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月の階  作者: 茶野
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 オルファス・リドルが闘技場に現れた。足を引きずり、背中を丸めながら近づいてくる彼の顔は、アジェスが知っているものよりも十歳近く年を重ねたかのように見えた。まだ六十半ばほどであるはずなのに、実年齢より老けている。容姿も動作も、身にまとう雰囲気も。

 カロンは体の具合が悪いわけではないと言ったが、アジェスには師が重い病を抱えているとしか思えなかった。たった一年会わないうちに、こんなにも師はやつれ老いた。

 今なら勝てるかもしれないと思った。少なくとも、この大会のルールにのっとった戦いをするのであれば負けないだろうと。

「師匠」

 しばらくの間師弟は見つめ合い、口を先にひらいたのは弟子だった。

「お前は弟子でもなんでもない、と言ったはずだが」

 オルファスは顔をそむける。

 彼は変わっていない、とアジェスは確信した。とんでもないあまのじゃくで頑固で意地っ張りだ。人生の経験さえも彼の性格を変えることはできなかったのだ。そんな師に育てられたアジェスもまた、同じ。

「師匠」

 会場がどよめいた。オルファスは目を見ひらき、その口から二言目はいつになっても出てこない。

 師が一年前のことをわびるはずはないとアジェスは思っていた。そして自分も謝りたくない。それならば水に流すほかに道はあろうか。それがアジェスのたどりついた答えだった。

 アジェスは地に膝をつき、師に向かって頭をたれた。

「フォルミカを私にください」

 遠く離れた観客席にはアジェスの声は届かないだろう。アジェスの言葉はただひとり、オルファスだけに向けられていた。

「わたしは、魔法使いである、十二賢人であるあなたに祝福していただきたいのです。師匠の祝福の魔法がほしいのです」

 オルファスの返事はなかった。

 審判の魔法使いが困ったような表情で、試合を始めるように促してくる。それでも二人は動かない。正確には、動けない。アジェスもオルファスも膠着状態から脱するのが苦手な人間だ。一年前の決裂も、どちらかが謝っていればすぐにおさまったはずだ。自分の言を撤回するのを許せないたちの師弟は、引くということを知らない。同時に押すことも知らなかった。だが、ようやく弟子は気がついたのだ。

「娘さんと結婚させてください」

 アジェスは繰り返す。

「あなたが何もおっしゃらないなら、勝手にいただきます。この勝負に勝ったら、フォルミカは私のものということでいいですね」

 アジェスは立ち上がり、杖を召喚して身代わりをつくり戦闘体勢をとったが、オルファスが動かない。審判が声をかけても無反応だ。

 ――師匠。

 アジェスにはわかっていた。師が何度も自分に会うための場を作ろうとして失敗しつづけてきたこと、アジェスに会うためにわざわざ大会に参加したこと、別の十二賢人の推薦によって自分の弟子を昇級させたくなかったこと。全部、アジェスは知っていたのだ。すべてはシセルが教えてくれた。フォルミカのことだけではなく、オルファスのことにまで手を貸してくれた年若い魔法使いはやはり天才だった。すべてのきっかけを作ってくれた。

 師の思惑にはまったふりをするつもりだった。アジェスは強い師を苦しめるものの最後は負けて、師は満足する。そういう筋書きがアジェスの中にあった。だが、アジェスの思いどおりにはいかなかった。

 強いと思っていたオルファスは老いた。全力を出したら、きっと、勝ててしまう。

「ばかもの」

 その声は震えていた。

「あんな娘なぞいらぬ。ここでお前に勝ったら死ぬまであの娘の面倒をみなければいけなくなる。それなら、負けたほうがましだ。十二賢人にも勝ったお前が、昇級できないなどあってはならぬな」

 ばかはどっちだ、とアジェスは内心思った。それなのにおかしい。まるでこの一年がうそだったかのようにいい方向へ転がっているのに、涙で視界がぼやけるのだ。

 憎まれ口に似た激励は近くに聞こえるようで遠ざかっていく。

 師をあの場所に連れて行こう、とアジェスは思った。あの塔でフォルミカと結婚式を挙げよう。そうだ、それがいい。

 アジェスには少々考えなしに先走るところがあった。だが、それも長所だとほめてくれたのはオルファス・リドルだった。


 ■


 花嫁は少年にささやいた。

「わたし、この場所が嫌いよ」

「どうして?」

 少年は尋ねた。

「アジェスがいないから。ここはアジェスにそっくりなのよ」

「ぜんぜんわかんねーよ」

「そうね、たとえば、階段ね。あのひとはどうも高いところにのぼらないと気がすまないの。わたしは、そのままでいいって思うのに。ここは本当はね秘密の場所だったんだけど、そんな秘密なんてどうでもよくなっちゃったのよ。それくらい待ったわ。聞いてくれる? わたしね、あのひとに一度も『好き』って言われたことがないのよ。とっくの昔に両思いなのにこんな仕打ちってある?」

「なんでアジェスだったんだ? カロンでもいいじゃん」

 少年の質問に彼女は笑って答えた。

「カロンはあのひとが告白する宣言をする前にわたしに告白してきたのよ。好きです、って。だけどね、わたし気づいちゃったのよ、そのとき。もしわたしとカロンがつきあったらきっとアジェスは離れていってしまう。だけどアジェスとだったら、カロンは離れていかない。わたし、けっこうわがままでしょ? 今のは半分冗談だけどね。軽い気持ちだったら待てないわよ」

「嫌な女」

「あら、そういうことを言うともてないわよ。恋知らずのお子さまが偉そうに言っちゃダメ。好きなひとができたら、あのひとみたいな自分勝手はよくないわ、わたしみたいにかわいそうな女を作ったらいけないわよ」

「まあね」

 シセルはにやりと笑う。

「あのさ、フォルミカも階段のぼればいいんじゃないか。待ってたって届かないものは届かねえよ。アジェスはたぶん、ほっとくとどんどん上にのぼってこうとするぜ」

「いいのよ」

 フォルミカも笑った。

「わたしは月だから。知ってる? ここがいちばん美しいのは、月明かりのおかげなのよ」

 月と呼ぶにはあたたかすぎる笑顔がそこにあった。


 ■


 その年の大会はイスタニア支部の初優勝で幕を閉じた。大会からしばらくのちに、「田舎の国で《星の大祭》ができるものか」と支部長ダグラスが毒づいたが、アジェスにはもう関係のない話である。

 シセルが上級試験の合格を果たし、リーザス・クラスト魔法組合の歴史にその名を刻んだことにくらべれば、アジェスの昇級などとるにたらない出来事だ。

 アジェスの名が歴史に刻まれたのは、それから六年後のことだった。

 アジェス・グラードではなくアジェス・リドルとして、彼は十二賢人の最年少就任記録を友とともに塗り替えることになる。


もし、この話を気に入っていただけましたら、どうぞ「精霊島の花嫁」も併せてお読みいただけるとうれしいです。

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