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私に残されたもの、それは……。

作者: 小田虹里

 この作品を、開いてくださりありがとうございます。

 作品最後まで読んでいただけると嬉しいです。


 このご縁がまた、続きますように。

「祈ってください」


 笑顔でそう告げられた場所は、大学病院内にある、診察室。何人もの研修生こそ居ないが、看護士はふたり。私はその言葉を、まるで他人事のように受け止めるしかなかった。呆然とし、口が半開きになる。目は、虚ろだったかもしれない。看護士がどのような表情をしてみせたのかは、後ろに居たから確認は出来ていない。する気にもなれない。ただ、目の前に居る担当医師は、これ以上ない諦めの色を含ませながら、笑っていた。


 今更、何を悲観して何を期待することもない。

 私の心は、固く堅く閉ざされてしまっていた。


 ただし、この病院で治そうとしていたものは『心の病』ではない。

 『膠原病』の疑いがあり、私はこの大学病院で数ヶ月治療を試みていた。


 月日を遡ろう。事の始まりは今年の五月。私は大学四年生。四月に保健管理センターにて健康診断があり、それを終えた後の問診で、ある病気の疑いがもたれた。

 膠原病というものを、私は聞いたことなどなかった。知識は一切持ち合わせていない状態で、大学の保健管理センターから勧められ、病院へ。紹介状を持って足を運んだ。身体の至るところに強い痛みがあり、その原因を知りたくて大学病院を訪れた。私の担当医は笹野という男性医師。そこまで若年層でもなく、年寄りのおじいさんという感じでもない。髪の毛の量はあるが、白髪も多い。見た所、気難しそうな印象は無かった。やわらかい感じは、好印象だ。人見知りな私でも、そこまで緊張せず診察室で話が出来た。

 医者から、痛む場所と痛み方を問われ、私は痛む場所を『点』で表現した。首から足のつま先まで、どこに痛みが生じているのかを告げると、笹野医師は驚いた顔をした。


「何か、ネットなどで調べてきたことはありますか?」

「いいえ? 何も調べていませんけど……」


 私はてっきり、調べていないことに関して怒られるのかと身構えてしまった。自分の状態をまるで知りもしない。調べることをしないのは、愚者であったのかと不安を覚えた。だが、そういう話ではなかったらしい。笹野医師は、私の言葉を信じてくれた。カルテはパソコンと向き合って、カタカタとキーボードを打ち鳴らしながら作られていく。大学に進学するまでは、私はとても小さな町に住んでおり、ずっとお世話になってきた内科の病院も個人病院で、医者はおじいさんだった。手書きのカルテにしか馴染がなかったので、それだけでも大学病院は進んでいると感じた。近代的な診察室は、白く明るく。天井の電気も明るいLEDライトのようだ。


「線維筋痛症というものを、御存知ですか?」

「せんい…………いえ、聞いたことないです」

「あなたが仰った部位に、強い痛みがある。それは、線維筋痛症の患者に見られる症状と一致しているんです」

「そう、なんですか」

「痛みを和らげる治療を、探していきましょう」


 初めて耳にした病名が、本当に私の病気だったのか。それは、時が過ぎた今でも分からない。私は、他にも病を患っているからだ。


 大学三年生のときに行われた、教育実習。

 私はそこで、酷いパワハラを受けた。


 不眠症からはじまり、鬱症状がはじまり。

 それが、『心の病』となり、私を厳しく攻め立てて来る。

 全ては、この『心の病』のイタズラだったのではないかと、私は裏読みしてしまう。


 笹野医師のもとで、すぐに治療がはじまった。血液検査では、多量の血を抜かれ、五個か六個くらいの容器に分けられていく。真っ赤ではない、黒っぽい赤だ。それがまた現実的だなと、注射の針が静脈に突き刺さっている様子を直視しながら、私は内心で思っていた。自傷行為に手を出している私にとって、血は珍しいものでもない。ただ、手首の傷を作っても、このような色の血には出会えないのだ。手首から流れる鮮血は、本当に薄っぺらい赤色をしていた。上辺だけの傷色をなぞると、表面上だけの色素しか生まれないのだろうか。私の行為が、浅はかだと突きつけられているようにも思える。

薬は、痛み止めでよく知られる錠剤をはじめ、色々な薬を試していった。2週間から1ヶ月単位で、薬を変えていく。大学病院の近くにアパートで独り暮らしをしていた為、通院が楽であるのは幸いだ。自転車で十五分ほどの距離にある。心の病が酷く、外へ出るのも辛い私にとって、距離が近いというのは大きい。

大学三年の秋に心を病み、今、四年生ということだが、私は大学も休みがちになっていた。朝、目覚ましの合図で起き、なんとか講義に出ようと外へ出る。しかし、六階から一階までエレベーターで下りているだけで、ぐわんぐわんと世界が暗転してしまう。『今日こそは、登校しよう』と決心した意志が、大きくぶれる。結果、自転車にまたがって少しこいだところで立ち止まり、田んぼのあぜ道でアパートに引き返す。それの繰り返しだ。外へ出られた日の方が珍しく、エレベーターにすら乗れない日が多かった。単位数は、十分に稼いであった為、そこはまだなんとか補える。しかし、卒論が一向に進まないことには焦りを感じていた。

 焦れば焦るほど、前に進めなくなってしまった。まるで、暗闇に突っ伏した私の足を、誰かが冷たい手で強く引っ張っているような感覚だ。もがいて足掻いて、先に行こうとしても、視界は暗く見えなくなり。身体は重く、思うように進めない。このままでは、これまでの頑張ってきた私の全てが、無駄になってしまう。たった一人のとち狂ったパワハラ教官のせいで、私は人生を棒に振ることになったのだ。私はずっと、ずっと、心の中でその教官を恨み続けていた。きっと、この憎しみが癒えることは無い。一生私はパワハラ教官を赦すことはないと、強く断言できる。

 出来ることならば、その教官を抹消したい。今すぐにでも、切り裂いてやりたい気持ちだ。ただ、ひと狩りで息の根を止めるなんていう生易しい配慮はしてやらない。地方公務員という座から引きずり下ろし、社会のゴミとして見下されるべきはお前だ、と。証拠を集め突き詰めてやりたい。私を壊したのは、お前だ……その気持ちは、病み苦しみ狂った私の中で、いつでも一番先を行く。

 私が今、死なずに生きているのは、『復讐心』からではないだろうか。このまま死んだら、きっと楽になれる。しかし、私が死んでもあの教官は何の罪も痛みも背負うことが無い。それこそ、私が無駄死にしただけの事実が残るにすぎない。それは、あまりにも惨めだ。選びたくない、選択肢であった。

 

 笹野医師は、優しかった。大学病院は、私がこれまでかかって来たどの病院よりも大きく、どの病院よりも医療機器が備え付けられているような気がする建物だった。通路も明るい。そして、廊下にはカラフルな線が描かれている。内科、外科など、科によって色分けされており、患者が色を見て診察室へ進むことが出来た。私の通う膠原病内科は緑色だ。


「薬、飲んでも変わりませんか?」

「変わらないです」


 何度もやり取りを繰り返した。薬を変える度に、この質問にこの回答だ。そろそろ、お互いに疲れて来たところもあったかもしれない。笹野医師は、やわらかい口調で言葉を続けた。


「あなたは、他人ひとよりも痛みに耐性があるようですね。普通の人が痛いと感じるレベルは、痛みとして感知していないように思えます」

「……そうかもしれません」


 笹野医師は、ふーっと息を少し吐いた。カチカチ……とキーボードを叩き、全てを書き終えたのか。パソコンに向けていた視線を私の目に合わせ、口元には優しく笑みを浮かべた。それは、すべてを天に任せようとする、神父……或いは僧侶のような顔だった。全てに絶望したのではなく、人間の限界を告げるかのように、ゆっくり頷いた。


「これ以上、僕には何も出来ません。後はもう、この薬が効くように……」


 その後に続いた言葉が、これだ。


「祈ってください」


 私は、医者からも見放されたのだと、それを受け止めた。私は、自分自身でもこの結論に至るだろうことを、心のどこかで見えていた。この日が来る覚悟は、とっくに出来ていたらしい。あまり驚きを覚えなかったのが、その証拠ではないだろうか。どれだけ薬を変えても、改善されない。それなら、無駄に薬を飲み続けても、身体にかえってよくない気もする。それに加えて、毎月大学病院での治療費と、心の病を抱えて通っているメンタルクリニックの治療費で、お財布の中身はずっとスカスカだった。毎月、二万円近くが診察費と薬代で消えているのは、痛い。

 それならば、笹野医師側から通院を終わらせてくれたのは、私にとって吉報だったのかもしれない。あまり、楽観的な思考は出来ないのだが、そう思わずにはいられないところもあった。


「………………そうですね」


 長く間を置いてから、私は一言だけ添えた。そして、頷く。今手にした薬が、笹野医師からの最後の手段だ。だが、きっとこれも気休めにしかならないのだろうということを、私も笹野医師も知っていた。


 きっと、この病院へ来ることももうないだろう。私は、最後のお会計を済ませると、何故か物寂しいという感情が沸き起こった。病院に、笹野医師に、依存でもしていたのだろうか。最近、私が言葉を交わしているのは医者、或いは電話口での母親だけだった。

 大学の同じ科の友達は、皆優しかった。病むまでの間は、よく喋りよく色々な場所へも行き。そして、よく学んだ。高校までの環境とはまるで違い、勉強内容は本当に専門的なことが多く。また、高校までで習ってこなかった数式も、身につけなければならないほど、難しい講義も実験も多々あった。全学部共通科目の中には、宗教について語られる講義もあったし、交通事故の被害者のご遺体の写真を見て学ぶという講義もあった。私が所属している学部が教育学部だったこともあって、専門分野の講義には、『算数』や『図工』、そして『音楽』も含まれていた。大きな動物の頭の被り物を、厚紙と麻布。紙粘土で作るなど、他の学部ではなかなかない講義だと言えよう。胴長を着て川の中に腰まで浸かり、水中生物の採集などもあった。川岸から反対側の岸まで、蛇がうねうねと身体をくねらせながら泳いでいる様子まで目撃した。

 講義中だけではなく、食堂でも友達と一緒だ。一緒に講義を受け、一緒に休み時間を過ごす。私はよい学校に入れ、よき仲間に巡り合えたと、心底世界に感謝していた。


 全てが、楽しいと思える大学時代を送っていた。

 待ち望んでいた世界が、そこにはあった。


 だがそれは、完膚なきまでぶち壊されたのだ。

 『教員』を夢見た私は、現役の『教員』によって殺された。


 今はもう、友達のことを『友達』だと見えなくなっている。

 私の視界は悪く、心の目は錆びつき同時に腐食してしまった。


 大学に入る為に、それを目標に掲げ、勉学に励みに励んだ高校生時代の三年間。教師になることを夢見て、教育学部に無事進学。多くの免許や資格を取る為に、夏休みなどの長期休みも返上し、集中講義に明け暮れた大学生活。全てが泡沫のように弾けて消えてしまった感は否めない。私の人生の先に、明るいものなど一切見えない。真っ暗な世界の中、打ちひしがれている。何の希望も無い私に残されたのは、効く気がしない痛み止め。温和で、優しく。しかし、医者でありながら、最後は『祈る』ことを私に示した笹野医師は、それこそ神の遣いだったのかもしれない。どうしようもない私には、神頼みに任せるほか無かったのだろうか。

 私は、なんとかアパートまで戻ると、とりあえず薬の袋を手にしたまま、ベッドの上に座った。単純に、疲れたのだ。痛み止めの薬は、私の手の中に納まっている。私は今、ギリギリのところで生かされていると感じた。


 生きたくて、生きているのではない。

 私の身体中の切り傷、痣がそれを裏付ける。


 しかし、私は……痛みを引きずり抱え込みながらも、生きているのだ。


 笹野医師から処方された最後の薬は結局、予想通り効くことはなかった。1ヶ月分を正しく飲み干して、空になっても次にまた、笹野医師を訊ねることはしない。私は、痛みと付き合いながらも、この先を歩けるだけ歩いていこうと決めた。

 いいじゃないか。自ら痛みを与えなくとも、身体の方から痛みを与えてくれる。その痛みは、目では見えない。痕として残る切り傷や、見ただけで分かる痣なんかよりも、私にとって都合がいい。痛いというのも、人間の中に生まれるひとつの感情であり、感覚だ。

 自傷行為も、同じだろう。生きるために、痛みと流血で心の中のモヤモヤを、誤魔化そうとする所作だ。滴れ落ちる血液には、ストレスを流す作用でもあるかのようで、不思議と心が落ち着いていく。ただ、切ったばかりの間は、ズキズキとした痛みと鮮やかな血に安堵するが、それが収まると後悔が襲ってくるのだ。こんな傷を、誰かに見られたらどうしようと焦る。出来るだけ、傷を誤魔化せるように長袖を着るが、こんな自傷行為さえなければ、私はもっとファッションを楽しめただろう。食べ物を食べても、美味しいとは思えない。これもまた、心が病んでしまったせいだ。美味しいと思えないものを、多く摂取は出来ない。おかげで私の食生活は、もう成り立っていない。


 私はこれから、何のために生きていけばいいのだろう。


 教員になど、絶対になりたくない。今の私には、私を真っ暗な海の底へ突き落した人間と、同じ立場になりたいとは思えない。だからといって、他に生きる糧もないし、夢も無い。完全に方向性を見失ってしまった。


 そもそも、ここまで苦しみ、ここまで悩んでまで生きる必要性はあるのだろうか?

 私は、自分自身に問いかける。しかし、安易に答えが出ない。すべてを投げ出して、楽になれたら幸せだろうと思うのに、それが出来ない。ただ、その答えならば自分の中でもう見えていた。


 死ぬのが、怖いのだ。


 死んだ方が楽だと思う反面、体験したことのない『死』への恐怖は、確実に私の中に埋まっていた。現実から逃げたいのは事実だが、死に損なったらどうしようという不安もある。とにかく、『変化』を恐れているのだろう。波風立たず、穏便に温和にやり抜きたい。もう、心が疲弊しきっている中、頑張ることもしたくない。未来は到底見えないし、明るくも無い。それでも死ねないのであれば、生きるしかない。しかし、誰も私に未来への誘導を促してはくれないのだ。精神科の先生や、薬局の先生は話を聞いてくれる。しかし、それは仕事の上でのことに過ぎないだろう。私のことを、本当に思って言葉をくれているとは、まだ信頼しきれていない。


 私は、こんなにも臆病だったのか。

 こんなちっぽけな私が、誰かの上に立てるはずもない!


 ぽた、ぽた、ぽた……。

 涙が、頬を伝い顎から下に堕ちていく。頬に冷たいという感覚が与えられ、私は目を見開いた。しばらく、涙すら流していなかったからだ。久しぶりの感覚に、私は戸惑いを隠せない。

 自分でも、どうにも出来ないくらいに抱えているものが完全にこんがらがってしまったのだ。ここまで酷く病んでいたことを、家族にはまだ伝えられていない。ママとパパは、元気だろうか。高校一年生となった弟は、何をしているのだろうか。無性に、家族が恋しくなった。

 電話はしていたが、あまり深い話は出来ていない。当たり障りのない会話を、数分するだけに留めていた。多くのことを話していると、泣きつきたくなりそうだったのかもしれない。

 私は、涙を流しながらスマホをカバンから取り出した。電話帳から、ママの電話番号を探すと、恐る恐る通話ボタンを押した。ピピピ……という音がしてから、呼び出し音が鳴る。3回、5回、7回……なかなか出ない。10回目くらいのコール音の後、接続が繋がった。


「あら、こんな時間に珍しいね。どうしたの?」

「…………ママ。ママ、ママ、あのね……」

「うん。なぁに?」

「………………ッ、ひっ、ひっく、っく…………ママぁぁぁ」


 優しいママの声を聞くともう、涙は止まらなかった。大粒の涙は、ボロボロと零れていく。一生懸命腕で拭っても、服があっという間に湿ってぐちゃぐちゃになる。鼻水もずるずるだ。私はなりふり構わず、泣きじゃくりながらママに最近のことを伝えた。私が今、とても辛いということ。学校にも行けていないこと。病院にも通っていること。伝えたくても、反応が怖くて伝えられなかった全てのことを、私は1年以上の年月をかけてようやく、言葉にすることが出来た。

 ママは、反論することなく。うん、うん……と頷きながら、私の言葉を聞いてくれた。そして最後に、ママから言葉が返って来た。


「辛かったね。いっぱい、我慢してきたね。いっぱい、頑張って来たね」

「………………ぅん」


 離れてしまったと思っていた家族は、どこまでも優しかった。

 涙を流しきった私は、ある決断を下す。


 大学を休学し、家に一度戻る道を選択した。


 ◇◇◇


 あれから、数年。

 私は今もなお、病んでいる。


 それでも、大学は遅れながらでも卒業をした。

 それは、自分が納得したかったからだ。


 社員として働くには、心が病み過ぎてしまっていた。

 そのため、パートとして働き先を見つけ、少しではあるが働きに出ている。それが、今の私に出来る、精一杯の活動だった。今はもう、自傷行為はしていない。傷があると、社会人としては生きにくいと痛感したからだ。『死』を選ばなかった私は、必然的に『生きる』ことを選択したことになる。それならば、生きる上で必要な行動をとらなければいけない。全てに対してNGを掲げることは、単なる我儘になってしまう。かれこれ、三年間は自傷行為から離れている。タバコと同じで、辞めるには覚悟と忍耐が必要だが、辞められないこともないということが、今の私は知ることが出来た。それは、一歩前進した証と言えるだろう。

 まだ、メンタルクリニックに通院もしているし、心の病は癒えていない。家族の助けが大きいので、私は実家から通える範囲で仕事をしていた。


 心の中に、これという『夢』は未だ見つかっていない。

 一度失われた夢を、新しく見出すことは難しかった。


 それでも、今の私には思うことがある。

 『祈り』も、あながち悪い物ではない……ということだ。


 医者ですら、匙を投げることもある。

 それなら、私だって嫌なことを丸投げし、祈りを捧げてみてもいいだろう。


 気休め程度にでも、祈ってみる。

 非科学的ではあるが、それがどこかで救われるのであれば……。


 私はふと、手を合わせた。

 私が今日という一日を、無事に生き延びられますように…………と。


 はじめまして、或いはお久しぶりです。

 小田虹里です。


 最近、執筆を頑張っております。ジャンル変えと、方向性の転換期……ということで、出来るだけ多くの作品に触れ、書いていきたいと思っています。色々な方の作品を読ませていただきながら、自分らしさを模索しています。まだまだ、完成形が見えていませんが、コツコツと地道に歩いていこうと思っています。

 久しく、なろうで小説が出せていなくて。ずっと、足踏み状態でした。作品を読むペースも遅く。なかなか読めていませんが、実はこっそり読んでます。自分の作品も、たまに読み返しています。まだまだ、青いなぁ。荒いなぁ、と。でも、それを踏み台にして、成長できたらいいなと思っています。


 今回の作品は、ほぼほぼ実体験でした。(笑)


 所々違うのですが、だいぶん小田の実体験ですね。だからこそ、書きやすさもありました。しかし、もっと生々しく、傷は痛々しいものだったので、その辺の加減は曖昧となってしまいました。まだ、ダークになり切れないところがあるのかもしれません。もっと、一線超えるくらい振り切って、ぐちゃぐちゃな話も書いてみたいと思うのですが、どうも躊躇してしまって。


 実際は、やっぱり物語よりも苦しいし、綺麗なものじゃないんですよね。


 作中でも、あとがきでも、表現しにくいところがあります。いっそのこと、そこを表現していけるようになったら、病んでる作者として生まれ変われそうですよね。もう少し、考えながらそこは進めていきたいです。

 病んでる小田だからこそ、見える世界って……絶対あると思うんです。病んでいなかったときは、まるで考えもしなかった世界が、今の小田にはありますからね。それが、良いのか悪いのかは、分かりませんけど。なってしまったのはもう、どうにもならないので、これを糧にするしかないですよね。それこそ、死んでしまったらそれまでで。生きることを選んだ小田は、誰かがこれを目にして、『自分も生きよう』と思っていただけたらいいな、と。

 生きることは、難しい。親元を出た今は、お金がいかに大切なのかというのも、痛感しています。親に、甘えていたのだなという事実を、噛みしめています。あとは、大切な人は家族だけではない、ということですね。今回の作品では、家族によって救われたところがあります。でも、決して逃げ場や居場所は、家族内にしかないというものではないと、それは若い世代の子に知ってもらえたらいいなと思いました。

 つまるところ、生き抜く上で必要なアイテムは、いろんな場所に隠れているから。悲観しすぎないでね、ということでしょうか。小田に出来たのだから、あなたにもできる……なんていう、横柄な物言いはしません。だって、ひとそれぞれ感性も生きて来た環境も、今居る立場も違うんですもの。そりゃあ、偉そうなこと言えませんよ。


 ただ、小田も悩んでいる時代があった。

 リスカもした、もっと酷いところに傷作ったこともあった。


 それでも、生きている。


 それ、だけですね。


 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

 ダークサイドな作家目指して、今後もいろいろな闇あんど病。たまに希望を、お届けできるよう努力していきますので、応援していただけると幸いです。


 評価、感想、アドバイス。

 いつでも、受け付けておりますので、そちらもよろしくお願いいたします。




 ありがとうございました。





 2021.5.6


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