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ハンドルエクス・ダーク  作者: 千代田 定男
第四章 大全堂事件編
16/26

第16話 昨日に死す

16・昨日に死す


 ナンバーイレブンの意識。それは人間に(あだ)なす悪魔そのものだった。

 イレブンとは、何者かが(あつら)えてこの星に打ち込んだ毒物なのだ。言葉ではなく、直感でダークはそう理解した。

「こんなものを大量に(こしら)えるために命を賭けているのか?」

 ダークは皮肉のつもりでラルスに言い捨てた。

「そうです。厳密には、同等かつ制御可能な力が欲しいのです。現在、匹敵すると考えられている我々『核付き』は少数で不安定です。将来的には『核付き』級の普及型が採用されることでしょう」

「……委員どもはどうあれ、俺が勝った以上、委員長による性能比較試験は続くわけだな」

「結果的にはそうなるでしょう。全性能を発揮した貴方に勝利することが目的ですから」

 ラルスは意外にもスラスラと答えた。委員会は委員長にとって優先度が低いという証左である。

「イロッシュが裏切りと感じた行動とはなんだ? それは委員長にとってはなんでもないことだった。このズレの正体を答えろ」

「……貴方は委員長によって泳がされていたのです。それを委員会は知らなかった」

「なぜそんなことを? 意味がない」

「組織の規模は知っているでしょう? それだけの力のある組織が、なぜもっと積極的に貴方たちを追わなかったのか疑問を持ちませんでしたか? 委員長に思惑があるから、目的があるから放置していたのです」

「その目的とは?」

「これ以上は黙秘します」

「ん……」

 ダークはラルスの半身が灰となっていることに気がついた。これほどになっても話ができているのは『核付き』であるが故だろう。

「貴方はベタナーク、いや、委員長のもとに降るべきです。そこが貴方の唯一無二の居場所であり、エウダイモニアなのです」

「委員長は見つけだす。だが、委員会との戦いも続ける。俺の仲間の敵だからだ」

「アパテイアを止揚(しよう)しましたか……ですが、仲間、ですか? まだ気付いてないようですね。貴方は人間ではないのですよ」

「そうとも、おまえらが俺をこうした」

「違います。そうではありません。貴方は人間をどうこうしたものではなく、完全な人工物なのです」

「……なに?」

「貴方は記憶がないのではありません。もともと存在しないのです。アーロイドへの処置で記憶は消えませんよ」

「どういう……」

「最後に教えて差し上げましょう。貴方の正体を……」


 サイホ中央島の遺跡の奥で発見された謎の遺骸、11番資料。通称はナンバーイレブン。

 イレブンは体の殆どが朽ち果てていたが、結晶石を中心とした骨格、筋組織、神経系の一部は保存されており、辛うじてそれらの解析が可能であった。

 イレブンを研究した結果、その生物が常軌を逸した能力を持ち、かつ人間をベースとした生命体であることが予想された。

 そして、イレブンを発見した者たちこそベタナーク委員会である。

 ベタナークははじめ、その遺骸の再生を試みた。蘇生という意味ではない。形質を取り出し活性化、コントロールすることで、クローン体または形質移植者を作り出そうとしたのだ。後者が後のアーロイドとなる。

 しかし、いかなる方法をもってしても、満足のゆく形でそれが叶うことはなかった。形質の完全な維持には結晶石が欠かせなかったのだ。

 結果、イレブンの遺骸を生物工学で肉付けしただけのレプリカが造られることとなる。予想される能力を付与した上で、だ。

 それこそが11番資料不完全再現体・代理仮想敵ハンドルエクスだった。コードネームは、ダークアース。


「……馬鹿な、偽装されているが、俺は人間の姿をもっているぞ」 

「その人間の姿というのは擬態(ぎたい)です。元が人間なのは、遺骸となっていた元のナンバーイレブンの話で、貴方は違うのです。貴方が人間の姿をとるのは、人間から変異するナンバーイレブンの機能を再現するために、わざわざ付与された能力なのです。無論、人格も模造品に過ぎません。よく適正化されていますがね」

「怪物の姿が……俺の本当の姿なのか!?」

「そういうことです。だからこそアーロイドの形態をとることを『解像』と呼ぶのです。貴方には人間としての元の姿など初めから存在しません。元のイレブンはともかく、今の貴方自身は初めから怪物……人間としての素性など、この世のどこにもありはしません。ハンドルエクスは人間ではなく、厳密にはアーロイドでもない。貴方の仲間などどこにも存在しないのです」

「そんな……」

「それがドクサにまみれた貴方の自己原因、人類の明日のために必要なアペイロン」

 崩れてゆくラルスを見て、ダークは放心していた。

 ダークの正体は、アーロイドの完成度を高めるためのダミー人形でしかなかった。ただ、その扱いについて組織内の意見がわかれているだけだったのだ。

 ダークは開放された。己という幻想から。

 喧騒はどこかへと去り、黒い雲が滑らかに裂けて、晴れた日ざしがさんさんと注ぎ込んでいた。

 ダークはその暖かさを不快に思って、首を振った。


***

 

 中央島での戦いが終わってからの動乱は凄まじいものであった。触れえざる国であったサイホが解放されたのだから当たり前ではある。

 サイホは国際社会からの支援を受け入れた。サイホ軍を中心とした建て直し計画が練られ、選ばれた指導者を後押しするという形だ。

 サイホ国内からの反発はあったものの、せいぜいが小競り合い程度のものにしかならなかった。それほどまでに国そのものが疲弊していたのもあるが、なにより大きいのは、反政府派を援助していたベタナークの影響がなくなったからであろう。

 国際会議は驚いていた。希望隊が彼らの思惑以上の戦果を挙げたからである。そして、それは希望隊の発言力が大きくなることを意味する。

 希望隊を厄介に思う者も増えたが、今後を考えれば、希望隊は世界に必要不可欠な組織となったのである。

 さらには、これ以上中央島での戦いの詳細を隠しておくことは不可能であると判断され、大々的に希望隊の存在を認めたため、各国の希望隊に対する希求は増えるばかりであった。

 これは同時に、ベタナークが国際問題として大きく取り上げられたということであり、それによって人々の間で混乱と不安が見られた。それは、人間の本能に根付くものであった。

 以前から持ち上がっていた数々の噂を証明するかのように『怪物兵士の正体』が示されたことによって、人々は、すぐ隣にそれが潜んでいるかのように怪物に怯えるようになった。


***


 中央島での戦いからしばらく経った後に、粛々と戦死者の弔いが行われ、中央島をはじめとする一連の武力衝突は終わりを告げた。

 ダークは帰還してから強い罪の意識に(さいな)まれ、うわ言のように謝り続けた。マッツェンの死と、皆の死を。

 マッツェンの死を知った相川はトマイにしがみついて泣きじゃくった。トマイは相川を慰めながらも自らの涙を拭うことはなかった。エルは部下たちの死を強く惜しみ、皆、仲間を(しの)んだ。

 ダークは(うしな)われた者たちに(おび)えた。イレブンは毛が三本足りない獣並みの理性しか持たない殺しの魔物だ。あの死体の山を、いずれ自分が望んで生み出すことになるかもしれない。

 愕然(がくぜん)としたままダークはハインにすべてを話した。救いを求めてのことだった。答えなどないことを知りながら、すがることしかできなかった。

「冷静になりなさい。貴方の正体が何者であっても、貴方でなければ『核付き』には勝てなかったわ」

「俺が皆を殺したんです」

「違うわ、それは思い上がり。自分だけのせいにしないで。皆で戦った結果なの。先の見えない戦いを勝つためだったのよ」

「……ヒルさんも同じような言葉をかけてくれました」

「彼女は……」

「上陸戦で亡くなりました。限界まで動力炉を動かして事故が起こった。俺が狼狽(ろうばい)していなければ、エマルジオはもっと上手く立ち回れた」

「アキラ……」

「博士、俺はただのハンドルエクスです」

 ダークはこの後、自ら望んで希望隊のアーロイド研究施設に向かい、誰とも会うことがなくなった。

 ダークは、もう戦うことができなかった。念物質の包帯の下で人間の肉体が復元されたが、『解像』することはできなくなっていた。

 

***


 中央島要塞が消滅してしまったことでベタナークについての情報の解析は困難となっていたが、それでも、以前より遥かに進展はあった。ベタナークとの対立を長年続けていたサイホ軍司令ロイ=アッキスの協力が得られたからである。

 最大規模の要塞が沈んだことで、ベタナークの、特にゼンドとしての活動は弱まるはずであり、そうなったならば、実質的には残党狩りと呼べるものになるだろう。

 これから希望隊は各国にパイプをつくり、世界で調査を繰り返すことになる。

 そんな中、希望隊において最も注目されていたのは、ダークの持ち帰ったメタルプレートと呼ばれる金属である。

 原質力を人工的に抽出することのできるメタルプレートは、解析できなかった結晶石に代わって、原質力研究の対象となっていた。

 研究の結果は、ハインの最後の要望により、随時内部に公開されることとなった。最後というのは、ハインが希望隊から去ったからだ。自身の持つ技術の悪用を恐れてであろうから追うことはしないとトマイはエルに語った。いささかドライにも思えるが、これは、今、彼らが大きな問題を彼らは抱えていたせいもあった。

 サイホからの情報で、中央島要塞と秘密裏に関わりを持っていた組織が発覚した。その中に、希望隊結成の際に関わった企業たちの名前があったのである。しかも、現在ではベタナーク対策事業におけるメインストリームに立っている巨大な企業たちである。事実であるならばこれを放置するわけにはいかなかった。

 トマイはこれを極秘裏に、かつ速やかに処理すべき問題とし、隊外に協力を仰いでいた。その相手とは特殊国際任務機構ナイトドリームである。

 外部に情報が漏れる危険性もあった。にも関わらずそのような方法をとったのは、解決後のことを考えてのことでもあった。

 現在は外部組織であるナイトドリームと共同作戦を展開することで、今後の、希望隊における対ベタナーク活動の窓口を広くするというアピールを行おうというのである。

 相川はトマイにそのことを真っ先に聞かされた。現在、希望隊で最も重要な情報である。つまり、これらに対応する専従班入りを相川にしてほしいということだ。

「それで、大全堂ですか?」

「嫌疑のかかっている四社、メディケイトマネージ、世界基金財団、ルナエレクトロ、黄流通信のすべてが参加する会議がそこで行われる。一斉摘発(てきはつ)だ」

「ナイトドリームが警備にあたる予定なのも都合がいい、と」

「そうだ。絶対に失敗は許されない」

「ですがトマイさん、これは……」

「頼れる人間は少ない。君が必要なんだ。協力してくれるね」

 トマイのその問いかけは、口調こそ優しげだが有無を言わさないものであった。

 支援者に対する調査としては乱雑であり、間違いがあった場合を考えればあまりに危険なことである。

 相川はそれをわかっていたが、トマイの期待を裏切りたくないという思いから、逆らうことができなかった。


***


「これが概要です」

「ああ、助かる……っと、来たな」

 エルが短髪の女と挨拶をしていると、トマイが部屋に入ってきた。

「おや! 誰かと思えば……タルタさん、ナイトドリームから来るのってサイン女史のことだったですか」

「驚いただろ。あのレイチェル=サインとまた仕事ができるんだ」

「そりゃ驚きましたよ。久しぶりだなサイン女史、ゼノ社の初回監査以来になるのかな」

 屈託のない笑顔を向けるその女を見て、トマイもまた笑顔になった。

 彼女は人を活気づける雰囲気を持っていた。テイク=マッツェンと仲が良かったのも気の合うところが多かったからだろう。

「ああ、それぐらいぶりかな。しかしずいぶんと立派になったね、ビックリしたよ。英雄だなんて呼ばれるようにもなると変わるものかい?」

「どうかな……でも、見違えただろ?」

ナイトドリームはその経緯上、希望隊の内情に詳しく、特にトマイについては英雄視されていたこともあって有名であった。

 レイチェルはナイトドリーム第2係に所属しており、ゼノ社監査当日トマイたちに同行していた女性隊員である。

 今回の件を知る者は、ナイトドリームと希望隊の双方で限られており、その実行員として選ばれたことからもレイチェルの有能さが窺える。

 レイチェル自身も目的があった。その根底には、自分の目で行く末を見たいという思いがある。それは、親交のあったマッツェンの代わりに、という意気込みからうまれたものであった。

「あ……」

 レイチェルはトマイの影に一人の女がいることに気付いた。どうかしたのか、とても疲れている様子でレイチェルを見ている。ともかく、どうも弱々しく見えた。

「そうだ、紹介しよう。こちらはアイカワ女史だ、僕のサポートをしてもらっている」

「第3にいた子だったね? 監査にもいたの覚えてるよ。よろしく頼む、ミズ?」

「あ、はい……マオ=アイカワです。よろしくお願いします……」

 今にも震え出しそうなほど縮こまった相川を見て、レイチェルは少し戸惑った。

 無理もないことかもしれない。中央島戦における希望隊の損耗は凄まじく、そのダメージはまだそこらかしこにあるのだから。

 ただ、この重要な局面で希望隊の内情に不安を覚えるようなことはしたくない。トマイと共闘というこであるならば尚更である。レイチェルはあくまでそういうものとして扱うことにした。

 ひとつ咳払いをすると、レイチェルは口調を変えて話し出した。ここからは仕事だ。それを見て、エルとトマイも真剣な表情に変わる。

「早速ですが、大全堂会議は言わば対ベタナーク事業の総会でありまして、参加する企業は、現在、希望隊の実質的なスポンサーということになっております。それについてはご存知の通りかと思います」

「うん。まず、希望隊は彼らに対して一切の不満がない。出たことすらない。なにせ彼らが我々に対して口をはさんできたことなどほとんどなかったのだからな。中央島を終えてガタガタになった今でも、彼らは我々に不義を働く気配はない」

「地下活動でしょうか」

「ないだろうな。悟られない程度に内偵をしたが、結果はシロだった」

「それで……」

「ナイトドリーム側で君が聞いたのがすべてだ。新情報はない」

「あの、サイホ側の情報が誤っていたと見るべきではないでしょうか?」

「サイン女史」

「レイチェルで結構です」

「ん、レイチェル。希望隊は世界にとって重要な役割を持っている。それは国にという意味ではなく、人間一人一人に対して、だ」

「わかります。そうなることを目指されていたことも知っています。あなた方でなければ、それはできなかったでしょう」

 ナイトドリーム出身者であるトマイたちに対して、レイチェルの言葉はやや手前味噌であったが、レイチェルは言葉にそういう含みを持たせる人間ではない。

「ありがとう。この情報を提供してくれた人物、ロイ=アッキス司令は、サイホ国民に対してその役割を果たし続けてきたんだ。我々は偉大な先人の訴えを無視することはできない」

 トマイもレイチェルの性分を理解しているからこそ素直にそれに応える。

 偏っているとレイチェルは思った。だが、それは単純な潔癖からくるものではないと直感する。トマイのそういう部分は変わってないな、と思う。

「これはナイトドリーム総司令の全面的な支持を受けている。厳しい言い方だが、貴官の考えだけを()むわけにはいかない」

「いえ、出過ぎました。こちらも正式な命で来ていますのに。申し訳ありません」 

 レイチェルは面倒になって話をきったわけではない。私情で判断するのは危険を伴う。それが、自分だけでなく味方を殺すことにもなりかねないことを知っているのだ。

「……いや、いい。今回、君がゲイリー総司令に選ばれた理由がわかった。皆にそうあってほしいと僕は思っている。同時にこれは、そうできない人のための戦いだ、それぐらいが頼もしい」

 いまいち要領を得ないが、嫌味でもなく、単純に褒められたようだ。それは嬉しいことで、レイチェルは表情が少し緩んだが、自分を見る相川の表情はどうにも厳しい。

――トマイといい仲なのだろうか?――

 レイチェルはふとそんなことを思う。相川に感じた不安はそこかもしれない。相川は直情的な人物ではなかったはずなのだが、どうしてもそう感じてしまう。ただの勘ぐりだろうとレイチェルはその考えを振り払う。

「イユキ、そろそろ移動しよう。貴官も来てくれたまえ」

 エルはそれだけ言い残し、先に出て行った。

「もしかして、例の?」

「ああ」

 相川の表情がさらに曇るのを、レイチェルは見逃さなかった。


・・・


 トマイたちはレイチェルと共に、希望隊の対アーロイド研究所へとやってきていた。

「そのー、アーロイドの中でも、『解像』は際立って謎の多い部分であります。ハイン=ハインド博士の提言を尊重しまして、対策以上の研究はなされておりませんが、ご存知の通り、ここでは条件をクリアして例外的に研究を進めております。結果や成果の扱いに関しましても、実に厳格な秘密区分が敷かれております。あー、こちらにどうぞ」

 研究者の一人が説明を交えながら、施設を案内している。この研究者はトマイとはそれなりに付き合いがあり、ハインを交えて発表を行うなど、希望隊でのハインの弟子にあたる。

「この度、ハンドルエクスについて新しい事実がわかりましたので、その視点を踏まえたヒト形態の説明をさせていただきます」

 会議室のような部屋に通され、そこには飲み物や資料が準備されていた。この人数に対してずいぶんな力の入れようだ。

「えー、まずアーロイドですが、ヒトの姿において、全身の臓器には、大まかにですが異質なところは見られません。これはハンドルエクスにも言えます。ティシューで見てはじめて細やかな差異が散見されてきます。ハンドルエクスのこれらを、生体材料でできたコンポーネントとして見ると、ただごとではない完成度です」

 長くなるかなとレイチェルは苦い顔をした。簡潔に説明してほしいものだが、技術屋とはどこでも多少の差はあれ、そういう傾向があるものだ。

「それでも生体としての能力は非常に高く、おそらくは通常の行われる検査の規定外にそれらを構成する要素があるものと予想されます。幾度か報告をあげております通り、項目によっては異常値がみられるのですが、それが悪い方向に影響しないでいることもそれに起因しているかと思われます」

 トマイを見ると真剣に聞いている。これはこの研究所の成果発表でもあるんだなとレイチェルは納得した。ならば、要点だけをあげろというのはいささかお門違いというものだ。

「運動器ではAバンドとⅠバンドが通常ではありません。具体的には伸びる力を持っているんです。この両性は、屈筋、伸筋、外転筋、内転筋のすべてにおいて観察されました。ところが、これをなんとか培養してみると、その機能がないんです。コミットメントに由来しているのかもしれません」

「博士はなにか言っていたか?」

 やや鋭い目つきになっているトマイが質問をはさんだ。

「あー、えー、はい。そもそもハンドルエクスについては細胞の培養それ自体も困難で、これらの結果も、ハインド博士が主導したものが大半です。我々でも様々な手法が検討されていますが、その確実な方法はいまもって目処も立っていません。特にハンドルエクスは、その殆どがフェイクであるという視点を考慮しなければなりませんので、結果がマスクされている可能性が高く……ただ、現在、アーロイドについては希望隊から提供していただいたサンプルをもとに、ジーンターゲッティング法が行われており、解析が続いているところです」

 研究員は少ししどろもどろになって答える。申し訳なさそうにしている分、まだこれは可愛げがあるなとレイチェルは思った。

「ああ、違う、なにも責めてはいないよ。ノウハウなんてないんだ、ハイン博士のようにやれとは誰も言わんさ。むしろよくやってくれている。あの件に移ってくれ」

 トマイが笑いながら答えたので、レイチェルもつられて笑ってしまった。

 研究員はオロオロしていたが、エルが目配せすると、気を取り直し、説明に入った。

「えー、先ほどの説明の通り、姿だけでアーロイドを識別することは困難です。ですが、アーロイド同士だとそれが可能とされております。ここにある図は、シナプシスが特徴的であるということを示しております。例に漏れず、機能ではなく組成が特徴的なのです。つまりこれは、機能の確認できない神経ネットワークが存在するということでして……」

「由来する感覚器官がある?」

「かもしれません。ただ、その特定はさらに困難です。これについては類似の事例があるのですが、そちらでも詳しいことがわかっていません」 

「類似?」

「キベルネクトシステムです。この特徴的な分布は、キベルネクトシステム適応者の神経回路に起きる伝導路に似ているのです。ですが、こちらも難解でして、網状説まで持ち出されてきている始末です」

「可能性としては、人間でもアーロイドを見分けられる余地があると?」

「そういうことです。ただ、現状では勘と見分けがつかないと思われますが」

「ううん……興味深い話だが、今は確実性が必要だ。現在のハンドルエクスでも、人間とアーロイドを見分けることは可能か?」

「特にハンドルエクスについては現在敷かれている基準に当て()められないですが……現状でも可能ではないかと思われます。ただし、仮想人格からの影響は考えられることです。もっとも、仮想人格というのが具体的に何なのか把握できていないのですが。ただ、もしメタルプレートによる共鳴の応用が可能となってくれば、今後、さらに細かいことがわかってくることと思います」

「よし、結構。ありがとう、ご苦労だった。終わってくれ」

「現在のハンドルエクスというと? なにかあったので?」

 レイチェルはところどころダークに関する言い回しが気になっていた。もしかしたら相川の様子にも関係あるのかもしれない。だとすれば、それはマッツェンにも関係あることだろうと予想した。

「ああ、それは……」 

 トマイはダークが人造生命である可能性があることと、さらに現在『解像』することができなくなっていることを伝えた。原因は精神的なものであると思われた。

「人ではない?」

「そう、人ではない」

 

 四人の前、ガラス窓の向こうに座る男がいる。ずいぶんみすぼらしい。暗い雰囲気がそう見せているのだろう。

「彼がアキラ=シオナシ……あの時の……」

 レイチェルは興味深そうにまじまじと見つめている。所属していた第2係の、その宿敵と言える怪物兵士の存在を証明した者。

 希望隊がまだ希望班だった頃、亡命者ハインと脱走者ダークは特別中の特別であった。

 班が隊となった後は、希望隊が資料をすべて持ち出したため、二人に関するほとんどのことは話でしか聞いたことがない。それも積極的に話されることのない、一種のタブーであった。ハインに至っては、レイチェルは姿も知らないほどである。

 今回、レイチェルは、希望隊に出向くに当たって初めて生の情報を目にしたのだった。

「そうだ、あれがハンドルエクス。ベタナークのつくったオリジナルアーロイド。今回の作戦には彼が不可欠だ」

 相川は震え、説明するトマイに寄り添うようにしている。相川は恐れているのだ。ダークが関われば、今度はトマイまで奪われる気がしてならなかったからだ。

 相川にとってマッツェンは特別だった。トマイに心惹かれながら、それに並んで、マッツェンがいつもいた。

 それは相川にとって不思議なことでもあった。トマイは誰もが認める特別な存在で、それに特別好意を持つのは相川にとって当然で、それを覆すマッツェンは、相対的にはトマイを上回って特別ということなのだ。

 業かもしれない。

 それでも、特別ばかりの仲間だった、ということだけは間違いない。 

「あいつのせいでテイクは……」

 そういうことから発せられた相川の言葉であったが、それを知らないレイチェルは、どうにも不快な気がしてならなかった。

巨大な楔が抜かれ、時が流れだす。

だが、これが結果ではない。これは降り注ぐ雨の予告にすぎない。

そうして混沌は、瘴気を伴いはじめる。


次回、ハンドルエクス・ダーク第17話『千の祈り』

暗闇への審判が、今、下される。

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