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たった一人の少女の為に、今日もまた物語を紡ぐ

掲載日:2026/03/14

初の短編小説です。今回はネット小説化を主人公に書きました

夜中の二時。アパートの六畳一間で、真壁はパソコンの前に座っていた。

部屋には、コンビニで買ったカップラーメンの空き容器が転がっている。安物のオフィスチェアは、座りすぎてクッションがへたり、座るたびにギィと嫌な音を立てる。

画面のブルーライトが、真壁の充血した目を刺すように照らしていた。


「書かなきゃ……ランキングが落ちる……」

真壁は、大手メーカーの一般事務として働く三十二歳だ。

昼間は、膨大なExcelのデータと格闘し、上司の機嫌をうかがいながら、感情を殺して働いている。彼にとって、自分の人生を肯定できる唯一の場所が、ネットの投稿サイトだった。


しかし、最近はその場所も「職場」に変わっていた。

真壁が書いているのは、剣と魔法のファンタジーだ。少し前までは、日間ランキングの三十位以内に入っていた。だが、昨日投稿した回で順位がガクンと落ちた。

感想欄をのぞくと、心ない言葉が並んでいた。

『最近、話のテンポが悪すぎ。もう読むのやめるわ』

『主人公がもっと強くならないと、ストレス溜まるだけ』

『前の作品の方がマシだった』

真壁は、それらの言葉を一つ読むたびに、自分の心にナイフを突き立てられるような感覚に陥った。

「みんな、一分で読み飛ばすくせに、好き勝手言いやがって……」

悔しくて、手が震えた。でも、数字を維持するためには、読者の機嫌を取るような物語を書くしかなかった。


一ヶ月後、真壁に追い打ちをかける出来事が起きた。

同期で書き始めた作家仲間が、人気が出てアニメ化されることが決まったのだ。

その作品は、真壁から見れば、どこかで見たような物語の寄せ集めだった。けれど、世間はそれを「神作」ともてはやした。

「結局、みんなこういうのが好きなんだな」

真壁は自分の書いている心理描写や、景色の描写が、無駄なものに思えてきた。


仕事でも大きなミスをした。

書類の数字を一つ打ち間違え、会社に損害を出してしまったのだ。

部長からは「君、やる気あるの? 代わりはいくらでもいるんだよ」と、大勢の前で怒鳴られた。

深夜、泥のように疲れてアパートに戻り、いつものようにパソコンを立ち上げようとしたとき。

真壁は、自分の指が震えて動かないことに気づいた。

「もう、無理だ……」

彼は、パソコンの電源ボタンを力いっぱい押し込んだ。

そのままアカウントのパスワードを書いたメモを丸めてゴミ箱に捨てた。

「俺には、物語を書く才能なんて、一ミリもなかったんだ」

そうつぶやいて、真壁は暗い部屋の中で一人、声を殺して泣いた。


____________________________________________________


それから一年が過ぎた。

真壁は書くことを完全にやめた。

夜に時間ができたおかげで、睡眠不足は解消された。会社でも、ただの「静かな事務員」として波風立てずに生きていた。

けれど、心の中にはずっと、ぽっかりと黒い穴が空いたままだった。

街を歩いていても、綺麗な夕日を見ても、「これをどう言葉にしようか」と考える自分がいなくなり、世界がモノクロになったように感じていた。


ある冬の日、真壁は職場の倉庫整理をしていた。

埃をかぶった古い箱の中から、一冊の古い文芸誌が出てきた。

それは、彼が学生時代に憧れていた作家の言葉が載っていた雑誌だった。

『小説家とは、誰に頼まれたわけでもないのに、自分の心にある膿を吐き出さずにはいられない病人のことだ』

その言葉を読んだ瞬間、真壁の胸の奥が熱くなった。

「俺は……まだ病気なのかな」

その夜、彼は一年ぶりに、捨てたはずのパスワードを記憶の底から掘り起こし、自分のページにログインしてみた。

管理画面には、数えきれないほどの通知が溜まっていた。

ほとんどは一年前の誹謗中傷だったが、一通だけ、見慣れない名前からのメッセージが混ざっていた。

名前は「ソラ」。

送り主のソラさんは、真壁がランキングも気にせず、ただ自分の好きな風景だけを詰め込んで書いた、短くて売れないお話のファンだった。


『真壁先生、はじめまして。

私は、重い病気でずっと入院しています。

病室の窓からは、小さな空しか見えません。

でも、先生の書く「夕暮れの草原」のお話を読んだとき、私は本当にその場所に立っているような気持ちになれました。

草の匂いや、頬をなでる風の冷たさまで感じられたんです。

先生、私はもう、自分の足で歩くことはできません。

でも、先生の言葉があれば、私はどこへでも行けます。

もし、もしもいつか元気になれたら、先生の物語の続きを読んでみたいです。

私の暗い毎日に光をくれて、本当にありがとうございました』


真壁の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

慌てて彼女のプロフィール画面に飛ぶと、そこには彼女の母親からの短い挨拶が載っていた。

ソラさんは、半月前に静かに亡くなったという。

最後の日まで、タブレットを抱きしめて、真壁の物語を何度も読み返していた、と。


「……ごめん。ごめんな、ソラさん」

真壁は、机に突っ伏して泣いた。

自分は、誰からも愛されていないと思っていた。

ランキングの数字や、顔の見えない誰かの悪口ばかりを気にして、たった一人のために書くことを忘れていた。

ソラさんは、真壁が「無駄だ」と切り捨てたあの景色の描写を、誰よりも大切に思ってくれていたのだ。

真壁は、震える手でキーボードに指を置いた。

腱鞘炎で痛む右手に力を込める。

今度は、ランキングなんてどうでもいい。

「面白い」と言われなくてもいい。

ただ、ソラさんが見たかったはずの、あの「続き」を書くんだ。


彼は書き始めた。

病院の窓から空を見上げていた少女が、光の翼を手に入れて、燃えるような夕焼けの中を飛んでいく話を。

一文字、一文字、心を込めて打ち込んでいく。

彼女が感じたであろう風の冷たさを。

彼女が憧れたであろう草原の輝きを。

それは、今の流行りとは正反対の、ゆっくりとした、けれど美しい物語だった。


外が白み始めた頃、真壁は「完」の一文字を打ち込んだ。

投稿ボタンを押すとき、ためらいはなかった。

画面には、閲覧数「0」の文字。

けれど、真壁の心は、かつてないほど穏やかだった。

窓の外には、夜が明けて、深い青からオレンジ色に変わりゆく空が広がっていた。


「ソラさん、届いたかな」

真壁はそうつぶやき、一年ぶりに心からの笑顔を浮かべた。

彼は立ち上がり、仕事へ行くためのスーツに袖を通した。

相変わらず、満員電車に揺られる退屈な毎日が始まる。

けれど、今の真壁には、守るべき約束があった。

彼は、もう孤独な事務員ではない。

たった一人の少女の魂に寄り添い続ける、世界で一人の物語作家だった。


春の光が、真壁の背中を静かに照らし出していた。


いかがでしたか?ネット小説、なんのためにやるのか、なぜやるのか作者自身が考えた時に思いついた作品です。

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