誤解
教室に担任のエルンスト先生が入ってきた。あまり覇気がなく声が小さめで、やせ気味で背の高い先生だ。
先生の口からこまごまとした話しがあった後、来月の頭にグリューン山にキャンプに行くことが告げられる。
このキャンプは例年行われているもので、文明の恩恵に乏しい自然の中で過ごすことを体験することによって生きる力や自立心を育みつつ、集団生活に慣れることを目的としているらしい。
またマリグネが多く生息する地域でもあり、貴族はマリグネ討伐に参加することもあるためその実践演習も兼ねているそうだ。
普段は人里離れた山奥や海の底に暮らし、滅多にその姿を見ることはないがヴァイス山で遭遇したズィーベンのように稀に人と遭遇することもある。
領地にマリグネが現れ、町や村を荒らせば被害が甚大になるため貴族は彼らを討伐する義務がある。自分の領地にマリグネが発生した場合、それに対抗できる実力がなければ貴族の威厳にかかわる。
人同士の戦争はバイエルンの地から絶えて久しいが、マリグネと戦う力は備えておかねばならない。最終日にはその試験もある。
以前のズィーベンみたいなヒグマのマリグネが出てきたら僕たちでは太刀打ちできないのではないか、と思い大物のマリグネが出る可能性を、ズィーベンと交戦したことは隠して以前に話を聞いてみたが、キャンプ地この一帯は針葉樹が多めで大型の獣の餌になる動植物が少ないせいもあってヒグマのマリグネはいないらしいし、万一に備えて各貴族家の精鋭が入念に調査しているから問題ないそうだ。
うち漏らしがあってもせいぜい狼やイノシシ、鹿、トンビや鷹、鴉のマリグネ程度で学園生でも一人で行動しなければ十分に対応できるらしい。僕も小動物程度のマリグネならば対応したことはあるし、大丈夫だろう。
先生がその他の注意事項もろもろを一通り話し終わると、みな口々に今回のイベントに向けて会話を始めた。
「キャンプか、だりいな」
「汗とか泥で汚れそうだぜ」
「マリグネ討伐なんて、専門家にやらせておけよ」
といった否定意見から、
「キャンプですか…… お父様に連れられて何度か行きましたけど、狩った獲物をその場で調理して食べるのは美味でしたわよ」
「一緒に参りましたわね、最高級の炭で焼く鹿肉は最高でしたわ」
「それやばくない? ちょっとめんどいけど」
「マリグネ討伐ですか腕が鳴りますわね!」
といった肯定意見まで色々と聞かれる。
「アプフェルはどう思う?」
僕は隣に座るアプフェルに聞いてみたけれど、以前気安く話しかけて平手打ちされたのを思い出した。
最近ヴァイス山やダンスで話していたから気が抜けていた。
こういう僕より爵位が上の生徒たちの前で堂々と話しかけるのはさすがにまずかったか、僕は平手打ちの衝撃に備えて身を固くした。
「そうですわね…… わたくしは狩りで山に入ることも多いですし、マリグネも何度か討伐しています。以前のズィーベンみたいのは出ないようですし、結構楽しみにしていますわよ。あなたはどうですの?」
だが僕の緊張をよそに、アプフェルはいつもと変わらない口調で話しかけてくる。
「僕も山歩きで慣れてるから、大丈夫かな。マリグネ討伐はあのズィーベンと会わなければ大丈夫だと思う。ただ、班決めのときに大変かな……」
「あら、どうしてですの?」
アプフェルはきょとんとして、エメラルドの瞳で僕を見つめてくる。
その純粋な疑問、といった口ぶりが心に痛い。
返事を濁したいけれど、アプフェルの性格からいって曖昧な返事をしても後から追及してくるだけだろう。
「男爵風情の僕は…… 班を組んでもらえないから憂鬱なんだ」
トラウマを自らえぐりながら答える。肺腑をむしられたようだ。
うう、胸が痛い。痛すぎる。
「そういえばそうでしたわね。なら、わたくしが組んであげてもよろしくてよ」
朝食に何を食べたか、くらいの気軽さでアプフェルは返事を返した。
アプフェルの返答に僕は数秒思考が止まってしまった。次にアプフェルが何か言ったらしいけど、それが頭に入ってこない。
空を仰ぎ見て、自分でもわかるほどに大きく瞬きをする。視界が一瞬黒に染まり、また色を取り戻す。同時に音が世界に戻り、徐々に思考が追いついてきた。
アプフェルが? 僕と一緒に班を組んでくれる?
え? いいの? ていうか、アプフェルは冗談が嫌いなタイプだし本心でないとこんなことは言わないだろう。
ということはアプフェルは本当に僕と班を組んでもいいってこと?
「ちょっと、わたくしが話しかけているのに無視を決め込むなんて失礼ではございませんこと?」
アプフェルの拗ねたような声に僕は我に返る。思考の海から顔を出し、現実に舞い戻る。「ご、ごめん。というか、男爵風情の僕なんかと組んでくれるなんて思ってもみなかったから」
僕は男爵風情、という言葉をわずかに強調して返事する。
初めて同じ席になった時、男爵風情と言いながらアプフェルが僕を平手打ちしてきたことを思い出す。あの時に比べれば随分と僕に対する態度が変わったな。
でも、アプフェルが僕を平手打ちしたのはあの時一度きりだった。あの日以降同じようにされたことはない。
ズィーベンから助けたせいかと思ったけど、思い返せば山で会ったときも蔑むような視線を向けられたことはなかった。どちらかといえば警戒するような視線だった。
アプフェルは家柄を自慢することはあっても、身分を笠に着た態度を取ることはなかった。平民であるキルシェに対してですらそうだった。
それなのになぜあの時だけは、男爵風情、と罵りながら平手打ちしてきたのだろうか?
「……悪かったですわよ。カぺル」
彼女は僕と中空で視線を往復させながら言いづらそうに言った。
「その…… 初めてあなたと同席になった時、平手打ちしてしまって。大人げなかったとは思っていますわ」
「ううん。気にしてないし、それに男爵風情と変な噂がたっても家に迷惑がかかるだろうから」
僕は本当に気にしてなかったのでそう答えたのだけれど、アプフェルはますます申し訳なさそうに縮こまってしまう。
「あなた、ケルナー・ブロートのキルシェと恋仲だと噂がありましたでしょう?」
確かに。まあそれは、ロルフやライナーからキルシェをかばうための嘘だけど。
「あの頃は私も、その噂が本当だと思っていまして。女子の間でもそれが噂になっていて。てっきりあなたも、平民とみれば手を出す下種な輩と思っていまして……」
そういうことか。確かに、女子にすぐ手を出す男子って嫌われがちだしな。平民を囲うのがステータスとさえいわれていても、それは男子の目線で女子からすれば嫌なものがあるのだろう。
ふと、周囲の視線が気になった。
男爵風情の僕とこんな風に話していて、余計な噂が立ちはしないだろうか。
顔を動かさず視線だけを左右に動かし、周囲の会話に兎のように耳をすませる。
僕とアプフェルの方をちらちらと窺うようにしながら小声で話しているグループが女子を中心に数個ある。
会話の内容を聞き取ろうと耳をすませる。
嫌な言葉、傷つけられる言葉だけが頭に繰り返し浮かんできて不安になる。
「御覧なさって。アプフェル様が、男爵と普通に会話されていますわよ」
「平民に手をつけたと噂の…… まあ、器の大きさゆえですわね。下種であっても平然と話しができるのも才覚のうちでしょう」
「マジすごい」
だが実際に聞こえてくる会話は僕の想像よりもはるかに敵意がないものだった。
「カペル……」
アプフェルが苦笑しながら頭を軽く掻いていた。
「あなた、臆病すぎますわよ。相手によるところも大きいですけど、人間、自分が思っているほど自分に敵意を向けていないことが多いものですわよ?」
アプフェルの言葉は、不思議と僕を落ちつかせてくれた。
「そうだね。ありがとう」
他の女子の会話も大差なく、まあこれくらいならばアプフェルにとっても問題はなさそうだ。
しかし斜め前のロルフとライナーの席からは刺すような視線を感じた。




