夢小説を読みに行って爆発する
私はきらら系が好きである
きらら系は駄目な主人公と常識人な周囲と言う形も多く、しかも駄目な主人公が一定の好感を得てる物が多い
そこだけ区切るとなろう系や夢小説と相性が良さそうに見える為、私は夢小説にもちょこちょこ突撃を仕掛けて来た
結果は惨敗である。大体内容に脱落する
読み難い・目が滑る・つまらないに一々ケチを付けるほどエネルギーはないので、私が「なんかな」と思うのは「執着と残念さ(良い物だからこそここをもうちょっと)」か「不快や恐怖」によるストレスが原因である
で、夢小説の地雷化の理由についてはあまりなろう系の問題と変わるところはない
すぐ前のなろう系考察でもなろう系と言う呼称の中心はメアリースー問題であり、エロ同人で許される事が何故メアリースーでは許されないかと構造が同じであると書いたが…
夢小説の地雷率の問題もほぼ似たような構造である
敢えて言うなら夢(エロ同人)なんだから、と言う許容範囲が本来ビルトインされてる部分が違うのだが…
それでは何故夢小説が地雷原になりがちなのか?
重要なのはキャラ崩壊のさせ方である
夢小説は「自分が推しに愛されうふふしちゃう」小説である
「推しに愛され」なのだ
なのにキャラ崩壊が雑にされてたらどうであろう?
現実の恋に対して「惚れ薬飲ませて愛情独占します」「自分に惚れる様に雑に脳みそ弄りました」とか言う奴を見たらどう思うだろう?
「お前相手の何を好きになったの?」である
夢小説はここが分からなくなる物が多い
どう言う好きだからそう言う愛情を求めてて、みたいのがちぐはぐなのが多い
「そう言う解釈分かる気がする」と言う形なら良い
でもそこから大きく外れてるのに「推しに愛されたいを書きました」とか言われても、「飛影はそんな事言わない!!」になるだけなのだ
まだエロ同人で貞操観念が緩くなってるかなとかの方が「その人の中心的属性」との乖離は少ないんじゃないだろうか?と言う感じがしてくるものが多い
まぁ、夢小説と言いながら「如何に自分が愛されて当然の存在下に力を入れ過ぎてメアスー文脈になってる」もしばしばあるが…
とりあえず、推しへの愛情の要点とどう言う愛され方をしたいと言う所は自分の為にも頑張った方がよろしいのでは?となってしまうのが、夢小説に地雷が多い理由かな?と言う気がする
脳みそ弄って自分を好きにさせて満足なんて「性格はどうでも良くて芸能人だから好き」くらいの気持ちしかないと思われても仕方ないと思うんですよ?
推しに依存してるならそう言うの含めてもっと頑張った方が良いと思うんですよ、と言うね