現実と自己意識の葛藤
青空が鬱陶しい。
平面に映るアナウンサーの笑顔は作り物。
欺瞞に満ちた世界、苛立ち。
閉塞感に窒息しそうな、朝。
理由などわからない。わからないーーが、このままというわけにもいくまい。動く気力も湧かないものの、ここにいたら死んでしまうんじゃあないかと、そんな焦燥感が私を包み込む。なんて息苦しいんだろう。兎も角、私は部屋を出ることにした。
部屋を出たところで、現実感の薄れた、なにかよそよそしい光景は続く。ドアノブの汚れがひどく癪に障る。こんな家、壊れたらいいのに。洗面所で顔を洗う。髪を梳かして鏡に映る自分を見る。やはり現実感が足りない。笑ってみる。作り物。
こんな気分で大学の講義を受けるのは難しい。同期と会話できる気もしない。かといってこのまま家にいても、きっと窒息するだけだろう。さて、どうしようか。しばらくぼうっとして、仕方ない、私はいつもの場所に行くことにした。
世界と自分との間に、半透明の膜を置かれたような感覚。不気味な感覚に恐怖しながら、私はいつもの場所に来た。大学の構内にあるこの道場は、50年程前に建てられたものだ。以来、弓道部の活動の拠点となっている。中学から始めた弓道は、私の生活の一部だ。扉に鍵がかかっている。よかった、誰もいない。道場の裏に隠している鍵を取る。部員のみ知っている鍵の在処である。カチャリ、道場に足を踏み入れると、そこには神聖な異世界が広がっている。更衣室に入り、袴に着替える。心身の引き締まるのを感じる。朝から感じている苛立ちや恐怖が、次第に薄らいでいくようだった。道場内に移動し、弓を張る。弓はこうして、毎回、弦を張り直さねば痛んでしまう。高段者が用いる竹弓はこの限りでないが、整備が非常に難しい。弓の調整を終え、道場のシャッターを開ける。途端、薄暗かった弓道場は光に満たされる。弓道は室内から屋外の的に向けて射るため、道場の壁の一面は大きく開かれている。不気味さと清々しさの入り交じった感覚に負けないように、淡々と準備を続ける。的を置く場所を安土というが、ここに的を固定する。直径33センチの的を、28メートル離れた道場から射るのだ。
入念にストレッチを行い、巻き藁を何本か引く。弓と矢を執り、射位に立つ。弓道は適当に弓を引けばよいというものでなく、流派により差異はあるものの、引き方というものが段階ごと決められている。すべては弓道の呼吸にしたがい、静寂の中に行われる。
射位に立ち、射の根幹たる足の構えを行う。これを「足踏み」という。
「弓構え」では左右の手の内を定め、物見を入れる、すなわち的に視線を移す。
確かな「胴造り」は安定した射の運行に必須のものだ。
「打起し」では無風の中、煙の立ち上るように弓を掲げる。
続く「引分け」では、弓を大きく押し開き、
無限の引分けの行き着くところが「会」である。
気力は充実し、やがて「離れ」が訪れる。
タンッ
矢の放たれた後、「残身」を以て射は完結する。
道場内における一挙手一投足が、すなわち弓道である。
今、弓が、私を現実につなぎとめる。
緑を含んだ風が頬を撫でる。
青空は、遠く輝いて見えた。
ところで、朝からずっと、私の悪口を言っているのは誰だろう?