この国では魔力を譲渡できる
「シエラお姉様、わたしに魔力をくださいな」
無邪気な笑顔でそうおねだりするのは、腹違いの妹シャーリだ。輝く金色の髪に、碧の瞳。その微笑みは天使のようだと、幼い頃から社交会でも評判だった。
「秘密のお話がしたいの」とシャーリにお願いされ、王妃主催のお茶会をこっそり抜け出して中庭へ出た途端この台詞だ。
一体妹はどういうつもりで言っているのか。公爵令嬢として淑女教育を受けてきたシエラですら、驚きの感情が表情に出てしまう。
これまでも愛らしい妹から頼み事をされると、ついシエラも頷いてしまい可能な限り応えてきた。
けれどそれが裏目に出る日が来ようとは。
あり得ない要求に、淑女教育の教師から「完璧」と太鼓判を押されているシエラでさえも、動揺を隠せず絶句する。
「どうせお前にはもう必要のないものだろう? もったいぶらずに渡してやれ」
そしてその隣では、シエラの婚約者であるこの国の第二王子ロルフがふんぞり返っている。こちらもシャーリと同じ金髪碧眼、人形のように整った容姿の二人はまさにお似合いと言って良い。
一方、くすんだ金髪で血色も悪いシエラは、ロルフから事あるごとに「何故お前が俺の婚約者なのだ」と顔を合わせるたびに暴言を吐かれる。これは魔力が強すぎるが故に上手く調整ができず身体に影響が出ているだけで、成年になれば亡くなった母親譲りの美しい姿になると医師から言われている。
しかしロルフは何度説明しても理解せず、シエラを「醜い女性」と思い込んでいた。
(シャーリを実の妹と思って接してきたのだけれど。私が間違っていたのかしら)
異母妹だが、シエラにとってシャーリは可愛い妹だ。母が病死して半年後。父が「新しい家族だ」と言って連れてきたときには驚いたけれど、シエラは継母とシャーリを快く受け入れた。
随分と苦労を重ねた人だと父が話していたので、自分にできる限り二人には何不自由なく生活してほしかったのだ。
けれどシャーリの我が儘は酷くなるばかりで、淑女教育も「面倒くさい」の一言で逃げてしまう。
それでもいつか分かってくれると信じて、シエラは姉として温かく見守ってきたが、結局はシャーリの我が儘を増長するだけだった。
「ほら、早くしないと侍女が探しに来てしまいますわ。魔力をちょうだい!」
しかし今回のおねだりばかりは、すんなりと頷くことはむずかしい。
今日は王妃主催の特別なお茶会だ。
来月に貴族学園中等部の入学式を控えた貴族の子息、子女が爵位の分け隔てなく呼ばれている。
つまりは貴族として社交デビューの場となるわけだ。
「シエラお姉様!」
急かすように腕を掴むシャーリの目が血走っているのは見間違いではないだろう。
このローベル国では、人は魔力を持って生まれてくる。
と言ってもそれは貴族に限ったこと。平民と貴族の間に子が生まれても、魔力が受け継がれることはない。
貴族達はその特別な力を己の欲で使うことは許されず、厳格な法の下で管理される。分かりやすく言ってしまえば「ノブレスオブリージュ」だ。
これを貴族学園で六年間、学業と共にみっちり教え込まれる。
なので入学できるのは、正当な貴族の血筋を受け継いだ子どもだけである。
しかしシャーリは父が平民の愛人に産ませた子ども。
当然魔力は持っていない。
「でもねシャーリ。魔力をあなたにあげたとしても、あなたのお母様は……」
「それは大丈夫。お父様が男爵より伯爵が相応しいっておっしゃって、位をお母様に買ってくださったんですって。あとはお姉様が、わたしに魔力を譲渡してくだされば入学に際して何も問題ないわ」
(お父様……お母様から受け継いだグラッド公爵家の名になんという事をしたの)
シエラの実母はシエラが五歳の時に病で他界している。
その半年後、「家族には母親が必要だ」と尤もらしい持論で父が連れてきたのは、市井の酒場で働いていたというシャーリの母親だった。そして何故かその女は「今日から妹になるシャーリよ。仲良くしてあげてね」と笑顔でシャーリを紹介したのである。
流石に平民の女を公爵家の妻として迎え入れるのは問題があったので、父は男爵の爵位を買い継母に与えたのだ。
元々父は伯爵家から婿入りをした身で、本来ならばシエラが公爵家を継ぐはずだった。しかし急な病で倒れた母の葬儀に乗じて父は爵位と財産の全てを自らの物とした。裏では継母も色々と関与していたとシエラが知ったのは、更に数年経ってからだった。
当然ながら王家を含めた貴族達から跡取り問題で疑惑を向けられたが、父と継母には悪運が味方した。
隣国との交易問題や疫病、天候不順など。公爵家の乗っ取り事件どころではない事態が続き、当時の事は有耶無耶にされて今に到る。
父が公爵家の名に泥を塗った件をシエラは許していない。だが当時は継母とその娘は、身勝手に振る舞う父に振り回された被害者だと思い込んでしまった。
(まさか、こんな事を言い出すようになるんて)
ともかく今は、目の前のシャーリをどうするのかが問題だ。
シャーリは妹ではあるが、シエラとは一カ月しか違わない。
つまり父は、シエラの母と結婚した直後から愛人を持ち子どもまでつくっていたのだ。いや、もしかしたら愛人との関係の方が、ずっと長かったのかもしれない。
だが今となってはそんなことはどうでもいい。
(継母様が平民ではなくて、没落貴族だと認められ始めている。実は伯爵だったなんて触れ回っているとしても、お父様が手を回しているとなれば……私にはもう、どうすることもできないわ)
再婚にあたり、父は外聞を気にして継母に男爵の地位を買い与えただけでなく、着飾らせて積極的に継母を社交の場へと連れて行き「実はとある貴族だが、事情があって市井に身を落としていた」と涙ながらの噂を広めたのである。
当初そんな馬鹿げた話を信じる者はいなかったが、全てをひっくり返したのがシャーリの存在だ。
天使のようなシャーリは幼いながらに己の武器を熟知していた。シエラと違い淑女教育を受けずに育ったシャーリはよく言えば天真爛漫。
優しくされれば笑顔で応え、母の悪口を言う者があれば場所など気にせず泣いて怒り周囲の関心を集める。
そんな感情を露わにする可愛らしいシャーリに貴族達も次第に絆されていく。
中でもシャーリに関心を示したのが、婚約者である同い年のロルフだった。
王命で決められた婚約者は、元は公爵家を継ぐべく特別厳しい教育を受けていたため子どもらしさの欠片もない少女。
だが妹の方は楽しければ大きな声で笑い、悲しければ涙を流し泣き叫ぶ。
愛人の子、母親は平民だと心ない噂はロルフの耳にも入っていた。
しかしシャーリから
「わたしとお母様は没落した貴族です。事情があって、身分を偽っているだけなんです」
と涙ながらに言われて信じてしまったらしい。
馬鹿げている。が、正論を告げたところでロルフがどちらを信じるかなど明らかだ。
「お姉様。はやく魔力をちょうだい!」
既にシエラは貴族学園の試験を終えている。小等部までは魔力に関する授業は座学だけなので、庶子でも通うことは許されている。
しかし中等部からは実技が加わるので、入学試験という形で魔力量を測るのだ。けれどシャーリは「具合が悪い」と言ってその試験を延ばし延ばしにしてきた。
そして今日のお茶会では、最後にクラス分けの発表もされる。
つまりそれまでに魔力量を測れなければ、シャーリは貴族学院に入学できないどころか「貴族だ」という嘘がバレてしまう。
「早くしろ! シャーリは病で魔力を失ったのだろう? だったらお前も学園では病気を理由に魔法の実技は欠席すればいい」
(病で魔力を失うなんて、あり得ないのに……)
嘘に嘘を重ねて平然としているシャーリと、それを微塵も疑っていないロルフをシエラは黙って見つめる。
「なんだその目は! 言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ!」
癇癪を起こして地団駄を踏むロルフを前に、シエラは心の奥が冷えていくのを感じる。
(ロルフ殿下は、こんな子どもじみた言動をする方ではなかったのに。シャーリに感化されてしまったのね)
王命で決められた婚約だから、そう親しくしていた訳ではなかった。けれど高位の貴族では良くあることだし、少しずつ互いを知っていければとシエラは考えていた。
けれどそんな穏やかな関係は、もう望めそうにない。
「分かりました」
「やったー! これでわたしも、ロルフ様と一緒にこれからも勉強できるわね」
「ああ、ずっと一緒だよシャーリ」
(ずっと?)
ロルフの言葉が気にかかったが、問うより早くシャーリがシエラの腕を引っ張る。
「お姉様、早く!」
「魔力譲渡はどうすればいいのだ?」
(そんなことも知らないで欲しがっていたの? 座学で習ったはずなのに)
この国では魔力を譲渡できる。
譲渡する側、される側。双方の合意があれば、立会人も書類を交わすこともなく一瞬で行えるのだ。
「私が「シャーリに、魔力の全てを差し上げます」と言ったら、シャーリは「シエラから全ての魔力を受け入れます」と答えればいいのよ」
「それだけ?」
「ええ」
あまりに簡単な方法に、シャーリとロルフは顔を見合わせている。
シエラも初めて習ったときには同級生と共にきょとんとしたものだ。
「何か裏があるのではないだろうな? シエラ、もしシャーリを陥れたら、その命は無いと思え」
「裏も何もございません。不安でしたら、教科書を持って来ましょうか?」
「そんな時間ないわ。そろそろ校長先生がお見えになる頃よ」
慌てるシャーリに、シエラは頷いてみせる。
(これは甘やかしてしまった私の罪でもあるわ。シャーリがこれから魔力を正しく使い生きていけるかどうかは、シャーリ自身が決めること。そして私は、魔力なき公爵令嬢として誹りを受けながら生きることが罰となる)
覚悟を決めたシエラは、真っ直ぐに妹を見つめる。
これから先の人生は、互いに試練の道となるだろう。
「では始めましょう。――シャーリに、魔力の全てを差し上げます」
「シエラから全ての魔力を受け入れます」
次の瞬間、ぱっと閃光が二人の間を駆け抜けた。
そして、魔力の譲渡はシエラの言ったとおり呆気なく終わったのである。
シエラがシャーリに魔力を譲渡してから、二人の立場は逆転した。
『いいか、シエラ。これは俺達三人だけの秘密だ。ローベル王家の命令だぞ』
そうロルフから念を押されてしまえば、シエラは何も言い返す事ができなかった。
学園でシエラは魔法実技は全て「病気で力が使えない」で押し通すしかなく、そんなシエラに周囲は次第に「本当はシエラが庶子なのでは」という疑惑の目を向けるようになっていった。
貴族の子女達が集うお茶会に呼ばれることもなくなり、夜会の招待状も王家が主催するものしか届かなくなった。
てっきりロルフが庇ってくれるかと思いきや、彼は実技に出られないシエラを無視し、聞こえよがしに「出来損ない」と罵る有様だ。
招待された夜会には全てシャーリを伴い、まるで婚約者のように扱っていると数少ない友人が憤りながらシエラに教えてくれた。けれど家でも外でも味方が皆無に近いシエラには、どうすることもできない。
シャーリはといえば、入学直後から魔力を好き勝手に使い早速問題児として注目を集めてしまう。
彼女の使う魔法は花を咲かせたり、身につけている宝石を輝かせたりといった他愛ないものばかり。
だからといって無闇に使って良いものではないと、教師から再三注意を受けていたのをシエラも目撃している。
それに対して怒り狂ったのは、何故かロルフだった。
業を煮やした校長が直接シャーリに苦言を呈したことを「俺の大切なシャーリを傷つけた罪」と糾弾し、その場で解任したのである。
校長解任は生徒の親たちに衝撃を与えたが、以前から厳しすぎると噂があったこともありいつの間にか有耶無耶になってしまった。
何よりシャーリの使う遊びのような魔法を「次に無断使用したら退学」と宣告したことも、校長への逆風となった。
***
(色々あったけれど、それも今日でおしまい)
明日の準備をしていたシエラは、はあ、とらしくなくため息を吐く。
卒業をしたら、自分はロルフと結婚するのだ。
既に彼に対して愛も情もない。おそらくそれは彼も同じ事だから、責めるつもりもなかった。
(既に離宮は完成してると聞いてるから、そこにシャーリが住むのかしら? いえ、私かもしれないわね)
ロルフとシャーリーが恋仲というのは周知の事実となっている。
誰もが認めるお似合いの恋人。そしてシエラはといえば、二人の恋路を邪魔する名ばかりの公爵令嬢。
今シエラの味方をしてくれるのは、幼い頃から一緒に淑女教育を受けた友人の数名だけ。
その彼女たちにも「婚約や社交に障りがあっては申し訳ない」と説明して、表向きは接触を断っていた。
父は毎晩のように何処かへ出かけては、明け方に酔っ払って帰ってくる。
継母は社交に精を出し、今では公爵夫人気取りで振る舞っている。ここ数年は、市井で見つけた顔の良い役者や詩人のパトロンとなって、彼らを伴い夜会へと出かけていく。
双方に愛がないのは明白だが、父は社交という面倒ごとを継母に押し付けているのでそれなりに利害は一致して上手くいっているようだ。
きっと自分もロルフと結婚すれば、形だけとはいえ夫婦として振る舞ってくれるだろう。エスコートもなしで夜会へ赴き、踊ることもなく密やかに帰宅する事もなくなる筈だ。
「これ以上、悪くなる事なんてないわ」
自分に言い聞かせるようにシエラは鏡に映る自分に声をかける。
「お嬢様、お客様がお見えになりました。王家直属の騎士の方だそうですが、いかがしましょう?」
扉の向こうから困惑した様子の侍女の声が聞こえる。
本来であれば父が対応するのだけれど、今日はまだ帰宅していない。というかここ数日は馴染みの娼館に入り浸っていると、執事から報告が上がっている。
「客間にお通しして。着替えたらすぐに行きます」
シエラはそう支持すると、侍女を数人呼んで急ぎ身支度を調える。爵位は父に取られたが、女主人として恥ずかしくない装いに身を包むと階段を下りて客間へと向かう。
「お待たせして申し訳ございません。生憎父は不在ですので、私シエラがお話しを伺います」
待っていたのは王家の騎士服に身を包んだ一人の青年だった。歳はシエラの少し上くらいだが、年齢よりずっと落ちついた雰囲気の持ち主だ。
「突然の訪問をお許しくださり、感謝いたします。王家直属の騎士団から派遣されましたフランツと申します。魔力譲渡の件に関して、シエラ嬢に話を伺いたいのですが……」
貴族同士の魔力譲渡は双方の合意だけですむ。しかし平民に譲渡する場合は、見届け人が必要となる。
シエラとシャーリの場合はロルフが実質見届け人の立場だが、彼は譲渡があったこと自体を否定する筈だ。
何故なら認めてしまえば、シャーリが平民である事が公になってしまう。
そうなれば、現状魔力を持たないシエラが平民と認定されても仕方ない。
「フランツ様、私は……」
「証拠は揃っています。庇い立てせず、何があったのか正直に話していただきたい」
彼の言葉にシエラはあきらめ顔で静かに頷いた。
***
翌日の卒業式は、粛々と進められた。
一通りの式典が終わりパーティー会場である学園内の広間に移ると、卒業を祝う親たちや在校生でひしめき合っている。
その中を卒業生はそれぞれ婚約者や、そういった相手の居ない者は家族のエスコートで入場するのだけれど、シエラは一人だ。
周囲から向けられるのは、好奇や嘲笑を含んだ眼差しばかり。数少ない友人達は悔しそうに唇を噛んでいるけれど、シエラはあらかじめ「何があっても絶対に自分には関わらないように」と言い含めていた。
そうでもしなければ、ロルフに睨まれ貴族社会での居場所を失いかねない。
(私は王命に従い、ロルフ殿下を支えるだけ)
いつものように壁際へと移動して、できるだけロルフとシャーリから距離を取る。しかし今日はどういうつもりなのか、シャーリーが小走りに近づいて来た。
髪には白い花を魔法で散らし、小さな宝石のように輝かせている。
「お姉様、こちらへいらして」
返事も聞かずにシャーリがシエラの手を掴んで広間の中央へと引っ張り出す。そして正面の少し高くなっている場所に立つロルフへ駆け寄った。
「さて諸君、ダンスの前に伝える事がある。俺はシエラ・グラッドとの婚約を破棄しシャーリ・グラッド公爵令嬢と結婚する。理由は知っての通り、シエラには魔力がないからだ」
(えっ?)
突然の事に頭の中が真っ白になる。そんなシエラに「やっぱり庶子は姉の方だったんだ」「ずっと実技を休んでたから、疑ってたけれど」など心ない囁きが聞こえてくる。
「本来ならば貴族とうそぶき学園に入学した者は国外追放だ。しかし俺にも情はある。シエラは離宮で、俺の愛妾として暮らす権利を与えてやろう!」
流石にこれには眉を顰める貴族が大半だったが、ロルフは王位継承第二位の人物だ。
誰も文句など言えず黙っていると、シエラの背後から落ちついた声が響く。
「まさか卒業パーティーで愚かな行いをするとは思っていなかったぞ」
「兄上! いつ留学からお戻りになったのですか?」
全員の視線が、シエラの背後へと向く。そこには先日、屋敷を訪ねた来た騎士が王族の正装を纏い立っていた。
「留学はとうに終わっている。勝手にお前が勘違いしていたのだろう? 今日はそこのシャーリ嬢の件で話がある。随分と魔法を使ったそうだな。魔法局の許可なく使用するのは罪だと知っての行いか?」
指摘されたシャーリは、ぷうっと頬を膨らませてフランツを指さす。
「なんなのこの人! 私は花を咲かせただけよ! みんな喜んでたわ!」
「自然の摂理を変えることは大罪だ」
「では兄上、宝石を輝かせたくらいで罪になるのですか? ほんのお遊びでしょう?」
「本来の輝きを隠し正しい価値を消してどうする? まかり通れば、詐欺と見做されるのだぞ。お遊び、とお前は言うが積み重ねていけばそれは大事になるのだ」
皆も理解しているだろう、とフランツは落ちついた声で続け取り囲む貴族達を見回す。
「何よりの問題はシャーリ嬢の魔力が、シエラ嬢が所有していた魔力という事だ。シャーリ嬢は平民出身の母を持つ庶子で、魔力は持っていない」
しん、と広間が水を打ったように静まりかえった。
「え、え?」
「皆どうしたのだ?」
慌ててるのはシャーリとロルフだけで、生徒も親の貴族達も真っ青になっている。
「シエラ、喋ったのか! この裏切り者!」
「ロルフ……お前は覚えていないのか? シャーリ嬢がシエラ嬢に魔力を譲渡するよう迫った場には、私も同席していたのだかな」
「兄上が? あの場には、俺達三人しかいなかったはず……」
「お前は未だに、私たちを支える者が見えていないのか? 今もこの広間には、多くの給仕や護衛騎士が気を配っているのだが――」
「へ?」
間の抜けた声を上げて、ロルフが周囲を見回す。
指摘されてやっと給仕たちの存在に気付いたらしく、目を見開いている。
ある意味、ロルフの態度は高位貴族としては正しい。
下位の侍女や見習い騎士など、平民出身で城や貴族の屋敷で働く者は多くいる。そしてそれらの者達を、雇い主は認識しない。使用人や護衛騎士を人と思って接しないのだ。
そして使用人達も、動く道具に徹する。
彼ら使用人は、主人の会話は聞かないし不都合なことは見ない。
だからといって貴族が使用人に対して過酷な労働を強いたり虐待などすれば、上に立つ者としての資質が問われる。
適度な距離を保ち平民は仕事として割り切り、貴族は彼らを使用する。
互いの平穏のために住む世界が違うと弁えて生活した方が何かと都合が良いのだ。
「王家を継ぐ者は、魔力を持たない多くの民の心を理解する必要がある。私も慣例に従い魔力を父に譲渡し、見習い騎士として修練に励んだ。先日父王から認められ、魔力を使う許可が下りこうして公の場へ出る事が許されたのだ」
「そのようなご苦労をされていたとは初耳です」
「初耳だと?」
はあ、と呆れた様子でフランツが首を横に振る。
「お前は本当に、何も知ろうとしなかったのだなロルフ。王族の子であれば、性別を問わず成人前に一度魔力を譲渡し、平民として生活をするのが習わしとなっている。王家に近い公爵家の子も同じだ。お前の友人にも「留学」する者がいたはずだが」
「そういえば……ですがまさか、そのような事をしていとるとは思いもしませんでした」
ロルフの返答を聞いた一部の生徒達が、何かを察したように眉を顰めた。
そういった慣習を父から聞かされていなかったシエラでさえ予想はついたが、当事者であるロルフはまだ分かっていないようだ。
(王族として生まれた方々が辛い修練に挑む中、ロルフ様は一般生徒と変わりなく学園生活を楽しまれていた。つまり――王家から排除されたのね)
最初からロルフを排斥する気など、王家の意向ではなかっただろう。ロルフ自身が周囲の変化に気づければ良かったが、たとえ無関心であっても侍従や教師がそれとなく「王家の人間としてするべきこと」に関するヒントを与えていたに違いない。
しかしロルフはシャーリとの甘い日々を楽しむばかりで、将来課せられる責務と向き合おうとしなかった。
「魔力がないというのは、あれほど心細いものだとは思わなかった」
帝王学を幼くして修めたフランツは五歳を待たず魔力を現王、つまり父に譲渡したのだと続ける。
幼くとも見習い騎士になれば、まず学ぶのは気配の消し方だ。貴族階級には使用人の気配を嫌がる者は多くいるので、仕える主人に不快感を与えないための必須科目といったところだ。
フランツは平民と同じ宿舎で寝泊まりしながら、魔力を持たない者の生き方を知った。
そして騎士として認められてからは、様々な王侯貴族の護衛をしながら彼らが誰に対してどのように振る舞い、考えているかを見聞きし学んだのである。
平民として生活していたシャーリならば、気配を殺して働く使用人の存在にも気づけた筈だ。
けれど公爵家で散々甘やかされた結果、多くの貴族と同様に使用人の存在を無視することが当然になっていたのだ。
だから魔力譲渡の場に、騎士や侍女が控えているなど考えもしなかったのだろう。
反対にシエラはシャーリとその母親が屋敷に来たことで、細々と気遣ってくれる使用人のありがたみを知り彼らが重要な存在だと認識できるようになったのだ。
基本的に、魔力は民のために使うものと教えられる。しかし実質は、身を守るためだ。
次期王としての試練とはいえ、フランツは相当苦労したに違いない。
「修業の末に王家の護衛騎士として認められた。その初めての任務が、母上のお茶会での弟の護衛だったのだよ、ロルフ」
気配を消し、護衛に徹した彼が見たものは愚かな実弟の言動だった。
ここまで言われて、やっとロルフも自分の置かれた状況を察したらしい。
「兄上、その……俺は……」
「婚約者に平民への魔力譲渡を迫ったことは、私がこの目と耳で聞いている。立会人としての責任を取れ」
フランツがシエラに向き直り、労りの言葉をかける。
「これまでよく耐えたな、シエラ嬢」
「お言葉、恐れ入ります。ですが己が決めた事ですから、譲渡した責任は自分にあります」
美しいカーテシーをするシエラに、フランツは優しい微笑みを向ける。
「顔を上げなさいシエラ公爵令嬢。この件は、私に判断が任されている。シャーリ嬢、魔力を返せば罪は問わない。ロルフとの結婚も許可しよう」
「ありがとうございます兄上!」
「……ありがとう」
まだ事態が飲み込めていないのか、シャーリがむくれたまま礼を口にする。
そんな二人を見る親世代の貴族の目は冷ややかだ。
とはいえ、学園では有名なカップルだったロルフとシャーリが結ばれるとなって、生徒達は喜んでる者が大半だ。
不満そうなシャーリを肘でつつきロルフが促す。
「さ、早く魔力を返すんだ」
あの日の口上を今は反対の立場で口にする。
「シエラに、魔力の全てを差し上げます」
「シャーリから全ての魔力を受け入れます」
シエラが言い終わった瞬間、凄まじい光が広間を包み込んだ。
「……? やだやだやだ、何よこれえええええっ」
しゅーっと革袋から空気が抜けるような音がして、シャーリがみるみるうちに干からびていく。
一方魔力の戻ったシエラは、髪は明るい金髪になり肌の血色も良くなる。青い瞳は澄んだ湖のように輝き、赤く潤った唇はみずみずしい果実のようで、令息達は皆息を呑んでシエラに釘付けになっていた。
「誰か助けてよ!」
しゃがれた金切り声が広間に響き渡る。
老いた獣でも出さないだろう酷い声で訴えるのは、半分ミイラのようになったシャーリだ。
「ロルフ、お前の魔力をシャーリ嬢にそそげ!」
「で、でも……」
「早くしろ! 大切な恋人が死んでしまうぞ!」
近くに居た教師が急ぎ駆け寄り魔法陣を床に描いて、シャーリとロルフを押し込む。狭い魔法陣の中で二人が抱き合うと空気の抜ける音は収まったが、シャーリはまだミイラのような姿だ。
「この者は、魔力をどれだけ使ったのだ」
呆れたように問うフランツに、シエラは困り顔で答えた。
「シャーリは毎日のように何かしら使っていましたから、想像もできません」
学園内のみならず屋敷でもシエラに魔法を見せびらかしていた。おそらく夜会やお茶会でも披露していたと推測できる。
自身で調節できないほどの膨大な魔力をシエラから譲渡されたシャーリからすれば、無尽蔵に湧いてくる魔力は楽しいおもちゃという認識だっただろう。
魔力は使えば使うほどに強くなる。
制御できるのは本人だけで、譲渡された者が使用する場合は非常に細かな操作が求められる。
更に譲渡された側が同等かそれ以上の魔力を持っていなければ、返したときの反動が凄まじい。
魔力は生命力に直結するので、平民が魔力を返せば使った分の生命力が失われる。
魔力を持たない平民に譲渡する場合、本人同士の承諾以外に貴族の立会人を付けるのは、こうした事故を防ぐためのものなのだ。立会人のロルフは、本来ならばシャーリに厳しく魔力操作の指導をし、無闇に使わないよう見張る義務もある。
なのにロルフは無邪気に魔力で遊ぶシャーリを野放しにした。
「シャーリ嬢がこうなってしまった責任はお前にあるのだぞロルフ――」
ふと何かに気付いたように、フランツが声を張り上げた。
「グラッド公爵! あなた方夫妻にはシエラ嬢からの爵位簒奪の嫌疑がかかっている。他にもシエラ令嬢に関する虚言流布など、数え切れない罪状で訴えが出ている。証拠は揃っているが、申し開きをする場は与えよう」
フランツが扉の方に視線を向けると、シャーリの晴れ姿を祝おうと駆けつけた両親が青ざめた顔で右往左往していた。
「二人を捕らえ城の牢へ送れ」
すぐにフランツの側に控えていた騎士が飛び出し、騒ぎに乗じて逃げようとしていたグラッド公爵夫妻を捕縛し連行していった。
「グラッド公爵家は、王家と繋がりの深い由緒ある家だ。暫くは我が母の叔母上が女公爵として領地を預かる。異存はないな?」
集った貴族達が反対するはずもない。
「そしてシエラ・グラッド嬢。君には私の婚約者となってほしい」
「待ってくれよフランツ兄さん! シエラは俺の婚約者だぞ! 公爵家は俺が継ぐ」
「何言ってるのよ! わたしと結婚するんでしょう?」
「お前みたいな醜い女と結婚するわけないだろ!」
魔法陣から逃げようとするロルフに、シャーリが必死の形相でしがみついている。
「ロルフ、お前はパーティーを台無しにしてまで婚約破棄をしたのだ。責任を取りなさい。シャーリ嬢は可哀想だが、平民が魔力を譲渡されれば数年で衰弱死すると学んでいるはずだ。一日数時間、そうやってロルフから魔力を受け取るだけで普通に生活はできる。二人はこれから、城の離宮で静かに暮らすといい」
窘めるフランツの言葉が聞こえているのかいないのか、罵り合いを続ける二人を隠すように衝立が置かれ華やかな音楽が流れ始めた。
ちなみに衝立は王宮付の魔法使いが防音魔法を施した特別製で、二人の声は全く聞こえなくなる。
「さて不愉快な話は終わりだ。王に代わり、みなの門出を祝福する」
そうフランツが宣言し踵を返す。
その時、さりげなくシエラの手を握る。
シエラは素直にフランツのエスコートされその場を後にした。
***
学園内にある王族専用の談話室で、シエラはフランツとテーブルを挟んで向き合っていた。
「発端は君の母上が亡くなった時だ。グラッド公爵家は代々女性が公爵家を継ぐ。しかし婿養子として公爵家にはいった父君は、君に公爵家跡取りとして必要な事を一切行わなかった」
幼いシエラの代理として公爵家の差配をするのは認められていた。しかし先ほどフランツが話していたような跡取り教育を一切しなかったし、そんな慣習があることすらも教えてくれなかった。
いや、知らなかったと言った方が正しいだろう。
そして本来、後を継ぐはずだったシエラをロルフと婚約させたことで、跡取り教育は必要なくなった。
「とはいえ、シエラ嬢がシャーリ嬢に魔力を譲渡したことで跡取り教育は成立してしまったのだが。まあそれはさておき。君が早々に弟の婚約者として決まったから、私の婚約者候補からは外されしまって……正直悔やんだよ」
「何故です?」
「一目惚れをした相手が弟の婚約者と知ったら絶望するだろう」
真摯に告げるフランツに、こんなはっきりと愛情を伝えられたことのないシエラは淑女らしくなく耳まで真っ赤になってしまう。
会場での唐突なプロポーズといい、フランツは随分と情熱的な人柄のようだ。
けれど嫌な気持ちにならないのは、きっと自分も彼を好ましく感じているからだろう。
「私は騎士として身を守る術を覚えた後、ロルフの言ったとおり他国へ留学していた。帰国後は貴族や商人の家を護衛を生業として渡り歩いたよ。あれは城に籠もっていてはできない貴重な経験だった」
更にフランツは執事や庭師、時には露天商の仕事までしていたというのだから驚きだ。
「陛下がよくお許しになりましたね」
「父が最低十の職を経験するようにと命じたんだ。護衛が付いたのは八歳まで。その後は自力で生きろと。全く無茶を言う父だと思わないか?」
あははと笑うフランツに、シエラはぽかんとしてしまう。フランツはロルフと同じ金髪碧眼の美丈夫だが、豪胆な気質が見え隠れしている。
「国に戻ってからは、貴族達を観察し見定めるように言われていた。中でも弟の愚行は目に余るものがあった。愚弟に代わり謝罪する」
頭を下げたフランツにシエラは首を横に振る。
「フランツ殿下が私の境遇に情けをかけてくださったことは理解いたしました。ですが私と婚約など……公言してよろしかったのですか?」
「勿論だよ、シエラ嬢。君が魔力を譲渡した日から、ずっと気になっていた。留学してからも、どこに居ても君の姿と強い決意を持った眼差しが頭から離れなかった。酷い仕打ちを受けていると知りながら、これまで力になれなくてすまない」
「いいえ。フランツ殿下に見守って頂いていると気付いていたら、きっと私は貴方を頼ってしまったことでしょう」
魔力譲渡は自分で決めた事だ。
理不尽だけど耐えなくてはならないと、シエラはあの時覚悟していた。
もしもフランツが気にかけていると知ってしまったら、どうして自分ばかり苦しいのに助けてくれないのかと、捻くれた感情が生まれていただろう。
運命に対して、公爵令嬢らしく気高くいられたのは何があろうと一人で責任を負うと決めたからだ。
「君に相応しい強い心を持った王になると誓おう。だから改めて、君に愛を告げる」
碧の瞳がシエラただ一人を映す。この人ならば、信じても大丈夫だと心の中で何かが告げる。
「愛しているシエラ。どうか私の妻になってほしい」
(お母様、私……気高く、そして幸せになります)
病床でも気丈に振る舞った母を思い出しながら、シエラはフランツの言葉に頬を染めて頷いた。