何の御用?
キルシェから籠の中にもう一つ入っていた籠をもらって背負い、道から外れて少しやぶの中を歩くと、低い木に生った赤い小さなベリーが見えてきた。木と言っても幹から枝が伸びているタイプではなく、根元から細い枝が空に向かって何本も伸びているような格好で枝の所々に緑の葉と小さな粒が集まってできた真っ赤なベリーが実をつけている。
「ラズベリーですね。普段は夏に収穫できるんですけど、この山は少し生育が遅いんです。でも十分熟してますし、採ってしまいましょう」
「小さな身の一粒一粒から、毛が生えてるんだけど…… これ本当のラズベリーだよね?」
ラズベリーについてそんなに凝視したことはないけど、ケルナ―・ブロートに売られているラズベリーのデニッシュにはこんな毛は生えていなかったはずだ。よく似ている毒草とかじゃないだろうか?
「何度も見てるから間違えないです。葉の形と良い実の形と良い、本物ですよ。毛が生えてるのは新鮮な証拠ですから、心配ないですよ。煮詰めたりするととれちゃうだけですから」
キルシェはそう言って、細い指で一粒ラズベリーをつまんで、口に持っていった。数度咀嚼したのち、白い喉が嚥下の音と共に上下する。
「うん、甘くておいしいです。やっぱり一口食べてみるのが美味しいのを見分ける一番の近道ですね。ラッテ様も一口、いかがですか?」
キルシェに言われたとおりラズベリーを口に運んでみる。
口の中で毛が引っかかるようなこともなく、甘い果肉の味が口内いっぱいに広がった。
「甘くて、おいしい…… ベリーってもっと酸っぱいのかと思ってた」
「酸っぱいのもありますけど、ラズベリーは新鮮な物は甘いですから。根元の枝から切り取るようにして、収穫していきます。幹の根元から出ている枝は数本残しておいてくださると来年もまた採れます」
キルシェに言われたとおりに預かった鋏で、枝を切りながら採取していくと、別のベリーを見つけた。
十センチ程度の低木に、小粒の赤紫色の実がたくさん生っている。
「キルシェ、これも店で使うの?」
「クランベリーですね。はい、お願いします」
キルシェはラズベリーを選別する手を休めずに答えた。
僕は一粒色の濃い実をちぎって、一口食べてみた。だが甘いというよりも、
「すっぱ!」
口中を襲う刺激に、僕は頬全体をすぼめて耐えた。
「これってまだ完熟してないの?」
口の中を襲う酸味を水筒の水で洗い流す。
「いえ、クランベリーは完熟しても酸味が強くて生食には向かないんですよ。七面鳥の丸焼きに就けるソースに使われますから、むしろそちらの方がなじみ深いかもしれません。あ、そちらはまだ熟し切っていないのでそのままで」
場所を変えつつ、小一時間ほどラズベリーやクランベリー、ブラックベリーを採取したところでキルシェが言った。
「あまり取りすぎると来年は採れなくなりますから、これくらいにしましょう」
「ごめん、なんだか採るのに熱中しちゃって」
気がつくと、二つの籠には溢れんばかりのベリーが詰まっていた。
「いえ、私も初めのころは採れるのが嬉しくて、ついつい食べられないほど採ってしまったことがありました。その度母に注意されましたけれど」
「それより本当に今日はありがとうございました。これでパイ作りやジャム作りがはかどりそうです」
そのまま少し行くと、開けた場所に出た。山の中だけど林が途切れており、背の低い草がまばらに生えている草原だ。平坦な地形が広々と広がっており、大人数で遊ぶのに便利そうだ。
「ここは初めて来たな」
いつも辿る登山のコースとは外れているため、見たこともない景色だ。このヴァイス山は林ばかり続くと思っていたからこんな風景はすごく新鮮に感じる。
「私もです」
僕もキルシェも、黄金色の日の光が降り注ぐ眩しさに目を細めた。そのまま二人で草の香りを胸一杯に吸い込む。こんな風景を見ると、草しかないって、つまらなそうな顔をする子も多いけどキルシェはそんなこともなく香りや風を楽しんでいた。
自然の香りが心を穏やかにしてくれるのか、黙っていてもお互いの空気が気まずくなることもなかった。
いい雰囲気って、こういうのを言うのだろうか。
穏やかな風に目を細めるキルシェの横顔は、町でいつも見ているよりもずっと魅力的に見える。
だが、突然大勢の人の声が静寂を打ち破った。
軽装の弓を手にした狩り着を着こんだ人たちや、飾り気のなく裾が短い燕尾服を着た貴族がこの平原に入りこんできたのだ。
「なんだろう」
「誰でしょうか?」
だけど疑問に思う間もなく、僕たちの立っていた方からも同じような服装の人たちがやって来ていた。こちら側の人たちは燕尾服を着ておらず、ウール生地の軽装を着こんでいる。
「邪魔だ、どけ!」
そのうちの一人がキルシェを突飛ばし、平原に走り込んでいった。
「あ……」
この平原は、林との境界線付近で道の両脇が斜面の急な崖になっている。キルシェは今の衝撃で体勢を崩し、まばらに生えた木と岩だけがある急斜面に向かって身体が泳いでいる。
彼女の手は何かをつかもうと、何もない空中で必死に動いていた。
「危ない!」
僕は咄嗟にキルシェの手を掴む。そのまま力いっぱい握りしめ、不安定な足場だけど腰を落として踏ん張り、彼女を引き寄せた。
ジャムの様に甘い香りのする華奢な体がぼくの腕の中に収まる。はじめて抱きしめた家族以外の女子の体は驚くほど柔らかくて、甘かった。
「あ、有難うございます、ラッテ様」
キルシェは俯いて、僕の服の裾を握りしめていた。手は崖に落ちかかった恐怖のためか、小刻みに震えている。
「ご、ごめん」
ぼくはそっと彼女の体を押し返して距離を取る。 好きでもない男子に抱きしめられていたのだ、嫌で当たり前だ。
女子と接した経験がほとんどないから、考えが及ばなかった。
「……」
でも気をつかったはずなのに、キルシェはますます白い頬を膨らませていた。
なぜそんな表情をしているのか。それすらも経験のない僕にはわからない。
色々と自己嫌悪に陥っていると、聞きなれた高い声が僕の耳に響いた。
「あら。あなた方、イェーガ―家の狩り場に何のご用ですの?」