第22話 換ぶ声は始まり
22・喚ぶ声は始まり
「あの時のアリガの部下たちは幹部候補だったのか……」
戦いを終えたダークが倒れた二人を見下ろしている。
「殺したのか?」
おずおずと香月が近づく。
「幹部候補というからには何も聞き出せないだろうからな。奴から聞く」
ダークが首を向けた方角から誰かが近づいてくる。同時に、その方向から人が喚く声が聞こえてきた。
「放さんか!」
年老いた女性の声だ。どうやら巨躯の人物に引きずられているらしい。
「あれは……」
香月が身構える。その巨躯のシルエットに見覚えがあった。
「やあ、それぞれ久しぶりになるね」
落ち着き払った声の主が、荷物を置くように足元に人間を降ろした。
「何をする!」
怯えるでもなく、ただ怒りのままに叫ぶ老いた女性を横目に、その巨躯の人物は淡々と話す。
「ダーク君、これが誰だかわかるよね?」
「ルナエレクトロのタジャン=ソアソラ。ベタナーク委員会の一員」
「君にプレゼントだよ」
「俺がそいつをどうするかぐらい、予想できているだろうな? アリガ」
有賀の思惑はわからない。だが、ダークは前に出て行く。
「何を考えておるフルカフルト種! おまえの任務はハンドルエクスの抹殺ぞ!」
「違うよ。オレの任務は委員長のために動くこと」
「命令を聞け! あれを成敗せよ!」
「そいつは誰の命令も聞かない。おまえたちが誰の言葉も聞こうとしないのと同じだ。『霊物』への恐怖で満ち満ちている」
ダークは皮肉を伝えながら、立ち上がろうとするタジャンの首に手をかける。
ダークはアリガを睨みつけ、アリガはダークに視線を落とす。ダークは、目が合うその間に高々と腕を掲げた。
「ぐううっ! 老い先短いわたしを殺すのか!? 人類のために人生のすべてを捧げたこのわたしを、実験台に過ぎない貴様たちが、無慈悲に殺すのか!」
「そうだ」
「そんなこと誰が許すか! この不幸者……!」
タジャンの腕が展開され、そして、開いた腕の中から銃口が飛び出した。わずかな駆動音と振動がダークに伝わる。
つまりはタジャンもまた、まともな人間ではなかったということだ。
しかし、老人の姿の内に秘められたその力では、場を覆すことはできなかった。
耳を塞ぎたくなる不快な音がして、タジャンの体がダークの腕の中で垂れ下がる。
「誰がいつ許しを請うた」
ダークの声は、無機質なヘルメットのおかげで、一層無表情さを増して聞こえた。
地面に捨てられた亡骸をはさんで有賀とダークが睨み合う。
そこに割って入る者がいた。小さな金属音。撃鉄を起こす音。
「ヨウタロウ、もうよせ……」
拳銃を持つ香月が横にいた。
香月の持つ銃はダークの部屋からくすねたものだった。しかし、そんなものは『核付き』にとっては脅威とはならない。
有賀はもちろんそれを理解していたし、香月も承知していた。おそらくは、お互いに。
ダークは目を伏せた。耐え難いことが起こるだろうことがわかったからだ。
有賀の表情が急激に曇ってゆく。
「フミヒコ……だからオレは君を置いていったんだ……だからオレは、デュークに君を狙わせたんだ……」
有賀はこの上なく狼狽していた。
これから起こることを予想しながらも、ダークは有賀の様子が変わったことに気付き、その表情に引き込まれた。自身が勝てないと断言した最強のアーロイドが、ただの人間が持つ拳銃に恐怖し、その目には涙すら浮べていたからだ。
「ヨウタロウ、なぜ、話してくれなかったんだ?」
香月もまた涙してた。
「反対するとわかっていた! こうなるとわかっていた! オレに敵意を向ける君の姿を見たくなかった!」
まぎれもなく有賀は香月の命を狙っていた。ただ、自らの手を汚すのを嫌がっただけにすぎない。
身勝手と言える。卑怯と言える。無責任と言える。しかし、ただそう断じるには、有賀と香月はあまりに近過ぎた。
「ごめんな、ヨウタロウ……」
「いっそのこと、君がオレを殺せれば良かったのに!!」
引き金がひかれると同時に、有賀の手が香月に触れる。
「止せ……」
ダークの声よりも早く、香月の姿は、何も残さずにこの世から消え去った。
弾は有賀の胸中央に当たっていたが、そこに傷ひとつ残すことはなかった。
有賀は崩れ落ち、号泣した。
「オレは……フミヒコを殺したくなんかなかった……! でも!」
「アリガ……」
「でも! 他に手がなかった!!」
有賀は子どものように泣きじゃくり、先ほどまで香月がいた地面にすがる。
「気持ちは、わかる」
ダークは思わず慰めの言葉を口にしていた。取り乱す有賀の姿を見ていられなかった。
「……なにがわかるもんか!」
ダークは有賀に掃われ、地面に強か打ち付けられた。
ダークは羨ましかった。香月を殺した有賀が。有賀に殺された香月が。
目にした死と殺しがダークは心底羨ましかった。身悶えするほどに。耐え難いほどに。
それは、本来のイレブンのような、血なまぐさい感情からではない。有賀と香月のそれが、人間であるが故の苦しみだったからだ。
ここに来て、ダークは気付いたことがあった。
アーロイドのことも、人のことも、ダークは妬ましくて羨ましくて仕方ないのだ。人でないことが、惨めで、悔しかった。
ひたすらに、人でないということが、辛い。
あの時、ハインと会う前、ベッドで目を覚ましてから幾度も耐え難く感じたことだったが、それでも、今ほどに痛感したことはなかった。
実感できた道理がない。初めから人ではなかったのだから。
ダークは、自分の生もあやふやなままに死に接しすぎていた。観念としては、その不自然さとアンバランスさが『解像』を拒んでいると言えた。
その中にあって、ダークはなおも立つ。終わりをどれほど望んたことか。今もそうだ。最後を思いながら、しかし、立つ。
今、香月を死なせたことが、自分の内に渇望があることをダークに気付かせていた。具体的なものではない。不自然なまま、アンバランスなままの、観念としての満たされなさ。
ただ、身を委ねてみた。そうすると、渇望がダークを立たせていたのだ。
「予想以上にボロボロだね、情けないことだ。君、本当にハンドルエクス?」
「知るか。おまえこそ知っているだろう? もう俺が何者でもないって」
***
人もいない、誰もいない夜の山奥に、白い戦闘服姿の人影と、スーツ姿の巨漢。あまりに似つかわしくない。
「悪いね、送ってもらって。あれエンドローダーっていうんだっけ? なかなか快適だったよ」
「勝ったら自分専用機にでもしたらいい」
「そうさせてもらおうかな。それで、ここはどこなんだい?」
「どこってこともない。ただの川だ」
「ふぅん……」
興味なさげに答えながら、有賀はスーツのネクタイを緩める。
「はじめようか」
有賀が手招きする。骨格矯正服を着装したダークを、なんの戦闘の準備もない、ただの人の姿のままで相手しようというのだ。
「そうだろうな、あんたならそうだろう」
ダークはメタルプレートを起動し、油断なく武器を構えた。惜しみなく投げ出し、全身全霊で挑むつもりだ。
ダークがロケット砲を撃ち、木々の間へとその身を飛ばした。爆発と同時に、木々の間、複数の場所から数発の追撃を行う。
移動しながらダークは巨大な銃を放っていた。機関砲弾を用いる、単発式のライフルのような銃である。
今のダークには、重さと反動で取り扱いもままならないが、威力を求めたギリギリの選択であった。しかし、移動しながら、ダークはこれでは不十分だと感じていた。
有賀は砲撃に晒されながらも、砲弾のきた方向を追って、しかもタイミングを測っているのがわかったからだ。
有賀の最大まで張り巡らされた感覚は目を追いつかせ、ついには発射の瞬間までをも目視させる。
ダークの攻撃に備えるべく、有賀が拳を握りこんだ。しかし、その瞬間にダークは、砲弾が発射された場所の斜め下、地面スレスレを、既に有賀に向かっていた。
完全な不意打ちだった。ダークは砲弾を発射しながら銃を投棄、木を蹴り、砲弾とともに駆け出したのだ。
だが、組み付こうとした瞬間にダークは有賀と目が合った。裏をかけていない。完全に有賀はダークを捉えている。
「ここまで来ると……もはや気の毒ですらあるね」
有賀は悠々とダークを受け止め、抱えあげる。
眼前まで持ち上げられるダークの手で爆発が起こり、有賀は思わず目を逸らした。それは爆薬ではなく、強い光と音を出す閃光発音筒であった。
ダークは自分が捕えられることまでを予想していたのだ。
有賀の手を抜け出し、足を潜り、足で腋と首、手で足を取る。上下逆さまの背中合わせになり、胡坐をかくように組み伏せた。
ダークがアリガの上に座るように絡まっている。レオノクルツ種のデュークを壊した技である。
「これも小手先、同じことだよ」
有賀はダークに組み伏せられたまま腕で体を浮かせた。
力ずくで技が解かれてゆく。
「く……う……馬鹿な……!?」
今のダークは確かにパワーが落ちている。しかし、メタルプレートの補助により、原質力を引き出して戦っているのだ。瞬間的には並みのアーロイドに劣っていない力を出せるはずなのである。それを有賀は人間の姿のまま凌駕しているのだ。
「たとえばあの倉庫の時、オレはこの姿のままで君のバニシングマッシャー……つまり光の砲の余波を耐えた。しかも、それはポイント-ブランクを発動したものだった」
「なめるな!」
単純な腕力で引き剥がされたダークが走ると、有賀の体に糸のようなものが纏わり付いてゆく。組み付いた時に仕掛けたのものだ。
闇雲に逆らえば、その力で自らを傷つけてしまう極めて強靭な繊維である。
「なめているのはどっちかな?」
ダークの手から急に手ごたえが消える。繊維が切れたのだ。
見れば、有賀の周囲が歪んで見える。
「たとえばラルスに、ノーマンに、こんな攻撃が通用していたかな?」
有賀の服にほころびは見られる。しかし、その下に傷どころか皮膚さえ見えてはいない。見えているのは暗い色の布である。そして、その周囲の景色が歪んでいたのである。
「なにかの力場か?」
「ちょっと違うね。自分が使えなくなって忘れたのかい? サイコマターだよ」
「……なるほど、何も通じないわけだ」
安堵したかのようにダークは息をついたが、実のところは自分に呆れていた。
有賀とは埋めがたい力の差があると知りながら、自らの口でそう言いながら、まるでその理由を忘れていた。
もはや自分には関係ないと、失ってから忘れてしまっていたイレブンの力。有賀はそれを継ぐ者なのだ。
「性能比較試験? 笑わせる……おまえのような成功例がありながら、委員長はなぜそんな意味のないことを続ける?」
ダークは自嘲しながら問いかける。
「確かにね、言う通りだよ。現時点ではもう意味はないね。正確には、試験はノーマンまでの予定だったんだ。というのも、実は、君はラルスとの戦いで既に完成の域に達していたんだ。イレブン再現体として」
「ハッ! ただ単に俺がしぶとかっただけか……なら、それももうすぐ終わる」
「終わりにはならないよ。君はただの通過点だからね」
「これから先、『仮想敵』との戦いが待ってるんだろう? 心配しなくても勝てるよ。俺が保証する。ベタナークのおかげで人類は救われる。サンキューベリーマッチ! ベタナーク!」
「皮肉だろうけど、どういたしまして」
「あながちそうでもない……だが、おまえは、メタルプレートは放置しておけない! メタルプレートがある限り、『霊物』へは何もかも筒抜けなんだからな!」
ダークが手甲から制限装置を引き抜く。
メタルプレートは肉体から原質力を抽出する。また、ダークの着る骨格矯正服がマインド能力に作用して、服の内部に擬似的な念物質による原質力の変換器を形成する。
制御装置を取り払った今、原質力の抽出は際限なく続いてゆく。例え骨格矯正服の許容範囲を超えようと、もう肉体の原質力変換は止まることはない。
すぐさまダークの全身から煙があがってゆく。
「俺と無理心中する気だね。しかし、それができるかな!?」
有賀が上着を投げ捨てる。念物質が有賀の周囲を漂った。
「ウオオオオ!」
かつての力を取り戻したかのような速度でダークが有賀に迫る。正面から挑むしかないのはわかっていた。こうするしかないのはわかっていた。その時が来たのだ。
ダークが右拳を突き出す。しかし、それを迎えるかのように有賀の踵がダークの頭上に降ってきた。
有賀の踵は、履いていた革靴をばらばらに飛び散らせながらダークを蹴り落とし、それだけでは留まらず、ダークの体を錐揉みさせ、跳ねさせ、木々に叩き込んだ。
「う……」
ダークは眼前が白くなった。骨格矯正服の不具合もあるだろうが、有賀の一撃で首に痛みと違和感が出ていた。
かろうじて首を持ち上げれば、有賀の膝が目に飛び込んできていた。竜巻のように木も地面も舞い上がらせながらの有賀の追撃である。
避けられない。
左手をあげ、軌道上にある顔面を庇うが、有賀の膝が手に触れた瞬間、それが無駄なことだと悟る。
有賀の膝にかかった手の甲がダークのヘルメットを撃つ。有賀の膝が左手を拉げさせ、拉げた手の甲がヘルメットの左半分を粉々に吹き飛ばしていた。
割れたヘルメットから煙が噴出し、ダークの顔が現れる。
「があっ……ぬうっ!」
ダークは小さく呻きながらも、崩れた体勢から、跳ねるように回し蹴りを繰り出した。
ダークのダメージから言えば尋常のことではない。しかし、有賀はタイミングをあわせるように腕を振りかぶっていた。
有賀のどこにも、一切の油断はなかった。
「よく耐えた!」
足に放たれた有賀の攻撃は貫手であった。
仮にも人間の姿をした有賀である。その指も、見た目には人間のそれだ。
しかし、その人間の指は、ダークの蹴りに耐え、骨格矯正服を貫通し、ダークの足に達し、それでも止まらず、突き破った。
膝にあたる部分がほぼ抉れ、かろうじて断裂はまぬがれているという状態だった。
「ハアッ!」
ダークは貫手で前のめりになった有賀の首を腋に抱え込んだ。形だけで言えば、完全に有賀の首を抑えている。
「右足を犠牲にしたか、いい覚悟じゃないか。しかし……」
有賀はあくまで落ち着き払って、ダークの手に手をかける。
「そんな!?」
有賀の力で首を固定していたダークの手が外れる。馬鹿力などというものではない。有賀の動きをまるで制限できないのだ。
いかなる障害物があろうと、どれだけ力を加えようと、有賀の動きは絶対のもののように止まることはない。
しかし、ダークが叫んだのはなにも自分の攻撃が通じないからではない。手が触れて気付いたのだ。有賀の念物質に通された原質力の多さに。
骨格矯正服を着たダークは言わば『核付き』と同じである。
肉体をメタルにより原質力に変える。それは強化された肉体であろうとも限界がある。すぐに底をつくのだ。
念腕に代表されるように、ダークが念物質に原質力を無尽蔵に通していたのは、無限原質力発生器である結晶石があったからだ。
『核付き』は違う。『解像』も含めて、可能な限り念物質を使用しないようにしなければならない。
そもそも、ダークが目覚めたばかりの頃、念物質を操作しようとして誤って消失させてしまったように、人間の姿での精密な操作は難しいのだ。
そうであるにも関わらず、有賀は人間の姿のまま原質力を大量に念物質に通しているのだ。
ダークは有賀が戦闘のために無理をしていると考え、そこに勝機があるものと考えていた。しかし違う。まるで見たまま、実際に余裕なのだ。
それが、ダークに悲鳴にも似た叫びをあげさせたのだ。
有賀がダークの手をとったまま話す出す。
「ずっと勘違いしているよダーク君。これぐらいはできて当然なのさ。本気でイレブンに対抗するつもりならば、これぐらいは、ね」
「くっ……!」
「ダーク君、君は完成して初めてイレブンとしてのスタートを切れるに過ぎない。『核付き』による性能比較試験は、考えようによっては純エネルギー発生効率の勝負と言い換えてもいい。なぜなら、そこさえ解決できれば後は基礎出力の問題だけとなるからね。そして言ったはずだよ……その出力も、君より俺の方が上だと!」
有賀がダークを大きく放り投げる。ダークの右手は有賀の握力で捻り壊されていた。
「憎いよダーク君。君さえいなければ……」
宙高く舞うダークの真上に有賀がいた。跳躍力で、自ら投げ飛ばしたダークを追い越したのだ。
落下してゆくダークに合わせてアリガも墜ちてゆく。
そして、地面に墜ち、跳ね返るダークの左足に有賀は蹴りを落とす。
その威力で足があらぬ方向へ投げ出され、骨格矯正服のプロテクターが粉々に砕けた。
ダークは声を出すこともできず、力も入らず、なすがままに、ダメージを受け止めるしかなかった。
「君さえいなければ! フミヒコをオレの手で殺すことはなかったんだ!」
ゆっくりとダークの右腕が持ち上がり、有賀に向かって伸ばされる。開けれているのか閉じているのかもわからない、見るも無残な手だ。
ダークの全身から漏れ出る煙は既に全身を覆い、燃え上がっているかのようである。その中を、なにかを言いたげに手だけがさ迷っている。
「さあ」
有賀がダークの右手を掴む。
意外にも柔らかで、暖かく、大きな手。これ以上なく力強い手。
ぐったりとしたダークの体が引き起こされる。
「これでおやすみだ」
有賀の体が、一瞬だが大きく膨れる。強化肉体と念物質のよるものだ。そこから生み出された力で、有賀が空高く跳ぶ。ダークの体を空へ引っ張りあげる格好だ。
ヘルメットから覗くダークの虚ろな目が有賀を見つめる。なにかを喋っているようだが、その声は風にかき消されて聞こえない。
「もういいんだよ、ダーク君」
頂点に差し掛かる頃、有賀がダークの体を振り上げた。どうやら地面に叩きつけるつもりらしい。
「何も良くない……!」
風の音も止んだ、大地を見下ろす空の上で、ダークの声が有賀に届いた。
見上げた有賀と、ダークの目が合う。
ダークのその目には生気が宿っていた。そして、ダークの左手には、煌き、艶めく火球が収束していた。
「光の砲!?」
有賀の声に合わせるかのように、ダークの左手が振り下ろされた。
「ぬうああああ! こんな! こんなぁ!」
額に原質力を押し付けられた有賀が叫ぶ。体中から念物質を吐き出し、有賀自体が破裂したかのようだった。
有賀がダークの左手を掴もうとするが、爆風に阻まれ届かない。
「ウオー!!」
ダークの突き出す左手が、先の方から光に呑まれてゆく。手甲が砕け、二枚のメタルプレートが露出する。
「グワー!」
どちらのものかもわからない、とても人の声には聞こえない声が空に響く。
空が二体によって照らされる。小さな太陽のようだった。
ダークの手がみるみる朽ちてゆき、有賀の顔が凶悪に歪んだ。
「賭けは終わりだ! 結果は勝負なし! 君以外は皆とっくに降りた! 席にしがみついてみたところで、そこにはもう誰もいないんだよ! 君もさっさと去るんだな!」
「賭けは嫌いだ! まったく楽しくない!」
ダークの腕がもげ、メタルプレートが有賀に接触する。
有賀が微塵になったダークの腕に念物質を通す。ダークの肉体から変換される原質力を奪っているのだ。ダークがノーマンに仕掛けたことと同じだ。
どちらが先にまいるかの我慢比べだ。
そして、有賀を焦がしていた光が薄れ、燃えつきた花火のように二つの陰が地に落ちる。
空には月明かりだけが残って、また静かな風が吹き始めた。
・・・
「よくがんばりました」
顔にわずかな傷を負った有賀がダークに近づいてゆく。ダークからの返答はない。
有賀が、ダークの左腕だった部分から、残っていたメタルプレートを拾う。
「納得しないだろうけど、これはきっと悪いようにはしない……本当によく頑張ったよ、ダーク君」
有賀がダークを見つめながら、砕けたヘルメットの上に手を置く。だが、何かに気付き、すぐに手をひっこめた。
しばらく沈黙して、有賀は立ち上がった。
「……委員長は、アーロイドを対『仮想敵』用の兵器とは考えていない。『核付き』も含めてね。委員長にとっての対『霊物』の戦略は他にあるんだ。オレたちは、委員会はすべて副産物でしかない」
誰に話すでもなく有賀は語る。
「ハンドルエクスという名、つまり『次代への舵』の意味を教えてあげよう。次代というのは、新しい世界のことでも、ましてやアーロイドのことでもない。『次代人類』のことを指すのさ。ハンドルエクスは『次代人類』を生み出すための当て馬。ハンドルエクスとは、『次代人類』が『仮想敵』に勝利する力を得るためのただの糧だったんだよ」
有賀は顔をあげて、そよそよと流れる風に耳をすませる。
「『次代人類』のことは君もよく知っている。その者の名は……イユキ=トマイ」
***
「発進位置まで移動」
「運搬急げ」
「冷却材注入中」
「固定具開放、レンジアル上昇」
「射出装置延長」
「メインエンジン起動」
「メインエンジン始動」
「オーバーボディ・レンジアル、発進」
夜を照らした閃光が止む頃、海上の艦から飛翔する物体があった。それは一直線に光が現れた方角へ向かってゆく。
涙滴型の本体に二枚の板がついたような機械。先に透明なキャノピーが見られ、中に人が見える。
中の人間は手足を太い筒のようなものに拘束されており、それで操縦を行っているらしかった。
それほど大きくない機体の小さな操縦席は、人を取り込んでしまっているような不気味さがあった。
操縦者は白いパイロットスーツのようなものを着ており、どこか骨格矯正服にも似ていた。さらには、服というよりも生物的な、それを含めて一個の生物であるようなコンパクトさがあった。
「聞こえるか、ブルーダスト。『体』の調子はどうだ?」
「良好です、司令」
「奴らの予測進路を割り出した。詳細を送るが、わかっているな?」
「無理をするな、ですね」
「そうだ。オーバーボディの優位さを見せ付けるだけでいい。そもそもレンジアルユニットは数があって初めて真価を発揮するタイプの『体』なんだからな」
「承知しています」
操縦者は、モニターに情報が情報されると、目を通すこともなく頭で理解した。
機体の各部が繊細に動いてその速度を上げてゆく。飛翔体は暗闇の中を迷うことなく進んでいった。
***
「近づいてくる……希望隊か? 『次代人類』は仕事がはやいね」
ピクリともしないダークに話し続ける。
「彼らはもう既に、ベタナークの最後の拠点を掴んでいる。でも、大きな戦いにはならないよ。実は、こちらのゼンドはガタガタでね、もう最後の采配も終わっているんだ」
有賀は割れたヘルメットの間からダークの顔を覗き込む。人間の目では、その顔を見ることは叶わない。
「……ええと、世界遺産の硝子の渓谷は知っているよね? そこがベタナーク最後の拠点だ」
闇の中に消えてゆく有賀の顔には、いつもの微笑みが浮かんでいた。
極まった諍いは目に見えるすべてを爪で引き裂き、やがて巣をも焼くだろう。
そこに引け目を感じながらも、振り返ることは自らが許さない。
だが、もし、そんなことに捕らわれない必死の思いがあったとしたら。
次回、ハンドルエクス・ダーク第23話『舞い降りて』
暗闇への審判が、今、下される。