第2章 一人の青年と出会いました
意識を失ってからどれほどの時間がたっただろうか
垂直落下する感覚が全身を襲い、俺はハッと目を開けた。
遠くに森林地帯が見える。
どうやら俺は地上からはるか上空に転移したらしい。
緑色だらけの視界に、異様に目立つ茶色い何かが見えた……、今はそんなことどうでもいい。
高速で落下している影響で、ものすごい勢いで風が顔に当たり、目を開け続けるのも困難な状況だ。
このまま地面に衝突すれば、速攻であの忌々《いまいま》しい女神のもとに送られてしまうだろう。
とりあえず冷静に助かる方法を模索しよう。
何か方法は……持ち物……無し! 辺りに衝撃を緩和してくれそうな場所は……無さそうだ。
うん、詰んでるな。
あぁ、俺は開始数秒で死ぬのか。
とりあえずあの女神は絶対殴ろう。
地面がどんどん近づいてくる。
俺は覚悟を決めて衝突の瞬間に備えた。
……?
だが衝撃が来ることはなく、地面すれすれのところで全身が浮遊感に包まれた。
落下速度が殺され、緩やかに地面へと着地する。
それと同時に、脳内にイシスの声が頭に直接響いてきた。
(ごめんね! 私が干渉できるのはここまでだからあとは頑張って! 私もゼウス様も期待してるからね!)
そのままぷつんと声が途切れた。
なんて無責任な。
やれやれとため息をつきながら周りを見渡すと、辺り一帯は高い木々に覆われている。
何か持っていないか再度体中をまさぐってみたが、やはり何もなかった。
「いきなり詰んでるじゃないですかやだー!」
某有名RPGでも最初にひのきの棒と50Gくらいはくれるぞ。
あのポンコツ女神め。
まあとりあえず文句ばっかり言っていても仕方がない。
多少なりとも足掻かなくては。
魔法、魔物が存在する異世界。
……………。
魔法、使ってみるか。
イメージすれば意外と簡単にできるかも……。
掌から水が出てくるイメージをする。
すると、掌からチョロチョロと水が出てきた。
こんなに簡単に出てくるのか! 詠唱や贄とかが必要ならどうしようかと思っていたが、これなら意外と何とかなるかも……。
あれ?
コップ一杯ほどの水を出したところで、体中が唐突に物凄い倦怠感に襲われる。
風呂後の立ち眩みのような、視界が真っ白になる感覚。
魔法を使ったことへの副作用だろうか、これ以上使うとどうなる分からない。
命にかかわる可能性もある。
原因が分かるまで、魔法の使用は控えておこう。
「頼みの綱である魔法も使えないときた。本当にどうしろっていうんだ……」
俺は落ち着いて今までの記憶を遡る。
そうだ、高い所から落ちてきたのだ。
あの時見た光景。
一面の森林地帯、そして太陽の黒点のように妙に目立つ茶色い何かが……。
自分が落ちてきたときに向いてきた方向もはっきりと覚えている。
茶色い何かの方角も大体分かる。
かなりの高所から見て森林地帯しか見えなかったのだ。
当てずっぽうな方向へ歩いても、この森を抜けるのは困難だろう。
地面までの落下時間から転移した高さを算出、そこから目視した映像の記憶を頼りに目的地までの大体の距離を演算する。
「頼むから何かあってくれよ……」
◆
半日ほど歩いただろうか。
前世の俺はインドア派の人間だったらしい、体力の無さに自分自身で驚いた。
数回の休憩を挟み、ようやく目的地付近に来たと思われるのだが、見渡した感じ木しかない。
自分の目測が合っていなかったか、見た茶色の部分は人工物ではなくただの枯れ木の集合体だったとか。
もしかしたら、自分の知らない異世界の物質や、大きな魔物だったかもしれない。
まあ何はともあれ、もう体力も限界だ。
日も暮れかけている。
ゼウスからの褒美を貰うことは諦めて、なんとかあの役立たず女神を一発殴る方法でも考えようかな。
などと考えながら魔物に食われるか餓死するかを花占いで占っていると、後ろから声をかけられた。
「お前、何者だ。何している、こんな所で」
「へっ?」
声をかけられるとは思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。
急いで振り向くと、そこには精悍な顔つきをしている、銀髪碧眼の男が立っていた。
……。
「人だああああ!」
「うおっ?! なんだお前、人を見るのが初めてみたいな顔して」
人間を見つけた安堵感と嬉しさで俺は思わずその男の下半身に飛びつく。
半泣きで縋りついてきた俺に、青年は吃驚して後ずさりする。
まずい、変に警戒されて逃げられても困る。
俺はゆっくりと深呼吸して、興奮した感情を落ち着かせる。
まずは何故ここにいるかを説明しないとな。
「実は記憶を失って気づいたらここにいたんだ。いや! 本当だから! 怪しいものじゃないから! いや、そっちから見たら怪しい奴なんだろうけど無害だから! 身体検査でも何でもしていいから助けてくれ!」
駄目だこれ完全に怪しい奴の言動だ。
どんどん警戒の視線を強める青年に対し、俺は尚も焦りながら身の潔白を主張する。
そんな必死な俺の訴えが通じたのか。
「……まあとりあえず家に来い。もうすぐ夜行性の魔物が活発化するぞ」
どうやら青年は多少心を開いてくれたようだ。
青年が指をパチンと鳴らすと、目の前の景色がぐにゃりと曲がる。
そして目の前に立派な木造の一軒家が現れた。
非科学的な現象、まぎれもなく魔法だろう。
「すげえ……」
「ただの認識阻害魔法だぞ、そう珍しくもないだろう」
「あ、ああ……そうだな。そういえばなんて呼べばいい?」
「……オベイだ。お前は?」
「コリン・オビナタだ。よろしくな」
「自分の名前は覚えているんだな、お前」
フッと笑うオベイ。
カマをかけられたらしい、まずい、弁解をしなくては。
「あ、いやそれはだな……」
「表情を見れば分かる。嘘と本当を織り交ぜているな。飯を食ったら本当のことを吐いてもらうぞ」
年齢は俺と同じくらいなはずなのに、人を見る目に長けているようだ。
流石、魔物が跋扈する世界で生きてきただけある。
平和ボケした日本人と違って五感が鋭いのかもしれない。
◆
「ごちそうさまでした。めっちゃ美味かったよ」
最初は得体の知れない化け物の頭の丸焼きが出てきてビビったが、一口食べてみると思いのほか美味しく、あっという間に平らげてしまった。
「さて、飯も食い終わったし、お前のことについて話してもらおうか」
口をナプキンで拭きながら、オベイが俺に問いかける。
気のせいか、オベイの目がキラキラしているように見える。
表情も好奇心旺盛な子供の様で……。
「信じてもらえるかわからないんだが……」
「ああ、包み隠さず話してくれ、どんな非現実的なことでも信じよう」
「……実は私、女なの」
「……嘘はついたら分かると言っただろう」
どんな非現実的なことでも信じるって言っていたじゃないか。
「じゃあ本当のことを言うから聞いてくれ」
俺は今まであった話を包み隠さずオベイに話す。
その最中、オベイは終始目を輝かせていた。
何でこんなに興奮しているんだこいつ。
やがて一通り聞き終わったオベイは、恍惚な表情で呟いた。
「やっぱり神はいたんだな」
なるほど、そういうことか。
魔法が存在する世界だ。
神に対する信仰心は地球の比にならないのだろう。
「これで俺の仮説が……」
何やらぶつぶつとつぶやいているオベイ。
何を言っているのかよく聞こえないが、表情が真剣で聞く気にはなれなかった。
オベイはその後、独り言をやめて笑顔で奥の部屋へ入ったかと思えば、大きな酒瓶を二つ持ってきた。
「今日はいい日だ。おいコリン、酒は飲めるか?」
「飲んだことないな」
「なんだ、お前のいた世界に酒はなかったのか?」
「あるが、二十歳を超えていないと飲んではいけないって法律があったからな。ぶっちゃけ超飲んでみたい」
「よし、じゃあ今日は飲み明かすぞ! 早々に潰れてくれるなよ?」
そして俺達は、酒を浴びるように飲みながら話しあった。
酒を飲みながら、俺は家の中を見渡してふと浮かんだ疑問を口に出す。
「なあなあ、この家の壁に飾っている写真って全部同じ人だよな? 誰なんだ?」
「ああ、これはここから北東にある世界有数の大国、ヴァレッタ王国の王太后だ」
「なんでそんなもの飾っているんだ? もしかして熟女趣味か?」
「いい女は歳取っていてもいい女なんだよ!」
おっと本当にオベイの好みの人だったらしい。
まあ趣味嗜好は人それぞれだしな、うん。
軽く引いた様子の俺を見て、オベイが口を尖らせる。
「そういうお前はどうなんだ。好みの女のタイプの一つや二つくらいあるだろう」
「俺を兄と慕ってくれる義理の妹」
「……何を言っているんだお前」
「あとせっかく異世界に来たんだから、エルフのお姉さんかケモミミ少女に膝枕してもらいたい」
「お前、酔っぱらいすぎて変なこと言い始めているぞ、少し酒を控えめに……。なんだお前のその澄んだ目は」
断じて酔っぱらっておかしくなってなどいない。
どれも全人類の夢だろう。
むしろ興味がいない人間がいるのなら連れてきてみろ。
「ま、まあ分かった。……ケモミミとはなんだ?」
頭を抑えながら何やらボソボソつぶやくオベイ。
酒の飲みすぎで頭が痛くなったのだろうか。
「そういえばお前のいた世界には魔法が無かったらしいが、どうやって危険から身を守っていたんだ?」
「魔法がない代わりに科学っていう分野が発展していてな。文明レベルだけなら、この家を見た感じあっちの方が進んでいるな」
「カガクか。魔力に頼らずに生きる人々の知恵、興味があるな」
「まあ今度気が向いたら教えてやるよ」
その後も俺達は、酔い潰れるまで他愛のない話で盛り上がっていた。
ちなみに俺が上空からこの家を目視できた理由だが、家の上空には認識阻害魔法を張っていなかったため、上からは見えたということらしい。
おかげで助かった。