3話目:戦闘員の願い
銀混じりの戦闘員は急いで地上に繋がる手すりを昇りきり、研究所と地上を隔てるマンホールの蓋へと手を掛ける。
一気に蓋をずらすと、そこはビルとビルの合間に挟まれた袋小路であった。そのままの勢いで外へと飛び出すと銀の翼を広げて一気に曇天の夜の空へと羽ばたく。
(さっきまで”俺”がいくら身体を動かそうとしてもできなかったのに、今じゃ自由に動ける……?)
奏矢は空を羽ばたきながら考える。先ほどまでは奏矢の意志とは関係なく動いていた体が、先ほどヘルハウと呼ばれた犬型怪人に攻撃されてから動かせるようになっていた。
奏矢にも意味が分からなかったが、まずはこの危険地帯から逃げ出すのを最優先にして羽ばたき続ける。下を見ると看板には『大宮』と地名が書かれた居酒屋の看板が煌々と辺りを照らしていた。そこで奏矢は首を捻る。
(……ここ、埼玉の大宮? 俺が事故った場所は確か群馬の太田だったはず。なんでこんな遠くに運ばれたんだ)
そんなことを考えながら奏矢は夜空を羽ばたくが、答えは出ない。ふと眼下に小さく見える歩行者の1人と視線がぶつかり、急いで人気のないところまで羽ばたく。時間にしたら半時間ほどのそこそこ高いマンションの屋上へと降り立つと、奏矢は一息つく。
とりあえずこれからどうするか悩むが、答えは出ない。己の背に付いた銀色の翼を引っ張り、そして影の様に黒い己の姿を見やる。所々銀色が混ざった姿は、どう見ても不審者のそれであった。
(……いや、こんな姿じゃ生きていけないだろ。元居た会社になんて戻ったら通報されるだろうし。いや、というかこれ、日常生活を送れないだろ。このまま生きていくか……? いや、さっきの俺を失敗作とか言っていた組織に土下座して助けて貰うとか。いやー、生きたまま解剖とか言ってたしなぁ)
奏矢は頭を掻きながら考え込む。奏矢の両親は既に死んでおり、身内と言えば兄と弟のみ。その2人もまた数年以上疎遠であったために頼ることは出来ないのだ。加えて信用できる友人も居ない。
そのため奏矢が身を隠せる場所など1つも存在しなかったのだった。途方に暮れて曇天の夜空を見上げるが答えなど出ようはずもない。
(取りあえず、ここからさらに遠くに……)
「……い」
「?」
突如、奏矢は己の意志とは無関係に口が動く。
そして思わず口元を押さえようとした手が動きが悪くなり、まるで油の切れたロボットのように動かなくなる。だが一方で背の翼は滑らかな動きで羽ばたき始める。
「かえりたいかえりたいかえりたいかえりたかえりたいかえりたい」
(ああああっ!??)
そして奏矢はまた身体の自由が効かなくなり、目的地も分からぬまま曇天の夜空を羽ばたくのであった。
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時刻はほんの少しだけ巻き戻る。
血濡れの犬型怪人がゆっくりと目を開ける。そして何があったかのかを思い出して、怒りで手を思い切り握り込む。力を入れすぎて手から血が流れ始めるが一切気にも止めない。
飛び跳ねるように起きると、銀混じりの戦闘員の臭いを嗅ぎ始める。猟犬のように鋭い嗅覚で辺りを探ると、その臭いは頭上のマンホールへと続いていたのだった。ヘルハウはマンホールに繋がる手すりへと手を掛けると一気に駆け上がる。
(殺す殺す殺す殺す戦闘員の分際で、俺に傷つけやがった。殺す殺す殺す)
ヘルハウは外へと這い出ると一気に跳躍して、追跡を開始する。
ヘルハウの脳裏は殺意で真っ黒に塗りつぶされており、ゴミと思っていた下っ端の戦闘員に気絶させられたことも彼のプライドを大いに傷つけていたのだった。
(それにイズミ所長の”お願い”に背いたら、俺が処罰されちまう)
『イズミ所長のお願い』、それは命令よりも重いものであった。”お願い”を叶えられずに、生きたまま解剖された同族や耐久実験と称して足先からすりつぶされていった同族、その他にも実験と言うよりも拷問であろう結末を迎えたものたちを今まで何度も目にしてきたのだ。
「お願い、ね♡」
ビルの谷間に消えかけたヘルハウの背に声が掛けられた気がした。それはイズミ所長の声であったが、それがヘルハウには風を切る音かあるいは本当に声を掛けられたのか分からなかったのであった。