第3話 瞳を開いて
3・瞳を開いて
工業地帯の中、それは静かに建っていた。
『ソーラ生化学研究所』
かなり大きい規模の研究所である。その精悍さを感じさせる入り口に、二台の車が停まる。
車から降りてきたのは男が三人と女が一人。全員がスーツ姿である。男の一人と女はコンビであるらしく、なにかせわしなく話し合っていた。
四人は建物から出てきた人間に案内されて中へと入ってゆく。
その四人が物々しい雰囲気を出してはいるものの、特にどうということはない光景である。深夜であることを除けば。
「まずいかしらね」
研究所から少し離れた場所で、監視をしていたハインが呟く。施設内にはもうダークが入っているのだ。
「人が入っていくわ。男3名、女1名。東口から職員2名に添われ話をしながら徒歩。全員スーツよ」
ハインから通信を受けてダークは焦った。
内通者のいない潜入などそう簡単にゆくものではない。中枢となっているコンピュータは建物の奥である。そこに入るためにはいくつかの検問を抜けなければならないのだ。
離脱を考えるとハインは来られない。ダークを助けたマシンの透過偽装は部品がないため修理できていなかったのだ。さらにハインはここでは目立つ。よって、外で合流する手筈であった。
職員のふりをしているダークもまたスーツ姿である。研究者というものは見慣れない顔には意外に鈍感である。しかし、動きには敏感なのだ。技術を振るう場所で技術屋にまぎれるのは難しい。よって、スーツ組に変装しているというわけだ。
偽の社員証はあったため、建物内部に入るまではスムーズに進んた。しかし、今ダークがいる場所は、施設の深部に至る施錠された扉の前で、ここからは問題がある。
ベタナークがここに関わっているのは研究の成果が欲しいからだ。ここから先はベタナークの息がかかっているのはほぼ間違いない。言わばここからがスタートだった。そして、この鍵は登録された人間にしか開けられない。
ダークが手を拱いているのは、ここに検問はまだ設置されていない予定であったからだ。どうやら、なんらかの理由によってそれが早まっていたらしい。
力ずくで突破してもいいのだが、中枢まではまだ距離があった。手詰まりである。さらに、連絡のあった者たちがこちらに近づいてくるようなのだ。もしかしたらこの奥に進むのかもしれない。
ハインに連絡したいところであるが、既に目立ち始めている。ただでさえ深夜なのだ。何もせずにうろついていては怪しまれてしまう。
「お疲れ様です。どうかなさいましたか?」
一度引き返そうとしていたところ、警備員がダークに話しかけた。
「ああ、いや……」
なんとか取り繕おうとしているところに、例の集団が来るのが見えた。
「すいませんが、シオナシさん? 社員証を照合させていただけますか」
「その必要はありません」
いつの間にか近くまで来ていた集団の女が話に割って入ってきた。
ダークははっとしたが、なるべく態度や顔に出ないように取り繕う。
「彼は私たちと同じ者です」
「あの、人数は四人と聞いておりましたが……」
四人の隣についていた職員が問うが、集団の男に黙るように言われると、それきりだった。
「貴方は……」
「ついてくるように」
女は先に行くと扉を開けてしまった。ダークを庇う理由こそ不明だが、女は十中八九アーロイドである。ダークは印象からそれに気付いていた。アラネカイト種の時と同じだ。
――ここも既に――
嫌な予感がするが、ここまできたら粘れるだけ粘るしかない。
職員を残すとダークと四人は中へと向かった。
「……シオナシだったな、どこの者か」
扉が閉まるのを待って、女が口を開いた。落ち着いた口調だが、警戒しているのがわかる。
「ここは我々だけのはずだが」
こちらが人間ではないことは相手もお見通しである。アーロイドはお互いを感知できるらしかった。
「……委員会の指示だ」
四人がざわつく。四人の様子から見て、ダークの正体に気付いていないと思ってよいだろう。ダークは鎌をかけたのだ。
「そんな報告はないぞ」
「そちらの事情など知らない」
「ふざけるな、貴様の種は?」
男の一人が扉の外へ出た。確認をとりにいったのだろう。ここは電波が入らない。つまり、ダークもハインと連絡はできない。
「答える必要はない」
「なに」
女の体から音がする。『解像』しようというのだろう。しかし、相手もここで暴れるのは避けたいはずだ。威嚇と思ってよいだろう。
「ブラフは止すんだな、騒ぎになっても責任はとれまい」
ダークは口調も変えて、あくまで尊大に答える。いささか演技がかってはいるが、それもいい目くらましだ。外に出た男が確認をとるまでそう時間はないだろう。
目的まで到達できればどうにかなる。なんとか持ちこたえたいダークは勝手に奥へと足を進める。中のその暗くて狭い通路の様子は予定とかなり違っていたが、なんとか場所はわかった。
「待て!」
「くどいぞ。ハンドルエクスが奪取された今、委員会が動くのがそんなに不思議か?」
「……なぜ正面から権限で入ってこない? 疑問はそこだ。身分と目的を話せ。貴様、少し変だ」
「好きに解釈したらいい、私は困らない。困るのは貴方だ。優先されるべきはどちらかよく考えるといい」
「……いいだろう。しかし、確認がとれるまで動かないでもらいたい」
「断る」
ダークの返答を聞いて、女は踵を返し外へ向かう。男の報告を聞きにいったのだろう。
女から指示を受けた男が2人ついてくる。足を奥へ急がせる。
「クッ……!」
ダークは思わず呻いた。またしても認証機つきの扉があった。この頑強さでは、すぐにこじ開けたりもできないだろう。もはや限界か。
「どうしましたか? どうぞ開けてください」
嫌味をこめた口調で後ろから男の一人が近づいてくる。
「……いいや、開けてもらおうか」
「いい加減にしてください、何者です?」
「口の利き方に注意するんだな。私は委員会を……」
「確認がとれた。入れてやれ」
女が来た。確認をとって男が戻ってきたのだ。ならばなぜ扉を開くのか。その答えはすぐにわかった。
思い扉が開いて中が露になる。ひんやりした空気が足元を伝った。
開く瞬間、ダークはまずいと感じた。
音だ。
扉の中から聞こえる音の反響。それが広い空間を予測させたからだ。
わざわざ扉を開けたのは、人目のないこの中で始末をつけようということなのだろう。
四人から受ける印象と先ほどの威嚇から考えてアーロイドは二人だけだ。二人ならばアラネカイト種と戦った感触からすればなんとかなるはずだというのがダークの予想だ。
しかし、もう援軍がむかっていると考えた方がよいだろう。さらに空間の大きさから言って、中枢部を持ち出すのは困難な大きさの可能性がある。
逃げるにしろ作戦を続けるにしろ、今は少しでも時間が必要だ。ならば、障害は除去するしかない。
扉が開ききるやいなやダークは中に走りだす。薄暗いが中はやはり広く、壁のような仕切りが立ち並んでいるのがわかった。
ダークが体に力をこめる。『解像』だ。光が走り、服が破け、変化する肉体に念物質が絡まる。
扉が閉まる音がして部屋に気配が走った。向こうも臨戦体制だ。
「委員会の、なんと言おうとしたのかな? シオナシ」
上から声がする。影が舞っている。
「印象から何者かと思ったが、おまえが再現体ハンドルエクスか。会えて嬉しいよ。私はファロエミナ種アーロイド。見ての通り飛行が可能だ」
仕切りの上に立ったその姿は美しくも見えた。ヒリヒリと輪郭が浮かび、スマートな体を際立たせている。しかしその羽は、嫌悪を感じさせる忙しさで震えるかのように羽ばたいている。
灰色の巨大な羽虫が見せびらかすかのように舞う。大きさに比べれば静かと言えるが、不快な羽音と飛行音が、吸い込まれるかのようにダークの耳に聞こえてきた。
ファロエミナ種は仕切りの間をすり抜けて器用に飛び、ダークに向かう。体当たりを仕掛けるつもりだろう。
ダークが腰を落とす。こうした相手は体が頑丈ではないと相場が決まっている。そう考え、堂々迎え撃とうとしたのだ。
ところがそうはいかなかった。触れるか触れないかのところで体に無数の衝撃が走り、気付けばダークの方が地面を転がっていた。
音だ。羽から発する音がファロエミナ種の全身を覆っているのだ。その振動が破壊力を伴った衝撃として伝わってくる。
「先のアラネカイト種に勝った程度で調子にのられては困る。あれらは、あの種の初期不良品だったのだからな」
「くそっ!」
すぐさま起き上がり、念腕を伸ばす。念物質のみで構成された念腕ならば、羽音の影響は受けないとダークは考えた。しかし、自由に空を飛ぶ相手はそう簡単には捕まえられない。加えて仕切りが視界を度々遮る。
横から後ろから、ダークはなす術なく体当たりをもらう。その度に体が痺れてゆく。振動が体内にも伝わっているのだ。念腕で防いではいるが音がしみこんでくる。
「ならば!」
ダークは近づければやりようはあると考え、仕切りの上に跳び上がった。しかし、上に跳び上がった瞬間に打ち落とされた。動きを読まれている。
「私の探知能力を甘く見ないでもらいたい」
ファロエミナ種の、淡緑の水晶のような眼が、どこか笑っているようにダークを見つめている。
痺れが溜まってきたのか、ダークは体中がいよいよ麻痺してきていた。
「これは……」
「効いてきたか? 私の羽音は攻防一体の武器などではない。主目的は撹乱なのだよ。狙った対象の神経系を乱れさせる。その副腕……念腕だったか。厄介そうだが、それだけだ」
アーロイドは常にバージョンアップしていると、ダークはハインから聞かされていた。例え完成形であってもその性能は伸び続けている、と。
いざとなったら力ずくで、というのは、強引ではあるが有効だとダーク自身も考えていた。ところが、それは見当違いもいいところだった。偶然出会っただけの相手ですらがこんなにも手ごわい。
「……まだだ」
なんとか体勢を整え、ダークは考える。まだ手はある。アラネカイト種との戦いを思い出す。あれらより手強いのかもしれないが、手元にあるものでやるしかないのだ。
再びダークが跳び上がる。痺れた状態のため、力のない無防備な格好だった。
「芸がない!」
ファロエミナ種がそれを見逃すはずもなく、今までよりも速く突進してくる。
凄まじい煙があがって、ダークが乗った仕切りは地面ごと粉々になった。振動が強く、小さな爆発まで伴っていた。
「どこか!」
煙は直ぐに晴れたが、ダークはそこにいなかった。
代わりに、風を切る音が聞こえた。
「上に!?」
ファロエミナ種の優秀な探知能力が、ダークが空中にいると告げた。後をを追うべく翼で舞い上がる。
「お返しだぁ!」
振り子のような軌道を描いてダークが殴りかかる。飛行と呼ぶには大雑把な動きだが、ファロエミナ種を弾き飛ばすには十分な威力があった。
ダークは空など飛べはしない。飛んでいるのではなく、念腕で壁や地面を掴み、自分を振り回したのだ。アラネカイト種に放った蹴りと同じ要領である。
「外ならわからなかったが、室内でなら戦いようはある! これなら対等だろ!」
「ふむ、確かに私とは対等かもな」
地面に叩きつけられたファロエミナ種の声には、まだ余裕が感じられた。
「何を……」
さらに一撃加えようと、ファロエミナ種へもう一度軌道をとった時、後ろに気配を感じた。次の瞬間、ダークの体は、仕切りをいくつも突き抜けていた。
「自己紹介しましょうか? 俺はパピリオミナ種。ファロエミナ種とは違い、純然たる白兵戦用アーロイドです」
敵の声が増えた。
そう、相手は二人。対等では駄目なのだ。今までは様子見に過ぎない。
パピリオミナ種と名乗るそれは、念物質で体を支えるダークを大きく吹き飛ばすのだから、大層な力を持っていると言える。それもそのはずで、空を飛ぶというのは生半可な力ではできない。戦闘用ともなれば尚更である。
ダークは相手の実力を完全に測り違えていたのだ。
「ぐ……これは」
ダメージもさることながらあることに気付いた。ダークの体が貫いた壁は、仕切りなどではなかった。ずらりと並べられたすべてがコンピュータだったのだ。
事前の情報より遥かに巨大だ。明らかにこの施設には不要な代物で、おそらくベタナークの意図によるものだろう。さすがにこれでは持ち出せない。
「どうする……」
目的が達成できない以上、ここにいる必要はない。しかし逃げるのも困難だ。増援が来る以上時間もない。袋小路である。
「ん……」
ふと足元にある物が目についた。
――寸分のズレも許されない賭けなの――
ハインの言葉がよぎり、決意を固め、ダークはそれを拾う。
「ハインド博士は甘すぎます。いくらハンドルエクスが我々のオリジナルでも、それだけで勝てるものではありません」
「ベタナークを裏切った意図も不明だ。よもや本気で組織を潰せるとは思っていまい。惜しい人材らしいが、何を考えているのやら」
「シオナシさん、博士がどこにいるか教えていただけますか?」
そう言いながら、二人は既に攻撃体制に入っていた。ダークが何も言わないとわかっていたからだ。
「答えるわけないけど、少しは待てよ……」
コンビネーションに備える。先に来るのはファロエミナ種であろう。羽音は直撃しなくても影響が出るのは経験済みだ。その後でパピリオミナ種が力技を加えてくるのだろうと、容易に予想がついた。
この二人は自由飛行が可能だ。つまりこのパターンを休まず連続で行えるのだ。避け続けられるものではない。ダークにとって、手は一つだった。
念腕を再び伸ばし、体を倒す。アラネカイト種に放ったあの蹴りだ。
「何をしようと!」
「無駄ですよ!」
ダークが駆け出すが、二人はすぐさま軌道を変える。空中戦を行うには十分な広さがないが、その反応速度は活きたままだ。
放たれた蹴りは周囲の物を巻き込みながら直進する。だが、痺れにより、技の仕掛けがわずかながら遅れていた。
「愚鈍も過ぎる!」
威力こそ抜群にある技であるが、その動きは単純である。さらに、積もったダメージによって鋭さまで失っていては、感覚に優れるファロエミナ種には恐ろしいものではない。
後は二人のコンビネーションが決まる点を、ダークの技に合わせれば良い。修正された軌道は、ダークの脇をすり抜けて、抜群のタイミングがとれるはずであった。
しかし、その研ぎ澄まされたファロエミナ種の感覚が捉えたのは、周囲から聞こえるけたたましい音と、パピリオミナ種へと向かうダークの気配であった。
「シズ! 避けろ!」
シズとはパピリオミナ種の名前である。ファロエミナ種は、無理だとわかっていてもそう叫ばざるをえなかった。
ダークは念腕を基点にして蹴りの向きを変えたのである。技の威力が弱まっていたことと、頑丈な設備がそれを可能にした。
「なんと!」
シズと呼ばれたパピリオミナ種は防御のために腕を組むと、正面からダークを受け入れた。しかし、ダークの勢いを殺すことは叶わず、そのまま壁へと突き刺さる。
爆音が響き、風が舞った。
「シズ!」
パピリオミナ種を追ってファロエミナ種が後を追う。
ダークたちは地面を抉りながら走り、外壁までを貫いていた。
「シズ! シズ!」
「アオ……イ……」
パピリオミナ種は体の大部分を四散させていた。アーロイドでなければ即死である。そして、異常なまでの回復力を持つアーロイドであっても、それは致命の傷であった。
「んぐ……」
ダークもまた、起き上がることができないでいた。蹴りを放つことにすべての力を注いだのである。衝撃に耐え切るだけの体力は、もう無かった。
ダークは光の中に照らし出されていた。投光器である。ベタナークから応援部隊が到着し、人払いを済ませ、研究所を取り囲んでいたのである。
当然その応援部隊はゼンドだろう。つまり、さらに状況は悪くなったのである。
「嘘でしょ……」
倒れ、『解像』が解けてゆくダークを見て、監視をしていたハインは驚愕した。どこをどう見てもそのダメージは大きかった。
「人間の姿にもどった? 最適化されてないのね……」
最後の連絡から時間が経ち過ぎていたため、ハインは任務の失敗までは想定できていた。
研究所の封鎖が進みだし、ダークの脱出に備えていたのだが、外壁から飛び出してきた姿を見て、状況はもっと悪いと知った。
ダークがアーロイドと対峙する可能性を考えていなかったわけではない。ハインの予想以上にアーロイドの能力があがっていただけだ。
ハインの口から、知らず知らずの内に乾いた笑いが漏れていた。
「博士……逃げてください……」
弱弱しい声がハインに聞こえた。ダークがひそかに拾っていた通信機からだった。ダークは任務続行も離脱も不可能と判断し、ハインを逃がすために、自爆ともとれる行動に出たのだ。
「貴様! 殺してやる!」
通信機から女の声が聞こえた。激昂した声だった。しかし、ハインには何もできない。するわけにはいかない。
通信が途絶える音がした。通信機をダークが握り潰したのだ。監視していたモニターには、人間の姿に戻り、拘束されるダークの姿が映っていた。
ハインは撤退の準備に取り掛かる。
その表情に憂いはなかった。落胆もなかった。ただ、真剣な目で、手際よく、何もなかったかのように行動していた。
ダークはハインが助けに来ないとわかっていた。短い時間しか共にしていないが、ハインならばそういう選択をするであろうと理解していた。
「余計なことをするなファロエミナ種! ハンドルエクスは我々で預かる!」
中年の男が叱責するように命令する。援軍の者たちはどうにも雰囲気が違った。興奮状態にあるファロエミナ種でさえ、一歩ひいているところがあるように見えた。
「そんな! こいつはシズを!」
「目の前で侵入を許しておいて何を言う。被害も甚大だ。本来なら処分もありえるところを、ハンドルエクス捕獲の功績を考え、不問にしてやろうというんだ。寛大と思え」
「くっ……」
応援部隊に制されるファロエミナ種の横を、隊員に連れられてダークが通る。
ファロエミナ種とすれ違う瞬間、浴びせるようにダークは声をかけた。
「言い忘れていたよ。俺はベタナーク委員会を……潰す者だ!」
この時に宿命は動きだしたのかもしれない。
自分を知るための戦いは心を剥き身にし、震える感情は牙となって獲物を見据えた。
黒い憎しみが、浮き彫りにされた影のように、ダークの後ろに落ちて離れなかった。
犠牲のもと、時の羽音が刻まれ始めた。耳をふさぎたくなるような音をたてて。
誰もが聞き、誰もが伝えることになる。無自覚に。
人は空の鳥には届かない。鳥は宇宙の星は目指さない。その星に、人は手を伸ばす。
次回、ハンドルエクス・ダーク第4話『地平に飛ぶ』
暗闇への審判が、今、下される。