第1幕 仕方がないので転生します
目が覚めると、そこは地球上とは思えない、吸い込まれそうなほど幻想的な場所だった。
足元は歩くたびに波紋が広がり、空は望遠鏡で宇宙を見た時のような、神秘的な景色が遥か彼方まで続いている。
俺はこのような状況を知っている。
「これは夢だな」
化け物に遭遇したり、気が付いたら知らない場所にいたり。
そういう非現実なことが起きた時は大抵夢だ。
俺は久しぶりの明晰夢状態に少しワクワクしていた。
明晰夢を見ている人間は、夢の内容を自分の思い通りに変化させることができる。
空を飛びたいと思えば飛べるし、ビームだって出せる。
さて、今回は何をしようかな、まずは無難に空でも飛ぶか。
「ふん! ふん! あれ? こんな感じで毎回飛んでいるんだけどな」
つま先立ちで胸を張りながら、空に向かって何度も跳ねる。
いつもなら地面を蹴り上げた瞬間に飛べるのだが……。
こんなダサい状況、誰かに見られたら死ねるな、ハハハ。
「何やっているのですか」
突然、後ろから脳に直接響くような、どこか冷たく透き通った声が聞こえ、俺の全身が凍り付く。
首をギギギと鳴らしながら恐る恐る振り返ると、派手な服を纏い、人間離れした美貌を持った少女が、少し引いたような目線をこちらに向けていた。
「……」
「すみません死んできます、忘れてください」
「いや、あなたもう死んでいますから」
訳が分からないことを言いながら少女が指をパチンと鳴らすと、その場に突然椅子が現れる。
?!
待て、落ち着くんだ俺。
そもそもここは夢の中、何もない空間に椅子が突然現れた時点でそれは確定だ。
俺はほっと胸を撫でおろすと、椅子に座った少女をまじまじと眺める。
めちゃくちゃ可愛いが幼すぎる、恋愛対象として見るのは少し難しいな。
「じゃとりあえず、今から君は俺の妹ってことで」
「何を馬鹿なこと言っているのですか……。あなたの分の椅子もあります、とりあえず座ってください」
「あ、はい」
うーん、全然自分の思い通りにならないぞ? 何かがおかしい。
もしかして夢じゃない?
そんな恐ろしい思考が頭をよぎる。
テレビのドッキリの可能性もある。
その場合、俺の先ほどの醜態が全世界に配信されてしまうということになるのだが……。
よし、現実なら永遠に覚めない夢の中に行くことにしよう。
そう深く覚悟をした俺に対して、少女は呆れた様子で。
「何勝手に悟ったような顔をしているのですか。とりあえず、あなたが何故ここにいるかの説明をします。落ち着いて聞いてください」
「あ、はい」
冷たい視線を浴びせられて少し怯んだ俺は、大人しく椅子に座る。
「まず、先ほどもお伝えした通り、あなたはもう死んでいます。ここは俗にいう死後の世界です」
「聞き間違えじゃなかったのか」
テレビ番組のドッキリでは無かったのなら良かったような、何も良くないような…… 。
とりあえず俺が今やるべきことは一つだ。
「あの……」
「なんでしょうか」
「先程は……お見苦しい所をお見せしました」
俺は羞恥心に身を震わせながら謝罪する。
「大丈夫ですよ、ここに来る人は大抵頭がおかしい人ですので、慣れています」
にっこりと微笑みながら軽く罵倒してくる少女に、俺の心は抉られる。
言い方的に、死んだ人間全員がここに送られてくるわけではないようだ。
……もしかして頭のおかしい人限定とかじゃないよな?
「あの、ここに飛ばされてくる条件って何なんですか?」
「まあ色々です、詳しいことは説明しかねますが」
「じゃあ自分は何が原因で死んだんですかね。さっきから生前の記憶が全くないのですが」
生前の自分に関する記憶がほとんど思い出せない。
記憶喪失なのか、それとも死後は皆そうなるものなのか。
自分の生前の名前、家族構成、学歴など、さっぱり思い出せない。
死んだという現実を突きつけられても、平然といられるのはそのおかげだろう。
「それについても黙秘させていただきます」
「そうですか……」
どうやら訳アリらしい、生前に何かやらかしたとかじゃないだろうな?
俺は少し不安になる。
そんな俺を見ていた目の前の少女は。
「ところであなた、魔法が使える世界に興味はありませんか?」
日本男児なら皆興味がありそうな、魅力的な質問をしてきた。
◆
「行きます。ぜひ行かせてください」
少女の話を一通り聞いた俺は、食い気味にそう答えていた。
聞いた話によると、その世界は魔法や魔物が存在する世界。
その世界では今、人間が魔物に対し劣勢な状況で、このままでは人間が絶滅するのも時間の問題だとか。
そのため、人間が増えすぎた世界から魔物と戦ってくれそうな魂をいくらか移動させているらしい。
ちなみにエルフや獣人、ドワーフなどもいるとか。
そんなの、異世界や魔法に憧れがある者が断るはずがない。
「では、これから異世界に転送させていただきますね。帯向虎鈴さん、願わくばあなたが人類を救ってくれることを願って……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
俺は咄嗟に転送の儀式をしていた少女を止める。
ここに来てやっと自分の名前を知れたとかは置いておいて、異世界転生といえば欠かせないメインイベントがあるじゃないか!
王道にして全人類の憧れ。
知らない地で、無双をする自分の姿を妄想をしたり、そういった物語の主人公と自分を重ねて楽しんだり。
歳を重ね、現実を見始めても、その憧れは止まらない。
「こういう時って神様からチート能力をもらえたりするんじゃないかなって」
「……いえ、そんなものありませんけど」
冷たく振り下ろされた一言に、俺の全細胞が固まった。
俺の今まで思い描いていたハーレム酒池肉林計画が粉々に崩れ去った瞬間である。
「それ、あなたの世界で作られたただのフィクションですよ?」
「ちょっと待ってください、平和ボケしている日本人が、魔物や魔法が存在する世界に急に放り出されて、まともに生きていけると思いますか?」
「まあ大変だとは思いますが……頑張ってください」
無責任なことを言う目の前の少女に、俺は少しイラっとする。
「はあ、じゃあやっぱり異世界に行くのは辞めときます」
「え?!」
俺が断るのを予期していなかったのか、少女が何やらものすごく慌てている様が知ったこっちゃない。
それにしても、神様ってもっと尊くて頼りになる存在かと思っていたけど、異世界に行く人間に対してサポートの一つもしてくれないし。
「思ったより大したことないんだな、神様って。見た目もコスプレロリっ子だし」
「な、なんてこと言うのですか! というか見た目は関係ないでしょ!」
おっと、心の声が漏れていたらしい。
ここまできたら神様なんて知ったことか、とことん言ってやる。
「だってそうじゃないですか。平和ボケしている日本人を何のサポートも無しで魔法のある世界に送って魔物と戦ってこいとか。逆に魔物の経験値になるだけでしょ、無残に殺されて来いって言っているようなものじゃないですか。今時どんなやばいブラック企業でもそんな酷いこと言いませんよ」
「サポートならしていますよ! 魔法が使える様に体を改造してあげたり、その世界で使われている言語を習得させた状態で飛ばしてあげています! 魔法が使える世界なんですから、多少のリスクくらいは飲んでくれてもいいじゃないですか!」
少し泣きそうになりながらも、必死に説得しようとするロリっ子。
何でこの子はこんなに必死に俺を異世界に送りたがっているのだろう。
だがこれは好都合、もっとごねれば特殊能力の一つくらい貰えるかもしれない。
俺は立て続けに捲し立てる。
「それだけじゃ割に合わないですよ。どうせ異世界に行っても怯えながら日々を過ごし、最終的には想像もつかないような悲惨な死に方をするかもしれない。こんなので行きたくなる人がいると思いますか?」
「以前対応した日本人の方はめちゃくちゃ行きたがってましたね……。何故なのでしょうか?」
少女が不思議そうに首をかしげる。
……まあ異世界には、魔法、エルフ、獣人など、空想上の存在で溢れている。
多少のリスクがあろうと行きたくなるのも無理はないだろうな。
「ずいぶん長引いとるのうイシス」
突然、背後から野太い声がする。
誰だ? と思いながら俺が振り向くと。
そこには、背丈が三メートルはある、筋肉粒々な体躯をした大男がいた。
少女のことをイシスと呼んだその男は、無精髭を撫で、イシスの方へゆっくりと歩きながら。
「イシスが提示した話に、何か不満や疑問でもあったかね、人間」
すこししわがれた、だが貫禄のある声で問いかけてきた。
その瞬間、全身が粟立ち、身の毛がよだつ。
呼吸をすることさえ憚られる。
見た目ではない、得体の知れない重圧が体を、心を、全てを縛り付けていく。
「あの、ゼウス様。彼が怯えているので少し力を抑えてください」
「おお、すまん。少し威圧しすぎたかな?」
ゼウスがニコリと笑うと、体を縛り付けていた感覚が消えた。
俺は落ち着いて深呼吸をし、脂汗をぬぐう。
確か、ゼウスって全知全能の最高神だよな?
人間が歯向かっていい存在ではないと本能が告げている。
これ以上わがままを言うのはやめておこう。
「どうやらこの人、異世界に行く前に何かしらの特殊能力が欲しいらしくて……」
「なんの策もなしに異世界に行くのが怖いか、人間」
ゼウスの鋭い眼光に睨まれ、俺は委縮しながらも答える。
「いえ、頑張ろうと思います……」
「ゼウス様、実は……」
イシスが俺に聞こえないようにゼウスに耳打ちをする。
そういえばイシスってエジプト神話に出てくる女神だよな、などと考えていると。
イシスの話を聞いていたゼウスの表情がどんどん険しくなっていく。
え、なに? めちゃくちゃ怖いんですけど。
俺はこっそりと近づき聞き耳を立てる。
すると、微かにヒソヒソ声が聞こえてきた。
「なるほど……。では奴がアポロンの占いの……」
「人は見かけによらないですよね」
アポロンの占いというのが何かはよく分からないが、とりあえずイシスに馬鹿にされた気がする。
「退廃的な生活送ってそうな見た目なのに『カミナリ』の対象になるなんて。人間ってやっぱりよく分からないですね」
雷の対象? どういうことだ? というか……。
「俺、そんなにだらしなさそうな見た目してますか?」
俺の声に、咄嗟に反応するイシスとゼウス。
おっと、心の声がうっかり出てしまった。
「盗み聞きしないでください! その、まあ……全く覇気のない目をしてるなあって思っただけで、その、良さそうな所もたくさんあるといいますか……」
後ろめたそうに俺から眼を反らし、必死に自分の発言の弁解を試みるイシス。
「いいよ! 無理に答えてくれなくても! そんな苦し紛れの回答とか求めてないから! 俺が余計に悲しくなるだけだから!」
ちくしょうコイツ、いくら自分の容姿が優れているからって好き勝手言いやがって。
絶対いつか一泡吹かせてやる! 機会があればだけど。
「そんなことより、どうしてそんなに俺を異世界に行かせようとしているんですか? 雷の対象とか言ってましたけど、俺は雷に打たれて死んだんですか?」
「え、いや、あの、それは…… 」
「昔、君の住んでいた国で、雷は『神鳴り』と言われていたことを知っているかね?」
俺の質問にうまく答えられずあたふたしていたイシスの代わりに、ゼウスが口を開いた。
「まあ耳にしたことくらいはありますが……」
だが雷とは大気中の氷の粒などがこすれあった静電気が放電されたものだと現代では証明されている。
その話は自然災害の原因が分からなかった昔の人が適当に作った言い伝えだ。
そんな俺の思考を読み当てるように、ゼウスは言葉を続ける。
「言い伝え、噂。それは時に、起こった事象に尾びれが付いて後世に伝わるものだ。神界規定というものがあってのう、これ以上君の死に関しての情報を伝えることはできない。そして君を何としても転生させようとしている理由だが、それも神界規定で、詳しい理由を言うことはできない。だが」
ゼウスは無精髭で完全に隠れていた歯がくっきり出るほどにやりと笑うと。
「ワシは、君が異世界でどのように生きていくのかを見てみたい。君がもし私を少しでも満足させてくれたのなら、次に君が死んで天界に召された時、ここに君を呼んで、本来人間ではどう足掻あがいても得ることのできない褒美を与えることを約束しよう」
……。
正直まだまだ色々聞きたいことはあるが、これ以上何を質問してもはぐらかされて終わるだろう。
ゼウスの言う褒美というのも魅力的だし、これ以上を望むのは難しいだろう。
ここら辺が潮時だな。
チート能力はないが、十分だ。
「仕方がない、転生するとしますか!」
「じゃあ今から異世界に送りますね」
屈託のない笑顔で俺を送り出してくれる女神。
それだけ見ると完璧なシチュエーションなのだが。
やっとうるさい奴がいなくなる! って顔に書いていますよイシスさん。
足元に魔法陣が浮かび上がり、やがて俺の視界が真っ白に染まっていく。
「それでは帯向虎鈴さん。願わくばあなたが異世界で第二の人生を謳歌できること、心から祈っています」
セリフがえらく棒読みなことは気にしないでおこう。
俺はこの時は思いもしていなかった。
まさかあんなことになるなんて……。
意識が遠のいていく中、イシスが何かつぶやく。
「あ、転移座標設定するの忘れてた…… 」
「は? いやちょっと待ってそれってやば……」
くないか? と口にする前に、俺の視界は真っ白になり、意識は深く落ちていった。