戦士達の休息 第七話
硬いはずなのに、それを掴んだ瞬間、ゼリーを掴んだようなぐにょっとした感触が伝わってきた。
「ちょっと力抜きすぎじゃないの?」
振り下ろされたバットを片手で受け止めて、武御雷之装束姿の真希はそう挑発するように言った。
「な、なんであなたが……」
立ち上がる事さえできずに恨みがましくロメルスを見上げていた、夏美が信じられないといった驚きの顔を見せた。
「一分経ったからだよ。それ以外に何がある?」
嫌な感触がするバットを離して、目の前に立ちはだかるロメルスにニッと微笑みかけた。
「こいつらが避難するまで待ってくれないか? その後だったら、ボクがいくらでも相手してあげるよ」
「戦力喪失してる奴らにもう用はない。勝手にしろ」
三郎はそう言って、数歩後ろに下がった。
バットを定位置に戻し、仁王立ちになった。
「紗理奈、鳳香、倒れてる人たちを助けてあげて。こいつの相手はボクがする」
「やる気ですのね」
遅れてきた鳳香が困ったわと言いたげな顔をして、これまた遅れて来た紗理奈を顧みた。
「真希姉さんは戦い好きだから困りものですよね」
「ボクの悪口はいいから、早く」
「は、はい!」
紗理奈は背筋を正して、倒れている人の方へとキビキビとした足取りで走っていった。
「なぜなのかしら?」
鳳香と紗理奈が遠くに行き、二人きりに近い状態になったところで夏美がそう訊ねた。
「突っかかってくる奴だから見捨てるなんて事は、ボクにはできないよ」
「いっそ、あのまま……」
「勘違いしちゃダメだよ。あんたを助けた訳じゃないよ。ボクはボクの義務を果たしに来ただけだ」
若干照れ隠しの笑みをしながら、真希はそう答えた。
「素直じゃないんですのね」
「あんたほどじゃないよ」
二人にとって危険な状況にあるというのに、二人は口元に笑みをこぼした。
「あなたとはうまくやれそうにはありませんわ」
「それは、ボクだって同じだよ、うまくやれるはずないよ」
真希は夏美の顔を見るが急に恥ずかしくなって、前にでんと居座っているロメルスを見た。
大阪ジャガースカラーの外装は趣味が悪く思えて仕方がなく、顔を逸らして夏美を見るが、また恥ずかしくなって、またロメルスを見るという挙動不審な素振りを何度か見せた。
手当とかは苦手で、しようものなら、余計に症状を悪化させてしまったりするので、鳳香とかに任せることにしている。
そのために、何もできなかったのだ。
気まずいというよりもむしろ、どう話しかけたら良いのかという雰囲気になりかけていた時、
「このクーデター軍を鎮圧したら、学校からいなくなるんですのよね?」
と、夏美がとある問いを投げかけた。
突然の質問に真希は動揺を隠せなかった。
「だ、だと思う……」
話をしているうちに気が合いそうなのは分かった。だが、二人とも故意に距離を置こうとしていた。
「あなた方がいなくなると清々しますわ。安全にはなっているはずですし……」
強がっているようなのだが、歯切れの悪い物言いだった。
「平和なのはいい事だよ。本当はね、ボク達が出てくるべきじゃないんだ。いや、出てきちゃいけないんだ」
真希達は自覚している。
本来この世に出てきていい存在ではない事実を。
「……そ、そうね」
どう返していいのか困った顔をしてからの一言。
「そろそろよろしいでしょうか?」
鳳香が二人の間に立って、お互いの顔を交互に窺いながら、そう言った。
「ああ、いいよ」
真希は再びロメルスと向き合うよう顔を真正面へと動かした。
「また明日。この学校で会えたら、話をして上げますわ」
そんな夏美の声を背中で聞いた。
「またね」
真希は後ろを振り返らずに手を振った
「では、飛びますよ」
鳳香の朗らかな声がし、後ろの二人の気配が消えた。
「……さて」
すぐに一歩前に出て、指をポキポキと鳴らす。
「始めるよ」
真希はマーシャルアーツに近い構えを取り、人差し指で軽く煽った。
「待ちくたびれたぜ」
甲子園と書かれたバットを取り出して、バッターのように身構える。
「気が立ってるから、速攻で決めさせてもらうよ! 風来斬。その五の風、旋風烈」
呼吸のタイミングに合わせて、風をはき出すように拳を前へと突き出した。すると、小さなトルネードがその拳の先にすっと生まれる。
「なぎ倒せ!」
身体を回して、トルネードの固まりを思いっきり蹴り飛ばした。
竜巻を生み出したトルネードはロメルスへと一直線で向かっていく。
「破れたり!」
その竜に向かってバットを振り、ボールを打つようにその竜巻の芯を見事に捉えた。
力と力がぶつかり合い、空気が震える。
金属製のバットがミシミシと鳴きながらも前へ前へと押し出していく。
竜巻の固まりがだんだんといびつな形になるほどにへしゃげていった。
「ふははっ!」
三郎の高笑いがスピーカーから響くが、真希は平生と変わらぬ表情でその流れをじっと見守っていた。
「できたぜ!」
遂に竜巻の風の方向がねじ曲がって、風の向きが変わった。風の威力はそのままで、真希の方へとはじき返されていった。
「センスはいいね。でも……」
真希は向かってくる竜巻に向かい軽く平手打ちをすると、パッと何事もなかったかのように竜巻が消えた。
「武闘家のセンスじゃないね」
「女……強がりか?」
「普通のバットじゃないのは掴んだ時に分かったけど、それだけじゃどうしようもないよ」
その言葉は三郎の耳を素通りしたようで、再びバットを構えた。
「次はどうした?」
真希は三郎が何をしようとしているのかを悟った。だが、それが独り善がりにしか過ぎないことも同時に理解した。
「ボクがこんな事につきあう義理はないけど」
どのレベルまで耐久性があるのか好奇心がわいた。
「その四の風、群狼牙刃風」
手で狐を作り、円を描くようにその手を回していく。
すると、白い風でできた無数の狼の首が宙に浮かび上がる。
真希の前が白っぽい靄のようなもので覆われてきたような様子になった。
「行け、狼達よ」
狐を解き、平手で軽く押してやると、その狼達が一斉にロメルスへと突進していった。
「くぅ?!」
数があまりにも多すぎて、打ち返すどころではなかった。腕でコックピット付近をガードする。
狼達はロメルスに進路を合わせ、高速で衝突していく。だが、アンチマジカルコーティングのためか、当てるとすぐに風は収束していった。
「これもダメ……ね」
すべての狼が消えたものの、ロメルスには傷一つ負わせることができていない。
真希は驚くどころか、当然だと言いたげにその成り行きを見届けていた。
「こんなもので勝てると思ったのか?」
ガードを解き、バットを構えなおした。
「こんなのは守人四十七士の間で通用する技じゃないよ。本番はこれからかな? 勝ちたいのなら、やられる前にボクを倒すことだね」
肩から力を抜くと同時に、構えを解いた。
「その参の風、吐息千里を駆ける」
真希は唇に人差し指と中指を当て、投げキッスをするように吐息と共に、その指を離した。
「は?」
ものの一秒も経たないうちに、三郎のロメルスが手にしていたバットの中央に唐突に風穴が開いた。
風が突き抜ける音がした時にはもう穴が開いたのだ。
三郎の動体視力を持ってしても、何が起こったのかが把握できなかった。
「な、何をした!!」
「次は手だよ」
三郎の叫びを聞き流して、再び投げキッス。
「なっ?!」
一秒も経たずに、バットを持っている手がガラスのように砕け散り、バットが轟音を立てて校庭に落下した。
「少女の皮をかぶった化け物が!」
三郎は恐怖に駆り立てられるように、かかとのキャタピラを全速力で回して真希へと突っ込んでいった。
手が破壊され、武器が持てないというのに拳を振り上げて迫ってくる。一時的な錯乱状態なのかもしれない。
一方、真希は冷静そのものだった。
「その弐の風、風之闘衣」
間近まで来ていたロメルスはぼろぼろとなっている拳を真希へと叩きつけた。
「あんたを倒すのに神器も零の風も使う必要はないよね」
パンチは見えない壁に遮られているかのように寸止めに近い形で止まった。
「なぜ、そこで止まる!」
「風の鎧をまとっているからだよ。風はボクの友だからね、守ってくれるんだ」
制止しているかのように見える拳を片手で振り払う。
その腕とは別の腕を振り下ろしてくるが、これもまた風の壁によって遮られる。
何度も何度もパンチを繰り出し、真希をたたきつぶそうとするが、それは叶わなかった。
すべてが風によって防がれ、掠りもしなかった。
「こ、こいつがぁぁぁっ!!」
飛び上がり、急降下しつつ蹴りを繰り出してきた。
「あんたはスポーツなら良いところまで行けたと思うけど」
十数トンもの重さのロメルスの蹴りさえも風之闘衣は受け止めた。
そのロメルスの足を真希が手で払い除けると、風に煽られたように宙へと舞う。
「根っからの武闘家じゃないのが致命的だよ」
腕を挙げ、
「その壱の風、風一文字」
スッと縦に振り下ろす。
一線の風が三郎の機体を突き抜けた。
「格闘家ではエースにはなれないというのか、俺はぁぁっ!!」
三郎の叫びに促されるように、その機体が真っ向から両断されたように離れ始めた。
内部の機器類や装甲まで綺麗な断面を描いて切断され、芸術的な領域にまで達していた。
「センスはあったかもしれないけど、それだけじゃ不十分だね。志が足りないよ」
もう終わったと言いたげに、真希は背筋をクッと伸ばした。
「違うっ! お、俺は不滅のエースだ!!」
切断面からバチッと火花が飛び散り、それが燃料か何かに引火し、その叫びに応じるかのように機体が盛大に爆ぜた。
パラパラと残骸が校庭や校舎に降り注いでくるが、真希は全然気にしてはいなかった。
「エース? そんなにこだわってるからダメだったんじゃないの?」
真希はそう言いながらも、空しい思いにとらわれた。
エリートだの、エースだの、そういった選民意識は好きではなかった。
なまじっかそういう意識がある場合、悲劇を生むということを知っているからだ。
「……そういえば、夏美とはこれが終わっても会えるのかな?」
今の戦闘の事を忘れようと他の事を考え始めた。そんな真希の思いを察してか、一迅の風が校庭を吹き抜けていった。




