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月の階  作者: 茶野
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「精霊島の花嫁」の外伝です。本編より十年前の物語です。

 崩れかけた塔の窓から月の光がさしこむ。夜の色に染まった螺旋階段に腰かけ、アジェスはローブのポケットから一通の封筒をとりだした。月明かりだけではそこに書かれている文字など読めやしない。それでもアジェスは、何度も何度も読み返してしわだらけになった手紙を広げた。

 月の階段だ、とはじめてこの場所を訪れたときにフォルミカは言った。お父さんには秘密の、わたしだけの特別な場所だと。わたしと、アジェスと、カロンだけの秘密だと。

 思い出の場所に来てみれば、もしかしたらこの手紙が夢であったかのように消えてしまうかもしれない、とアジェスは期待していたのかもしれない。手紙を受け取って一週間、悶々と悩んで、それでも結論は出せなかったからこそ、この場所に来た。杖をかざすと、緑色の光がアジェスの手元を照らし出す。

 ――カロンと結婚します。

 その文字は依然としてそこにあった。手紙を破り捨てようとして、思いとどまる。今のアジェスの手元には、この手紙以外にフォルミカの気配をもつものはなかった。元どおりに手紙をしまう。

 なぜだ。なぜ、こうなった。アジェスの問いに答えるものはない。


 ■


「女にふられたんだって?」

 魔法組合リーザス・クラスト、イスタニア支部の建物に姿をあらわしたアジェスの顔を見るなり、シセルは言った。

「ここ一週間のアジェスは変だ。失恋したとしか思えない」

「それ、誰から聞いたんだ」

「ヴェルデ」シセルはにやりと笑う。

 年下の少年にからかわれるのは腹立たしかったが、ヴェルデ・アネスタがからんでいるならしかたない。目ざとい彼女には嘘が通じない。ここでごまかしても、いずれ知られてしまうことだ。

「幼なじみが結婚するんだ。カロン・クレヴァスと」

「あのカロンと? あいつが結婚? ありえねえだろ」

 カロン・クレヴァスはシセルより十歳も年上で、しかも上級魔法使いである。初級魔法使いでしかないシセルが彼のことを「あいつ」呼ばわりするのは、普通では考えられないことだ。

 シセルは容赦ない。

「あの根暗を相手にできる女がいるとは思えねえ。その幼なじみ、どうかしてるんじゃねえか? ま、その幼なじみをカロンにとられるあんたもあんただけどな」

 十五歳にしては背の低いシセルの頭をかるくこづいて、アジェスはため息をついた。

「お前みたいな子どもにはわからないだろうよ」

「魔法使いにとっちゃ身分や年の差は関係ねえだろ。俺だってイファルトの月には上級になるんだし」

「おい、まだ試験に受かると決まったわけじゃないぞ。今まで誰一人として合格したことのない、難攻不落とまで呼ばれているんだ。そう簡単にはいかない」

「あんた、実際に上級試験受けたことないだろ。やってみないとわからねえよ」

 目つきが悪ければ、口も悪い。そのくせ背は小さいから、何を言っても何をやっても生意気な子どもにしか見えない。小言のひとつでもくらわせてやろうかと思っていると、廊下の向こうからヴェルデがやってきた。

「アジェスさん、支部長より任務を与えられました。場所はリディル王国です」

 フードを深くかぶった彼女の表情は読み取れなかったが、彼女のまとう雰囲気から任務がさほどむずかしいものではないということがわかる。

「わかった、すぐに行こう」

「俺も行く」

「いいよ。ヴェルデがいればじゅうぶんだ」

 中級魔法使いは二人一組で任務にあたる。昇級して師匠のもとから独立し、一人前と認められた中級魔法使いであっても、一人きりで仕事をするのは心もとないということからこのような制度になったという。互いの足りない部分を補い合えるように、万が一どちらかが掟を破ったときにすぐ告発できるようにともいわれている。

 だが、アジェスにはもう、そのような制度は必要がない。中級魔法使いへ割り当てられる仕事はすべて自分一人で解決できてしまうからだからだ。初級魔法使いのシセルはもとより、ヴェルデの存在も不要である。

 早く上級魔法使いになりたい。とっくにその資格はある。アジェスと同い年で、同じ時期に同じ師に弟子入りして、同じときに中級へ昇級したカロンは、去年上級魔法使いになった。魔法の腕前は彼にまったくひけをとらないとアジェスは思う。実際、十二賢人であるダグラス・フレドールからもお墨つきをもらっている。

 それなのにいまだ中級魔法使いとして、イスタニアの片田舎でくすぶっているのは運のなさゆえだ。

 そう、すべては、運のせいだ。

「ま、ついていっちゃいけねーなんて決まりはないし」

 シセルはアジェスの言うことを聞くつもりなどないらしい。

 初級魔法使いが魔法を使って仕事をするには、師の付き添いを要する。登録上はダグラスの弟子ということになっているシセルだが、アジェスはまだ彼が魔法を教わっているところを見たことがない。数年前からこのイスタニア支部にいるヴェルデも見覚えがないという。

 教育熱心なダグラスは、弟子でなくとも未熟な魔法使いを見るとすぐに指導をいれる。アジェスもイスタニアに来たばかりのころに何回か、苦手な魔法について指摘された。そのダグラスがシセルには何も言わないのだ。彼の上級試験への挑戦も止めるどころか、勧めている。

 シセルは今年の試験に合格して、上級魔法使いになる。

 中級魔法使いですらないシセルの合格を、ダグラスは当然と考えているのだろう。そしてアジェス自身もまた、それが実際に起こりうることだと思ってしまっている。

 この、十歳も年下の子どもに先を行かれる――。

「早く行かないとヴェルデに怒られるぜ、アジェス」

「結局、またついてくるのか」

「見てるだけなら問題ねーもん」

 鼻歌まじりでヴェルデのもとに駆けていくシセルに、嫉妬がまじった視線を向けてしまう。

 本当は彼をうらやむのは間違っているのだ。シセルは生まれてすぐに杖を与えられ、魔法使いになったという。十二歳のときに弟子入りしたアジェスより、二年も長く魔法使いをやっている。

 そしてシセルには“精霊”が見えるのだ。

 いつだったか、シセルが「アジェスも上級試験を受ければいい」と言ったことがある。それを小耳にはさんだダグラスに「お前はやめておきなさい」と釘を刺された。なぜ、と問うたアジェスに対する答えは単純だった。

 ――アジェスには精霊が見えないから。

 “精霊”の存在はシセルやダグラスに聞いて知っていた。だが彼らには見えるそれが、アジェスには見ることができない。いや、アジェスだけではない。ヴェルデやカロンでさえも――ほとんどの人間には見えない。見える二人が特別なのだ。

 見えなくても上級魔法使いにはなれる、とダグラスは言う。彼はアジェスが上級魔法使いになれるよう、長老会議で何回も打診してくれている。

 長老の推薦か、十二賢人の過半数の賛成によって上級魔法使いは認定される。

 絶対中立をかかげるクラリス・オリオンやリュード・ロナ、ハーウェイ・ファーマシー、推薦・投票制度に不満を抱くローエン・グランバルド、人間嫌いのシドー・グレイの五票はもともと入らないも同然だ。しかし残り全員が賛成してくれれば過半数になる。

 アジェスが上級魔法使いになれないのは、たったひとりの反対のせいだ。

 十二賢人オルティス・リドル。

 アジェスとカロンの師匠にして、フォルミカ・リドルの父親。

 一年前に喧嘩別れして、それきりだ。会ってくれさえしない。彼に見放されたのが、アジェスの運の尽きだったのだ。


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