アリスは人生は独房から抜け――
The Sky of Parts[04]
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この物語は、軍事好きな筆者が作った育児モノ。
Web上での読みやすさ優先で、適当に改行などをいれたりしてあります。
「母上、おはよう。朝ごはん食べようよ。
今日もゴロゴロしてるの?
体調は、もう大丈夫ってタケは言っていたけど――無理しない程度に、身体を動かし始めた方がいいって、母上に伝えてって。
タケが、母上にそんな言い方するって珍しいよね。
父上と二人で、母上と『敵対』してるのに」
「ルイーナ。
勝手に、私の部屋の鍵を解除して入ってくると、そのタケ本人が飛んでくるわよ……」
「大丈夫、大丈夫! タケのお説教なんて、右から左に流してるから。
ボクに、母上の部屋に入るなって、父上の口から言ってもらおうとしてたみたいだけど、逆に『母上を外に出さないなら、入ってもいい。出ていく時に必ず外からロック』。
父上は、これを守るなら構わないって。
……それにしても、母上の部屋って狭いよね。何度も言ってるけど。
よんてんごじょう?
ぐらい、って言うんだっけ?
机と椅子と、小さなベッドしかない。
本ぐらいしか置けないけど、壁紙と一緒のこの白色の机。
椅子もだけど、デザインがいいから、ボクも同じものがほしいって父上にお願いしてる。
だけど、なかなかOKが出ない。
というか最近、父上は、朝早くにまとめて一日分の食事を作って、自分の朝食を食べ終わると、そのままお仕事に行っちゃう。
ボクが起きてくる頃には、もう出かけた後っていうのも多いけど、ちゃんと母上には朝の挨拶していくの?
だったら、そのまま母上をリビングに連れ出してほしいんだけど。
タケを呼ばないと、母上の部屋のロック解除しちゃいけないなんて、面倒だよ。
だから、タケがどうやって解除してるか、後ろから見てただけなんだけど、最初に母上の部屋に入った日に、あんなに怒られるとは思わなかった。
どうして、怒鳴られたんだろう?」
「……それは、ここが、私を閉じ込めておく独房だから」
「え? なんて言ったの? 母上、声小さくて聞き取れなかった。
あ。
また毛布かぶらないでよ。
リビングから朝食持ってくるね。オレンジジュースって飲む?
こんな狭いところで、二人で食べるの大変だから、母上をリビングに連れ出してほしいんだよね。前は、ボクが起きてくると、父上と一緒にリビングにいたのに。
父上は、黙々と食事の支度してて。母上は、ソファで横になってるか、窓の前の床に座ってるか。
会話ゼロっていうか、目線すらあわせない。
でも、母上と父上は、『敵対』してるから、これが大人のコミュニケーションなんだって思ってたけど、ボクが来ると、一緒の食卓を囲んで朝ごはん食べる。
意外と好きだったんだ。
ボクが、二人にとって特別なのかなって思えて。ボクがいると、父上と母上はお喋りするでしょ。『敵対』してるけど。
でも、今はそれがない――ケンカでもしたの?」
「いいえ。
これは、母さんとエリオットの『敵対』の一つの形なだけなの……」
「父上が悪い事したのなら、ボクが母上に謝るように言うよ。
だから、『敵対』しててもいいから、元には戻れないの?
父上には、何回ぐらい『ごめんなさい』を言わせればいい?
百回で足りる?
もっと、たくさん言わせればいい?
ほら、しばらく前に、父上がとてもご機嫌な時期があったでしょ。返事してたのを見た事ないけど、ソファで横になってる母上に、食事を作りながらずっと声をかけていて。
うたた寝してたら、毛布かけてあげたり――気づいて母上は、毛布を払いのけていたけど。
でも、母上が倒れて、やっと帰ってきたと思ったら……部屋に閉じこもって出てこなくなったから。
悪い事をしたのは、父上の方なのかなって思って」
「ルイーナ……」
「父上、聞いてる? 聞いてるのがタケなら、父上に伝えて。
母上にちゃんと『ごめんなさい』してあげて。
見てるんでしょ?
ボクが、母上の部屋に入った時のことは、だいたいどちらかが知ってるから」
「……そこの監視カメラ。
スピーカーが付いていたとしても――中身がどちらであれ、何も言うなよ!
分かったわ、ルイーナ。
この部屋で、寝てばかりなのはやめる。だけど、母さんは、エリオットの謝罪などいらないの。
現状を整頓しつつ、次の打つ手を考えていただけ。
ルイーナが、何も心配する事はないわ。
しかし。
落ち込んでいるところに近づいてきたご学友と間違いを起こし、成分も確認せず、お医者さんの言う事を真面目に聞いて薬を飲み、なんとか就職した先は、ライバル企業に潰され失業。
絶望的な書類不備を乗り越えて、独立して成功するが、それも辞めさせられ、家事・炊事免除の三食付き。ただし心身の保証はなし。
育児はしつつ、手に職を活かしたいが、キャリアを認められすぎて好待遇。即時正社員採用をチラつかされる。ソコには尻尾を振りたくないが、他社志願がまったくできない状況の場合は、どうすればいいのかしらね?」
「ボクには、よく分からないけど、母上は、いつも面白い事言うね」
「もうよく頑張ったじゃないか、誰がどう考えても、どうにもならない。
口の悪い言い方をせずに、『これは、扶養されているだけ』と自分を納得させ、苦しみが増えるだけの抗う行為をすべて止め、ただ流される。
言葉のあやではなく、『どんな障害があっても、君は守ります』という声の方に振り返り、その伸ばされた手を握るだけで楽になれる。
今まで積み上げてきた人生なんて、思ってみればちっぽけで、プライドはドブ川にでも捨てて、頭をリセットするのは今だという、自己啓発本のテンプレート文を鵜呑みにすれば、私は、この不幸を抜け、幸せになれると思うかしら?」
「母上は、幸せじゃないの?」
「そう、私は、幸せだったの。それに気づかなかったのがバカだっただけ。
今までの事を反省し、今から、新生活を踏み出せばいいじゃない。
――と、ここまでだけを聞くと、この指の先。
入り口ドアの上の付近から、こちらの様子をうかがう連中は、『ようやく諦めたか。手こずらせやがって』と思うかもしれない。
だが、実は、著者すらも『それは馬鹿げている』と思っているような、書店に並んだ時に見栄えいい、帯に書きたいだけの中身のない文章に踊らされるのが、果たしてよい事なのか?
大小あれ、誰だって苦しい思いをしながら過ごしている。
明らかに遅い出発だと思っても、夢を追い始めて、手始めに小さい仕事でも良いから、一歩を踏み出せばいい。
妥協も重要であると意識しつつ、不幸探しをやめ、幸福である事を探す加点方式に変え、自分だからこそできる事を、果たしかなえるべき。
――と、これが、『お前の望みを叶える事に失敗したんだ。閉じ込めて、反省させたらどうだ……』と、かすれ声で泣いて訴えてみる作戦が成功して、ヤツとしばらく顔すらあわせなくなって得られた結果なの」
「父上と、会わなかったって事?」
「その問いにYESの回答をすると、数分以内に踏み込まれて、今からルイーナとの朝食を楽しめないので、曖昧にしておくわ。
『敵対』してるので。
本職と、それ以外の事を、分けすぎて生きてきたので、それも反省してみたの。
うん。
ルイーナ。
でも、まずは、朝食を食べましょう!
明らかに労力を惜しまず、手で種こねたと思われるスティックパンを、真っ二つに割き、ゆで卵を手加減なく拳で叩き潰し……好みの味付けまで把握して餌付けにできれば、懐柔できると思い込んでいるが、『私と仕事とどっちが大事なの?』、『仕事』と即答するような愚か者に、反撃の開始を高らかに宣言してやるの……ふふふ」
* * * * *
「……天王寺アリスを、『仕事場』に連行していきますか? できれば、あっちの側で――。
閣下。
この前、竹内イチロウが、あの女の救命に尽力した件は、特にお気になさらず」
「いや、いい。
今の彼女に構っていたら、『仕事』の開始時間に間にあわなくなる。
もう元気になったので、お構いなくとのメッセージ発信をしたいだけだろう。
……ああ、残念だ。
タケ。
端末の画面見てみろ。天王寺アリスは、『sagacity』の戦略上、再び消去すべき対象になった。
完全復帰か。
天王寺先輩は、吹っ切れたようだね。
かすれ声で泣いて訴えて頂いた日は、この画面に初めて『NO DATA』と表示されて、口元緩ませてもらったが――あれが、演技ではなかったという思い出の証拠程度だったようだ。
ついに我が妻、アリス・ジールゲンとして、『仕事場』に同行してもらえる日が来ると思ったのだが――精神のすべてを引き裂かれるような、無念の心の痛みに歪まされた表情を浮かべる、切ない顔の彼女を、どこにも逃がさないように強く抱きしめながら、『仕事』で、腕を振り下ろしてみたかった。
ふふ。
本気で立ち直りたいというのなら、仕方がない。
天王寺先輩には、革命を起こすような――反逆を見せつけてもらおう!」
「閣下、前に仰っておられましたね。
天王寺アリスが、閣下の想定を超えるような作戦を成功させる事が、『sagacity』完成への近道だと。
この竹内イチロウには、到底理解できぬような、深いお考えがあると」
「『sagacity』には、僕が思いつく限りの戦略をすべて与えてある。
そして、世界で戦争が起こるたびに、そのデータを収集し、いつか創造主の僕を超え、神と崇められるような存在となる――それには人間を超えてもらわないと、意味がない。
悔しい事にいるんだ。僕を超える戦略を立てられる、天王寺アリスというお方が。
選択肢は、三つ。
一つ目は、協力者として、『sagacity』を完成させる為に彼女に力を貸してもらう。
二つ目は、彼女を戦場から、完全に追い払う。
先ほど、ご本人の口から、一つ目と二つ目はお断りしますとの返事を頂いた。
では、三つ目。
彼女が、僕を出し抜く。
言葉にすれば、たったそれだけ。
それは、彼女自身が一番よく分かっているはずだが、簡単な事じゃない。
マスターである僕自身が恐れているように、『sagacity』もまた、天王寺アリスを恐れている。だが、それは同時に、最高に召したいものでもあるからなんだ」
「だから、天王寺アリスという人物は、生かしておく。
承知しております。
もちろん、竹内イチロウの個人的な怨恨は、日々発生し、いつ爆発してもおかしくないぐらいに熟成され続けておりますが――それが、我が主エリオット・ジールゲン閣下の御心積もりとあらば――」
「本当にどうするっていうつもりさ、天王寺先輩っ!
もう一年近くも、僕の手の中で、生きていく事すべてを与えられているのに。
何が入っているのかも分からない食事を、僕自身の手から差し出され、命を繋いでいる。この世からいつ消されてもおかしくないという、恐怖に包まれながら、時を過ごしている。
唯一の心の支えである、愛しいルイーナだって、僕が授けた存在。
なぜだい?
どうして絶望を受け入れない!
自分の無力感に溺れ、すべてに敗北したって、凡常ではないこの有様は、自己を正当化するのに十分な理由となる。
イレギュラーであると見切りをつけて、すべてを投げ出し、内省など止めて、僕――世界の支配者エリオット・ジールゲンの胸に顔をうずめて、心をしびれさせて生きていけばいいのに!
……ああ。
『sagacity』、お前もかい?
本当にすべてを喰ってしまいたいぐらいに、また彼女に恋をしてしまった!
再び立ちはだかってくれて、僕らは歓喜にあふれている!
僕から、ルイーナの心を奪っていったように……今度は、どんな現実ではない御伽噺を生み出すんだいっ」
「閣下。
ルイーナ様の件は、この竹内イチロウも少し気にかけておりました。
ご誕生、いえ、それ以前から知っておりますが、あれほど閣下に心を開いておられたのに。
閣下の御子に対してというなら、無礼な発言にあたりますが、着々と母親側の人間になっていっています。
使われるお言葉も、品を損なう場合があり……特に、私に対してなのかもしれませんが……。
先ほども、御父上に対して、いささか無作法ではないかと思う行動をしてみえましたし」
「……そうだな。
僕の正体を知ることなく育てたのは、天王寺先輩が戻ってきた直後こそ効果があったが、早々に対策を打たれた。
さっきみたいに、口でうまい事を言って、自分とルイーナ自身の境遇を悟られないようにしつつ、父親の行いも知られないようにしている。
ルイーナの心を大きく傷つける事を恐れて、夫に従順な女になってくれる事を期待していたが、逆手に取られて、あのリビングで過ごす、生ぬるい生活を押しつけられた。
『敵対』しているという設定付きで。
あれは、革命の第一歩なのか――。
ふふ。
彼女を消して、『sagacity』にデータを渡さないのは、所詮はノーマルエンドなんだという確証に繋がった」
「天王寺アリスには、先ほどのお話もあるので、控えた方が良いかと思っておりましたが――私が用意できる薬を使って、ルイーナ様の人格を一部変更するような事は可能です。
いかが致しましょうか?
ルイーナ様を再び、閣下の味方にお戻し下さい」
「ルイーナには、一日も早く、帰ってきてほしいが、それがただの可愛いお人形で良いと思うのなら、あのままの方がいい。
あの子は、親の僕から見ても、軍人には、まったくをもって向かない。
世間に出すのなら、有効な価値が必要だが、まだ僕は、それが思いつかない。
方向性が定まるまでは、放置しておく。
困った事だ。
せっかく、エリオット・ジールゲンと天王寺アリスとの間に生まれたのに、歌でもうたって、僕の英気を養うぐらいしか、利用価値がないなんて。
幼い頃から僕の『息子』として育て、母親の味方を人質に取って従わせるぐらいの役にはつけたかもしれないが――僕や天王寺先輩が持ちあわせているような、一種のカリスマ性のようなものは感じられない。
『sagacity』が完成して、いずれルイーナの手にそれを引き渡したとしても、世界を先導できるような力が、あの子にはない。
残念だ。
ルイーナにどういう形で、受け継がせるか――それは、僕がなすべき一つの大きな課題。
……まあ、今は、『仕事』を済ませる事に集中するか。
今夜は、久々に家族水入らずで食事をとるか……。
くくっ。
天王寺先輩。
君が、責め喚き散らす、不浄をたっぷりとこの身に纏わせて……卓に同席してあげようっ!」
* * * * *
「――とても、きれいな歌声。
ルイーナが歌ってくれると、心が癒えるわ。
少し落ち込んでいたのは、本当。でも、そんな時に、あなたがそばにいてくれて良かった。
歌詞も、メロディも、自分で考えているんでしょ?
素敵な曲よ。
まだ声変わり前だからかしら? とても優しい声。いいえ、あなたの心が、とても澄んでいるから、そんなに美しい歌声になるのね。
耳から入るのに、想いの底まで届いていく」
「母上。ありがとう。
窓の外を眺めたり、本を読んでいると、ふと頭に思い浮かぶ時があるんだ。
広い空の上に、自分が浮かんだように思えた時、ボクは、何かをつかんでいる。それを持って帰って、口ずさむと、自分自身も和んでいくような――温かい気持ちになる。
父上も、とても好きだって言ってくれるよ。
あ。
母上、ごめん!
父上とは『敵対』してるんだったね……そんなに悲しい顔しないで。
そうだ!
窓を開けよう。
――この部屋、外の空気を入れていないから、すぐに悪い方向に考えちゃうんだよ。
母上の部屋の窓は、外は見えないけど、開ければ、風は通る。
たくさんじゃないけど、閉めている時よりも、ずっとたくさんの光が入ってくる。
前に、この部屋で窓を開けると、考えが後ろ向きになっちゃうから開けたくないって、母上が言ってたけど、ボクからのお願い。
窓をちゃんと開いて。
見えないだけで、この外は、ボクに歌を与えてくれるような、空がどこまでも続いているよ。夜になれば、ボクの名前の由来でもある、月が輝くんだ。
母上に元気になってほしい気持ちを込めて歌うね。聴いて」
「……ルイーナ……。
ありがとう。母さんは、明らかに病み患っているこの現実から、必ずあなたを救い出す。
――きれい。
ずっと聴いて包まれていたい、あなたの歌に。
あっ。
ルイーナ、窓際に時計をおいたままだった。
取ってくれる……」
「これ? はい、どうぞ。
……どうしたの、母上?
時計なんかを――そんなに真剣に眺めて。
えっ?
時を止める事は、できるかって? どういう意味……?」