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村から戻った私は自室にある椅子に座り、窓から夜空を眺めた。
今日は1日が長く感じる。
夜の時間は吸血鬼の活動時間だ。
朝から行動していると、こうも1日が長くなるのか。
ガイウスは争いを好まない。
吸血鬼には過激派もいるけれど、それは一部の吸血鬼だけだ。なのに、こんなに理不尽に村人に蹂躙されていいのだろうか。
でも、村人からしたら吸血鬼の実情なんて分からないだろう。村人も不当な扱いを吸血鬼から受けているのだ。
今、村人と吸血鬼に話し合いの場を設けても、水掛け論になるだけだ。
ガイウスは村人との和解を内心望んでいるのかもしれない。でなければ、村に頻繁に出歩かないし、村人と繋がりを持つなんて危険なことしないだろう。
ガイウスを説得するのは簡単だろう。
でも、説得する要素がない。
和解する手段もアイデアも何一つ私には持ち合わせていないのだ。
…問題はルキウスだ。
そもそも、関係を悪化させたのはルキウスなのだ。ルキウスは、この現状をどう受け止めているのだろうか。吸血鬼を討伐するのは正当なことだと思っているのだろうか。
ルキウスを悪者に出来ないのは、かつて私が妹だったからだろうか。
ルキウスは、今幸せなのか。
あの家で独りで過ごしているのだろうか。
男の話からすると、ルキウスは他の村人との関わりを絶っているみたいだが、ルキウスは話し合える友人も恋人も居ないで、ただ毎日勇者として、吸血鬼を狩っているのだろうか。
徐に私はクローゼットから比較的シンプルな服装を取り出した。
明日の朝、ルキウスに会いに行こう。
マリアだった頃の記憶がある今、私には村へ頻繁に出歩くガイウスよりも、遥かに地の利がある。勿論、ルキウスの住んでいる家も知っている。
バレないように屋敷から抜け出して、村へ出てしまえば、ガイウスが追ってきても、捕まる可能性は低くなるだろう。
焦っているのかもしれない。
でも、居ても立っても居られなかった。
私は普段使わない時計のアラームを朝の6時にセットして、早めに就寝することにした。
次の日。
アラームで目が覚めた私は急いで支度をする。
私の部屋は3階だけど、吸血鬼の身体能力の高さを持ってすれば、難なく行ける。
準備を終え、窓から飛び降りようとしたその時だった。
「エミリア?もう起きているのか?」
しまった。
吸血鬼は耳もいいから、ガイウスもアラームの音で目が覚めてしまったのだろう。
私は一旦、窓を閉め、鞄をベッドの下に隠して、扉を開けた。
「うん、これからは朝から起きるのに慣れようと思って。また村にも遊びに行きたいし」
私がそう告げるとガイウスはそうか、と言って、私の頬に触れる。
「…くれぐれも一人では行くなよ」
ドキッとしてしまう。
人間だったら、脈や鼓動で動揺を察知されてしまうだろう。
私は無邪気な笑顔を浮かべて、はい、と答えた。
「今日は部屋で編み物してるから、お兄ちゃんは入ってこないでね!」
私はそう言って、ガイウスを部屋から出して、扉を閉める。ガイウスは少し困ったような表情をしていたが、基本は私の意志を尊重するので、入ってこないだろう。
兄の足音が聞こえなくなったことを確認した私は気を取り直して、鞄を取って、窓を開ける。
地面に着地し、部屋の窓を見上げ、その後辺りを見回した。
よし、兄が戻ってくる気配はなさそうだ。
私は屋敷を出ると、一気に麓まで駆け抜けた。外出時間に早朝を選んで良かった。
私は他の吸血鬼に気づかれることなく、村へ出ることが出来た。
店もまだ空いてない為、辺りには人ひとりいない。
私は少しの恐怖と興奮を感じながら、早足でルキウスの家に向かう。
ルキウスの家、かつて私が暮らしていた家が見えると、私は何故か足が竦んでしまった。
懐かしさよりも、もうここは他所の家だという空虚さが私を襲う。
思わず、木の陰に隠れてしまう。
暫く、じっとルキウスの家を眺めて、近づくか近づかないか迷っていると、後ろから声がかかった。
「俺の家に何か用ですか?」
振り向くとそこには家に居ると思っていたルキウスの姿があった。
ルキウスも私の顔を見て、目を丸くする。
「あんた…アイツの妹じゃ」
私が何て説明すべきか迷っていると、ルキウスは悲しげな表情で私を見つめた。
「…両親を殺した俺を殺しにきたのか?」
自嘲めいたその言葉に、私は首を振る。
貴方に話があって来たの、と告げると、ルキウスは眉間に皺を寄せる。
「兄貴は悪くないとでも言うのか?吸血鬼殺しを止めに来たのか?人間の俺たちは一生吸血鬼の家畜で居続けろとでも言いに来たのか!?」
ルキウスは興奮したように、捲し立てた。
私が戸惑っているのに気がつくと、ルキウスはハッとして、踵を返した。
冷たい声でルキウスに帰ってくれ、と言われた私はその場を動かなかった。
「俺は吸血鬼を許さない。村に平穏が訪れないのは吸血鬼のせいだ。俺の妹だって、父さんや母さんもアイツらに…」
私は胸に冷たい氷が突き刺さったような感覚を覚えた。
ルキウスとマリアの両親は吸血鬼に殺された?
マリアが生きていた時には、両親は生きていたはず。
マリアが死んだ後、両親も死んでしまったのか。
ルキウスの寂しげな背中に私は思わず手を伸ばし、背中を摩った。
あれからずっと、ルキウスは独りだったんだ。
「全部、お前ら吸血鬼のせいだ。俺がやってることは正しいんだ」
ルキウスはまるで自分に言い聞かせるかのようにそう呟いた。
それは違う、そう言おうとした時に突如私の視界が歪んだ。全身が疼痛に襲われ、堪え難い睡魔に襲われた。
昨日はちゃんと寝たはずなのに…
意志とは裏腹に耐え難い睡魔に勝てなかった私の視界に最後に映ったのは、マリアが見た最期と同じ、悲痛に満ちたルキウスの顔だった。
次に私が目を覚ました時、そこには懐かしいクリーム色の天井があった。
ゆっくり上体を起こすと、そこはマリアの部屋だった。
昔と変わらない部屋。
もう使われることのない部屋は10年経った今でも、あの時のまま残されていた。
時計が時を刻んでいる。
短針は7時を指していた。
ルキウスの家に着いたのが確か7時過ぎ。
時間が戻るわけがない。まさか、夜の7時まで寝てしまっていたのか。
ガイウスのところに戻らなければ。
流石に、屋敷から抜け出すことに気がついている頃だろう。
ルキウスの家に居ると知ったら、流石のガイウスも暴走するだろう。
私が慌ててベッドから抜け出そうと、床に足をつけ、立ち上がろうとすると、うまく力が入らず、倒れてしまう。
その物音で気がついたのか、足音が聞こえ、ルキウスが部屋に入って来た。
「気がついたか」
ルキウスは私を抱きかかえて、ベッドに戻した。私が家に帰らなきゃ、と言うと、ルキウスは顔を顰めた。
「帰って欲しいのは山々だけど、そんなフラフラで屋敷まで戻れるのか?」
ぐうの音も出ない。
寝不足ではないが、私の身体は思う通りに動かせない。
「…栄養失調じゃないのか?吸血鬼もダイエットするのか?」
私が理由を模索していると、ルキウスがそんなことを言った。
そういえば、昨日の夜はあの一件があって、家畜から吸血することをしなかったんだ。
何だか、その行為がとても酷いことに思えて。
人間は思想で家畜を食べることを拒み、野菜や穀物だけを食べることが出来るが、吸血鬼はそうはいかない。人間の血か家畜の血か。
生き物の血を啜ることしか選択肢はないのだ。
それを拒むということは、絶食するしかない。まさか、1日でここまで堪えるとは。
せっかく、ガイウスの目をかい潜って、ルキウスの元に辿り着けたのに。変な意地を張らずに、血を吸えば良かった。
人間の住む集落に吸血鬼が血を吸う場所なんてない。襲うしか選択肢がないが、私には人間を襲うなんて出来ない。
とはいえ、ルキウスに吸血鬼の住む山まで送ってもらうことも出来ない。夜の吸血鬼の山に吸血鬼が最も憎む勇者が来たら、袋叩きに遭う。最もルキウスは送ることすらしないだろう。
私が自分の浅ましい選択に後悔しながら、帰る方法を模索していると、徐にルキウスがベッドに座った。
はぁ、と溜息をつき、ルキウスはシャツのボタンを外す。
「…正直、自分でも何でこんなことをしているのか分からない」
ルキウスはそう言って、自分の首を指差した。吸えば、と短く告げられ、私は首を振る。
「…人間の血を吸うのは禁じられているから」
私がそう告げると、ルキウスは素っ頓狂な声をあげた。
「あんなに毎日のように村人が犠牲になっているのに吸血鬼の血を吸うのが禁じられているって冗談にも程がある」
ルキウスは鼻で笑った。
マリアだった頃、私もそう思っていたが、実際は違うのだ。村人が知っている吸血鬼は過激派。ほんの一部の悪い吸血鬼のことだ。
「私もお兄ちゃんも人間の血を啜ったことは一度もないわ。お兄ちゃんは仲間が傷つけられた時にしか力を使わない。それも殺めることは決してしないのよ」
私がルキウスの目を見て、堂々と宣言すると、ルキウスの瞳が迷うように動いた。
「…お兄ちゃん言ってた。ラミア村は吸血鬼の為に人間が作った村だけど、人間の血は中毒性があるから絶対に襲っちゃダメって昔から言われてたの。だから襲わない…貴方の血も吸わない」
ルキウスは信じられないという顔をした。
「…じゃあ、今までの俺がしたことは何だったんだ」
ルキウスは俯いた。
1番の敵だと思っていた吸血鬼が実は人を襲っていなくて、一部の吸血鬼の仕業だと分かったのが、余程ショックだったらしい。
「家族を失ってから、吸血鬼を全て殺そうと改めて誓ったのに…関係ない奴らも殺して…昨日のアイツもそうだったのか?」
ぶつぶつと呟くルキウスの悲壮感は凄まじいものだった。
憎むべき吸血鬼を殺さず、全く無関係の吸血鬼を殺す。一部の過激派の吸血鬼と同じではないか。おそらくルキウスはそのようなことを思っているのだろう。
でも、過激派の吸血鬼達と違うのは、奴らは復讐でもなんでもなく、自分の快楽を満たす為にやっている奴らだ。
復讐することも決して褒められたことではないが、ルキウスはちゃんと罪の意識を持っている。
…まだ、やり直せる。
私は力の入らない腕を必死に動かして、ルキウスの背中に手を回し、抱きしめた。
「仕方ないよ。勿論、貴方のしたことは許されることではない。だけど、何度もやり直すチャンスはある…それに、貴方は自分で思うほど酷い人間じゃないよ。吸血鬼の私に血を差し出そうとしたり、二回助けたり…本当に冷酷な人間だったら、そんなことしない」
震えるルキウス手が私の腕に触れた。
懐かしい温もりが私の冷たい腕に伝う。
俺はどうすればいい、と迷子のような声で尋ねる。
「私は人間と吸血鬼は共存出来ると信じてる。棲み分けは必要でも一緒に協働はしていけると思うの。だから貴方に先陣を切って、村人の代表として吸血鬼との橋渡しをしてほしい」
「俺はお前の両親を殺した人間なんだぞ?そんな俺に頼むのか?」
ルキウスの言葉に私は頷く。
「私は貴方が本当は優しい人だって信じているから」
だって、私はかつて貴方の妹だったから。
その言葉は飲み込んだ。
ありがとう、そう呟いたルキウスの表情はマリアが大好きだった兄の優しい表情そのものだった。
ルキウスは私を置いて部屋から出ると、暫くしてコップに血が入ったものを私に渡してきた。
動揺する私に、家畜の血だ、と言って私を安心させる。
そういえば、ルキウスは家畜を飼っていた。
おそらく、家畜から血を採ってきたのだろう。
…ちゃんと、分かってくれたんだ。
私はありがたく血を受け取り、それを飲み干した。
私が血を飲んでいるのをまじまじと見ていたルキウスは、ぼそっと呟いた。
「…やっぱり、吸血鬼なんだな」
ルキウスの言葉に私は思わず首を傾げる。
「お前、妹にそっくりなんだ。お前を見ると、妹が還ってきた気がして…でもやっぱりお前はアイツと違うんだなって思ったんだ」
その言葉に私の胸がちくりと痛んだ。
私はマリアの記憶もある。それでも、身体は吸血鬼のエミリアだ。
私がマリアだよ、と言って、マリアしか知らない思い出を話したら信じるのだろうか。
もし、私がマリアだと知ったら、ルキウスは喜ぶのだろうか、それとも悲しむのだろうか。
私は結局言えないまま、ルキウスの家を後にすることにした。
「…また会ってくれる?」
私が恐る恐る尋ねると、ルキウスは優しい表情を浮かべて、頷いた。
山の麓でルキウスと別れ、私は早足で屋敷へ向かった。
すると、銃弾が聞こえ、私の足に鈍い痛みが走った。銀の銃弾だ。
振り向くと、そこには花屋で会った男が震えた手で銃を持っていた。
私は夜目がきくが、相手は昨日会った私だとは分からないようだ。
夜に村を徘徊していたから、村人を襲った帰りだと思ったのだろう。
男は慌ててその場から離れた。
昨日は何気ない話に花を咲かせていたのに、吸血鬼のことは、やはり憎んでいるのだろう。
私は足の痛みなのか、それともこの現実に悲しんだのか、涙が止まらなかった。
撃たれたのは片足だけだ。
銀の銃弾は治りが悪いけど、暫くしたら治る。大丈夫だ、と言い聞かせながら、足を引きずって歩みを進める。蝙蝠になろうかと思ったが、痛みに気を取られて、上手く変身が出来ない。
こんな状態ではガイウスに言い訳は通用しないな、と思いながら、痛む足を庇いながら歩いていると、誰かに抱き上げられた。
それは先程別れたはずのルキウスだった。
ルキウスが撃たれた訳でもないのに、ルキウスは悲痛そうな表情を浮かべていた。
「…私は大丈夫だから、貴方は戻って。ここは吸血鬼の縄張りよ。勇者の貴方を恨んでいる吸血鬼が沢山いるから」
私の言葉を無視し、ルキウスは屋敷へ早足で歩く。
「エミリア!」
暫く、歩みを進めていると、頭上からガイウスの声がした。
見上げると、1匹の蝙蝠が私をめがけて飛んでくる。
私の目の前で変身を解き、いつもの姿に戻ったガイウスはルキウスを睨んだ。
「…妹に何をする気だ?」
ガイウスの問いにルキウスは答えることをしない。
ガイウスは私の足の怪我を見つけると、一層険しい表情を浮かべた。
そんなガイウスを見て、私は慌てて弁明する。
「お兄ちゃん違うの。この人は私を助けてくれたの」
ガイウスは警戒を解かない。
じりじりと距離を詰め、私を取り返そうと試みている。
「お前の妹を返す前に1つ質問がある」
ガイウスが私に手を差し伸べようとすると、今まで黙っていたルキウスが口を開いた。
ガイウスは眉を顰めたが、話を聞く姿勢を示した。
「…お前は人間の血を吸ったことはあるか?」
ルキウスの表情は真剣そのものだった。
ガイウスは少し考えた後、少し笑って答えた。
「私は吸ったことがない…と言っても、貴方は信じないだろうな」
その答えを聞くと、ルキウスは私をガイウスに渡した。
「そうか…悪かったな」
ルキウスはそう言って山を降りていった。
私とガイウスはルキウスの背中が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしてしまった。
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