色を忘れた人間たちへー視力を失った人間の世界、色を見る少年のはじまりの物語
デジタルデバイスが世界中の人間に波及したのは今から百年ほど前。
娯楽、ビジネスはもちろん、認証、閲覧、情報管理、それらの全てがネットワークを通じ利用可能となり、やがて「紙」が消えた。
その頃にはペーパーレスという言葉もあったらしいが、紙というのものが何なのか。記憶している者も今は、もういない。
人類の進化は加速度的だった。故に。
本来は不自然な肉体的な歪みもまた、彼らの進化の軌跡として取り込まれるのにも、そう時間はかからなかった。
二十一世紀の末期。
それは、人類の形態が大きく変わった世紀でもある。
人類は、その頃、視力を失った。
「と言っても、不便はないんだよね」
過去の記録を見るのが好きな人間は、娯楽のようにその情報を「見」ながら笑う。
彼らの脳内にはごく小さなチップが生まれながらにして埋め込まれ、「見る」ことに不自由はなかった。
彼らの変化は生物として視る力が不要になったからできたものではない。むしろ、デジタルデバイスの光を視神経に浴び続けたため、生体としての機能が壊れてしまったというべきだろう。
壊れたものを補うための技術が発達し、壊れていることは「当たり前」になった。
故に、彼らの世界は決して暗闇ではない。
周囲に存在するものをセンサーがキャッチし、それを信号に変換して脳に送る。脳内ではそれらが映像として結びなおされる。
視力を失った人類にとって、非常に画期的かつ有機的なシステムであったが、過去に存在していた「映像」を映しこむ機械に近いのかもしれない。技術は応用を繰り返して発展していく。
「でも知ってる? まだ目が開く人がいるんだって」
「ホントかよ。目が開いたって埃が入ったりすれば痛いだけなんだろ? 今時、異端者ってやつか」
そう、視力がある者も稀に存在する。だが、彼らは例外なく「異端者」扱いだった。要らないものが身体についている。現代では、その程度の認識なのだ。
他の五感が無くなったわけではない。フルカラーで「見え」ているのだから目で見ていた頃と何ら変わりないだろうに。
異端者に向けられるのは、ある時は好奇、ある時は嫌悪、ある時は蔑みのまなざしだった。
人は見えなくなった目で、それらのまなざしを向ける。そんなところは視えていた時と何も変わらない。
「小さい内なら目を閉ざしてチップを入れてあげるらしいんだけどね。大きくなってから開いちゃう子もいるんだって」
「怖いよな。ある日いきなり『視える』ようになるとか」
「……」
そんな会話を交わしながら二人の男女が街を歩いて行く、その会話をじっと聞いている少年がいる。少年の瞳は彼らの後ろ姿を映し、視界の端に見送っていた。
荒涼とした街路樹の一つもないただ、打ちっぱなしのコンクリートが敷かれただけの道をゆく、その後ろ姿を。
人の世界は灰色だ。色は「後付けできる」から、実物に色彩を付ける必要が、飾り立てる必要がないのだ。まるでブロックが積み上げられただけの、テクスチャの張られていない3DCGのモデリングと同じ。
青く美しい鳥が頭上を飛んでいった。
あの鳥は、果たして彼らには「何色」に見えているのだろう。
あるいはそこまでは見ることができないのだろうか。
人は視力を失って、こころでものを見ることも忘れてしまった。
彼らの世界が、一部の人間の手によって「操作」されていることを彼らは知る由もない。
街は灰色の壁で外と内を区切られ、その境界を自分の足で出ることもない。
なぜなら彼らは、デバイスを用いどこへでも「行くことが」できるのだから。
仮想の世界は、距離も超えてしまう。
人が自分の足で歩くことすらできなくなる日も来るのだろうか。
少年は壁の向こうを眺めやる。
緑の森と、草原、そして向こう側にも内側にも、青い空が広がっている。
この世界は美しい。
少年は、目を閉じ、空に顔を向けた。吹きゆく風が心地よい。
この世界には色があるから、美しい。
そしてそのことを知る人々は、この街から去っていくのだ。追い出されるのではない。世界の色を知っているから、その色がない場所にはとどまれないのだ。
少年もまた、灰色のベンチを降りて、歩き出した。
モノクロの、街の外へと。
あとがき**
全てがデジタル化へ向かう中で、自分の意思でアナログに回帰する人間と「誰か」が提供するツールを使い続ける人間は、絶対に分かれてくると感じ出来た作品です。
こちらはこの後、少年と、視力はなくとも瞳が開く少女が出会い、世界の彩を取り戻す旅に繋ぐものです。




