8話目:奏矢の逆襲
延焼の中から犬型怪人はなんとか立ち上がる。右手は至る所が裂け、先ほどリリに蹴られた腹部も、足跡の形に抉られた傷口から真っ黒な体液が流れ落ちる。
流れ落ちる体液をまったく気にも止めることなく、己をここまで蹴飛ばした少女から視線を動かさなかった。
(あのクソガキ……一体何だ?)
理解が追いつかない。華奢な体つきの女、しかも子供が己を蹴飛ばした挙げ句に吹き飛ばされたのだ。
しかも拳銃程度では傷1つすらつかない肌に、靴跡を残すなど普通の人間の出来ることではない。『己と同じ怪人やその類いか?』、そこまで考えた犬型怪人だったが、真っ直ぐこちらに向かって無警戒に歩いて来るリリに少しだけ身じろぐ。
「おう、クソ犬。さっきは俺の顔を傷つけてくれたなぁ?」
犬型怪人が先ほど散々殴りつけた顔が、頬が裂け青アザが顔の至る所に浮かび血反吐を吐いていたその顔が、傷1つ痣1つない綺麗な顔で口端を上げてニヤニヤと笑う。
その目の前に居る歪んだ笑顔の少女に気後れするものの、犬型怪人は足元の瓦礫を笑顔の浮かぶその顔面へと蹴り上げる。刹那の行動、天井の破片や火の着いた木片などがリリは防御する間もなく顔へとぶち当たる。”目つぶし”、これで視界はゼロになったその瞬間に犬型怪人は息を吸い込み全力で豪炎を吐き出した。
「だけど、ま。お礼だけは言っておくよ。あ・り・が・と・う。そんでその臭い口をちょっと閉じてくれ」
余りに近距離で豪炎を吐き出したため、犬型怪人自身の視界も真っ赤に染まっていた。
その豪炎の波を銀色に染まった腕が2本突き出ると、犬型怪人の上あごと下あごを掴んで力尽くで閉じさせる。本来勢いよく口から吐き出されるはずであった豪炎、それが逃げ場を失い肺を灼き、鼻と右目からあふれ出す。
「がぅううううぅん!??」
「おー、なんかすげぇな。メントスコーラの怪人版ってか」
右目が炭化し、口からは黒い煤を吐き出す犬型怪人のその様子に、ケタケタと笑いながらリリは声を上げる。
臓腑が自身の業火で灼かれ、右目を押さえながら犬型怪人は残った左目で忌々しげに睨み付ける。
「がはっ、がふぁっ……。クソガキ、お前、何だ。おかしい、お前も俺と同じ、怪人か?」
「……俺が誰だって? ははっ、知りたい? なあ、知りたい? 説明して欲しい? 全部? なあ? 何が起こってるのか? なんでこんな華奢な女の子がお前をボコボコに出来たのか? なんでさっきぼこぼこに殴りつけたはずの相手にボコされてるのか? なんで”俺”が無傷で立って居るのか? いや、なんでこんなピンクのふりふりのついた可愛いワンピースの魔法少女みたいな格好になってるか? なあ、知りたいだろう?」
膝を着いた犬型怪人の頭をぐしゃぐしゃと力任せに撫でながら心底愉快そうにリリは笑う。子供特有の無邪気な笑い声。それはどこにでも居るはずの少女の笑い声であったはずなのに、犬型怪人にとっては死刑宣告署を読み上げられているかのようにしか聞こえなかった。
少女の背から出ているヴェールが生き物のように動き、犬型怪人の身体を調べるようになで回していた。
「俺はさっきお前に灼かれた戦闘員だよ、いや、正確に言えば本体みたいなものかな? 寄生先の戦闘員が駄目になったから、この女の子が寄生先になったってことよ。ああ、そうそう、お前がさっき聞いたよな『お前は怪人なのか』って。半分は正解だよ。あのイズミとかいう俺に変な液体を注射した挙げ句、”失敗作”としてゴミ溜めの中に捨てられたけどなぁ!?」
リリは、否。リリに寄生した銀のスライムである奏矢は苛つきを隠さずに犬型怪人の毛をむしりながら頭をガタガタと乱雑に揺らす。
犬型怪人は抵抗しようとその髪をむしる奏矢の腕を掴んで引き剥がそうとするが、ぴくりとも動くことはない。
「ああ、そうそうお礼を言ったのは”俺”が寄生先の身体を動かすためには、寄生先の身体の意識が無くなってなきゃどうも駄目らしい。散々この子をぶん殴ってくれたお陰でリリの意識がぶっ飛んで代わりに俺がこの身体の主導権を貰えたってことだ。こんな高揚感と満足感、今まで生きてきて初めて感じたよ! なんだって出来るし、何をしても良い、そんな気分だよ! さて、と」
先ほどまで犬型怪人の身体に触れていたヴェールがさっと音を立てて奏矢の背へと戻る。
そして奏矢は犬型怪人の左胸辺りに右手を押し当てると、その胸に置いた右手が銀色に変化していく。炎の揺らめきでその銀の右手が、銀の双鉾が怪しく揺らめく。
「”お前に仕返しすること”が、この子の願いなんだよ。この辺りにある臓器、そこが怪人の1番大事な部分みたいだなぁ?」
そういうと奏矢は犬型怪人の返答を待たずに、銀の右手を左胸へと押し込む。まるでマーガリンに突き刺すバターナイフのように滑らかに体内へと潜り込んだ右手はオレンジに淡く光る玉を黒の筋繊維を伴いながら摘出する。
ブチブチと小気味良い音を奏でて摘出された”それ”。まるで宝石のように光るその玉を犬型怪人に見せつけるように目の前へと持って行くと、勢いよく握りつぶした。
「おっ、俺の、か、核っ、核が」
犬型怪人が核と呼んだ、先ほど握りつぶしたオレンジに光る玉。それの代わりを探すようにゆらゆらと立ち上がるが、犬型怪人は立ち上がることは出来ない。
膝を着いた状態から立ち上がろうとしたその次の瞬間、力を込めた脚が粘土細工のように変形して床へと零れ落ちる。脚だけではない。バランスを崩して咄嗟についた手も脚と同じく、どろりと床に零れる。
「かくかくうるせぇ、アインシュタインかよ」
「かっ、かっ……」
どろりと身体全体が溶け始めた犬型怪人の頭をトドメと言わんばかりに蹴り上げる。犬型怪人は無残にも顔がひしゃげていたが、それもつかの間の話し。顔も腕も脚も、どろりとタールの様に溶けて床へと広がっていく。
そしてそのタールはすぐさま揮発し始めて、ものの数秒で完全に消滅する。そしてふと、先ほど放り捨てられていた”前の寄生先”である戦闘員、沓野輪が微かに動いていることに気がつくとそこに歩み寄るのであった。