記憶のパンケーキ
たっぷりの生クリームとシロップがかけられた、淡い黄色の生地をフォークに刺す。シヅキは大口を開けて、ソレを口の中に放り込んだ。
広がったのは、シロップの強い甘さ。それは口内では止まらず、鼻腔を一気に抜けていった。少し遅れて、とろみのある生クリームが舌をくすぐった。
それを堪能した後に咀嚼する。噛むと、柔らかな生地の存在を感じられた。ゆっくりと歯を押し戻そうとしてくるのだ。初めは生クリームとシロップの存在感が強かったが、最終的に鼻を抜けたのは、ほんのりと甘い小麦の風味だった。
ソレをゴクリと喉へ流し込んだシヅキ。つらつらと言葉を並べた訳だが、何が言いたかったかというと……
「ん〜〜〜〜〜!」
…………。
「このパンケーキ、美味しい……!」
目線を上げると、そこには口元をデロデロに溶かしたような笑みを浮かべるトウカ。彼女のお皿を見ると、パンケーキはシヅキのものより小さく削れていた。
ハァ、とシヅキは溜息を一つ吐いた。
「お前、顔気持ち悪いぞ」
「き、気持ち悪い……」
言葉を反芻して、顔を引き攣らせるトウカ。それを尻目に、シヅキは二口目を食べた。 ……再び、様々な甘みが口の中に広がる。
「……あ、笑った」
「あ?」
ジトっと向けられたトウカの視線。シヅキは怪訝な表情を浮かべた。
「パンケーキ食べてから、シヅキの口角、上がったよ」
「……そら、モノを咀嚼したら口も動くだろ」
「素直に認めようとしないところ、どうかと思う」
口元を尖らせながら、どこかトゲのある口調で言うトウカ。シヅキは気にも止めずに、三口目を頬張ろうとした。
「き、気持ちわるーい」
「……なんか言ったか?」
「ま、また指を……」
こいつも言うようになったものだなと思いつつ、シヅキはフォークを持たない左手で、パチパチと指を弾く。前方のトウカは額を両手で覆っていた。
「……ここじゃしねーよ。悪目立ちすんだろ」
溜息を吐き、横目を向けると、大通りを歩くホロウの影がいくつもあった。
演劇を見たシヅキとトウカ。彼らが次に向かったのは、港町の中でも人気だというカフェテリアだった。数十分間、行列に並んだ後に案内されたのはテラスの一席。2体は名物のパンケーキをつついていた。
「にしても、こんな店あったんだな。流石に知ってそうなものだと思ったけどよ」
「……なんかね? ……最近……できた……お店………」
「飲み込んでから喋れ」
「んっ。みたいなの。甘いものが食べたいってソヨさんに言ったら、オススメだよーって、教えてくれた」
「……そうか」
「き、気に入らなかった?」
反応が悪かったためか、トウカの表情が少しだけ曇る。どう答えたものかとシヅキは少しだけ迷ったが、流石に素直に答えた。
「いや、美味いよ」
「なら良かった……たくさん並んだから、あんまり口に合わなかったらどうしようかと思っちゃった。初めにコレを作った人は、多分天才だね」
その口元をだらしなく綻ばせながら笑うトウカ。しかし一方でシヅキはどこか複雑な表情をしてみせた。
「人、な……」
「シヅキ?」
「いや、今俺たちが食ってるパンケーキだってよ。紛い物に過ぎねぇって、改めて思っただけだ」
パンケーキをフォークで切り取って、自身の前に翳す。シロップと生クリーム、それに小麦が主成分の生地。フォークを裏返してみたって、軽く振ってみたって、特に変化が訪れる訳ではない。 ……でも、“本物”とは違うのだ。
「所詮は、かつての人間の記憶を……魔素を用いて具現化しただけだ。ホロウたちと何も変わんねーよ」
そう言って、シヅキは喉の奥で笑った。
「……」
トウカは何も言うことなく、唇を真一文字に結んでいた。
――魔素と呼ばれる存在。それは気体の一種なのか、あるいは眼に見えない程に細かな粒子なのか、未だによく分かっていない。しかし、それがどんな性質を持ち得ているのかは自明だ。それは記憶情報の保持と、その記憶を形作る性質である。ホロウたちは、この魔素の性質を用いて、様々な人間の記憶を再現してきた。
例えば、目の前にあるパンケーキ。これは何も小麦や卵といった材料を加工して作られたものではない。 ……そもそも、生命が無い世界でそんな材料は手に入らない。
これは材料を使った“本物”とは違って、かつての人間がパンケーキを作ったという記憶……それを、魔素の性質を通して具現化したものだ。
パンケーキだけじゃない。フォークだって、皿だって、あるいはこのカフェテリアだって……もとは全て、人間の記憶だ。もちろん、ホロウという存在すらも。
胃の中に溜まっていた空気を吐き出すように、シヅキは長く時間をかけて言った。
「この世界は全て……偽物だけで、造られている」
そう呟いた後に、シヅキはすぐ後悔した。
「すまん。今言うことじゃあなかった」
手元にあるグラスの中の水を一息に飲み干した。仄かなレモンの風味が口内に広がる……。
どうもトウカの表情を見ることが出来ず、シヅキはすぐに眼を伏せた。意味もなく、ただ魔素の塊を凝視する。
「ねぇ、シヅキ」
かけられた声に顔を上げると、こちらを見つめるトウカが居た。彼女は神妙な表情をしているように見えた。
「……何だよ」
シヅキがそう返すと、トウカは徐に自身の人差し指を立てた。
「一つだけ、質問があるの。いい?」
「あ、あぁ……」
「あのね。シヅキはそんな、偽物だけの世界のことを、どう思う?」
トウカの質問の意図が分からず、シヅキは首を傾げた。
「どういう意味だ?」
「好きか、嫌いか……みたいな」
「好き嫌いどちらか? ……ハハ」
口元を歪ませながらシヅキは笑った。
「……嫌いに決まってるだろ」
好きになれる要素なんて、何一つなかった。偽物に依存しているってことは……ホロウは何も残せていないことと同義じゃないだろうか? そう思えてしまって。
「そっか」
シヅキの回答に対して、トウカは一言、それだけ答えた。
(……?)
シヅキはソレに少しだけ違和感を覚えた。心なしか、彼女の口調はどこか穏やかなものだったのだから。




