第11話 輝きの明日
11・輝きの明日
ナイトドリーム希望班によるゼノアームド社に対する強制捜査によって起こった武力衝突。大きな波乱を呼ぶのは当然だった。
もとよりナイトドリームは国際組織であったため、その余波は大きく、慎重な対応がされていた。いくつかの国際問題をも巻き込む形で、静かに、だが確実にその波は広がってゆく。
希望班の主張通りにゼノアームド社に関しての調査が行われていたが、最重要施設である基地はミサイルで跡形もなく、決め手となるような情報も得られないでいた。
希望班は交戦の正当性を問われていたが、権限を大きく逸れていないことはすぐに証明された。これは、WARネットワークに残った記録によるところが大きかった。
また、これらにより大きな問題が浮き彫りとなった。ミサイル攻撃を仕掛けた所属不明の者たちである。
戦闘時の近海に艦隊と思われる機影を捉えており、衛星情報によって、後にそれがある独立国家の艦だと発覚した。その国家は現在紛争中であり、緊迫した情勢となっている。
その国家はベタナークに関与していると希望班は主張したが、介入するとなると問題が山積みであった。
それ以前に、まず希望班は一時的に活動を凍結されていた。アーロイドの存在が確定されたが、その背後にゼノアームド社以外が関わっているかは不明だからだ。次に、あまりのことに希望班を擁するナイトドリームが及び腰になったからだ。周囲すべてからの注目を浴びる形で、希望班はその動きを拘束されたのである。
だが、トマイの立ち位置は、ゼノアームド社との戦いを経たことで大きく意味を変えていた。WAR構想兵器の性能実証とアーロイドとの戦闘記録、未確定ではあるがベタナークという敵への急先鋒。このどれをとっても、次に起こりうる事態での重要な核となる。
鼻の利く者はいるもので、トマイのもとには様々な者が集まってきていた。大半は単に興味を持っただけの野次馬のような者たちである。これはむしろトマイがわざと事実を隠さずに、人を集める餌としたためだ。当然、その集まった者たち中から自分の求めるものを見つけ出すために、だ。
つまりトマイは、誰がいくら身動きを封じてきたところで、望む相手の方から来てくれるという状況をつくりあげていたのだ。
ハインとトマイは連日話し合っていた。現在でもハインを保護していることは発表していない。
「今日だけでどれくらい来たの?」
「大きい所では三社ぐらいですかね? 一番多いのは、ゼノ社と競合していた兵器会社の類ですね」
「いい条件はあった?」
「無いこともないんですが、意外にも国家レベルのアプローチがないんです。あれだけ混ぜっ返したのに」
「それは驕りよ。ことなかれ主義を覆すほどのものじゃないって、見抜かれてるわ」
事実だけを見ればハインの言う通りなのだ。これは、ナイトドリームという組織が大きな仕事をこなしただけに過ぎない。
トマイの目的は、要するに味方を増やしたいということだ。希望班などという小さな規模ではなく、身を切ってでもベタナークと戦う仲間がほしいのだ。
ゼノアームド社への強攻策はその切っ掛けに過ぎない。そして、可能ならば自分たちを承認した多くの国に仲間になってほしかった。
「別にかまわないんですけどね。展開も当初の予定と違うようですし」
トマイは、良しにつけ悪しにつけ人間が動く動機を巧みに用意して見せるが、事情が変わることもあるようだ。
「すぐに流れをまとめてみせると言ったのはどの口かしら?」
「いや、もう動いてますよ」
トマイの笑みはいかにも自信ありといったところである。
「ふうん。聞かせてちょうだい」
「希望班の独立です。ただの独立ではありません、現在より巨大な組織にしたいと考えています。その条件をのめる交渉相手を探しているところなんです。ベタナークの情報については近々手に入ります」
「どうやったの?」
「わかりません。どういう形で手に入るかまではわからないんです」
「またお得意の勘? 理由を聞こうかしら」
「ええ。では、まず、ソーラ研、覚えてますよね?」
「もちろん」
「あそこに希望班がハイン博士を保護していることを流すんです。公開こそしませんが、公式にです。その許可をくれませんか?」
「……場合によるわ。続けなさい」
ハインが興味を持ったことを読み取ると、トマイは指をふり、本格的に話をする姿勢になった。
「これから話すのは単なる予想です。まず、イロッシュはベタナークの中でもかなり高い位置にいたと思われます。もしかしたら委員そのものかもしれない。しかし彼はベタナークで問題になる行動をとっていた……おそらくは権力闘争の類でしょう。希望班の行動は『核付き』による粛正だと思っていたようです。場合によっては孤立していたのかもしれません」
トマイは話しながら指をふる。癖のようなものなのだろう。
「ええ。遠回りにだけど、『核付き』は私たちにナイトドリームの存在を知らせた。それは希望班という対抗組織をつくることになり、イロッシュを袋小路に追い詰める原因ともなった。言うならば私たちは『核付き』に利用されたわけ……あ、そういうこと」
「はい。シオナシの話にあったべスティローザ種のイリアです。イロッシュは彼女と同じような形で追い詰められました。偶然でしょうか? この二名、繋がりがあると思いませんか?」
「三名の『核付き』は各々の判断で委員長の意思を独自に代行している。しかし、それを知っているのは副委員長だけ、だったかしら。表向きには『核付き』は査察官でしかない」
「そうです。『核付き』による我々の誘導を、委員会からの粛正とイロッシュは考えていたのでしょう。ところがですよ、イロッシュの口ぶりから察するに、ハイン博士とナイトドリームが組むのは何者かの裏切りになるようなんです」
「そこよね」
「さて、イロッシュが挑もうとしていたのは果たして誰か。少なくとも自分より上の者だったのだと思います。でなければやることがコソコソしすぎていますので」
トマイはなおも続ける。
「アリガという『核付き』の話をまとめると、ベタナーク内に性能比較試験の反対派がいて、それが、イリアやイロッシュだった。そしてその粛正のために、『核付き』が動いた……一見すると委員会の決定による粛正ですが、実は、委員会を通さずに委員長が直接動いていた」
「そこにイロッシュ=エイダムの話を加えると?」
「委員長が動いたという部分は嘘だった可能性がありますね」
「ええっと……粛正と思われた『核付き』の動きの方が、委員会への重大な裏切り行為になる、ということなのよね?」
「はい。そして、おそらくですが『核付き』自身の裏切りではありません。少なくともアリガと呼ばれる『核付き』を、裏で抱きこんでいた者がいると考えられます。ここまでの話が正しいとしたのなら、それは……」
「ベタナーク副委員長、かしら」
「と、思います。イロッシュのいわゆる政敵は副委員長だったんでしょう。副委員長が『核付き』を通して委員長指示を偽装し、委員会からの粛正にかこつけて、厄介なイロッシュを葬った。我々と博士との合流は、もしかしたらイロッシュを葬るための、副委員長の仕掛けた罠だったのかもしれないわけです」
トマイがハインの顔を覗き込む。
「……続けて」
「さて、シオナシが収監された経緯から、ソーラ研とゼノ社が繋がっているのは確実です。つまり性能比較試験反対派ですね。そこにこの事実を伝えることで、その派閥を副委員長と対立させるんです。うまくいけば今度は副委員長が尻尾きりにあう。反対派は粛正の対象になってもおかしくないわけですが、先に予想した通り、副委員長の行動は相当問題があるようです。で、あるならば、例え少数であっても、反対派に分があるでしょうから、燻り出せます。押し出される形で副委員長が我々の前に姿を現すでしょう」
「そんなにうまくいくかしら?」
「そこに期待できなくても、日本を協力させることができるんです。有力者の天下り先がベタナークと関わりを持つという疑いをかけられて、無視できるはずがありません。潔白の証明のために我々にコンタクトをとってくる」
「そこで独立?」
「結果的にそうなります。日本からの正式な依頼があれば、それで理由は十分ですから、凍結を無視して動けるようになります。うまく運べば、わざわざ中身を暴いて脅す必要もなく、ソーラ研は勝手に音を上げます」
「あなたが希望班を作ったのと同じね? 本当にけしかけるのが上手な子」
「博士だって。僕たち似てますよ」
「で、それに私が同意すると思う?」
「しますね」
「いいえ、しないわ。理由はわかるでしょ? 想像どころか妄想の域も出ていない。手狭な所で考えすぎよ、危険だわ」
「いいえ、します。確実に」
「……どうして?」
トマイは今まで見たこともないような表情をしている。厳しく、怒りに震えるような、なにかに耐えるような顔だ。
「今のストーリーで十分じゃないですか」
「ストーリー?」
「たしかに手狭な所で考えすぎですね。なぜか都合よく話が繋がったもので……そして、繋がるけど不自然なんですよね。例えばイロッシュからすればハイン博士はただの脱走者なんです。ならば、彼はどうやって『核付き』の策で我々が合流したと知ったのです?」
「それは、あなたが私たちを匿っていると話したから……」
「違います。そこじゃありません。イロッシュは博士たちが連絡状を手に入れた経緯を知らないんですよ。つまり、彼はもっとシンプルな理由で粛正と考えていたんです」
「…………」
「それに、イロッシュの言っていたキベルネクト適合のカラクリとは?」
トマイの目はハインを責めているようだった。
「あなた……」
「ストーリーができあがる理由も、ハイン博士がそれを咎める理由も、全部説明できるはずですよ。それでなくても上層部に聞いてみるつもりです。それですべてわかる」
トマイはハインに近づく。
トマイが言った通り、この二人はよく似ている。見た目ではない。考え方でもない。行動でもない。互いをよく理解している者は似てくるものなのだ。
この短い付き合いで、二人の関係はそこまで来ていた。しかし、そこに情念はない。ないが故に不自然なのだ。
「あ、トマイさん、ここにいたんですか」
ドアが開いて、相川がおずおずと入ってきた。
「アイカワ女史、何用かな?」
「あの、お邪魔でなかったでしょうか?」
「かまわないよ」
「お食事ご一緒しませんか?」
相川とトマイが話している横をハインが通りぬけていった。
「お返事、待っています」
その後ろ姿にトマイは一声だけかけた。相川はそれを不安そうに見ていたが、トマイが笑いかけると、心配はすぐに掻き消えた。
***
ハインはダークの前にいた。
ダークはまだ蛹のままであり、ハインに宛がわれた居宅に移されていた。
ゼノアームド社との戦いの後、ハインはトマイに本格的に協力しはじめた。ただ、今はまだナイトドリームの保護下にいるのだ。
ダメージは回復しているはずだがダークは目を覚まさない。ポイント-ブランクの飽和点に近づき、肉体の芯まで痛めつけていたとしても異常なことであった。
ダークがこのようになったのは実を言うと初めてではない。似た状況はあったのだ。ゼノアームド社に収監された時の拘束機械である。ダークは夢を見ているのだ。
「キベルネクトで貴方の今の状態を確認できた。まだ『リマージェン』には達していないようね」
ダークが蛹の中で動いた気がした。蛹の表面にはキベルネクトシステムがとりつけられている。
ダークの意識を読み取って、ハインに伝えているのだ。
「はじめまして、ナイトドリーム総司令。会えて嬉しいわ」
独り言のように呟いたハインの後ろには、いつの間にか男が立っていた。
「光栄です。先日はお見事でした」
「うまく適合しているようね、あなたこそ見事よ。よく覚悟してくれたわ」
初対面のようであるが、しかし、お互いのことを知っているらしい。
「私で最後になりますが、普及型の開発もいずれは」
「結構。肝心のハンドルエクスがこの様子だもの、あなたたちに期待しているわ。到達まであと一歩だというのに」
「は……それで、本日は例の件でしょうか? なんでも、もう発見なされたとか」
「あの子で間違いないわ。『次代人類』に最も近い者」
「記憶や経験、精神の遺伝……ですか」
「そう、オリジナルの持っていたマインド能力。これはおそらく、ベースとなった人間が強化されることで表出した。これを先天的に発揮できる者。彼こそ人類が『仮想敵』を超えられる唯一の可能性だわ。次に来るべき人類。これで賭けの一つは成功した」
「後はタイミングだけでしょうか」
「正直ここまで早いとは思わなかったわね、向こうの方が追いついてない状態よ。しかもあの子に気付かれている。このまま模擬戦に突入するつもりよ」
「我々は『核付き』に勝てますか?」
「今は無理でしょうね。でも、この際全部話すつもりよ。いいわね?」
「もちろん従います。では、後日に」
ハインが頷くと、男は部屋から出て行った。
「……ダーク、あと少しなの。あと少しで下準備が整うの。なのに、どうして目覚めてくれないの?」
ハインはしばらく思案にふけっていたが、ふと顔をあげた。足音が近づいてきていたからだ。
先ほどの男が戻ってきたのかとも思ったが、どうもそうではなさそうである。なるべく音をたてないようにしているが、その裏には敵意があった。
壁の近く、蛹の前までハインは後退る。拳銃こそ所持していたが、それではどうしようもない相手であることは明らかであった。
「遠慮しないで入ってきたらどう?」
扉の向こうにいる者に話かける。
「夜分に失礼致します」
ハインは少し視線を落とした。声が低い位置から聞こえたのだ。
部屋に入ってきたその姿は、まだあどけなさを残した少年であった。
「セーア=オオエと申します。目的は……言うまでもないですね。騒いでも無駄ですよ、この周囲の者はすべて昏倒しています」
淡々と話すセーアの目は、渇きながらもらんらんとしている。このような目をハインは知っている。
セーアはダークと同じ目、復讐の目をしていた。何も語らず、何も伝えず、突き放し、憎悪のみを投げ、そして何も残さない。
「それでは駄目、駄目よ。自分でもわかっているでしょう?」
「何を言っているのです? 命乞いというやつですか?」
「あなたが良くても、それでは未来に繋がらない。皆の命の使い方を見てこなかったのかしら? どうせ独断なんでしょう?」
「……裏切り者が何をのたまう!」
ハインの言葉に刺激されたのか、感情に突き動かされるように少年の姿が変わってゆく。爬虫類にも両生類にも似た姿。
ラナイバック種アーロイド。体内で化合したガスを散布する能力を持つ。
「イリア様やエイダム委員の恨み、貴方の命で晴らさせてもらいます」
「そう……それにしてもよくわかったわね、私が希望班にいること。それにあの子、イユキを狙うかと思ったけど」
「いいえ、わかっていませんでした。真実を確かめに来て、そして貴方を見つけたのです……私は貴方たちのような裏切り者ではない! 何を考えておられるのかは知りませんが、このままにしてはおけません!」
「いいわよ」
「なに……」
「ただの賭けだったものを、希望に変えていく姿を見せてもらえたのだから十分よ。ダークが目覚めないのなら、どうせ私はここまで。後はあなたたちに任せるわ」
「その世迷言が遺言ですか? 心配しなくても、ハンドルエクスもすぐに後を追わせますよ!」
ハインはもう何も答えなかった。ただセーアを見ているだけだ。
セーアはそれが気に入らなかった。何もかもを知りつくしたようなハインの顔は、喪われた者たちを侮辱しているように映ったからだ。
もはやセーアの頭にあるのは、真実へ到達しようとする使命感ではなく、感情を力で吐露することだけである。
「恥知らずの裏切り者めが! 八つに裂けろ!」
セーアが、ラナイバック種として付与された特異な能力ではなく、自らの肉体でハインを引き裂こうとしたのは、感情の発露によるものだった。
「アキラ……」
ハインはダークを呼んだわけではない。アキラという名をただ呟いただけである。
ハインの言う賭けは、ダークの、塩無明としての認識によって進んできたように思ったからだ。そして、そこにはほんの少しの疑問も含まれている。
迫る爪が目の前まで来た瞬間、電灯が点いているにも関わらず、ハインは部屋が暗くなったように感じた。それは錯覚である。ハインの上に現れた物の影が、光を遮っただけだった。
ハインが気付いたとき、黒いシルエットは、憎しみの爪を携える腕をしっかりと掴んでいた。
「いらない」
はっきりとした、力強い声が聞こえた。
「こいつ……」
自らの腕にかかる力に、セーアは恐怖する。
「こいつが……」
それは、メキメキという音と共に、殻を砕きながら体を這い出させる。
それがただ一歩足を踏み出しただけで、セーアは押し潰されそうになっていた。
「もう何もいらない……でも、これ以上何もさせない! これ以上何も奪わせない!」
腕を掴むその手にぐんと力がこもったかと思うと、セーアは壁に叩きつけられていた。
ハインを庇うかのように殻を掻き分け出てきたそれが、セーアの前に立ちはだかった。
「これが……こいつがハンドルエクス、シオナシアキラ!?」
セーアは全身が粟立った。憎い憎いイリアの仇。許せない相手。だが、今感じた力はセーアから憎しみを奪い取り、萎縮させた。
セーアにとってイリアの存在は大きく、自らを守ってくれる者であった。そして、その盾を突き崩した者に対する恐怖を、セーアは無意識に植えつけられていたのだ。
「ふんっ……!」
ダークはセーアを掴むと壁へ投げつける。そのまま壁を突き破り、セーアは外へ放り出された。
「くっ……迂闊すぎたのか……」
セーアは自らの内にある恐怖を認められなかった。認めたくなかった。ひと撫でされただけで覚悟を失ったと思いたくなかった。震える身体をそう納得させた。
この迷いこそが迂闊だった。わずかだが確実な空白を生んでいたからだ。
隙をついて、セーアからすれば巨大な拳が、真正面からその体を弾いた。
「グ……!」
声にならないほどの衝撃が体に満ちたが、それでもセーアは踏ん張った。悶えたいのを堪えてダークを見据える。追撃はない。
「退いてくれないか? 俺がこれ以上奪われたくないように、君から奪うこともしたくない」
ただ立っているだけのダークが絶対的な壁に思えてセーアはさらに萎縮した。
「都合のいいことを……イリア様を殺しておきながら!」
鼓舞の叫びである。
「イリアも沢山の命を奪った。あの倉庫で沢山の人が実験に使われ、殺された」
「やはりおまえも何もわかっていない……なぜ委員会はこんな裏切り者の玩具を選ぶ! 我々は使命に殉じようとしただけだ!」
「本当にそう思うの?」
ハインが問いかける。危険を承知で出てきたのだ。
「今あなたがしていることは裏切りではないというの? あなたが見てきたベタナークの人たちは、今のあなたを認めるかしら?」
ハインがしているのは説得なのだろうか。周りには何人かの倒れている人間が見える。セーアによって気絶させられた者たちだ。このままセーアと戦えば犠牲者が出かねない。戦闘回避のための説得と見るべきだろう。
だが、ダークは違うと思った。
セーアがまだ若いことをダークは一目で理解していた。命の奪い合いをしたい相手ではない。ハインもそうなのかもしれない。
「行きなさい。行って、あなたが知ったことを伝えなさい。きっと戦いが待っている。こんな小さな戦いではなく、あなたの望むような戦いが」
セーアは黙って聞いていたが、しばらくすると俯き、夜の闇の中へ消えていった。
「……泣いていた」
ダークは誰に言うでもなく言葉にして、セーアの去っていった方向を見つめていたが、ふいに振り返るとハインに近寄ってゆく。
「ただいま戻りました」
ダークは背筋を伸ばし、しっかりとした言葉で帰還報告をすませる。
「ずいぶん寝坊したわね、もう少しで乗り遅れるところよ」
ダークはハインの表情を窺うと、表情からベタナークとの本当の戦いが近いことを読み取る。
ダークは長い夢を見ていた。知らない親子が出てくる夢だった。その睦まじさを見て、なぜか目が覚めるのが惜しかった。
しかし声が聞こえた。自分の名前を呼ぶ声。夢と同じ声。行かなければならないと強く思った。曖昧なものではなく、明確な自意識で、だ。
「賭けの締め切り、まだ間に合いますか?」
「んー、ギリギリかしら。降りるつもりかと思ったわ」
「いや、共同出資者がいたのを思い出しましたもので」
「ふふっ……いい夢は見れた?」
「ええ、とても……だから言えるんです。それだけじゃ欠落しているって。前に、俺は自分に役割を定めました。ならば、それを宣撫して見せなきゃならないんです。これ以上の殺戮に向かわせない力が、貸借無しの力があるということを。それが、俺の勝利です」
「その言い回し」
ハインは額に手を回す。しかし、その顔には笑顔が浮かんでいた。
「それじゃあ……」
ダークに話しかけようとしてハインは気付いた。ダークは立ったままで眠っていた。『解像』が解かれ、柔らかな念物質で包まれた、今度こそはいつもの眠りだ。
遠くから車の音が近づいてくる。異変に気付いた者たちだろう。
「いい風だわ。でも、アキラにはきっと寒いわね」
ネクタイを締めなおすハインを、風が撫でていた。
変化のための脈動が大きな唸りをあげる。
銅鑼にも似たこの音を、恐怖と期待と興奮の中、謹聴せよ。
細波は荒波となり、やがて渦を巻く。臆せず漕ぎ出せば、また後悔がそこに。
次回、ハンドルエクス・ダーク第12話『生きるものたち』
暗闇への審判が、今、下される。