前世で百歳の大往生を遂げ、中将にまでなった漢、武田民男の絢爛たる転身
前世で百歳の大往生を遂げ、中将にまでなった漢、武田民男の絢爛たる転身
水色蓮の曼荼羅が足元に浮かび上がり、曼荼羅から天に向かって不思議な光が放たれた。
水飛沫のような光のオーロラは、保護猫カフェ・まんまる、の主人ソフィアナを祝福しているかのように、キラキラと小さく消えていきながら、ソフィアナの黒髪を金色へと変えた。
光が完全に消えると、彼女の周囲はざわざわと落ち着きなく話し出した。
保護猫カフェ・まんまるの推しドリンクや推しトイを購入すると、指名したニャコを一定時間独占出来るというサービスが大人気となり、この国の憩いの場として定着しつつある。
そんな昼下がりの満員御礼のまんまる。
「今の……よね?」
「初めて見たわ……の光?」
「ということは彼女……ってこと?」
「え。じゃあどうなるの。さっき」
動物愛護管理法四十四条虐待の定義、酷使する、に値する罪で衛兵を連れた特使から国外追放を言い渡された保護猫カフェまんまるの主人ソフィアナが、この国に百年に一度現れる守護神闇天吉祥の福巫女の証である聖なる光のシャワーを浴びるのを目撃した大勢の貴族令嬢達。
ごくり
誰かの喉が鳴った。
「確保おおおおおおお!!」
「逃がすなあああああ」
「取り押さえろおおおお」
「捕まえてええええええ」
ソフィアナは目の色の変わった大勢の権力者達に引き倒され、体重を乗せて押さえつけられ踏まれ、大きな尻に座られて地面で身動き出来なくなった。
ちなみに。
この数分前。
国外追放を言い渡す特使は言いにくそうに苦痛な表情を浮かべていた。
その後方に控える衛兵は憐憫の眼差しを向けた。
まんまるの常連である貴族令嬢達は、
「横暴だわ!お父様に抗議していただきますわ」「冤罪よ!最近の領主は商人からの横取りが酷すぎるのではなくて?」「酷使って!客である私達が虐待でもしているかのような罪状は看過できませんわ!」
という風なソフィアナ擁護の嵐の渦中での光のシャワードーン!であった。
ソフィアナは領主官邸の貴族牢に閉じ込められ、その身を備え付けの姿見に写し見つめていた。
「美しい……何ということだ」
金色の髪は真っ直ぐに伸びて艶やかに煌めき、細くくびれた腰にバランスの良い胸、尻は引き締まった筋肉質、爪先に力を入れればぷくりと盛り上がるふくらはぎは健康的な肉体美そのもの。
今度は庶民から成り上がる聖女か?
光のシャワーを浴びてから前世の記憶を思い出した武田民男は鏡の前で色々なポーズを決めた。
プロローグが怒涛の展開から始まり何が何やら分からない方の為に説明しよう。
武田民男、戦乱の世では鬼神の如く駆け鞭のようにしなる槍で目にも止まらぬ速さで斬り抜ける様は、かまいたちの妖術使いと恐れ慄かれ、中将にまでなった漢は百歳の大往生を遂げた。
はずだったのだが、何の因果か記憶を保ったまま転生を繰り返すバグにはまってしまった。
それも何故かいつも絶世の美女に。
悪くない
一片の悔いもない漢の人生を背負った武田民男は、このバグをことのほか気に入っていた。
はてさて、今世の美しい聖女はどのような生を歩んできたのか、と武田民男は記憶を手繰り寄せる。
ふむ。出生の波瀾万丈な秘密はさておき、覚醒したばかりらしい聖女の今後をどうしたものか。
しかしこの国の聖女といえば。
守護神闇天吉祥は双子の神様で、蓮の花の貧乏神と聖なる泉の福の神がセットになっている。
そしてその加護が与えられた者を福巫女と呼ぶ。
しかし有り難そうな名でありながら、この国ではその不運をその身一身に引き受ける生贄である。
王宮の奥深くの祭壇に崇められる水色蓮曼荼羅はその美しさからは想起できぬほどおぞましい、この国の不運をたった一人に押し付ける禍々しさを宿し、国民周知の監禁奴隷を福巫女という耳障りの良い言葉に置き換えた呪いだろう。
生贄は寿命を迎えるまで閉じ込められて、その身に降りかかる様々な疫病や災難という苦痛に耐え忍び、この国の為にただただ長生きすることを強要されるのである。
福巫女が国から追放されていれば大変なことになるところだったガハハハハ、と牢の外に控える衛兵の高笑いをソフィアナは静かに聞いていた。
そして擁護から監禁への手の平返しをふつふつと思い出し、ソフィアナは鏡の前で仁王立ちする、とグキッとヒールの踵が折れたが咄嗟にバランスをとったので怪我からは免れた。
一つ目の災難がソフィアナを襲った。
「まあ、さっさとトンズラするに限る」
ソフィアナは衛兵のいる出口へと向き直った。
「にゃあーお」
ん?
聞き覚えのある鳴き声に振り返ると、天井付近の換気窓から覗き込む猫の顔。
保護猫カフェのアイドル、三毛猫のタマがいた。
ふくふくと、ふくよかな三毛猫である。
到底そんな小さな換気窓から出入り出来ようもないスタイルの猫である。
顔が入って耳まで見えていることに驚く。
顔が抜けなくなったりしないか心配だと見上げていると、むにーんと伸びていくタマの目と口。
「ぷっ。なんて顔してるの」
するとどうやったのか、ヒラリと換気窓を抜けてタマがソフィアナの足元へと降りて来たのだ。
まるまるとしたいつものタマだ。
これは驚いた。
そんなまさか。
狼狽えるソフィアナの足元にタマは擦り寄ってにゃあーおとまた鳴いた。
と同時にタマの揺れるしっぽが二股に分かれた。
『あら。何かしら。あらあら』
タマがバランスを崩したのかコロリと寝転がる。
見慣れないしっぽが見えて追いかけるようにくるくる回りだす。
あっちこっちに広がるしっぽと届かないタマパンチ。
『疲れるわ〜』
飽きたのか、本当に疲れたのか、横向きに寝転がると、のび〜と前両足をふるふると伸ばし、後ろ両足の根本に見事なまんまるのふぐり。
と、しっぽがふわふわと視界に入ったのか、シュババッとタマパンチを繰り出したがやはり届かない。
『ちっ』
舌打ちまで聞こえる。
ソフィアナは前世の記憶をたぐり寄せた。
年老いた猫が化けると猫又という妖怪になる。
なるほど。
それにどうやらうちのタマは話す事も出来るようになったらしいとソフィアナはタマに話しかける。
「タマさんや。私はどうやらタマさんの話す言葉が分かるようになったらしい」
『……あー疲れた……もう……動けないわー』
……からのシュバババッ
「タマさんや。私の言葉が理解出来るなら返事して」
『ちっ』
ぱたり。
今度こそ疲れたのかしっぽまでだらりと倒れる。
この子は何しに来たのだろう。
ソフィアナがそう思いながらタマを撫でると、
『そりゃ心配だから見に来たのさ』
タマがソフィアナを見上げ、ふいっとまたそっぽを向く。
ぱちりぱちりと瞬きし、
「そう。……そうなの」
ソフィアナはタマを撫でながら物思う。
猫又というのはそうそうお目にかかるものではないだろう。武田民男の人生でも巡り合ったことなどなかったのだから。
なれば前世の記憶があることと何ら関係があると考えて差し支えなかろう。
武田民男がはまったバグに猫が巻き込まれると化け猫になるとは、不条理かはたまたそれもあるべき定めかと目を細めた。
「む」
ソフィアナは手を止めた。
むずむず。
手がかゆい。
「タマさんや。ここに来るまでにどこかへお出かけでしたか」
手に虫刺されの小さな赤い点々が。
かゆかゆかゆかゆ。
二つ目の災難か。
『そりゃあね。初めてのお出掛けだもの』
ふふふん、とドヤ顔のタマ。
『小汚いおっさんに絡まれたからふぐりの片方握り潰してやったわ』
え。すごいですねタマさん。
『それより。いつまでここにいるつもり?お腹空いてるんだけど私。まさか私に残飯あさりさせるつもりじゃないでしょう?』
ああ、タマさん。ぶっ殺すわよという目ですね分かります。
「いえいえ。私もそろそろお暇しようと思っていたところでした」
パンパン
静電気でスカートに纏わり付いた埃を叩き落とし立ち上がる。
白いメイド服に水色のエプロン。
白いタイツに水色のローファー。
出入り口にいる衛兵の声から身長や体格をイメージ。からの、
くるり、膝の軌道を意識して回りながら上段中段への二段蹴り。
シュババッ
トントン
軽く爪先で着地。からの、
もう一人へ飛び回し蹴りのイメージ。
「ふむ。健康な肉体ですが普段使わない筋肉を使うのですから一撃で仕留めたいですね」
コツコツコツ
ガチャ
キイイイイ
娘一人相手に衛兵が二人いることで油断したのか鍵すら掛かっていない扉が突然内側から開かれたことで驚く衛兵二人。
ニッコリ
ソフィアナがふんわりと微笑むと、衛兵はだらしなくにやにやと微笑み返した。
さて。
牢から抜け出すことに成功したソフィアナとタマの背後には屍が折り重なって横たわっていた。
いや、生きてるけどね。気絶してるだけだから。
堂々としていれば不思議と怪しまれることなく領主官邸正門通用口から出て町の大通りへと歩いてくることが出来た一人と一匹。
当然ソフィアナは店に向かって歩いていた。
『もしかしてまんまるに行くつもり?』
もしかしなくてもそうですが。
『店ならもうないわよ』
えええ。ないってどういうことですかタマさん。
『ソフィアナが連れて行かれてすぐ大勢が奪い合うように強奪して行ったわ。全部』
タマの兄弟達も皆捕まって連れて行かれて、タマは捕まえようとして来た全ての人間の顔を引っ掻きまくって逃げて来たらしい。
さすがです。タマさん。
まあでも元は野良猫達ですから、連れて行かれたのでしたら保護されたのでしょう。
しかしですね。
先ほどから気になっていることがあるのです。
にゃあにゃあと、野良猫達がタマさんに挨拶して通り過ぎていくのです。
時には屋根からにゃあ。路地の奥から声だけがにゃあ。
そうしてタマが、
『はいはい』
と面倒くさそうに返している。
『ボスだボスだってうるさいのよね』
え。タマさん。
小汚いおっさんのふぐり握り潰したってそれ、この辺り仕切ってたボスだったんじゃ?
ソフィアナは店を諦めて自宅へと向かった。
ソフィアナの自宅は独身者専用アパートメントで大きな出入り口にはドアマンが一人立っている。
「珍しく制服のままか。……ふん」
ソフィアナが福巫女になったことを知らないらしいドアマンがジロジロと不躾な眼差しを向け、いやらしく口角を上げる。
「ええ。身内の凶事との知らせがありまして、急いでいるのでもし誰か尋ねてきてもまだ帰って来ていないと伝えて頂けますか?」
と小さく折り畳んだお金を出すとドアマンは素早く受け取った。
「いい尻だ。おっと失礼。口が滑っちまった」
ドアマンは通り過ぎるソフィアナの揺れるスカートを見ながらニヤニヤしていた。
相変わらず態度の悪いドアマンだったが、時間稼ぎには使えたなら我慢も出来る。
部屋に入ってドアに寄りかかるようにして閉め鍵をかけると、よしと気合いを入れた。
ソフィアナは一番大きなトランクに着替えや小物を詰めていく。
缶詰を皿にあけてもらったタマはゆったりと食べている。
「これを食べ終わったら行きましょう」
と、ソフィアナも買い置きのベーグルをかじる。
コップ一杯の水とベーグルパン。
窓の外の空は赤く染まり始めていた。
う。このベーグル腐ってる。ぺっぺっ。
さてトランク一つと猫一匹を共に、ソフィアナはドアマンからジロジロ見られながらアパートメントを後にし、大通りを駅に向かって歩いていた。
目立つメイド服は脱ぎ質素な茶色いワンピースと踵の低いブーツ。
にゃあにゃあと野良猫達に見守られながら駅に着くと、帰宅ラッシュに巻き込まれた。
『しょうがないわね。こっちよ』
人混みに入っていけず跳ね返されるソフィアナにタマがついて来いと言う。
慌ただしい駅を出て裏の自転車置き場を抜けると金網が破れ人が通れるほどの穴がある柵をくぐっていく。
ついて来いと顎を向けられる。
辺りを見るとちらほらと野良猫達に囲まれているようだった。
タマさんや。お世話になります。
考えてみれば普通に駅から列車に乗って逃げたところで足がついて捕まっていたかもしれない。
ソフィアナは穴をくぐった。
砂利道を進むと、貨物列車のドアが開いている荷台の中へタマがジャンプした。
ソフィアナは最初にトランクを押し込み、自身は助走をつけてヒラリとジャンプした。
スカートが舞って見えそうだったが膨らんだスカートを手で押さえたので健康的なふくらはぎが躍動したのが見えただけだった。
『貿易に使われる列車だから遠くまで行くらしいわ。目的地がないならとりあえずこれでいいでしょ』
「タマさんや。目的地もない旅だけど一緒に来てくれてありがとう」
ソフィアナは商人の娘だった。
昔は豪商とも呼ばれる家柄のお嬢様だったが、流行病で両親が亡くなってから財産は親戚に奪われ、未成年だったソフィアナは親戚の家で侍女として雇われながら何とか貯めたお金で保護猫カフェを開店。
親戚の家だとはいえ侍女業務は朝から晩まで働き詰めで、雑用は次から次に出て来るので大変な仕事だったと振り返る。
この世にたった一人取り残された気分になっていたソフィアナが捨て猫の赤ちゃんをゴミ袋の中から見つけた時、自分にはまだこの子を助けるくらいのことは出来る、と生きる希望を持った。
子猫にタマと名付けるとなかなかに長生きして猫又にまでなってしまった。
『お互い様さ』
タマの小さな呟きはソフィアナには聞こえなかった。
「やだ。ポケットに穴が空いてる」
ワンピースのポケットに入れていたお気に入りのハンカチが無くなっていた。
小さな四葉のクローバーが刺繍されたガーゼハンカチは、どこかで落としてしまったようだ。
貨物列車が町を離れた頃。
福巫女に逃げられたと気付いた領主の命令で、涎を垂らした獰猛な犬に匂いを追わせて町を走る衛兵の姿があった。
駅に向かっている。
そして同僚から福巫女の話を聞かされたドアマンは居酒屋から飛び出してアパートメントに向かっていた。
部屋に手掛かりが残されているかもしれない、福巫女は俺のもんだ。
ドアマンが走り去った道沿いにあった保護猫カフェは、入り口や窓が壊されて廃墟のよう。
近所の店から声がする。
「福巫女の持ち物に御利益があるって噂が立ち所に広まってそりゃすごい強奪振りだったぜ」
「可哀想にな、良い子だったのにお貴族様の生贄にされちまうとは」
「しっ。どこにお貴族様の犬が潜んでるか分かったもんじゃねえ、滅多な事言うな」
「けどよ。隣国じゃあ、妖怪の御使様は大事にされるって話だぜ?」
「なんだそりゃ」
「長生きした動物が妖怪になると、飼い主だった人間が御使様になるらしいんだけどよ、御使様にとって良い人間には福が訪れ、悪い人間には不運が付き纏うらしいんだわ」
「ほえー。案外その妖怪と御使様を引き離して閉じ込めたのが福巫女の始まりだったりしてな」
「ま。ただの噂だから、知らんけど」
駅の改札付近に落ちていたガーゼハンカチを咥えた犬と衛兵。
「列車で逃げたと報告しなければ!」
そうして追手は貨物列車とは反対方向へと向かった。
アパートメントに忍び込んだドアマン。
「お。結構、金目のもん残ってんじゃんラッキー」
隣の部屋の住人から通報されて牢獄へ。
「ちきしょおおもっと早く逃げてれば!」
保護猫カフェまんまるを荒らした貴族達は脱税や不倫が明るみになった。
「こんなのずるい!」「簡単に盗めるのが悪い!俺は盗みをさせられたんだ!」「愛されない奴が悪いのよ!愛されてる私が正しいのに!」
ある者は精神病院で治るまで治験を受けるか、犯罪奴隷となって死ぬまで血液バンクで飼われることとなる。
「いやだああ死にたくないい」「痛いのはいやああ」
ソフィアナをこき使った親戚の家は野良猫達が住み着き糞まみれになった。
「何なのよこれはああ?!」「ぎゃあ!洗濯物に鳥の糞が!」
そして
ソフィアナとタマさんは無事、隣国へと渡った。