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 亥吉がマレンゴの病気に気付き、途方に暮れた同じ日の夜……貧乏くじを押し付けた側の多田省吾は、浦賀にいた。


 一帯を仕切る実力者であり、亥吉が多額の借金をした張本人でもある鳴潮の左兵衛と会うため、大商人も顔負けの大きな屋敷を訪ねていたのだ。

 

「ふふっ、亥吉の野郎、浦賀港の顔役などと大ぼらを吹きましたか」

 

 港の差配のみならず、岩須藩の交易にも以前から深く関わる左兵衛は、多田とも顔馴染みで気安い口をきく。


「嘘を承知で私が調子を合わせたら、欲丸出しで博打を仕掛けて来ましてね。騙すのは造作も無かった」


「賢いと思っているのは己一人と言う、えらく間が抜けた男ですからなぁ。あれでよく、いっぱしの博徒を名乗れるものだ」


「勝ちは負けの始まり、それこそが道理……」


「は?」


「勝ったつもりで恵比須顔の亥吉へ私は忠告してやったのですよ。いずれ、骨身に沁みて後悔するだろう、と」


「そりゃまた、御親切な」


「何も気づかぬ阿呆面のまま、行ってしまいましたがね。お蔭様でもう暫く、あなたと美味しい思いができる」


 左兵衛は声を上げて笑った。


 多田と盃を打ち合わせ、一気に飲み干す面持ちからして、間抜けを肴にする酒は余程うまいものらしい。






 この時、二人が岩須藩の交易を隠れ蓑に密輸入で懐を肥やし始めて、およそ一年が経過している。


 馴染みの異人に頼んで野生馬を密輸したのは、物好きな幕府の上級役人に賄賂として提供する思惑があったからだ。

 

 だが、口約束をかわした役人から矢の催促を受けるにも関わらず、賄賂を渡す事は叶わなかった。浦賀に荷揚げしてから馬の病気が発覚したのである。


 異人の話によると、『とりぱのぞぉま』とか言う恐ろしい病の疑いがあるらしい。


 幾つかの国で捕獲された馬が、海を渡る前の一定期間、同じ牧場で飼育されており、中には遥か彼方の大陸より運ばれたものもいた。おそらく『とりぱのぞぉま』は、そこでうつったのだろう。


 人には感染しにくい点が僅かな救いだが……


 何らかの形で馬の血液、体液に触れ続けたなら、うつる恐れは日増しに大きくなる。その上、もし発症したら最後、治療する術は一切無い。


 まず患部の発疹、目まい、強い眠気が初期症状として現れ、徐々に発疹が広がって、意識も薄れて来る。


 最後には昏睡状態から死に至る為、眠り病の異名があるそうだ。

 

 そんな危険な病を馬もろとも持ち込んだ事が幕府に知れたら、多田の責に留まらず、藩全体が重い咎を受ける。


 即刻、取り潰しになってもおかしくない。


 もう手段は選んでいられなかった。如何に馬を人目に晒さず、密かに闇へ葬るか、思案せねばならなかった。


 どうするか散々頭を悩まし、ひとまず保土ヶ谷宿の町外れにマレンゴを隠した所で亥吉と遭遇したという訳だ。

 

 多田にとって、それは正に天啓。

 

 馬を処分できるし、裏道から人気の無い山中へ移動させれば、他の人間との接触が減り、感染拡大を防げる。


 しかも、賄賂をねだる役人へ「盗人に奪われ、殺された」と言い逃れして代りの財物を渡す事で、密輸の旨味を手放さぬまま、八方丸く収める事が出来るのだから……






「して、あの馬鹿、金沢街道筋の隠れ家で、息を潜めておるのですな」


「私にはそう告げました」


「その気になれば、わしが見つけるのは容易い御用じゃ。なのに当分、放っておくんですかい?」


 部下に命じ、わざと見当違いの場所を捜索させている多田へ、左兵衛は大仰に首を傾げて見せた。


 多田には多田なりの目算がある。

 

 異人から聞いた話の通りなら、眠り病とやらを発症した後、マレンゴの命は長く保つまい。金蔓を惜しむ亥吉は必死で世話をする筈。

 

 人にうつりにくいとは言え、血の接触が媒介する病である。


 蚊が飛び交う山中の隠れ家で、身を寄せ合う時を過ごした場合、あの愚かな博徒まで感染する見込みは高い。

 

 そうなれば、もっけの幸い。馬と人が共に息絶え、蚊の感染力も失せた頃合いに見つけ出す形を作って、隠れ家ごと焼くのが最善の策。

 

 博打に興ずる間、多田は努めて亥吉の酒や食糧を消費させている。


 多数動員した追手に街道筋をうろつかせ、何も補給できない袋の鼠にしておけば、飢餓による衰弱も生ずるだろう。


 おそらく十日も立たない内にけりはつく。

 

 年は若いが極めて優秀な役人であり、その計算高さから藩の裏事情へ通じる出世頭、多田省吾の読みにまず狂いは無いのだ。


読んで頂き、ありがとうございます。

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