■ 第一話「触れない距離」
放課後前の教室は、少しだけ騒がしかった。
椅子を引く音、誰かの笑い声、スマホの通知音。
どこにでもあるその空間から、一歩だけ距離を置くように——
白瀬 凛は、窓の外を見ていた。
特別な理由はない。
ただ、誰とも関わらないでいられる時間が、そこにあるから。
風に揺れるカーテンの隙間から差し込む光が、黒い髪を淡く照らす。
——最初から、そうだった。
誰とも、深く関わらない。
それが、自分の中で決めているルール。
——そう決めていたのに。
どうしてか、少しずつ崩れている気がする。
入学式の日。
体育館に並ぶ新入生たちのざわめきの中で、凛は一人、静かに前を見ていた。
期待も、不安も、特にない。
ただ——同じことを繰り返すだけだと、分かっていたから。
中学の頃。
少しだけ、誰かと距離を縮めたことがある。
笑って、話して、くだらないことで盛り上がって。
その時間は、嫌いじゃなかった。
でも——
「なんかさ、白瀬ってさ」
ふとした一言。
「一緒にいても、壁あるよね」
悪意のない、軽い言葉。
それだけで、十分だった。
少しずつ距離ができて、気づけば何もなかったみたいに戻っていく。
——結局、そうなる。
だったら最初から、近づかなければいい。
誰とも関わらなくていい。
そう決めたから。
だから、教室でも。
一人でいることを選ぶ。
「ねえ」
すぐ隣で、やわらかい声がした。
——近い。
顔を向けると、そこには。
楽しそうに笑う、ピンクの髪の少女。
桃瀬 みゆ。
最近やけに絡んでくる、クラスメイト。
「また一人で黄昏れてる」
「……別に」
凛は短く返す。
それ以上、続けるつもりはない。
なのに。
「そういうとこ、ちょっと好きかも」
ふわっと、軽く言われる。
「……は?」
思わず聞き返すと、みゆはくすっと笑った。
「無理に誰かといようとしないとこ」
机に肘をついて、少しだけ身を乗り出す。
距離が、近い。
逃げようとした瞬間——
袖を、そっと掴まれた。
「ねえ、どこ行くの」
やわらかい声。
けれど、指先は離れない。
「……別に」
凛は視線を逸らす。
「ほんとに?」
くすっと、小さく笑う気配。
そのまま、少しだけ覗き込まれる。
「ねえ、ちょっとだけこっち見て?」
やさしい言い方なのに、距離はそのまま。
逃げきれない。
ゆっくりと、顔を向ける。
目が合う。
——まずい、と思った。
近すぎる。
視線も、空気も。
全部が、自分のペースを崩してくる。
「やっと見た」
みゆが、少し嬉しそうに笑う。
その表情に、わずかに引っかかる。
——最初に会った時も、そうだった。
「ねえ」
入学して間もない頃。
まだ誰とも関わっていなかった時期。
「凛ちゃんでしょ?」
迷いのない声。
顔を上げると、そこには——
やわらかく笑う、ピンクの髪の少女。
「……誰」
「ひどいなあ」
みゆは楽しそうに笑う。
「桃瀬みゆ。隣の席だよ」
まるで前から知っているみたいな口調。
「……そうだけど」
「うん、知ってる」
当たり前みたいに頷いて、
そのまま、自然に距離を詰めてくる。
「ねえ、なんでそんなに距離置いちゃうの?」
首をかしげながら、やわらかく聞いてくる。
いきなり、核心。
「別に」
「ほんとに?」
少しだけ笑いながら、覗き込む。
逃げ場がない。
「だってさ」
ほんの少し、声が近づく。
「“近づかれたくない人の顔”してるよ?」
心臓が、わずかに強く鳴った。
見透かされている。
初対面のはずなのに。
「……関係ないでしょ」
「あるよ」
やわらかいまま、でも迷いなく。
「だって、気になっちゃったし」
軽い言い方。
それなのに、なぜか残る。
——なんで。
どうして、この子だけ。
こんなに踏み込んでくるのに。
嫌じゃないんだろう。
「ねえ」
現実に引き戻される。
目の前には、今のみゆ。
「……もしかしてさ」
少しだけ声を落として、
「ちょっとくらい、気になってたりする?」
冗談みたいな言い方。
でも、目はまっすぐで。
答えられない。
沈黙が落ちる。
すると、みゆはふっと笑って——
「ま、いっか」
あっさりと手を離す。
「そのうち、ちゃんとこっち向いてくれるよね」
少しだけ楽しそうに。
「待ってるね、凛ちゃん」
ひらひらと手を振って、教室を出ていく。
その後ろ姿を、気づけば目で追っていた。
騒がしかった教室が、少し遠く感じる。
胸の奥が、わずかにざわつく。
理由は変わっていないはずなのに。
それでも——
あの声も、あの距離も、頭から離れない。
——最悪だ。
静かだったはずの世界が、少しずつ揺れていく。
——あの距離のせいで。
Nyoinonです。
素人かつ初投稿でほとんど自分用で作っています。
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