第10話 義の意味
10・義の意味
ハインはダークの検査をするのと同時にナイトドリーム希望班と話を続けていた。
ハインはナイトドリームの全貌を聞いて、はじめは落胆を隠せなかった。国際承認を得ているとはいえ、あまりに弱小すぎたのだ。
いや、むしろそうした組織が、単独で抑止力に成り得るわけがないのだ。どこの国も、自らに火の粉をふりかける組織と本腰を入れた共助など行わない。ナイトドリームは特に純粋すぎ、その姿勢が強国たちから忌避される原因となっていた。
組織としての実態は伴っていたものの、結果としてはハインの予想とそう変わらないものである。ベタナークを相手にするには名前が小さすぎた。これでは世界的規模での抵抗運動は起こせない。
だが、ハインのこの考えは大きく変わってゆく。
トマイとの交渉は、どちらかといえばトマイが一方的に案を提示する形であった。そのどれもにハインは面くらった。堅実な組織にありながら、トマイの案のどれもが、あまりにも思い切りのよいものであったからだ。
それまでのダークとハインの戦いを思わせる、トマイのその突飛な発想は不自然とさえ言える。
ハインは、はじめこそトマイが目の前の見えない男なのかと思ったが、今はその裏にある思慮深さを感じていた。ダークが言っていたことも今なら頷ける。
ゼノアームド社から流れた連絡状を渡した今、協力するもしないもハイン次第である。ダークが欠けた以上、ハインは再び一人なのだ。ただ、どちらにするにせよ、ある程度トマイとは腹を割って話をする必要があった。
「どう思われますか?」
「SZUっていったかしら、あの複合ウェアラブルシステムは確かに優秀だけど、アーロイドにはやはり劣るわ。勝ち目、有利な点があるとしたら、搭載されているキベルネクトシステムね」
「そうです。SZU、つまりストライドザウアーユニット最大の武器は単独の性能ではありません。決して篭絡されることのない独自のネットワーク界なのです。意識同調による兵士・兵装・兵器間データフィードバック、つまりキベルネクト。よくご存知ですね、驚きました」
「これでも元は想念技術者よ。実用化に至っているとは思っていなかったけど。キベルネクトと言えばメディケイトマネージだけど、これもそこから?」
「いいえ、ナイトドリームの虎の子です。相当な反対を押し切って、希望班で対応兵器ごと徴収しました」
「アーマードベースね。オーバーボディ構想、つまり機械による拡張肉体という考えから派生した兵器。将来的な発展を見込んでもいいけど、数が問題よ。今すぐに数が必要だわ。だいたいキベルネクトは万人に対応していない。適応があっても、だいたいにおいて相当な訓練が必要だし」
「このWAR構想まるまる一つ取り込むのにもずいぶん苦労しましたし、これ以上の大幅な武装強化は望めないですね。ハイン博士が先日提示された数字を卸業者に見せましたが、勉強になるとか言っていました」
「嫌な言い回しね。資金のあてはないの?」
「勘弁してください。今の時点で活動資金にまで手を出しているんですよ? もう横領の域です」
「何をするにもゼノ社を落として、ベタナークの証明が必要なのね……」
「そうです。ハイン博士との接触についても特に指示がないような状況です。しかし、だからこそ、対ベタナークのイニシアチブを取れれば、状況は一気に変わるはずなんです」
ハインはトマイが気に入りつつあった。彼は自分たちと出会う前から必要なものを可能な限り取り揃えていたのだ。ハインの提案はむしろ望みすぎなのである。
「もう一度聞きます。どう思いますか?」
「……悪くない賭けだと思うわ」
「それで結構です。決まりですね」
「確実に大きな被害が出るわね。本部から何か言ってこないの?」
「いえ、報告はしますが、指示なんか仰ぎませんよ。アーロイドに関しては僕に裁量権があります。被害も覚悟の上です」
「わかっていると思うけど、この戦闘による被害だけじゃないわよ。その先の話。どこまで食い込めるかはともかくとして、より大きな敵を土俵に引っ張り出すのは確実よ?」
「承知していますよ。後手にまわることなく即座に流れをまとめてみせます。ハイン博士、是非あなたも我々と来て欲しい」
「へえ、本気みたいね。でも、返事は今度にさせてもらうわ。あなたの処罰もありえるでしょ? 協力相手が消えたら意味がないもの。ダークもあの通りだし」
「う、そうですか……」
「そうね……でも、キベルネクトの調整くらいは手伝わさせてもらおうかしら。興味もあるし」
「あ! ありがとうございます!」
トマイは飛び上がるように立ち上がるとハインの手を握り振り回した。相当嬉しかったようだ。
「ふふっ、この子ったら」
トマイのはしゃぎようが微笑ましくも頼もしくも感じる。大きな仕事になるだろうに、トマイはまるで臆していないのだ。驕りもなく、ただ真っ直ぐに行く末を見ているのだ。
「なあ、ハインド博士って美人だよなー」
マッツェンは手にした冊子をペラペラとめくりながら相川に同意を求める。
「ちょっと怖そうだけど……うん、綺麗。それに強い。なにがあって、ああいう覚悟を決めたんだろう」
「トマイが羨ましいやね。俺もこんなちんちくりんガールじゃなくて、ああいうレディと仕事がしたいぜ」
「失礼にもほどがあるでしょ! 負けてない所だってあるの! わたしはまだ若いし!」
「ほう、ハインド博士は若くないって? なかなか言うねえ」
「あ、いや、別にそういう意味じゃないけど……もう! いいからはやく内容頭に叩き込むの! 実戦になるんだから!」
マッツェンが開いているページには、短い足が生えた装甲車のような兵器が描かれていた。アーマードベースの仕様書である。
希望班はトマイの決定により、ゼノアームド社への捜索が決定していた。ハインが希望班にもたらしたベタナークの情報が正しかった場合、かなりの抵抗が予想される。つまりは実戦ということである。
ナイトドリームの交戦規定は厳しく、そのままではかなりの犠牲が予想されたが、士気は高かった。
怪物兵士報告で煮え湯を飲まされ続けた第2係出身の隊員が希望班に多かったこともあるが、アーマードベースなどの兵器・兵装に対する期待がかなり高かったのだ。
WAR構想はドクトリンも兵器群もまだ未熟なものではあったが、ナイトドリームの悲願そのものであった。このネットワークシステムは、戦場において、バックアップもままならない隊員たちの命綱となる。組織内外の注目も高い、言わばナイトドリームの看板なのだ。
それの実戦投入である。信頼性を上回る期待。被害妄想気味ではあったが、第2係出身者からすれば、馬鹿にしてきた者たちの鼻をまとめて明かす機会と言えた。
マッツェンと相川は共に前線に出る予定であった。前線と言っても、トマイと同じく捜査員としてであるが、戦闘となった場合にどうなるかわからないものだから、希望班内部ではもう前線扱いとなっていた。
マッツェンと相川には、興奮と不安の入り混じった奇妙な感覚があった。いかに恐怖を殺すかが重要である中では上出来であろう。
「そうカリカリしなくても大丈夫だって。こうして見るとこっちの戦力もなかなかのもんさ。トマイもそう言ってたしよ」
アーマードベースの船への積み込みが行われている。数はそう多くはない。それでも、ナイトドリーム内だけで見ればかなりのものだった。
「……そうだよね、大丈夫だよね、きっと」
「そうさ」
「でも、それとこれとは話が別だから。しっかり覚えとかないとね」
マッツェンが手放した資料をマッツェンに返しながら相川が微笑む。
「……やっぱりトマイに代わってほしいぜ」
大規模な交戦を前提とした独自捜査任務。彼らにとっては初めてのことである。成功しても失敗しても大きく事態が動くのは間違いない。だが、トマイがいれば、それもどうにかなる気がしていた。
***
「今は見定めの時。『次代への舵』はまだ必要よ。だから今は眠りなさい。でも、ハンドルエクスとしての役割を果たす時は必ず来る。私はそれに人類の未来を賭けるわ」
船に乗る前に、ハインが眠るダークにかけた言葉である。
本来ならハインは同行すべきではない。しかし、キベルネクトのネットワークの把握という名目で、自ら強く申し出たのだった。
ハインは、たとえ後ろ盾ができても自分の戦いをやめるつもりはないのだ。
「どう?」
「すべて順調です。もうすぐ向こうから連絡してくるでしょうね」
希望班の船からは、すでにゼノアームド社基地のある島が見えている。
「いよいよね。港までいけるかしら?」
「それは大丈夫でしょう。それより、荷揚げがどれだけスムーズにいくか、です」
希望班の行動がばれていたとしても、ゼノアームド社は強攻策に出ることはまだできないのだ。
ゼノアームド社の船艇が近づいてくる。停船させるためだろう。トマイが通信で応答し、目的を伝える。ここからがスタートだ。
「よし行ってくれ。誘導に従う必要はない。ハイン博士、お願いします」
「ええ、準備するわ」
港が迫るにつれ、船内は騒がしさを増してゆく。その間、ハインもシステムチェックにかかりきりになっていた。
希望班の技術陣はまだまだ未熟であったため、開発の人間までまぎれているような状態だった。ハインはその中にあって指示を出す側となっていた。才によるものである。
驚くべきことにハインは、この日までにキベルネクトのほぼすべての機能を把握していたのだ。そういうわけで、外様であっても、すぐに技術陣からは信用を得ていた。
港につくと喧騒は一層増した。ゼノアームド社からの人員が待機している中の陸揚げ作業となるのだ。
「これは何事ですか!」
準備を進める中、ゼノアームド社の人間がトマイに駆け寄ってきた。おそらくは基地の者ではなく、この港の責任者であろう。
「船でも話した通り、強制捜査です」
「なんの捜査で!?」
「監査における工作の疑惑だ。作業急げ! 出られるチームから順次出ろ!」
「待ってください!」
「邪魔すると国際法に触れますよ。アイカワ女史、基地にはまだ連絡つかないか?」
「イロッシュ=エイダムが出るのを待っているところです」
「遅いな、混乱しているのか? では、遠慮なく隙を突かせてもらうことにする。マッツェン、ここは任せるぞ」
トマイらが出る頃には、希望班を邪魔しようとする者はいなくなっていた。
トマイらで攻め、マッツェンらは港に残り、監視をする。また、港の方を後方とする予定であった。
しばらくすると、完全ではないものの、もうなんとか全体としての展開ができつつあった。驚異的な早さである。
「WARネットワークどうです?」
マッツェンが顔を出したのは、船内の情報制御室である。
「順調よ、あとは戦術次第。あなたも油売ってないの、ここで適応があるのはマッツェン君と私を含めても少数なんだから」
「わかってますよ。ただ、本当にアーロイドは出てきますかね?」
「確実に出て来るわ。ゼノ社にとっての問題は、アーロイドの発覚ではなくベタナークの発覚だからよ……来た? いきなり!?」
「……行きます!」
マッツェンが部屋を飛び出す。彼らのキベルネクトが前線の状況を伝えたのだ。彼らが見たのはトマイら前線部隊に迫り来る異形の集団であった。
ハインの言う通り、もうアーロイドを隠すつもりはないようだ。だが、何の事前応対もなくアーロイドを差し向けてくるとは予想していなかった。それでなくても、ゼノアームド社は通常戦力の方が大きいはずなのである。
腹をくくらなければならない。なにが起こるかは誰にもわからない。虎子がいない虎穴に、入らなければならないときなのだ。
トマイのいる前線部隊では、混乱が見られはじめていた。武装し、迫る怪物兵士。地上にも上空にもアーロイドが見られている。地獄の風景のようである。
「トマイさん! イロッシュ=エイダムから応答です!」
混乱の中、相川はトマイをよくサポートしていた。
「今頃か……こちらはナイトドリーム希望班監査員イユキ=トマイだ。ゼノアームド社は警備を即刻引き揚げられよ」
「トマイ様、それはできません。ここはゼノアームドの所有地です。これより、自衛権により迎撃します」
イロッシュの声の後、外から銃撃音と爆音。キベルネクトにより、それが武装アーロイドからのものと伝えられる。
「捜査妨害に加え、重大な人権侵害の嫌疑により、貴方を逮捕します」
トマイは通信を切ると、叫んだ。
「応射許可ぁ!!」
言葉が瞬時に隊全体に伝わる。戦闘開始である。希望班は進みながら随時陣形を変化させていたため、このまま激戦になだれ込むことが予想された。
「よし、僕も行く」
トマイはそう言うと、人の頭のようにも見えるヘルメットを被る。ストライドザウアーユニットである。トマイもまた、キベルネクトシステムの適応者であった。
トマイは装備を整えると荷台に積まれている機体に乗り込んだ。黄色い線の入ったタイヤのない車のような車体。エンドローダーである。
飛び上がった機体の姿が景色に溶け込み、薄らいでゆく。エンドローダーに搭載されたミラージュシステム、つまり透過偽装の修理は完了していた。
***
「ノーマンめ、しくじったな……」
イロッシュは怒りの表情で頭を抱えていた。
「エイダム委員もはやく脱出を!」
そのそばに赤毛の少年が立っていた。セーア=オオエ。今は亡きイリアの部下である。
「駄目だ。命令した通り、脱出はうちのアーロイドを除いた人員のみだ。アーロイドに関する一切の責任はゼノアームドで被る。長である私が逃げ出すわけにはいかん」
「では中央の援軍は……」
「期し得ん。脱出者の救出のみだ。それどころか、我々に生存は許されん」
「これも『核付き』が関わっているのか? 奴め……!」
「これはな、性能比較試験を軽視し、我を通そうとした私への粛正なのだ。見せしめだよ。だからな、オオエ、貴様は脱出しろ」
「なぜです! 自分も残ります!」
「ならん! 貴様はゼノアームドの者ではない! ここは我々の戦場なのだ!」
「どうしてイリア様もエイダム委員も、自分を置いて行こうとするのですか! 逃げろとおっしゃるのならエイダム委員もご一緒に!」
「……たとえどのような立場であっても、奴らを委員会へ辿り着かせるわけにはいかんのだ。そのためには、私の名をもって、すべてをここで断ち切るしかない。これは私の義務。そして、貴様にも重要な任務がある。見てきたことをすべて委員会に報告するのだ。我々の使命は貴様に託した。だから……今は生きろ!」
その言葉にイリアを重ね、セーアは目にたまった涙をぬぐう。一度だけ頭を下げると、足早にその場を去った。
セーアと入れ替わりに一人の兵が駆け込んでくる。
「エイダム様、侵入者です。それも人間が単身で、です」
単身で、楔のごとく、毒針のごとく、中枢まで潜りこんできた者がいた。
「詳細を」
「侵入経路不明、急に現れました。SZUを着装、装備は重機関銃。アーロイドが二体はやられています。ここへ来るのも時間の問題かと」
重機関銃は人間が手に持って扱える物ではないが、SZUの運動補助が可能としたようだ。威力や汎用性をSZU用に合わせた銃火器の開発が遅れていたための選択だろう。
現状では、取り回しの点から分隊支援火器や汎用機関銃を調整したものがSZUの装備として想定さているのだが、この戦いでは決定打に欠けていた。そこまで見越した者がいたのだ。
「押されているというのか? いくらここに残ったアーロイドが少ないとは言え、相手はたった一人だぞ」
「予想ですが、無制限のキベルネクトを使用していると思われます」
「馬鹿を言え! 制限もなく人間が扱えるわけがない!」
予想をさらに上回る事態に、エイダムは焦りを募らせていた。
部屋の入り口からなにか音が聞こえてくる。その、ありえないはずの者が近づく音がしているのだ。
「来たようですね。お先に失礼します」
イロッシュがわずかに頷いてみせると、兵は足を揃え、その音へと向かっていった。『解像』してゆく兵の後ろ姿を見送りながら、イロッシュは背を椅子に預けた。
そして、音が消えるまでのわずかな間になにかを決意すると、エイダムは電話をとった。最後の通信である。
電話を切ると同時に、入り口から巨大な銃を携えたそれが現れた。暗い紺で身を固めた兵士。ストライドザウアーユニット。どこか死神を思わせる風貌である。
「抵抗は止せミスターイロッシュ。ベタナークについて公の場ですべて吐いてもらうぞ」
その声にエイダムは少しばかり驚いた。聞いたことのある声だったのだ。
「おお、これはこれは……トマイ様でしたか、驚きました。ですが申し訳ありません、ベタナークなどとというのは存じませんな」
「とぼけても無駄だ。ここを調べれば全部わかることだからな」
「ふむ、そう言われましても身に覚えがありませんものでね。もっとも、アーロイドをつくり、それを隠していたのは認めますが」
「……アーロイドしか出てこないわけだ。人間はベタナークへ逃がし、自分たちだけで罪を被るつもりだな」
「はて……」
「無駄だ。隠蔽しようにも、この時間では対策できていまい」
トマイは銃を構えることもなく話を続ける。表情は読み取れないが、何も行動しないあたり、様子を窺っていることがわかる。
「どうぞご自由に。それよりトマイ様、貴方こそ何者なのです?」
「どういう意味だ」
「ご存知でしょう? 無制限のキベルネクトを人間は扱えないのです。扱える者がいるとすれば、使用する物の違いはありますが、そう、ハンドルエクスぐらいのものです」
「何でも例外など存在するだろう。だが、ハンドルエクス、シオナシがキベルネクトとどう関係がある?」
「……よくご存知ですね。どうやってハンドルエクスのことを調べたのです?」
様子を窺っていたのは相手もらしい。
「ハイン博士と共に今はナイトドリームで保護している。前回の監査時、ゼノアームド社が受けた連絡状も彼女らがもたらしたのだ」
「……なに!」
机から身を乗り出してイロッシュが叫ぶ。
「だから観念するんだ。もう何もかも全部ばれている」
「そんな話は誰も知らんぞ……そうか、この事態はしくじった結果ではない! 奴が裏切ったからなのだな! ならば例の『核付き』は奴の手の者ということか! 信念をも捨てたかあの恥知らずめ!」
机に拳を叩きつける。ずいぶんと興奮しているようだ。
「何を言っている? 内部分裂か?」
「この戦いはただの口封じだ……口惜しいがもう伝えている時間はない。オオエ、貴様だけが頼りだ。気付いてくれよ……」
「ミスターイロッシュ、無駄死にする必要はない。やり残したことがあるのならば僕とともに来ればいい」
「そうはいかん……そして……そしてぇ! 例え無意味であろうとも! 私は最後まで戦いぬく! 人類の明日のためにぃ!」
そう言い終わった途端、エイダムの体がどんどん大きくなってゆく。服を破り、硬質化した皮膚があらわになり、額から一本の角が生えてゆく。
「『解像』か、やはりアーロイドだったな。違和感はずっと感じていたよ」
その体の巨大さはただごとではなく、トマイのまるまる倍はありそうである。
鎧のような外殻。額には太い角。鋭い棘を有する手足。
人間が挑むにはあまりに現実離れしたそれを見ても、まだなおトマイは構えない。
「教えてやろう! 戦いなどというものは! より大きく! より重く! より速く! よりスタミナのある方が勝つのだあ!」
踏みつけた地面を微塵に砕くイロッシュ=エイダムのこの変化こそ、アーロイドの中でも特に強靭な肉体を持つ、アルモニコ種の姿であった。
「断じて違う。より多くを積み重ねた方が勝つんだ」
表情の窺えぬマスクの奥で、トマイの瞳が輝いたように見えた。
***
「ハインド博士、どうやら凌げたようです」
マッツェンはやや息を荒げている。港にあらわれたアーロイドは少数であったこともあり、大きな被害を受けることはなかった。しかし、戦闘の興奮と、初めて見たアーロイドの生命力に血があがっているのだ。
「油断しないで、戦闘はまだ続いてるわ。イユキもまだ戦っている。アーロイド相手に一人でここまでやれるなんて思ってなかったけど」
「そこまでわかるんですか? 俺のキベルネクトだと見えないですね」
「規格の差かしら。とにかく、まだ何かあると思った方がいいわ」
「何かって? 他に何が……」
マッツェンが質問を口にした途端、船内に警報が大きく鳴り響いた。
すぐに情報がキベルネクトを通じて届く。自動でいくつかの機能が起動して、それで起こったことを瞬時に察知したが、ハインにとってはそれは信じられないことだった。
「これは……巡航ミサイルだというの! そこまでするなんて!」
しかし、ダークの話を思い出し、頭の中で一つの線が繋がる。ダークはこの近海で潜水艦と戦っている。明らかにここの設備を超える装備である。
つまり、ここにはゼノアームド社以外の者がずっと潜んでいたのである。可能性は一つしかない。ベタナークである。
「ハインド博士! これって!」
「目標不明! 交戦しているチームを全員退避させて!」
対巡航ミサイル用の装備はない。退避を伝えるだけで精一杯である。
「ここまで来て退かなきゃならないの!?」
戦場でも情報は詳細に伝わっており、ミサイルがここに向かっていることはわかっていた。しかし、相川はこの事態に納得がいかなかった。勝利はもう目前であったからだ。そして、この相川の感覚は、鈍い。
即座に希望班の退却がはじまる。退却にも方法があるものだが、今回は時間的な余裕のなさのために無防備となっていた。敵から受ける追撃の被害よりも、退避の遅れを恐れたからである。
不思議なことに、アーロイドから希望班に対して追い討ちが来る気配はない。それどころか、アーロイドたちが基地内へ引き返す気配すらあった。いくら打撃を受けようと、全く退く気配のなかったアーロイドが、である。
戦場にいる者たちには嫌な予感しか残っていなかった。
「トマイさん! 脱出してください!」
***
トマイが基地内を駆けながら大口径弾を放つ。壁を貫いた弾は一発残らず巨大なアーロイドに着弾した。
キベルネクトシステムが感覚を、SZUが肉体を補助している。トマイの動きは、過去のいかなる戦いにおいても見られなかったものである。
「おのれ……」
トマイはエイダムの嫌がる動きを選んでしているようにも見えた。キベルネクトは人間の能力を拡張させる。トマイはその応用をして見せているのだ。
トマイの武装ほぼすべての直撃を受け、難攻不落の要塞と言えるアルモニコ種のエイダムも、ついには膝をつく。
いかに強力なアーロイドといえど限界はある。イロッシュは怪物といえど、戦い方と発想が人間でしかなかった。
人間離れした人間が、怪物を制する。
「終わりだミスターイロッシュ、貴方を逮捕する」
「この状況でまだそんなことを……何が迫っているかは知っているだろう? 確かに終わりだよ。すべてはここで終わりなのだ……」
「貴方は生きるべきだ。信念は人類全体に対する犯罪に使うべきではない」
「もう遅い……それに、その言葉はそっくりそのままおまえたちに返す……」
「何のことだ?」
「ふっ……」
体を引きずりながらエイダムは奥に消えてゆく。残念ながら、追いかけている時間はもうない。
「ここまでか……勝ったとは言い難いな」
WARネットワークを通じて送られてくる情報に目を向け、トマイはエンドローダーへと向かった。
***
「基地に集中してる? この軌道ならこちらに被害は出ないかも……でも、トマイさんは……」
相川は最後にミサイルの情報を把握すると、衝撃に備えた体勢をとる。
「どうか無事でいてください……みんな無事でいられますように……」
容赦なくミサイルが降り注ぎ、そんな相川の淡い祈りごと島を爆風が包んだ。
鋭い衝撃が突き抜けてゆく。
土の埃も瓦礫も、思考さえも舞い上げて、熱風が世界をかき混ぜる。まるでなにかを覆い隠すかのように、濁った風が吹き荒れた。
揺れがおさまり、おそるおそる相川が外を窺うと、遠く見えていた基地は炎そのものとなっていた。高さはなく、平たくなった、ただの火の塊がそこで煙を吐いている。そして聞こえてくる爆音と共に、その姿をさらに歪にしてゆく。
相川が外に出ると、熱い風が体を襲った。おそらく、この大きくはない島の、どこへ行っても同じ風を感じられるだろう。
見回せば、体勢を崩しながらも自分で起き上がろうとしているアーマードベースや、怪我をしているらしい兵士が見られた。それでも、この凄まじいまでの破壊に比べれば、希望班の被害は軽微と言える。
「新兵器のおかげ、か……」
相川は燃え上がる基地を見つめる。アーロイドたちはすべてを知っていたのだろうか。あの基地を死に場所に選んだのか。基地の炎は、命を燃料にして燃え盛っている。そう見えた。
相川の目に涙が浮かぶ。情緒によるものだが、放心せずにそうあれることは、相川が強がりだからでもある。
「観測――警戒――」
「被害状況――」
「負傷者を優先的に――」
希望班が忙しく動き始める。相川はどこか上の空で仲間の声を聞いていた。
「どこだ? データの方角にいないぞ」
「いや、見えていないだけだ。透過偽装中のようだからな。本来の効果じゃないが、あれで爆風を多少は軽減できるらしい」
「よし、行くぞ。そうは言っても機体はボロボロだろうからな、着陸は墜落気味になりそうだ」
「すぐにバックアップが救援に来る。ハインド博士も来ると。動けるアーマードベースは一台ついて来てくれ」
相川の横をSZUを着た隊員が過ぎる。彼らのキベルネクトシステムは活きているのだ。彼らの話を聞いて、相川はついに泣き出してしまった。あることに勘付いたのだ。
「良かった、無事なんですね……本当に良かった……」
潤む景色の先に、溶け出してくるように現れるエンドローダーの姿を、大切な宝物のように相川はいつまでも見つめていた。
目覚めたのか、蘇ったのか、あるいは夢遊病か。
来るべき時に備え、再び拳が握りこまれる。
その目的にはなにか裏があるのか・・・・・・もうすぐ、わかる。
次回、ハンドルエクス・ダーク第11話『輝きの明日』
暗闇への審判が、今、下される。