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月の階  作者: 茶野
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 その日は、アジェスの上級魔法使いへの昇級をかけた審査会の日だった。

 上級魔法使いになるためには三つの道がある。一つ目は上級試験に合格することだが、この試験は今のところ合格者なしという恐ろしく難しいものだ。最近では試験に挑もうとする者さえいない。

 二つ目は、魔法組合リーザス・クラスト最高責任者である長老の推薦を得ること。ただし今までこの方法で上級魔法使いになった者は皆無である。

 アジェスに残された道は最後の一つ、十二賢人の過半数から賛同を得ることだけだ。師のオルファスは二人の弟子に向かって言った、「お前たちの昇級は確実である」と。なぜなら、「わたしの弟子が認められないはずがない」からだ。オルファス・リドルは、弟子の評価が自分の評価に直結すると考える人間だ。

 オルファスが週に一回開かれる十二賢人会議で弟子二人の昇級を推薦し、すぐに審査会が開かれることになった。そのときアジェスとカロンはオルファスが支部長をつとめるリディル支部で、中級魔法使いとして一緒に働いていた。アジェスは昇級を当然だと思っていた。上級魔法使いの平均就任年齢よりは若い二十四歳だが、その資格は十分にある。これでフォルミカとの約束が果たせる。晴れて上級魔法使いになったら、オルファスにフォルミカとの結婚の申し出をしなければいけないな、とまで考えていた。カロンは「そうですか」とだけ言って、自身の昇級にはさほど興味を持てない様子だった。アジェスが推薦の報告をすると、フォルミカはとても嬉しそうに見えた。「がんばってね」と彼女は言った。「絶対に上級魔法使いになって」

 フォルミカが父親オルファスと大喧嘩したのちに、家を飛び出したのは審査会の前日だった。すでに師匠から独立したアジェスとカロンはリディル支部に居室を持っており、父娘の口論の場には居合わせなかった。フォルミカの家出のことを聞いたのは夜も更けるころで、知らせにきたのはアジェスの弟弟子の初級魔法使いだった。彼はフォルミカがいつまでたっても家に戻らないことに危機感をおぼえたようだ。

「フォルミカは、もう大人だ」

 心配する必要はないとカロンは言った。

「それに居場所はだいたいわかる」

 アジェスもそのときは楽観視していた。オルファスとフォルミカは昔からよく喧嘩をして、フォルミカが家を飛び出すのはしょっちゅうあったことだからだ。

 アジェスにもカロンにも、フォルミカがどこにいるのか察しがついていた。

 三人だけの秘密の場所。フォルミカは何かあると、すぐにあの塔に行こうとした。

 弟弟子に安心するよう言って聞かせ、屋敷に帰す。そこでフォルミカをどうするかという話になった。アジェスはもちろん迎えに行くつもりだった。

「今日は審査会だ」

「それまでに帰ってくればいいだけだろ。いいよ、俺ひとりで行くから」

 もしアジェスが行くと言わなければ、カロンが行っていたに違いない。アジェスはカロンに抜けがけされたくなかった。

 リディル支部を抜け出し、アジェスは塔に向かった。塔には移動魔法用の魔法陣が描いてあって、魔法を使えばいつでもすぐに行くことができる。月は遠くの山に落ちようとしていた。

 その塔はリドル家の屋敷から遠く離れた場所にある。いつもはアジェスかカロンの移動魔法を使って行った。女の足で行くには半日かかるだろうが、初めてそこを見つけたときフォルミカはひとりでその場所にたどりついたのだ。アジェスとカロンに教えてくれたときも、彼女に連れられ三人で歩いた。魔法を使わなくとも、フォルミカにとってはさほど苦にならないようで、ときどき歩いて出向くらしい。

 塔について、アジェスは初めて不安を抱いた。

 いつもならフォルミカがそこにいることを感じられるはずなのに、今夜はやけに塔の中はしんとしていた。

「フォルミカ?」

 声が塔の中に響く。フォルミカはだいたい返事をしないので反応は期待していなかった。しかし、やはりおかしい。

「フォルミカ」

 階段の途中で、フォルミカが倒れていた。月明かりに照らされたフォルミカは眠っているように見えた。疲れたのかな、とアジェスは破顔して、しばらくのちに異変に気づく。フォルミカがまったく動かない。触れると息をしていなかった。視界が真っ暗になる、そのときだった。何かが背後から忍び寄る気配に、アジェスは震えた。それは今までアジェスが見たことのないものだった。

 魔物。

 アジェスには大きな影のようにみえたそれは、アジェスに覆いかかろうとした。

 とっさにアジェスは悟る。こいつが、フォルミカの魂を抜き取ったんだ!

 生まれてはじめて対峙した魔物は、想像以上に恐怖をおぼえるものだった。魔物などめったにいない、とオルファスは言っていた。へたなところに行かないかぎりは会うこともないだろうと。魔物と戦うことを考えるのは上級魔法使いになってからでいいと。アジェスはまだ中級魔法使いだ。だが、それでも戦わなければならないのだ。今ここで逃げたら、フォルミカはどうなる? アジェス自身も無事でいられるのか?

 杖を召喚し、魔法を魔物に向かって投げかける。耳をつんざくような声をあげて魔物は消滅していく。安堵したのもつかの間、彼の周りをたくさんの魔物が囲んでいた。最初のものは囮だったのか――。しまった、と思ったときには遅かった。


 アジェスが目を覚ましたときには、とっくに審査会は終わっていた。

 アジェスが寝ていたベッドにはフォルミカと上級のローブを着た知らない魔法使いの男が付き添っていて、すべてを教えてくれた。アジェスが魔物にやられてすぐに、ちょうどその魔物を追っていた上級魔法使いが助けてくれたこと。審査会が終わってしまったこと。カロンが上級魔法使いとして認められたこと。

 最後に彼女の口から出たのは謝罪の言葉だった。

「ごめんなさい」

 フォルミカは泣いていた。

「ごめんなさい、アジェス。わたしのせいだわ。ごめんなさい」

 それが何を意味するのか、オルファスに会うまでわからなかった。

 アジェスの寝ていたのはリドル家の一室だった。部屋に入ってきたオルファスは怒りで肩を震わせていた。

「お前はわたしの顔に泥を塗ったのだ」

「お父さん!」

「お前は黙っていなさい!」

 フォルミカを怒鳴りつけ、オルファスは続けた。

「アジェス。お前には失望した。どうして大切な日に、あんなところへ行った。中級のうちは魔物に関わる必要はないとあれほど言っただろう。対処法も知らないで向かっていって、このさまだ」

「すみませんでした」

 頭ごなしに怒られ、アジェスは謝るしかなかった。謝っても、オルファスには怒りを鎮める気配がない。

「反省しています。ですが」

「師に口答えするのか!」

「ですが、俺はフォルミカが死ぬかもしれない状況で逃げるなんてできませんでした」

「馬鹿娘など放っておけ、あんなところにのこのこと行ったフォルミカが愚かなのだ。死んでも文句は言えまい」

 話を聞いていると、しだいに腹が立ってきた。

「あなたはフォルミカがどうなってもいいと言うのですか!」

 寝台から起き上がり、アジェスはとうとう怒鳴ってしまった。

「たったひとりの肉親なのに? 今の言葉は撤回してください、フォルミカに謝るべきです!」

「わたしはお前のことを思って言っているんだ! お前はお前の将来を優先させるべきだったのだ! フォルミカなんぞに気をとられるとは愚かにもほどがある!」

「俺のため、なんて言ってしょせんあなたは見栄を張りたかっただけでしょう! 俺のためだなんてちっとも思ってない!」

「師に向かって何を言う! もういい、お前は弟子でもなんでもない!」

「あなたが師だなんてこちらから願い下げだ!」

 売り言葉に買い言葉で、とうとう決裂してしまった師弟を、フォルミカがおろおろと見ていた。

「アジェス、待って」

 アジェスが出ていこうとするとフォルミカに引き止められた。

「わたしがお父さんに言って聞かせるから。あなたは何も悪くないから。お願い」

「いいよ、フォルミカ」

 喧嘩するほかなかったのは、アジェスが魔物から自分の身すら守れなかったからだ。

 オルファスは厳しい表情で腕を組み、アジェスには目をくれなかった。

「ガーシュ、お前は早く帰れ」

「ほいほい。わかったよ」

 上級魔法使いの不遜な態度には気をとめないオルファスに、再び怒りが込み上げてきた。

 今までお世話になりましたなんて言うものか。アジェスは何も言わず屋敷をあとにした。

「魔物との戦いなんてそう簡単にいくもんじゃないさ」

 慰めなのかは知らないが、上級魔法使いが声をかけてきた。

「お前さんもあのお嬢さんも無傷なんだから、いいじゃねえか。生きてるんだから、せめてあのお嬢さんとだけは仲直りしろよ」

 そう言う魔法使いには右腕がなかった。

 カロンには、フォルミカから便りが届くまで会わずじまいだった。


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