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 信州岩須藩の勘定組頭・多田省吾が鳴潮の左兵衛と手を組み、異国との密貿易で私腹を肥やしていた事実の発覚は、それからおよそ半年後の出来事である。


 岩須藩士を動員、野槌の亥吉なる博徒の足取りを追った騒動が幕府吟味役の疑心を招いた。


 即ち、悪事の露呈を恐れて慎重を期した多田の計略が、皮肉にも却って彼の墓穴を掘る結果となったのである。






 評定所の取調べ当初、多田は理路整然と己の潔白を主張した。


 藩の馬を持ち逃げされ、総力を挙げて盗人を捜索するに至ったが、全ては御定法に沿うやむなき仕儀、と。


 馬が異国産である事のみ伏せた言い分は、一見理に叶っていたものの、疑惑の全てを拭えはしない。


 例えば、亥吉と馬の亡骸が渓流沿いの山小屋で見つかった際の、不適切な処置だ。


 多田は小屋ごと焼却せよと部下に命じ、麓を通行中の旅人が多量の黒煙を山火事と見間違えて、大騒ぎになったのだが、


「お主、何故、馬を焼いた」


 そう尋ねられ、多田の流暢だった言葉が、俄かに途切れる。


「骸なんぞ山の何処へでも埋められる。お主程の切れ者、煙が上がれば騒ぎを生み、公儀の目を引く事、十分に予想できたであろう。左様な危険を冒してまで、焼くべき理由があったのか」


 多田は即答できなかったが、理に叶う理由なら、有る。


 得体の知れぬ奇病を持ち込んだ事が露呈したら、幕府のみならず、岩須藩も彼を決して許さない。己の死に加え、子々孫々まで受け継がれる大罪となる。


 証拠は完全に消す必要があった。


 多田と鳴潮の左兵衛、それに密輸へ関わった異人の一味しか詳細を知らず、彼らは自らの保身の為、決して口を割らないだろう。


 多田も秘密をあの世へ持っていく覚悟だった。


 悪党には悪党なりの矜持がある。腹を据えた今、彼にとってそれこそ最も理に適う選択だと思えた。






 だが、少々理に叶わぬ理由も又、多田の胸に燻っている。


 あの渓流沿いの朽ちた小屋を部下が見つけ、足を運んだ時、焼くのはまずい、と、彼自身も感じていたのだ。


 詮議役の指摘通り、金沢街道と余り離れていない分、煙が上がると通行人の目をどうしても引き付けてしまう。


 その上、思ったより小屋が大きかった。

 

 炭焼き用の廃材も間近に放置されており、山林への延焼を防ぐ配慮をしても、炎が目立つのは避けられない。


 やはり運び出し、何処ぞへ埋めるか?


 そう思いかけて小屋へ踏み込み、一人と一頭の亡骸を見下ろした時の違和感は、多田の中で今も色褪せない。






 小蠅が舞い飛ぶ腐臭の只中、意外や小悪党の死に顔は穏やかであった。


 病の悪化で動くに動けず、飢えと渇きに苛まれた末の悶死であろうに、その頬には微かな笑みさえ浮かんでいる様だ。


 こんな筈は無い。


 失意と怒りと絶望と……


 こうも惨めな最期を迎えたなら、どんな奴でも恨みの念が深く刻み込まれている筈。それなのに、ぴたりと寄り添うこいつらは……


 笑うな。


 笑うな。


 弱者を踏みにじる度、己の優越を噛み締める喜びは多田の捨てきれない悪癖だが、目の前にある光景は予期したものと全く違う。


「何を笑いおる、下郎っ!?」


 部下達が後ずさる程の烈しさで吐き出す多田の怒声は、込み上げる苛立ちと戸惑いの表れだった。


 こやつ、俺を愚弄しておる。


 理に拘ってきた男が何の理由も見出せぬまま、そう思わずにいられない。


 博徒か、馬か、戸惑う自分自身か、何に対する憤りか自分でも判らぬ内、気が付くと部下へ「焼け」と命じていた。


 馬の骨の欠片も残すな、と。


 炎を上げて崩れ落ちる小屋を見届け、人と獣が混ざり合う焦げた骨を踏み躙っても、苛立ちは消えない。


 正体不明の感情を消す術など無い。


 仮に真相の全てを告白する意思があったとして、取り調べの席で、己の真情を説くのは難しかった。


 結局、できるのは沈黙を守る事のみ。


 その態度が更に幕府の疑いを募らせ、徹底した究明が行われた結果、闇帳簿の存在から密輸の罪状が悉く明らかとなる。






 その一月後、密輸の罪のみによって、多田は小塚原の刑場へ引き立てられた。


 切腹すら許されない、見せしめの打首獄門だ。


 前日に鳴潮の左兵衛が刑へ処された白砂の上で、周囲を見渡せば、竹矢来の外に群衆が犇めいている。


 その好奇の眼差しを全身に浴びる内、胸に描いた人生行路と程遠い殺風景な死に場所がひどく滑稽に思えた。


 せめて、笑ってやろうか、あの愚かな博徒の如く。


 そう思ってみたものの、恐怖に引きつる頬で無理に笑おうとしても、却って心が乱れるだけ。


 野槌の亥吉と異国の馬が最後の最期で得た安らぎに、どう足掻いても届かず、どうして届かないのか、幾ら考えても判らない。


 そんな己の限界こそ募る苛立ちの正体だと、多田はこの時、漸く気付いた。


「勝ちは負けの始まり、か……」


 両眼を覆う白布の奥で、望む形と似ても似つかぬ自嘲を頬へ刻んだ時、多田の背後で乾いた風の音がした。


 振り下ろされる太刀の音だった。


読んで頂き、ありがとうございます。


今回も何とか終える事ができました。

次回は又、少し違うジャンルを投稿してみたいと考えております。

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― 新着の感想 ―
[良い点] この最後の終わり方への持って行く筆力は、「ちみあくた」先生にしか書けないものです。異国の馬と博徒の安らかな死と、その真逆の勘定奉行の斬首刑との対比は、あまりに、先鋭的な描写です。次回作も楽…
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