表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8


 

 首尾よく馬をかっぱらい、左兵衛へ献上すりゃ命が助かるだけじゃねぇ。子分に取り立ててもらえるかも、な。

 

 さもしい魂胆を薄っぺらな笑いで隠し、亥吉は異国の馬へそっと近付く。

 

 ほぉれ、良い子だ。後生だから騒ぐんじゃねェよ。

 

 見知らぬ男が触れても馬は動じない。

 

 微動だにせぬ巨体の耳元へ甘言を囁き、柱へ括り付けた手綱を解こうとした時、

 

「おい、貴様、何をしておる」


 御堂の方から男の声が飛んだ。


 見ると観音開きの扉から、まだ若い武士が飛び出した所で、その右手はしっかり刀の柄に掛かっている。


「いやぁ、髄分豪勢な馬だと思いましてね、旦那」


 亥吉は、動揺を抑え、咄嗟に愛想笑いを作った。


「もしかして、南蛮渡来ですかい」


「何っ」


「そう血相を変えなくて、ようござんす。昨今は象とかいう化けもんが、はるばる大海原を渡って、花のお江戸まで運ばれるってぇ御時世だ」


「余計な詮索は身の不幸を招くぞ」


 侍はぐっと凄んだが、その容貌を観察すると、さして怖くはない。細面に鼈甲縁の眼鏡をかけ、刀に掛けたままの右手は神経質に震えている。


「案の定、訳ありみてぇだね」


「黙れ、下郎」


 侍が喚くと同時に、亥吉は大きく目を剥いて相手を睨みつけた。カモと見なしたが故の振る舞いである。


 こういう如何にも小利口そうな輩は、最初に一発かますと後々やりやすくなるものだ。

 

「おうおう、さんぴんの田舎侍。下郎とは大層な御挨拶じゃねぇか、えぇっ」


「町人風情が逆らうか」


「ヘン、徳川さまの御意向も、すっかり色褪せた時世でござんす。武士ってだけで、俺らがヘイコラすると思ったら大間違いのこんこんちきよ」


 若い侍は怒りで顔を紅潮させた。

 

 だが、刀を抜く様子は無い。

 

 亥吉の睨んだ通り、そろばん勘定は得意でも、腕の方はカラッキシなのであろう。

 

「俺ぁ、この辺りじゃチョイと知られた野槌の亥吉ってぇもんだ」


「つまり、地元の顔役か」


「おう、あんたの名前も聞かせてくんな。訳ありなんだろ。事情によっちゃ、こちとら一肌脱ぐかもしれねぇ」


 侍は躊躇ったが、亥吉が脅しと宥めを程良く交えて尋ねると、重い口を開いた。


「信州・岩須藩、多田省吾と申す」


「へぇ、岩須藩ってぇと、確か、あれだ。異国と生糸の商いをして、近頃、やたら羽振りの良い所でござんしょ」


「良く知っとるな」


「へへっ、何しろ浦賀は、我が縄張りの内でござんすから」


 居丈高な口調から、いきなり遜った態度に戻り、相手を混乱させる。まぁ、手慣れたものだ。世間知らずの若侍など、あしらうのは雑作無い。


「いやぁ、売り言葉に買い言葉とは言え、あっしみてぇな者が、お侍に失礼な口を利いちまった。勘弁しておくんなさい。良かったらお詫びの代りに、酒でも一献差し上げたいんですがね」


 酒と聞いた途端、多田は喉を鳴らした。


 どういう事情を抱えているやら、ろくに飯も食っていない様子で、握り飯を見せると今度は腹が鳴り出した。


 江戸への逃避行を決めていた亥吉は、酒も食料も懐にたんと用意している。

 

 全く、御誂え向きとはこの事よ。

 

 内心ほくそ笑み、亥吉は御堂に入って、多田へありったけの酒を振る舞い、酔いが回った所で博打に誘った。






「旦那、壺、かぶりますぜ」


 手垢で汚れた賽子を、亥吉は鮮やかな手並みで愛用の壺へ放り込む。

 

「さぁ、旦那、丁方ないか、半方ないか。どっちもどっちも」


「お主、うるさい。小細工で謀る気なら、この場で成敗してくれる」


「天地神明に誓い、いかさまは無しでさ」


 明るく囃す亥吉に対し、多田は警戒心丸出しで、銭十文ばかり丁へ張る。


「勝負。ニトオシの丁」


「お、俺の勝ちか」


「いやぁ、恐れ入りやの何とやら。今宵はついていなさるね」


 ささやかな儲けを握りしめ、ぐいっと酒を煽った多田は、次の勝負で銀を三分ほど床の上へ放り投げた。


読んで頂き、ありがとうございます。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ