございません。」
そう言って、マルティスを優しく抱きしめてくれて。
マルティスはメルシーナに、
「王妃になりたかったんですよね?」
「もう、いいわ。わたくし…もう王妃になりたい気が失せたの。今、とても幸せよ。
ねぇ。ソヨソヨの木をまた、見に行きましょう。ミラレールのチョコレートを持って。いいでしょう?」
「ああ、一緒に見に行きましょう。メルシーナ様。」
メルシーナの叔母シンシアは名門のレンドン公爵家に嫁いでいたが、シンシアが不倫をした事が原因で離縁されて戻って来た。
メルシーナは、シンシアの顔を見るなり、
「不倫だなんて我が公爵家の恥さらしですわ。わたくし、女公爵になる予定ですの。カルデルク公爵家で叔母様の面倒を見るつもりはありません。修道院へ行かれたら如何?南の修道院を紹介しますわ。」
「ここはわたくしの家っ。わたくしの家なのにっーーー。」
暴れるシンシアは馬車に乗せられた。そして、かつてメルシーナが身を寄せた修道院へ無理やりシンシアを放り込んだ。
カルデルク公爵も不倫をして戻って来たシンシアを引き取る気はなかったので、メルシーナがやるがままに任せてくれた。
メルシーナは人が変わったように、明るくなり更に美しくなった。
それは、男爵令嬢マリーナが死んでから…シンシアを修道院へ放り込んでから…更に…美しく…
マリーナを殺したのは…おそらく…
もしかしたらシンシアが不倫へ走ったのもメルシーナの差し金?
証拠は何もない。何もないけれども…
愛しているからこそ解る。愛しているからこそ感じる…
メルシーナが絡んでいると…
メルシーナは悪女なのだろう。
それでも…自分にとって愛する人なのだから…
マルティスは一生、メルシーナを大事にしようと心から決意するのであった。
マルティスはメルシーナと結婚し、入り婿としてカルデルク公爵家に入った。
二人の間には二人の男の子が生まれ、マルティスは愛するメルシーナと幸せに暮らしたと言う。