切断の後
翌朝、居住区はいつもより静かだった。
もともと音の少ない場所ではある。
だが、この日は違った。
人の気配が、意図的に薄められている。
僕が共有スペースに出ると、視線が集まった。
すぐに逸らされる。
誰も声をかけない。
——昨日のことは、もう広まっている。
噂話にするには、出来事が単純すぎた。
能力を使いかけた男は、端の席に座っていた。
名前は知らない。
この居住区では、名前を覚える意味が薄い。
彼は、何度も同じ動作を繰り返していた。
手を握る。
開く。
目を閉じる。
何かを“呼び出そう”としているのが、分かる。
だが、何も起きない。
「……おかしい」
掠れた声が漏れた。
「昨日は、確かに——」
途中で言葉を切り、彼は顔を上げた。
僕と、目が合った。
その瞬間、空気が張り詰めた。
彼は、僕を睨んでいるわけじゃない。
怒ってもいない。
ただ——
確認している。
自分に何が起きたのか。
原因は何か。
「……お前、何をした?」
低い声。
周囲が、さっと距離を取る。
昨日と同じだ。
誰も割って入らない。
ここでは、問題は“当事者同士で処理する”ものだから。
「何も」
僕は、事実だけを答えた。
「触れてないし、
指示もしてない」
「じゃあ、なんで——」
彼は、言葉を詰まらせた。
再度、力を使おうとする。
しかし、結果は同じ。
沈黙。
「……戻らないのか?」
その声には、恐怖が混じっていた。
能力は、ここにいる理由そのものだ。
それを失うということは——
社会的に“未定義”になる。
「分からない」
僕は、正直に言った。
分からないからこそ、
余計に残酷だった。
昼頃には、居住区の空気が変わり始めた。
距離の取り方が、微妙に変化する。
昨日までは、能力が強い者ほど周囲にスペースがあった。
今日は違う。
僕の周囲だけが、空いている。
露骨ではない。
でも、確実だ。
誰も近づかない。
誰も刺激しない。
能力を誇示する視線も、
怯えの視線もない。
あるのは——
評価。
午後、管理会社からの連絡はなかった。
端末は沈黙したまま。
監視カメラも、いつも通り動いている。
何も変わらない。
それが、一番の答えだった。
——想定内。
観察継続。
介入不要。
夕方、共有スペースで小さな騒ぎが起きた。
今度は、誰も能力を使おうとしない。
言い争いは、すぐに収束した。
理由は簡単だ。
僕が見ていたから。
それだけで、十分だった。
その事実に気づいた時、
胃の奥が、冷たくなった。
能力を使っていない。
何もしていない。
それでも——
居住区は、昨日より静かだ。
安定している。
管理会社が望んでいたのは、
きっとこれだ。
誰かを罰することでも、
救うことでもない。
恐怖による自己制御。
僕は、そのための存在だ。
夜、居室に戻ると、端末に通知が届いていた。
観察記録:更新
状態評価:変化あり
判定:継続
それだけ。
称賛も、警告もない。
ただのデータ。
ベッドに横になり、天井を見つめる。
能力を切った感触は、まだ指先に残っている。
それは、力を振るったという実感ではなかった。
もっと——
作業に近い感覚。
線を見つけて、
繋いで、
切る。
それだけ。
この世界は、
能力を恐れているんじゃない。
管理できない可能性を、
恐れている。
そして僕は、
その恐怖を現実にする存在だ。
ここに置かれた理由も、
ようやくはっきりした。
スタビリティ・ゾーン。
安定のための場所。
その中心に、
最も不安定な存在として、
僕は立っている。




