第9話 厄日
9・厄日
「うおおおおおっ!」
ダークが叫ぶと足元のコンクリートでできた地面がミシミシと音を立てた。そして、背中でくすぶっていた念腕が弾けとび、光の噴射そのものとなる。
ダークの著しい変化は周りにいた者すべてを怯ませるほどのものだった。ただし、一人を除いて、だが。
「質量が増している? 凄まじい量の純エネルギーだ。しかし……」
有賀はダークのポイント-ブランクに違和感を感じていた。それこそ、イリアと同じくダークの自爆が頭をよぎるほどであった。
「まさか貴方、純エネルギーをそのまま肉体に使用する気ですか!?」
イリアが気付いた瞬間には、ダークの姿は目の前からいなくなっていた。
「だりゃあ!」
衝撃が伝わった後に爆音。
ダークは消えたと勘違いするほどの高速で移動して見せた。アーロイドの感覚を持ってしても追いきれない速度である。
「こ、この速さは!」
イリアは、ダークのこの一撃で、触手による防御は意味をなさないと悟った。間に合わず、耐えられず、勢いを殺すことすらできなかったのだ。
ただ、力に追いついていないのか、ダークも決定打を一撃では与えられなかった。
「ふん! はあ! うおりゃあ!」
イリアの周囲だけに降り注ぐ爆弾でもあるかのように空気が破裂する。
何度攻撃を仕掛けても同じで、一撃で仕留めるだけの威力を十分に持ちながら、その一撃を叩き込むことがダークはできないでいた。
イリアはダークの動きに、ダークは自身の感覚に追いつけない。
今のダークは、不安定で危険な大火力の暴走と呼ぶべき状況に陥っていた。
「純エネルギーは物質の励起状態など比べ物にならない熱量で顕現する。早く決着をつけないと自分が先にまいってしまうよダーク君。いや、本来なら、ポイント-ブランクでも今の君ではイリアの相手は難しいはずだったのだけど――」
未熟さを埋めるために有賀が伝えたポイント-ブランクだったが、埋められない部分も存在するのだ。そのはずだった。
しかし、その未熟なダークの攻撃が優劣を逆転させる。未熟さを埋めてあふれて柱を築く、それを資質と呼ぶことはできるのか。
「やっぱり、さすがにあのパワーはちょっとおかしいね。もはや異常だ……まさか、表現体の開放に時間がかかったのは、純エネルギーを溜めていたからなのか?」
「ま、まずい、このままでは……」
肉体を光の粉と変えてゆくイリア。ダークの攻撃は止まない。
イリアを衝撃が突き抜け、音と共に輝く風となってゆく。そして、徐々にだが本体へとその風が迫っている。
ダークの肉体もまた燃え上がっており、いまや念腕は輝く放射となっていた。
「しかし、まだです!」
地鳴りがしたかと思うと、試験場として用意された陣地の周囲にイリアがいくつも顔を出した。
イリアが顔を出した、というのは、文字通りイリアの頭部が地面から出てきたのだ。
飛び出したいくつもの触手の先にはすべてイリアの首がついており、そこに体が形成されてゆく。
分裂増殖。中枢神経も含めた完全な分体を生み出す、ベスティローザ種の奥の手であった。
「ワタシの勝ちです!」
イリアは勝利を諦めてはいなかった。例え本体がやられようと、残りすべての自分を相手にする余力はダークにはないはずである。つまり、持久戦に持ち込むことで勝機に変えていた。変えたと思っていた。
「純エネルギーの直接使用に止まらず、事前の貯留による低率期の省略。これは既にポイント-ブランクの飽和点に近い。オレの予想すら上回る機能だ……もうイリアに勝ち目はないね」
イリアの本体がダークの直撃を受けて消え去り、切り離された分体がダークを見つけた時には、もう勝敗は決していた。
「今度こそ、消えてなくなれ!」
イリアが目にしたのは、空に浮かんだダークが地面に向け光の砲を放つ姿であった。念腕の防護もなく、自らを光の粉に変えながら放たれた渾身の一撃。
「約束を守れなくて……ごめんなさい……」
迫り来る死を見つめながら、いくつもに分かれたイリアの思考は同じ闇へと呑まれていった。
傷つき波立った戦いの場は、更なる炎の波に襲われ、見ていた者をも巻き込みながら、波紋が広がるように砕け散っていった。
ダークの頭にこびりついて離れない、助けるべきであった人々の死の姿。それを抱く倉庫群までを吹き飛ばし、死を更なる死で拭い去る。それは、ダークの、自分自身への追悼だったのかもしれない。
焼けた大地に降り立ったダークに向かって歩いてくる男がいた。ダークは反動で微動だにできない。
「凄いじゃないか。こんな対策を思いついていたなんてね」
男は本気で感心しているようだった。
「表現体で量を調整されている純エネルギーから開始しては明らかに足りない。ならば、あらかじめ溜めておけばいい」
まるきり体は動かないにも関わらず、ダークの意識はしっかりしていた。ただ、澱むような感覚が内からあふれてきて、自分がそれに混ざってゆくような幻を見ていた。
「ええと、肉を切らせて自分ごと敵の骨を折るってところかな。正気とは思えないけど褒めてあげるよ。さっきのはポイント-ブランクにおけるサチュレーション-ポイント達しかけていた。つまり飽和点に近づいていたんだよ。本当は狙ってできるものじゃあない」
有賀は無傷であった。服を燃え上がらせながらも満面の笑顔である。
「みんな吹き飛ばしてくれたね。まさか飽和点に達しかけながら、燃えつきないどころか死にもしないだなんて思ってなかったよ。これなら合格だ」
光の砲の着弾点は熱でガラスのようになっていた。その上を有賀が上機嫌に歩き回る。
炎が消える頃、有賀は振りかえって空を見つめた。ダークも反応こそしないが、その先から来るものを感じていた。
「おかしいな。ここは完全にベタナークの管轄なんだけどな。やけに仕事がはやいけど、誰だろうね?」
ダークに笑いかけると、有賀はその場を後にしようとする。
「待、て……」
動こうとするダークを有賀が制する。
「無理しないことだね。なにせスッカラカンになるまで純エネルギーを放出したんだ。機能が回復するまではろくに動けないよ」
「あんたはいったい何者なんだ? 本当にベタナークなのか?」
「んー……イリアに勝ったご褒美にヒントをあげよう」
「ヒント?」
「『核付き』は三人いる。我々はね、内部のあらゆる問題に対する裁量権と免責特権を有する査察官なんだよ。だから内部に対してさえ存在を隠しているのさ」
「三人……」
「でもそれは表向きの話でね、実は、『核付き』というのは、委員会ではなく委員長個人の意思を代行する者たちなんだよ。このことは副委員長ぐらいしか知らない」
「どこにいる……委員長はどこにいる!」
弱々しく迫るダークを振り払うことさえもせずに有賀が答える。
「さあね。オレたち『核付き』はそれぞれの判断で委員長の意思代行を行うんだ。所属がどこであろうと関係ないからね」
「くっ……」
力なく崩れ落ちたダークは、頭の上に何かが乗ったのを感じた。
「よくがんばりました。じゃあね」
ダークの頭を有賀が撫でた。強い屈辱を受けた気がした。それと同時に、ハインに似たなにかを感じ取ってダークの視界は狭まってゆく。
暗闇の中、耳の奥で、遠くなってゆく有賀の足音がヘリの音にかき消されてゆくのを、ダークはどこか安らかな気持ちで聞いていた。
***
「おいあれ!」
「あれは前の……」
「ふむ、間違いないようだ」
「あれが怪物兵士!?」
ヘリの中で興奮気味にマッツェンが騒いでいる。トマイと相川は、それが以前に会った怪物兵士、黒いアーロイドであると確信する。
ナイトドリーム希望班は、過去に受けた怪物兵士関連報告の再調査を行っていた。今回はその対象がイリアの会社であった。
ビルに向かっていたところ、巨大な爆発を観測したため、ダークのいる試験場、つまり倉庫群へ直接やってきたのだ。
「よし、降ろしてくれ」
「ちょっと待ってください! まだ立ち入りの通告が!」
「かまわない、降ろすんだ。二人とも来い」
「俺もあれに近づくのかよ……」
マッツェンはヘリに積んであったサブマシンガンを手に取るとボルトを引いた。
「そんなものいらんよ。どうせ役に立たん」
「おまえらよく平気だな」
「はあああ……」
トマイは平気そうだが、相川はそうでもなさそうだ。前に接触した時とはわけが違うし、危機感を持って当たり前である。状況から見れば、おかしいのはトマイの方なのだ。
「よし、着いてきてくれ」
「本当に大丈夫なんだろうな?」
サブマシンガンを抱えて愚図るマッツェンを無視して、トマイは降り立ったヘリから足を進める。仕方なくマッツェンもそれに続く。
「ま、待ってくださいよぉ……」
すくんだ足で相川も続く。
熱をもった地面を歩きながら、ここで何が起こったのか三人は疑問に思う。何を使えばこのようになるというのか。
近づくにつれ、それがかなりのダメージを負っていることがわかる。膝をつくその体は、あらゆる部位がボロボロだ。胸にある瘤からは煙が細い糸のようにあがっている。
ガラス化した地面に足を踏み入れた時、その足音に反応してダークが首をあげた。
「んっ!」
マッツェンが思わす声を上げる。ダークが悪魔のような顔をしていたからだ。
角とも触覚ともつかないものが生え、牙が口を覆い、黄色いガラス質の眼に、金属にも見える黒い皮膚。そしてそのどれもが、折れたり焼け爛れたりしているのだ。今まさに奈落から蘇ってきた亡者のようである。
「久しぶりだな、大丈夫か?」
トマイは怖気づいたそぶりもなくダークに声をかけた。
「そうか、あんただったか」
傷に比べて幾分しっかりした声が、ダークからトマイに返ってきた。
「そっちのあんたも」
「は、はいっ!」
ダークに話しかけられた相川は飛び上がるほど驚いている。マッツェンもまた、銃を構えたまま動けなくなっていた。
ゆっくりとした動作でダークが立ち上がる。塵のような腕で体を支え、灰のような足で立つ。煤が体から落ちて、黒い花弁が舞うように散ってゆく。
「お、おいおい無理すんなよ。ひでえ怪我してるんだからよ」
マッツェンが我にかえり、駆け寄ってダークに肩を貸す。こうしたことが自然にできるのは美徳かもしれない。
「アーロイド君、我々は特殊国際任務機構ナイトドリームの希望班。悪いが君を確保させてもらうよ」
確保。トマイのその言葉を聞いてダークは一人の男を思い出す。目を覚ましてから初めて会った男。名前も知らないアラネカイト種の男。最初の敵。
「ふ……ふふっ……」
思わず笑いがこみ上げてくる。もしかしたら唯一頼りにできるかもしれない者たちが、敵と同じことを言ったからだ。
「同行しよう。だが、一ついいか」
「なんだ?」
「俺はアキラだ。シオナシアキラ」
***
「おまえさん人間だったのか」
希望班の借り上げている拠点に向かう道中で復元が進み、『解像』を解いたダークを見て、マッツェンが率直な感想を漏らした。
ダークはまだ厳重に念物質に包まれているものの、一応見られるまでには回復している。
「……ああ。アーロイドも皆人間だ」
ダークは妙な気持ちだった。自分はまだ人間と呼べるのだろうか。自分に対して何も思い出せず、何の手がかりもない。それどころか、正体など、どうでもよくなりつつある。復讐鬼に成り果てているのかもしれない。
連れられてきた部屋でダークが一息ついていると、トマイが部屋に入ってきた。警備と思われる武装した人間も数人伴っていた。
「君に聞きたいことが山ほどある。これは僕の予想なんだが、君も僕たちに用があるんじゃないのか?」
「ああ。あんたたちを探していた……ベタナークをぶっ潰すために」
「トマイさんの言っていた通りですね」
相川も落ち着きを取り戻している。ダークの態度に敵意がないことに気付いたからだ。
「改めて自己紹介といこうか。我々は希望班。ナイトドリーム所属対未確認ゲリラコマンド捜査係だ。僕は責任者のイユキ=トマイ」
淡い金髪に浅黒い肌、コバルトブルーの眼。そして気高い声。間違いなく、ベタナークの基地でダークが会った男である。
「同所属のマオ=アイカワです」
トマイの隣に立っている相川も、トマイと一緒にいた者で間違いないとダークは確信する。
見回すが、あの時に銃を向けてきた女性隊員はいないようだった。なぜかダークは彼女がここにいるような気がしてならなかった。
「テイク=マッツェンだ。よろしく」
初めて見るマッツェンは、体が大きく威圧感がある。だが、言動に嫌味はない。
「我々は君との接触によって結成されたアーロイド対策班だ。名前こそ売れていないが、ナイトドリームは国際的にも認められている。君の力になれるんだ。全部話してくれるな」
ダークは頷くと、包み隠さずすべてを話した。それこそ堰を切ったように、と言ってもいい。
ダークは確信していた。感じていた通り、やはりこのトマイという男には惹きつけられるものがある。
人によっては、トマイの行動は非日常性をも感じさせるものかもしれない。しかし、その裏にあるのは理路整然とした予測だ。ダークはなぜか、それを理解できた。
ベタナーク。ハンドルエクス。アーロイド。ハイン。自分。敵。戦い。敗北。すべてをダークは吐き出してゆく。
ダークの話を、マッツェンと相川はそれこそ夢物語のように受け止めていた。
「信じられねえな。秘密結社だっての?」
「その規模もちょっと信じがたいです」
「だいたい、辺り一帯を焼け野原にしちまうなんて本当に個人でできんのか?」
ダークはトマイを見る。
「信じよう。それどころか礼を言わなきゃいけないぐらいだな」
トマイは目線を逸らさずに強く頷く。
「冗談だろ? いや、俺だって全部を疑ってるわけじゃあねえがさ。だがよ、それでもベタナークってのに関しては証拠がいるだろ。聞いたこともねえぜそんな組織は」
「多分証拠は見つからない。だが彼とハイン博士が証明できる」
「どういうことです?」
「まず、証拠を残すほどベタナークというのは間抜けではなさそうだ」
「こいつらもベタナークについての具体的な情報は持ってないんだろ? 怪物兵士自体はここにいるわけだから、存在は信じるがさ」
「ちょっとテイク」
相川につつかれマッツェンがはっとする。怪物兵士というのはダークにとって厳しい言い方かもしれないからだ。
しかし、ダークはどうとも思わずに会話に入る。
「俺が話をした中で、唯一具体的な証明になるものがある」
「そういうこと。シオナシ、ハイン博士とともに証明してもらうぞ」
「ああん? あー、シオナシの言ってることが本当だとしたらよ、次はあのビル持ってる流通会社じゃねえのか?」
「だから、多分調べても証拠はないんだよ」
「ちょっと待ってくれ、意味がわかんねえ。証拠は出てこねえだろうし、こいつらも効力のありそうな証拠は持ってない。けど証明はできるってのか?」
「あ! 連絡状!」
相川が興奮して叫んだ。同時に少し跳ねたのは癖かもしれない。
「……なる、ほど」
ダークがゼノアームド社から脱出する際、有賀から渡されたデータキューブ。中身はナイトドリームの監査に関しての報告書であった。勿論、ゼノアームド社がベタナークから受け取ったものである。
ベタナーク内だけではなく、ゼノアームド社内だけでもない。その両者の繋がりの部分が重要なのだ。
さらにそれはナイトドリームの監査についてなのである。つまり、管轄内どころか、トマイらにとっても他人事ではないのだ。
「理解したかマッツェン。連絡状の真偽が確認でき次第、ナイトドリームはベタナークの摘発をしなければならない。監査妨害でな」
「その真偽を確かめるのが希望班の役割、か」
「戦場伝説がこんなことになるなんて……」
マッツェンと相川が事態をようやく理解した頃、トマイとダークはさらに話を進めていた。
「まずはなるべく早くハイン博士と会いたいが。連絡先を教えてもらえるか?」
「わかった。教えてもかまわないが、通常の方法では接触できないだろう。力押しもやめてほしい。だからエンドローダーを取ってきたい。あれからなら通信できるはずだ」
「エンドローダー……たしか君のマシンのことだったな。悪いが君はここにいてくれ、こっちで持ってこさせる」
「そうか。なら、置いてある場所を教える。念のため言っておくが、運搬以外の余計な手出しはしないでくれ。君らに扱える代物じゃない」
「もちろん。君も博士も協力者として扱うつもりでいる。まずは、そのエンドローダーが届くまで休んでいてくれ」
部屋に案内されたダークは、体の力が抜ける感覚に襲われた。一寸とて抗えないほどの強烈な虚脱感である。再生したとは言え肉体を極限まで酷使したのだから当然かもしれない。また、希望班、特にトマイと会ったのは大きな安心感をもたらした。
倒れこむように寝転がると、すぐに念物質がダークの全身をくまなく覆った。その姿はまるで蛹か卵である。
ダークは眠る際に念物質を纏うこともあったが、今回は明らかにそれとは異質だった。というのも、いつまで経ってもそれが解かれなかったからだ。一夜明け、エンドローダーが届いても、そのままであったのである。
「どうなってんだ、これはよ」
「本当にシオナシさんなんでしょうか」
マッツェンと相川の前にあるのは大きく黒い何か。透過性があるように見えるが、中はよく見えない。触った質感はザラザラしていて少し暖かく、どこか石のようにも思える。
希望班の面々がダークを迎えに来た時には、部屋にあったのはこれだけだった。
トマイはそれをダークであると断言した。昨日受けたダメージの回復だろう、と。それだけ言うとトマイは通信士を連れて行ってしまった。エンドローダーからハインに連絡をとろうというのだ。
「どうか?」
「だいたいわかるので使えると思います。ですがどこに繋げばいいのか……」
「大丈夫、おそらくチャンネルは合ったままだよ。キャノピーがロックされていないぐらいだからな。だから、そこは触るな」
「了解、では点けます……これでいけるはずです」
トマイの予想は当たっていた。ダークが無用心なのではない。ダークがここに来た時、囚われた人を救出せんがため、焦っていたのである。
トマイが通信を試みるが、当然のごとく返答はなかった。
「ハイン博士、聞いてください。我々への協力を無理強いはしません。ですがハンドルエクス……いや、シオナシさんに変化が起きました。黒い硬質物で覆われて反応がありません。昨日の、ベタナークと関係があると疑われるビルの襲撃にて、倉庫群をまるごと吹き飛ばすほどの力を発揮し、消耗したことが原因と考えます。これは我々の手には負えません」
やはり反応はない。しかしトマイは待つ。その間は何も話しかけない。通信機を見つめ続けていた。
長い時間、トマイはその場を動かなかった。
「どうですか?」
相川が様子を見に来た頃、トマイはさすがにいらだっていた。
「まだか……」
「少し休んでください。交代して呼びかけを続ければいいじゃないですか」
「いいや、ハイン博士はこちらの話を聞いているはずだ。これはいい状況なんだ。ただ説き伏せても意味はない。向こうから動いてくれることが重要なんだ」
「どうしてです?」
「こちらのことは概ね話した。ナイトドリームの存在の確認もできたはず。その上で頼ってくれるかどうかなんだ」
「頼ってもらう? こちらからの協力の依頼ではなく?」
「ダークだ。やはり彼の力はどうしても必要になる。そのためにはハイン博士をどうしても味方に引き入れなければならない。ハイン博士が用心深いならば、こちらがらいくら動いても無駄だ。人間が無条件で信用するのは自分だ。自分で判断させなくてはならない」
「トマイさん……」
「ハンドルエクスがあの状態になったのは僥倖だった。それが彼女にとって、こちらに接近する切っ掛けになるはずなんだ」
「それは……」
相川はトマイのこうした一面を恐れもしていた。トマイは人の心を理解しすぎている。そして、そこに冷徹さを感じもした。
しかし、それでも信頼しているのは、トマイの行動原理がとにかく人のためにあるからである。それは時に自己犠牲を伴うこともあり、それが冷たさを薄めさせていた。
「聞こえるかしら?」
通信機から声がした。凛としていて、一声だけで迷いがないことを感じさせる声だった。
「トマイさん!」
「うん! こちら……」
***
「ずいぶんな出迎えね」
夜の波止場にハインはいた。密会で使うには、ずいぶんと言えばずいぶんな場所である。ありきたりにも思える場所だが、ここはナイトドリームが使う港であった。
ハインは、ナイトドリームと接触するのに、ゼノアームド社の折に使われていたナイトドリームの船を調べ、その停留先を指示していたのだ。
そこでは数人の兵士が待っていた。それもただの兵ではない。全身くまなく武装を施した重装兵である。彼らの後ろには、大きな兵器のシルエットが浮かんでいる。
「お待ちしておりました」
電灯の中に人影が現れて、ハインに頭を下げる。
眠り続けるダークを置き去りにして、夢は一人で歩き出した。
ハインもトマイに夢を見るのだろうか。そして、見るとしたならば、それはダークと同じものなのだろうか。
ドミノが倒れ始めた。
焦りと緊張の中、みなが固唾を呑む。
同時に、それ以上のなにかが蠢く。隠れてはいるが明瞭だ。
次回、ハンドルエクス・ダーク第10話『義の意味』
暗闇への審判が、今、下される。