第26話 先導
太陽と月が巡り 黒い影が過ぎ 闇が漂う日が来る
夜も星も消し去り 淡い時は逃げ 闇が漂う日が来る
もう振り返ることはなく 降り立った地に芽吹く命育む
26・先導
ダークが地を背にした有賀に近づく。
力を出しつくしたことで感覚が鈍化し、違和感を感じ始めた体で足を引きずり、有賀のすぐ近くまで寄る。
体から力が抜け、今にも眠りについてしまいそうな脱力感の中、全身がむず痒くてダークは笑ってしまいそうになった。
骨だけとなったようなぼろぼろの体は、限りなくイレブンに近く、しかし、決してイレブンとはならず、なれず、ダークはダークとして、おぼつかない足取りで歩く。
「俺たちはまるで災害だな」
「ああ。そして、これほどの戦いを人は乗り越えなければならない」
有賀の体に再生は起こっておらず、朽ちはじめていた。ダークはそれを見て、安堵と残念さを感じていた。
「……そうだな。それはいい。だけど、あんたが委員長の意向を無視してまでメタルプレートを使った本当の理由はなんだったんだ? それでは『霊物』との接触を早めてしまうだけだろう?」
実のところ、そんな疑問にもう意味などなかった。例えどんな答えが返ってこようとも、そこに、この戦いの答えがないことはダークは承知していた。
もっとも、答えはすぐそこまで来ていて、今では、それと向き合うことにダークはわずかな恐怖を感じていた。
そうであるにも関わらず、ダークが疑問を口にしたのは、内容は別として、ただ、有賀自身のことを知りたかったからにすぎない。
「……アーロイドや君のような、『仮想敵』を想定した相手だけではなく、『霊物』そのものを見据えた相手が必要だったんだ。これだけは用意しようがない。なにせ正体がわからないからな。だったら、向こうから来てもらうまでさ」
「そこまで見越してのことか……だが、それはもう『霊物』との戦いそのもの、本番じゃないか。勝ち目はあるのか?」
「メタルプレートを通してわざわざ『霊物』にこの戦いを見せたのには理由があるんだ。『霊物』は君が裏切ったなどとは思っていないのさ」
「どういう……?」
「イレブンの役割は送り込まれた星を平定すること。その星にいかなる生物や兵器が存在していようと、ね。言わば星の王となること。『霊物』からすれば君はそれを成し遂げた」
「俺がおまえたちを倒したから、か」
「『霊物』が敵として見るのは『霊物』の技術を盗み持つベタナークだけ。『次代人類』など埒外なのさ。イレブンが『核付き』なる者を倒したとなれば、星を値踏みするために『霊物』が直接来るはずだ。奴らにとっては戦力とも言えない、適当な護衛部隊を連れてな。それとの接触こそが、始まりの終わり」
「あんたたちは……」
ベタナークとは、アーロイドとは、『霊物』から見た場合の『仮想敵』でもあったということだ。自らを囮にし『次代人類』を隠し、さらにダークに負けてみせる。
用意され、残されたものの中で、『次代人類』はやがて力をつける。そして、誘導された少数の『霊物』と相対し、『次代人類』はその成果を発揮し、最後には完成するだろう。
『核付き』は命をもてあそんだ咎人として、あるいは『霊物』を招きよせた災厄として散る。人の行く末のために敢えて敗者となる。それが使命。
その時々によって見せてきた、有賀の裏腹な態度はこうした理由からだった。
「『霊物』の勢力はあまりに強大だ。いかに『次代人類』でも、いきなり本隊の相手はできないだろうからね」
「……そのためだけに命を捧げたというのならば、それはあまりに……」
掣肘を加えるような真似だと言い捨てることはできない。その覚悟は凄惨すぎた。
「憐れんでくれるのか……フミヒコのように……」
有賀も、ベタナークも、自分たちの向かう先が痛し痒しの茨の道であることを知りながら、その日々が、いつの日にか色あせることを願い続けたのだ。それだけは、ダークにも心の底から理解できた。
「な、み、だ……」
それが有賀の最後の言葉だった。あっという間に崩れてゆく有賀の目元は、確かに湿り気を帯びているように見えた。
ダークは自分が凍えているのかと思った。怯えているわけでもないのに震える身体を抱え、何を感じているのか自分でも理解できず、困惑の表情をして、しばらくそのままでいた。
***
墓と呼ばれる『霊物』のオーバーボディの中は、低く重い音が響いていた。全体で見れば死んでいるが、機能している組織もあるのだろう。
人間の手が入っているらしい箇所がいくつも見られる。古いものから新しいものまで様々で、たしかに拠点として長年使われていたようだ。
だが、今は誰もいない。何もない。ここにいたのは、ダークと、有賀と、最後の委員だけだった。そして、その決着ももう着いた。
ダークは、この巨大な墓標の奥に決定的なものが待ち構えていると確信していた。
ダークの足取りは決して軽くはない。口にするのもおぞましい気配を感じていたからだ。手にした最後のメタルプレートが様々な情報をダークに伝えているのだ。
『霊物』という生命の本質がその情報の中にあった。
イレブンの製作者。ダークを生み出したもう一つの創造主。それらは、一つの星を一体で所有する、一人一惑星時代を迎えるにまで至った、恐るべき文明を有している。
忌まわしい、あまりにも忌まわしい存在。そして、この上なく純粋無垢でもあった。
それを知る誰もが、逆らうことのできない危機感に囚われてしまう全く異質な存在。
『霊物』はあらゆる者の上に立つが故に、その性質が故に、意思持つ者にこの上ない恐怖を与えるのだ。
だが、それらの情報も少しずつ薄れてしまった。再生に伴って、イレブンではなくハンドルエクスの肉体に戻ったせいなのだろう。
『霊物』がなぜここに来て、なぜ消えたか。なぜイレブンは活動を停止させていたのか。それははわからなかった。だが、おそらくは、これと同じものを見て、知った者たちによって、ベタナーク、つまり国際枢密委員会は発足されたのだろう。
恐怖に駆られ、絶望しながらも生きようとした者たち。騙しあい、裏切りあい、潰しあいながら、それでも志を共にした者たち。
ダークを待っていたのは小さな部屋だった。上も下もないような、霊妙な場所だった。だが、そこも、人間の手によっていじくくられた跡がそこらかしこに残っている。それがどうにも生々しくてダークは不快に思った。
ダークが訪れたことで、その部屋にすべてのメタルプレートが揃った。
それはすなわち、『霊物』の尖兵が、人間から『霊物』の技術を取り返したということ。
「破壊しなければ……」
ダークはもはや『霊物』の、イレブンの枷から解き放たれている。
いかにメタルプレートでも、念物質の保護がない今ならば、光の砲で消せるはずだ。
「俺は……」
だが、なぜかそれができないでいた。蓄積されたダメージのせいではない。これを放置すれば必ず危険をもたらすことも理解していた。わかっていて、それができない。
「そう。メタルプレートは破壊しなければならない。しかし、できないのだろう? それが人類にとってどれほど必要な物か知ってしまったからな。いや、そもそも破壊するつもりならばとうにやっているはずだ」
メタルプレートを納める台座に取り付けられた機械から声がした。見た目から人間がつくったものだということがわかる。
「国際枢密委員会ベッティング・アーク、委員長ですね」
ダークが問いかけると、機器のモニターに人影がうつった。
「いかにも、私が委員長だよ。やあ、ダークアース。会えて嬉しいよ」
姿は影のまま、機械で合成された声が聞こえてくる。
「正直驚いたよ。まさか人工人格であるはずのシオナシアキラが『リマージェン』を起こし、イレブンを上書きしてしまうとはね」
ダークは落ち着いた目をしていた。その態度に力みは全く見られない。
「だからといって、あなたにとっては何も変わらないでしょう。それより姿を見せてください……ハイン博士」
ダークの口から発せられたのは、懐かしくも決して忘れることのできない人の名前だった。
「……私が委員長だといつ気付いたのかしら?」
声の加工がなくなり、モニターに映る部屋が明るくなる。そこには、ネクタイを締めなおしがらダークを見つめるハインが映っていた。
「ああ……忘れました。ずいぶんと前だったように思います」
いま、戦いに戦いを重ね、ようやくベタナークのピリオドにまでたどり着いたダークは、『霊物』の恐怖を知りながら、しかしメタルプレートの破壊もできず、漫然とここにいるだけだけだった。それしかできなかった。
では、この戦いはいったいなのためにあったのだろうか。
「博士、『次代人類』はそれほどに価値があるものなのですか? トマイは、本当に俺やイレブン以上の怪物なのですか?」
「怪物? それは勘違いよ。いいわ、よく聞きなさい。『次代人類』というのは新しい人間や特別な人間のことではないわ。『仮想敵』との戦いに挑む時代に生きるすべての人類を、私がそう定めただけよ。イユキはたまたま、初めからそれに近いだけの、言わばモデルにすぎない。精神遺伝特性は、すべての人が持ち得るマインド能力の一つでしかないの」
「それはつまり……今の人類そのもの?」
「そう。『仮想敵』を含めた対『霊物』に私が選んだのは、他ならないただの人間なのよ。人類の持つ真の力とは、万物を矯めつ眇めつし続けること。そして、多角的観察こそ人類の宿命でもある。枯木に花が咲くより、生木に花が咲くことに驚くべきなのよ」
「初めから全部……」
「私は人類のためにしか戦わないわ。たとえば人類がすべてアーロイドになって、それで生き残ったとしても無意味なの。それは奴らの造ったイレブンと同じ存在に成るだけで、人類の勝利とは言えないわ」
「すべては人類の明日のために……」
「そう、その言葉が私のすべて」
ダークにはまだ迷いがあった。期待があった。それも、もうすぐ解決するだろう。そのためにここへ来たのだ。
「そうか、ベタナークは終わるがアーロイドは残る。レイチェル=サインのもとトマイと戦い続ける。それで十分なのか……」
「そう、陣営なんて小さな問題でしかない。どこかで、誰かが、アーロイドと戦い、その果てに『仮想敵』に勝利する術を確立すること。目的はたったそれだけ」
「ベタナークを終わらせるのは、自分たちが持っていた物を人類すべてで分かち合うため、ですね。恐怖は自分たちだけで抱えて、必要なものだけを与える……」
「ただ与えるだけでは駄目だった。人間がそれを自らの力に変え、勝利して奪い取ることがなにより重要だったわ。これから人類は、アーロイドを相手どり、幾世代にも渡って経験がつまれることになる。その先に『霊物』という真の敵が待っているとは知らずにね」
「ですが、そううまくいきますか? トマイはあなたの思惑を超えましたよ」
「フフッ……そうね。でもね、貴方ですらメタルプレートを破壊できなかった。イユキや、他の人間たちに捨てられると思う? いずれシステム化された『リマージェン』に頼るようになるわ」
「ああ、人間の業に付け入るように火種と道具をばら撒いたのはそのためでしたね。キベルネクトも、アーロイドも、何もかも『次代人類』、いや、人類の教材に過ぎない」
「キベルネクトシステム? 横着のためにつくられたガラクタよ。アーロイド? そんなものはただのホラーだわ。考えてもみなさい。私たちは人よ、人という生命なのよ。生命が種としての希望を見るのは、次の世代に対してだけだわ」
「ですがそれは……罪です」
「……罪、かしら」
人が人間の知恵をもって、生命そのものを兵器として扱うこと。それはあってはならないことである。
生命はこの上ない武器である。生きるということには戦いという側面があり、それが武器としての成り立ちをも支えてるからだ。そして、だからこそ、生命は武器であっても、兵器であってはならない。絶対に。
人間は軟弱だ。力を持った軟弱者は危険なのである。
生命を兵器とした時、命は命でなくなる。武器を持った生命ではなく、兵器としての生命となる。
すべては過ちであった。誰かが止めていなければならなかった。しかし、誰によっても止められることはなかった。皆が皆に迎合したからだ。人という種の未来に迎合したからだ。
信念がそれを良しとしてしまった。信念が人の業を、欲動を、あまりに雑に扱わさせた。それは度し難いまでの無理解をうむことにもなった。
そして、生も死も、時間すらをも忘れさせて、ありもしない恐怖を、あってはならない剥き身の力で迎えさせようとした。
トマイも、レイチェルも、ハインも、真に中立かはわからない。しかし、そうあろうとした者たちではあるだろう。
だからこそ、信念だけが独走し、それを自分自身が追いかけるあまり、横に並ぶ者が現れなかったのだ。
ダークは狩りたてられながら、周りめぐって彼らの背中を追い続け、そして、背中が見えたと思った時には、彼らはもう別の何かを追い求めていた。
「あまりに過保護です」
「……過保護、かしら」
ハインの表情が少し暗く見えた。それが何を意味するかはまだダークにはわからない。ダークは赤子だからだ。
「ですが、俺も信じています。アーロイドとか、ベタナークとか、委員長だとか関係なく、人を」
「……それは事実?」
「きっと」
計算されつくした野心なき謀略は、ダークからすべてを奪い、捨てさせた。しかし、その先にハインがいるとわかったことが、ダークに、なにもかもを踏破する力を与えた。
「貴方に恐怖はないの?」
「……あります。ですが、もういたずらに恐れたりはしません」
「私は怖いの。すごく怖いの。人類の歩みだすその一歩が、いつ、人類にとっての、命の限りになるのかわからないから」
ダークは偽りなく幸せを感じていた。それが偽りの幸せだとしても。
だが、しかし、それを一つの幸福と呼ぶには、まだあと一滴足りないことを、ダークは気付き、苦しんでいた。
「俺の本音は……もう一度だけでいい、あなたに、俺の名前を……」
曝け出すように呟いたそれは、駆け引きなしの、ダークの最後の望みだった。
ハインからの答えはなく、マイクらしきものを持つと、どこかと連絡を取り始めた。
その相手は、希望隊でもヒーエスでもなかった。特定の誰かだけを見たものではなく、すべての人を対象にしたもの。
モニターからハインの姿が消え、いつか見た、八の字を直線が貫いているマークだけが映し出された。
「私はベタナーク委員長。ここに、私は、あらゆる困難に立ち向かう誠の人々に告げる。そして、この宣言を、国際枢密委員会ベッティング・アークの最後の仕事とする」
名乗りこそしなかったが、ハインは肉声で話していた。
「まずはじめに、当委員会の目的はすべて完遂された。この我々の活動において、与って力があったのは、皮肉にも、敵対した希望隊であったと言えるだろう。よって、『霊物』の現状を把握するために、希望隊にメタルプレートの解析をお願いしたい」
凛として、淀まず、迷いのない声。
「さて、誠に生きる人々に対し、『霊物』について提言をさせていただく。思うに、この宇宙に生まれるあらゆる知的生命体は、もれなく、この生物進化系統樹最末端知的生命体に恐怖し続ける運命にあるのだ」
それは、いつかの時、壇上でした演説のような話し方だった。
「同じ知的生命体でありながら、『霊物』と人類の隔たりはあまりにも大きく、人類の不幸は知恵を持ったことにあるとさえ思わせる。なぜならば、彼らこそはこの宇宙における圧倒的な勝者であり、同時に、それだけでは言い表すことのできない絶対者でもあるからだ」
真実の共有を目指した、淡々とした口ぶり。
「これは、例えば人類が『霊物』以上の力を持っていたとしても変わりはない。知的生命体の文明などは、彼らにとっては便利な商品で、格好の消費物でしかないのだ」
強い言葉なのだが、優しげでもあり、手を引くようでもある。
「彼らには奪うという意識はない。彼らにとって、この宇宙のすべては単なる所有物なのだ。認識に差があるのではない。彼らと対等な者など初めから存在しないのだ。いかなる交渉を望もうとも『霊物』がそれに応じることはなく、降服さえも意味はない。あの者たちに一切の寛容はありえない」
実のところ、その内容に意味などないだろう。ただの叱咤である。
「宇宙に生きるすべての生命は、例えそれが勝ち目のない賭けになろうとも、この超然とした異類異形を討ち滅ぼさねばならない」
ベタナークの最後の仕事。それは、忘れ去られ、埋もれ、希薄化しようとする戦いの理由を、自らを矢の的にしてでも掲げること。
「そして、私は、人類がその一翼を担える生命体であると信じている。能力のある者の役割として、遠い未来に、必ずや地球の子ら『次代人類』が、その先導者となるだろう」
おそらくこの放送は、全世界の、知らなければならない者たちすべてに流されているのだろう。
既に知る者、未だ知らぬ者、分け隔てなくハインの声を聞いているのだろう。
ダークは声だけとなったモニターを背にする。終焉を感じた。作為から無為へ。ハインもまた消えてゆくのだ。
来た道を歩く。開いた扉からいつの間にか火の手が回りはじめており、そこから見えたのは、業火がどこまでも広がる景色だけだった。
消えかけた炎が、また燃え広がったのだ。
ダークは帰るのでない。帰る場所などない。だから、これから行くのだ。これから向かうのだ。
生命は、皆、思い思いに進むだけだ。時によじれ、交差し、また分かれ、時に絡まる。
どこかからハインの声が聞こえた。先程とは音の響きが違う。スピーカーを通していないのだろう。それはつまり、ダークに対して投げかけられた言葉ということである。
「ダークアース! 開放されたければアーロイドと人間のすべてに勝ちなさい! 戦いなさい! それが貴方の宿命! これより紡がれる、闇の地球史!」
それがハインの答えだった。
そして、この瞬間から、誰も知らないうちに、『次代への舵』の名が、別の意味を帯びたのだった。
***
ダークの体を燃え盛る炎が炙り、高熱を帯びてゆく。『解像』した肉体にはどうということはない。だが、張り付くように全身を焦がす苦しみが体の外にあふれてゆくのを、ダークは確かに感じていた。
それに至るまでの感覚は、朽ちてゆく有賀を見た時と同じ類のものであった。そして、それは、今までも幾度となく感じたことのあるものだと気付く。
ダークの体についた塵が吹き上がって流れてゆく。その中でも、一際濃く、目から煙があがっていた。
地平の果てから、ダークのいる場所へと集ってくる群れた気配があった。
ダークはその群れの中に、果てしなく戦ってゆくことになるであろう二つの宿命を感じとっていた。
かろうじて残っていたエンドローダーがダークを迎える。操縦席にぶら下げられたペンダントが揺らめいた。
「俺は、人間ともアーロイドとも戦う! しかし……! そのどちらにも勝たず! 負けず! やがて来る、『霊物』にこそ勝利する!」
黄昏時に響いた慟哭は、夕日を反射して緋色に燃える世界に飲み込まれて、もううっすらと姿を見せている、凍てついた碧い月にまで届いた。
ハンドルエクス・ダーク 完