3月20日―生田・その1―
あの日ただ一人、食堂へ姿を現さなかった青年。
葬式にさえ来なかった生田が、あれ以来欠勤しているのだとたまきから聞いた近藤は、社員寮の一室である彼の部屋を訪ねた。
「あ、近藤先生……どうも」
ご心配をおかけして、と生田は力なく笑った。心なしか、少し痩せたような気がする。ろくに食べていないのだろうと、近藤はありあわせの品で食事を作った。
「たまきさんの味には敵わないけど」
「……ありがとうございます」
狭いテーブルを囲み、二人で黙々と食事を摂る。
箸が進まないらしい生田は、半分ほどを残したが、近藤は文句を言わなかった。
「元気になった時に、また食べて」
残りの食事は、タッパーに詰めて、冷蔵庫に入れておいた。
「駄目、なんですよね」
あの日からずっと、魂が抜けたみたいで。
「どうしても認められなくて、お葬式にさえ顔を出せないで……あんなにお世話になったのに、ご遺族には、失礼なことをしたなと思っています」
苦笑気味にはぁ、と溜息を吐いた生田に、近藤は不躾だろうかと思いつつも、はっきりと――半ば、既知の事実だったが――尋ねた。
「好きだったんだよな? 結花のこと」
「え、っ……」
心の底から驚いたような顔。そりゃあそうだ、きっと本人以外、誰にも打ち明けていないんだろうから。
「そんなに、あからさまでしたか。僕の態度は」
「いや」
近藤はどちらかというと、恋愛沙汰に関してはかなり鈍感な方だ。
クリスマスパーティーの日、結花と生田が二人でどこかへ消えていたということにも、日記を読むまで気付いていなかった。
「……悪かったと思ってる」
「そんな。近藤先生は、何も」
『結花を救えなかったこと』を謝っているのだと思ったらしく、生田は恐縮しきりで首を横に振った。むしろ責められた方がよかったと思いながらも、近藤は「そのことじゃないよ」と笑う。
「君の想いを、勝手に覗くようなことして」
ポン、と彼の目の前に、一冊のノートを差し出す。
「それは」
「結花の日記だよ。……読んでみる?」
一瞬ためらったように目線を動かした後……生田は、思い切ったようにテーブルに置かれたノートを手に取った。
まだ学生の頃、インターンシップでこの施設を訪ねた生田は、たまきという女性が作る料理の味に惚れ込んだ。卒業し、とある料理店に就職することになったあとも、たまきの作る料理をどうしても忘れられず……。
結局半年も経たないうちに店を辞め、思い切ってこの施設を訪れた時に、彼女と出会った。
たまきさんの食事は美味しいと、本人に向けて面と向かって笑顔で言い放った彼女。
それまで患者に感謝さえされることなく、気のない表情で弟子たちに手順を教え、自身も淡々と料理をしていた……そんなたまきが、変わったのはそれからだった。生田の弟子入りをあっさり認め、それからはどの弟子に対しても熱心な顔つきで教えてくれるようになったのだ。
たまき自身が、彼女のおかげで変わったような気がする。
食堂へやってくる施設の入居者たちとも、すぐに打ち解けた彼女を、生田はその頃から密かに見ていた。
最初は、純粋な興味だった。そこまで誰かの心をわしづかみにする、彼女の魅力は一体何なのかと。
たまきの新しい弟子として、食堂に加わった新参者の生田にも、結花は屈託なく話しかけてきてくれた。最初は緊張したけど、すぐに仲良くなって……。
風邪を引いた時には、率先して世話をしてくれて、その後もずっと心配してくれて。
いつしか、生田は結花のことを、一人の女性として見るようになっていた。
日記に書かれているように、決して若い人間が結花しかいなかったからじゃない。もし、あの場に同年代くらいの女性が何人もいたとしても、それでも自分は結花を選び、好きになっただろう。
気の迷いでは、断じてない。
彼女の温かい人柄に、優しさに、笑顔に――全てに、惹かれたのだ。




