第4幕 ヴァレッタに行きました
「ひいっ! ひいっ! ちょっと待ってくれ! 少し休ませてくれ!」
「もうすぐ着く。あとひと踏ん張りだ、頑張れ」
ヴァレッタを目指していた俺は、あまりの疲労に肩で息をしていた。
畜生、何でこんなに体力が少ないんだ!
俺の前世絶対ニートだっただろ!
「お前に魔力があれば、飛行魔法で飛んで行けたんだけどな」
俺のスタミナ切れにより何度か休憩を挟んだせいで、昼に出かけたはずなのにもうすぐ日が暮れそうだ。
もう少しでエルフに会えるという希望を活力に変え、俺は重い足を引きずった。
オベイの家から北東に十五キロほど。
この世界で最大規模の国土と人口を誇る大国、ヴァレッタ王国。
地球では空想上の存在だったエルフやドワーフ、獣人族なども多数居住しているらしい。
しばらく歩いていると、霧で霞む視界の奥に、うっすらと石壁が見えた。
「見えてきたな。あれがヴァレッタを囲む外壁だ」
「随分高いな。上の方が見えないぞ」
「鳥の魔物に入って来られないようにするためさ」
俺はヴァレッタに入るために検問の列に並ぼうとしたが、オベイに引き留められた。
ここで待っていろと言われたので大人しく待っていると、オベイが検問をしている衛兵の中で、一際装備が豪華で強そうな奴に話しかけているのが見えた。
遠くでよく見えないが、なにやら衛兵の方がペコペコしている気がする。
あ、こっち向いた。
その後も少し話をしていたようだが、暫くしてオベイが戻ってくる。
「よし、許可もらってきたから入ろうぜ」
兵士がやたら頭を下げていたし、顔パスで連れの俺ごと国の中に入れたし、こいつは一体何者なんだろうか。
なんて思いながらも、俺は期待に胸を躍らせ門をくぐった。
目の前に広がってきたのは、中世ヨーロッパのような古風な街並み。
明るい色のレンガの屋根が目を引く、石造りの建物がズラリと並んでいる。
「あらアンタ、見ない容姿だね。外の人かい?」
異世界の街の雰囲気を堪能していると、手押し車を押していた女性が話しかけてきた。
やはり黒髪黒目はこの世界では珍しいのか、一瞬でヴァレッタの人間ではないことがバレる。
「ヴァレッタ名物、ヴァレッタ饅頭。めちゃくちゃ美味しいよ、お一つどうだい?」
そう言いながら蒸し器のふたを開けた。
そこから美味しそうな饅頭の匂いが漂い、俺の食欲を刺激してくる。
そんな俺の様子を見ていたオベイが。
「二つもらおう」
そう言って小銭を取り出し女性に手渡す。
「毎度あり!」
「ほら、食ってみろ。美味いぞ」
俺は言われた通りに、手渡された饅頭を齧る。
肉汁が口いっぱいに広がり、中の具のいい匂いが鼻腔をくすぐる。
なんだこれ、超美味い!
表情が顔に出ていたのか、俺の顔を見たオベイがニヤニヤしながら。
「まだまだ美味い物はたくさんあるぞ。せっかくだ、色々見て回るか」
それから俺はオベイに連れられてヴァレッタを観光した。
飲食店や魔道具店、ちょっぴり大人な店など。
五時間ほど観光したが、初めて来た俺よりも、オベイのテンションの方が終始高かった。
こいつ、この国の事、好き過ぎないか?
「そろそろ泊まる宿を探すか」
「そうだな」
色々見て回ったはずなのに、最後に入ったエルフのお店のことで頭がいっぱいだ。
今なら死んでも悔いはない。
そういえば俺のエルフに会うという目的は果たしたが、オベイの方はどうなったのだろう。
「オベイはもう用事は済ませたのか?」
「いや、まだだ。明日にでも済ませてくるさ」
そという事は、明日には帰ることになりそうだな……残念だ。
……それにしてもこの国、治安がいいな。
「なあ、本当にこの世界って魔族に追い詰められているのか?」
「何だ急に。今の情勢を一言で表すなら、かなり劣勢だな」
「この国を見ていると、危機感とか一切感じられないんだが」
危機感どころか、安心感と居心地の良さで溢れている。
平和の具現化だと言っても過言じゃない。
「この国の王が優秀だからな。実際この国は十数年前のあの事件以来、一度も侵攻を許してない。それどころか兵力も財力も増加の一途を辿っている。内政だけじゃないぞ。外交も、ガーナピット以外とは上手くいっているようだ」
誇らしそうに語るオベイ。
オベイが今までで一番生き生きしている気がする。
早口で喋るし、なんかオタクみたいだ。
「今は厳しい状況だが、この調子で行けば人間側が優勢になる日も来るかもな。また人間同士で潰し合う様な馬鹿な事が無ければだが」
待てよ?
人類が滅亡したらあのエルフのお店も無くなってしまうということだ。
それは神が許しても俺が許さん。
「……人類は俺が守る」
「ん? どうしたんだ急に。お前はまず自分の身を守れる様にしないとな」
……言ってみたかっただけです。
イメージするのは得意なんだけどなぁ。
前世では厨二病を拗らせて日々妄想を巡らせていたに違いない。
「……術式解析、頑張るかあ」
「そうだな」
◆
「疲れたぁぁ!」
部屋に入るなり、ふかふかそうなベットが視界に入った俺は、思わずそこにダイブした。
柔らかく心地のいい弾力が俺の全身を包み込む。
部屋の中の装飾も豪華だし、結構高級な宿だと推測できる。
「明日はどうする? まだ行ってみたい場所とかあるか?」
「んー、ケモミ……獣人の少女達がおもてなししてくれて、膝枕とか添い寝してくれる店に行きたい」
「何だその存在そのものがアウトな店は。あるわけないだろ」
「じゃあもう一度エルフがたくさんいた店に行きたい」
細身で色白、先端の尖った長く美しい耳、気高く凛とした立ち振る舞い。
まさに美しさの権化。
普通の人間には出せない独特な魅力に、俺の心はあっという間に虜になってしまった。
「そんなにハマるとはな。あそこの姉ちゃん達、損得勘定を常に考えながら行動している感じがして、俺は少し落ち着かなかったぞ」
「そりゃあ客商売なんだから人の顔色も伺うし、足元も見るだろうさ」
相手が打算的な女達だと分かっていても通ってしまう。
圧倒的な魅力には勝てない。
男なんて所詮そんなもんだ!
「お前、やっぱり少し変わってるな。ロリコンだし」
「ちょっと待て。俺はロリコンじゃないしまともだ」
俺は断じてロリコンではない。
少女を可愛いと思うはことあるが性的対象として見てはいないからな。
ケモミミに関しては皆好きだろ。
嫌いな奴がいるなら見て見たいくらいだ。
「まともな奴は虚無的な笑みを浮かべながらやばい二択の花占いなんかやらないぞ」
「あれは精神が参っていたんだから仕方ないだろ! というかお前だって熟女趣味じゃねえか!」
「別に熟女趣味というわけではない! あいつが魅力的な女性すぎるだけだ!」
「合ってるじゃん」
熟女を見て魅力的に思ったということは、熟女趣味だって自白している様なものじゃないか。
「ふん、お前も当人に会えば良さが分かるだろうさ」
釈然としない表情を浮かべながら、オベイは仰向けにベットに倒れ込んだ。
「まあお前は恋愛に縁が無さそうだしな」
さりげなく言い放ったオベイの一言に、俺は少しイラっとする。
「よーしお前、なにを根拠にそう思ったのか教えてもらおうか」
「店に入ってからしばらく挙動不審だった上、話しかけられるたび視線を反らしていた。お前が女に耐性が無いことなんて、ひと目見れば誰でも分かる」
「……今度から気をつけます」
あのエルフ達やその場にいた他の客は、今日の俺の姿を見て裏で笑っていたのだろうか。
想像したら恥ずかしさが込み上げてきた。
「まあ俺らくらいの歳ならそれくらいの反応が普通さ」
「お前は歳の割に達観しすぎだろ」
まあオベイはイケメンだし、そこらへん経験豊富なんだろう。
店でもオベイの周りの方が女の人が多かった気がする。
なんだか悔しくなってきた。
「何だ、俺の顔をジロジロ見て」
「なんか残念な奴だなって思って」
「誰の顔が残念だ」
いや、せっかく顔が良いのに熟女趣味な所とかが。
「まあとりあえず寝るか! 明日もヴァレッタを満喫するためによく寝ておかないとな」
「ちょっと待て! さっきおかしな奴扱いをされたことを根に持っているのか? それは悪かったが、流石に容姿の否定は傷つくというか……」
「ちげーよ! お前の容姿を否定できる権利、俺にはねえよ! それに俺はおかしい奴じゃ無いし根にも持ってない!」
ならどうして急に? と呟きながら首を傾げるオベイ。
自信家のくせに、意外な所で豆腐メンタルらしい。
やっぱりこいつ、少し変わってるな。
そう思いながら俺は布団に潜り、重い瞼を閉じた。
◆
次の日の朝、俺が起きた時にはオベイは既に出かけていた。
机の上に書き置きが残っていたので読んでみると、用事とやらを済ませに行ったらしい。
それほど時間がかかる事でも無いらしいので、チェックアウトまでの時間にも余裕がある。
俺はここでのんびり待つ事にした。
そういえば俺も異世界に来てから結構経った。
以前は少量の水を出しただけで魔力欠乏症になったが、今なら少しは成長しているかもしれない。
術式もたくさん解析したしな、構築に関しては全く理解できていないが。
確か水の術式は……手のひらから出す……勢いはいらない……。
これでどうだ!
……すると、手のひらから異臭を放つ高温の粘弾性物質がドロリと出てきた。
「何だこれ! 熱いしネバネバするし変な匂いするし、なんか目眩もしてきた……」
水ですらない何かを少量出しただけで魔力が尽きた。
大失敗だ。
全く同じ二つの魔法でも、術式にすると全く同じなんて事は滅多に無い。
おそらくだが、その場の風速や明るさ、湿度や大気中の各物質の含有率など、些細な違いで術式の構造は大きく変わる。
人間の五感では認知できない何かも関係しているかもしれない。
それらを完璧に把握して、完璧な術式を組み立てれば消費魔力無しで魔法が使えるのかもしれないが、正直無理ゲーだ。
スピリチュアル的な概念……第六感や第八感とかでも習得しろってか。
だが、完璧とは言わずとも、今の俺の魔力量でもそこそこの魔法が打てるくらいにはなりたい。
オベイは多少理解できているらしいし、俺ももっと研鑽を積んでいけば出来るようになるはずだ……多分。
「……やばい、掃除しなくちゃいけないのに動けねえ……」
机の上と床がびしょ濡れだ。
拭こうにも、魔力が枯渇した影響で強い倦怠感が身体中を襲い、動けない。
少し休んでからにしよう。
と思っていると、ガチャリとドアが開けられた音がした。
「お、もう起きてたのかコリン……何だこの匂いは?!」
異臭がする机の上を見た後、疲弊しきった状態でベットに寝っ転がる俺も見るオベイ。
そして何を思ったのかそっとドアを閉めようと……。
「おいちょっと待て、なんだそのぎこちない反応は。何か勘違いしてないか?!」
「いや、まあ確かにな。俺の配慮が足りなかった、また三十分ほど出掛けてくるから……」
「妙な気遣いしてんじゃねえよ! 何勘違いしてんだよ! これは魔法を使ったら出てきただけだ!」
「分かっている、とりあえず出掛けてくる」
「ちょっと待て、何も分かってない! よく見ろ! お前の思っているようなものじゃない!」
頑なに出掛けようとするオベイに対し、上手く動けない俺は必死に声を上げ弁明する。
「いや、異世界人だから体内で生成される体液が、この世界の人間とは違う可能性も……」
「こんな高温で異臭のする透明でネバネバな体液分泌しねえよ! エイリアンじゃあるまいし!」
「……俺から見たらお前はエイリアンだろ」
「……確かに」
その後も必死に弁明し、俺はなんとかオベイの誤解を解いた。
◆
「結局この液体は何だ? どう術式を組み立てたらこんな得体の知れないものが出てくるんだ」
「変なにおいもするし……。毒とかじゃないよなこれ」
恐る恐る触ってみると、熱した冷えピタの表面のような感覚が指先から伝わってくる。
本当になんだこれ。
「……おいおい。もしかしてこれ、焼けたスライムじゃないか?」
オベイが間違いないといった感じで頷く。
「は? スライム? あのベタベタするおもちゃか?」
「地球のスライムはおもちゃなのか……。違う。この世界のスライムは、透明でひたすら草を食って分裂している半液体状の魔物だ」
ああ、モンスターの方か。
だがなんで俺の手から焼けたスライムが?
「多分スライムの召喚魔法と炎魔法を同時に発動したとかだな。お前の魔力量じゃ完全に発動しきれず、スライムの一部が過熱されて出てきたんだろう」
「何それ気持ち悪い」
何で水魔法が炎魔法と召喚魔法になるんだ。
訳が分からないよ。
そのうちダークマターとか生み出さないか不安になってきた。
「オベイはどれくらい術式を使いこなせるんだ? 俺が来る前から一人で解析してたんだろ?」
「単純な水魔法程度なら本来の十分の一くらいの魔力量で出せるな。もちろん失敗してスライムが出てきたりはしないぞ」
ニヤニヤしながらさりげなく煽ってくるオベイ。
こいつ、スライム風呂に沈めてやろうか。
「まあこればっかりはトライアンドエラーの繰り返しだ。でもお前、魔力が少ないからすぐバテるしなあ……」
「そんな憐れんだ目で俺を見るなよ……」
チート能力が貰えてればなあ……。
チート無双をする自分を妄想しながら、俺はテーブルの上や床に散らばったスライムの焼死体を片付ける。
「でもそれだけ魔力が少なければ暴発しても大した事にはならないし、ある意味安心して何度も挑戦できるぞ」
「オベイは暴発した事あるのか?」
「……あれは後処理が大変だった」
嫌な過去の記憶を思い出したのか、頬をひくつかせながらスライムを片付けるオベイ。
一体何があったんだ……。
「せっかくだし、魔力が溜まる度におみくじ感覚で魔法を発動してみたらどうだ?」
「確かに、ソシャゲのガチャみたいで少しワクワクするな」
ソシャゲとは何だ? と首を傾げるオベイを他所に、俺はもう一度水魔法を出そうと術式を思い浮かべる。
「これでどうだ!」
「ゲコッ!」
元気な鳴き声が部屋の中に響き渡る。
緑色でツヤツヤした体躯。
俺の目の前には、よく跳ねる元気なカエルがいた。
「いや……うん……そういう時も…… グフッ」
体を震わせ、なんとか笑いを堪えようとするオベイ。
「何で水魔法を使おうとしたら何か召喚するんだ俺は……」
焼き焦げたカエルが出てこなくて良かったと思いながら、ひとまずこのカエルをどうしようかと悩んでいると。
「召喚魔法は本来イメージが難しい上、色々と手順が複雑な高等魔法だ。それをカエルやスライムとはいえ、召喚できるのはすごい事だぞ」
「召喚魔法使い……良いかもしれない」
「まあお前の今の魔力量じゃ、術式を経由しないとカエルすらも召喚できないけどな」
「ですよねー……」
などと話していると、突然、カエルは高く飛び、換気のために開けていた窓から外に出ていってしまった。
「お前なら五分ほどで魔力は全快するだろうし、こまめにやってればいつしか感覚も掴めるだろう。今度は何が出るか当ててみるか」
「お前めっちゃ楽しんでるだろ」
「だって面白いじゃないか」
と言いながらオベイが何かの魔法を発動させる。
「ゲコッ」
いつの間にか、オベイの手のひらにはさっき飛んでいったカエルが。
「お前もいつかこれくらいできるようになるさ」
「精進します……」