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雨に煙る街で

作者: 銀羊

 はぁ。


 美雨は非常階段へと通じる重いドアを開けて外に出ると、ため息をついた。


 どうにも苦手なのだ。


 人の多いハコの中に長くいるのが。


 人と一緒に居るのも苦手で、つい独りになりたくなる。


 女友達の友人が東京でライブをやるというので、誘われて一緒について来た。


 ジャズはたまに聴くけど、今日の演奏はそれほど好みじゃなかった。


 ライブが終わって、女友達は出演していたピアニストの友人と話しているが、美雨は一人、非常階段に逃げ出してきた。


 そのジャズバーは珍しくビルの7階にあり、ビル自体も高台にあるので、外にある非常階段からは辺りを一望出来る。そのことを以前別のライブを聴きに来た時に偶然知った。


 外に出ると、夕方から降り始めた霧雨が今も降っていた。


 雨に煙る街は、乱反射していて、明るさがさらに増してるように見える。


 美雨は、雨の街を眺めるのが好きだ。自分の名前に「雨」が付いてる所為もあるけれど。特に雨に濡れたパリの街が好きだが、こんな日の東京もいいな、なんて思った。


 その時、非常階段へと通じるドアがゆっくりと開いた。誰も来るはずはないと思っていた美雨は、驚いてドアの方を振り返った。


 ドアが開くと、ふぅー、なんて言いながら一人の青年が現れた。かなり細身で、長身。黒いジャケットのインにはネイビーのTシャツ、ボトムも黒デニム。開けたドアに添えられた手には、ちょっとゴツめのリングが光っていた。美雨は、その節くれだった長い指に見覚えがあった。


 あんなリングをつけて、演り難いんじゃないのかな、と思いながら何度かじっと見つめていたのを、美雨はぼんやりと思い出す。美雨は視線をその指からゆっくりとずらすと、彼と目が合った。


 彼はそこに人が居るとは思っていなかったようで、美雨を視界に捕らえると一瞬目を見開いたが、その瞳はすぐに細められた。口角がにっと上がり、いじわるそうな笑みを浮かべた。非常階段に出ながら、彼は口を開いた。


「君、エリックの友だちと一緒に居た人でしょ?」


 彼が発した言葉や声音に棘はなかったが、今度は美雨が目を見開く番だった。なぜ彼がそんなことを知っているのか、美雨は不審に思った。バーの中はそれほど明るくないし、彼がそれに気付く余裕があるのが美雨には不思議だった。が、疑問はあっさり氷解した。


「インターバルのとき、エリック、君たちのテーブルに行ってたじゃん」


 美雨の訝しがる表情を読み取った彼が、そう付け加えた。


 エリックは美雨の女友達の友人で、今日のライブでピアノを弾いてたピアニスト。女友達がフランスに住んでいたときに彼と知り合ったらしい。それから現在でも友好が続いている。女友達は彼が日本に演奏に来れば、こうしてライブを聴きに行っている。だから、1部と2部の休憩の時にエリックが美雨たちの座るテーブルにも顔を出しに来ていた。その様子を目の前の彼が見ていたというのが、美雨にはなんだか不思議だった。


 インターバルの間、彼は日本でのライブだというのに来ていた日本人の客とは話さず、バンドメンバーとだけ話していた姿を美雨はちらりと視界の隅で捕らえていた。日本人だと思っていたが、実は日系で日本語はそれほど出来ないとか韓国人なのかな、と美雨は思った記憶がある。バンドリーダーがメンバー紹介をしたときに、彼の名前が日本人の名前だったので、あ、彼日本人なんだ、とぽつりと女友達がつぶやいていた。


「タバコ、吸っていい?」


 言い終わるのが早いか、美雨の返事を待たずに彼はジャケットのポケットからシガレットケースとライターを取り出し、タバコを銜えて火を点けた。もうずっと使っているのだろう、そのライターの蓋を親指で押し上げる指の動きが滑らかだ。美雨はタバコの匂いも煙もそれほど気にならないので黙っていたが、彼とそのライターの組み合わせが意外だったので、その様をじっと見てしまった。彼のような雰囲気の男性ならZIPPOでも使っているのだろうと思ったが、美雨の予想に反して、彼が取り出したライターは日本メーカーのライターだった。美雨の視線に気付いた彼が口を開いた。


「あ、コレ? バーナー式のガスライター。風強くても使えるし」


 そう言って、彼の視線は階段の柵の先にある街へ向けられた。


 あの人も同じことを言っていた。「炎が青白いから、天気のいい日は見難いけどね」って笑いながら。目の前の彼と同じように街に視線を向けつつ、美雨はあの人のことを思い出していた。あの人とは恋人関係だったわけではない。そもそも、美雨は特定の誰かと恋人という関係になるのをやんわりと避けていた。恋人という関係になってしまうと、美雨は息苦しさを感じてしまう。だから、あの人ともつかづ離れずの関係をしていた。そんなあの人と連絡を取らなくなったのはいつのことだったろう。


 美雨の中であの人は、珍しくわりと長く続いてた人だった。一度デートしたくらいでこの女は俺のものというような顔もしないし、しつこくメッセージを送ってきたりもしない。その段階で大抵の男性は美雨のつきあい関係でふるい落とされてしまう。そういう点で、あの人はかなり相性がよかったんだろう。追われると、誰だって逃げたくなるものじゃないかな。美雨は、相手が追いの状態に入ることに非常に敏感なんだろうなと思う。


 あの人は、他にもっと本気になれるひとを見つけたのかもしれないし、単に仕事が忙しくなったのかもしれない。あるいは美雨との関係が嫌になったのかもしれないし、飽きただけなのかもしれない。理由は分からないし、あえて詮索する気も美雨にはなかった。ただ、あぁまあ終わったんだろう、という感触だけだ。


 過去への物思いに耽っていた美雨だったが、それを現実に連れ戻したのは彼だった。


「日本のお客さんて、真面目だよねー」


 そう言われても、美雨には何のことか分からなかった。


「えっ?」


と美雨が聞き返すと、彼は口角だけ一瞬上げて笑った。


「オレ、高校からヨーロッパの音楽院行ってたから、そのまま向こうに居着いちゃったし、ヨーロッパで演ること多いんだけど、観客の反応ってかさ、聴き方が違うよね」


 そこで一呼吸置いて、彼は二本目のタバコに火を点けた。


「ジャズフェスなんかは別だけど、大体はジャズバーでのライブが多くて。バーっつっても、食事も出来るようなとこだったりするし。食事と酒を楽しみつつ、音楽もちゃんと聴いてるって感じ。中にはフツーに会話してるヤツもいるし。

 日本でやると、みんなちゃんとステージの方向いて、なんか居住まい正して聴いてるって感じで。それはそれで嬉しいけど、もっとリラックスして聴いてもいいのにって思うよ」


 苦笑混じりで彼はそう言った。


「有名なジャズのライブ音源なんかでも、バーなんかで録ったヤツだと後ろに話し声とか食器の音とか入ってるし。肩肘張って聴くもんでもないんじゃねーの?ってオレは思うけど。

 拍手だって、その楽器の見せ場が終わったらちゃんとしてくれるしね。あ、でもライブに慣れてない人はちょっと遅れてたりして。それだって、自分でここの演奏スゲー良かった!って思えばやりゃいいし、そうでもない…って思えば別にしなくていいんだしさ」


 一呼吸置いて、彼は話し続けた。


「あ、でも中にはコイツ聴いてんのかよ!って思ってても、後で話してみるとあのアレンジは〜なんてわりと突っ込んだ話してくる人もいて、単にスゲーシャイなだけの人もいるけどね。ほんとに聴いてないヤツもいるけど」


 彼の最後の言葉はやっぱりまた苦笑混じりだった。彼は手持ちのタバコをゆっくり吸うと、街を眺めながらまた口を開いた。


「だから、日本でのライブで、ステージ向いてない人って、わりと目立つよね」


 そこで彼は美雨を見て口角だけ一瞬上げて笑った。


 あぁ、そういうことか、と美雨は納得した。


 美雨は以前ブルースをやってるミュージシャンの友人のライブに行ったとき、演奏後に友人から、つまらなかった?と聞かれたことがある。つまらない訳ではなく、ただステージを観て聴いてないだけで、ちゃんと聴いてない訳でもないし、友人のパフォーマンスは素晴らしかった。そのことを慌てて友人に説明した記憶がある。


 なんだか気恥ずかしいのだ。美雨はステージを観て聴くのが。だから、つい他の方向を向いて聴いてしまう。他の方向を向いていると、じっくり目を瞑って聴いてても演奏者には見られないだろうし。ただ、そのことを目の前の彼に伝える気は、今はなかった。


 彼の視線はしばらく美雨の上に注がれていたが、それをふっと外すと、彼はタバコを自分の携帯灰皿に落とした。


 「じゃ、オレ戻るわ」


 彼はそう美雨に告げて、あっさりとバーへと戻って行った。


 それにしても、彼はなんでわざわざここに来たんだろう、という疑問が美雨には残った。バーの中でもタバコは吸えるし。


 やっぱりヘンな男だ。


 彼は美雨の中でそう印象付けられた。



本編とはあまり関係ありませんが、この話に出てきた青年の日記をブログにUPしてあります。

ご興味あるかたはドウゾヽ(▽ `)

http://silversheep.wordpress.com/2014/12/07/%E5%AE%AE%E6%BE%A4%E5%90%9B%E6%97%A5%E8%A8%98/



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