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ナイーブベイズの境界線  作者: 山吹 裕
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8. ルシクラージュ

 今日は駿河電工の事件の聞き込みを行うため、朝から石島と行動することになっていた。ビジネスホテルの前に乗り付けられたセダンには、既に生駒が後部座席に座っていた。

 挨拶を交わして生駒の隣に座る。席の真ん中には、荷物が詰まった威圧感たっぷりのドラムバッグが縦向きに置かれていた。


「今日はイコさんもいるんですね」

「解剖の報告がてらね」


 生駒が膝の上に乗せていた検案書を私に差し出した。相変わらず字が汚いので読めない。


「硬直、死斑、直腸温、どれも経過時間を示す結果は同じで、死亡時刻は一昨日の二十三時で間違いなさそう。死因はマシニングセンタのドリルによる出血と脳裂傷。頭蓋骨から掻き出されていて、ほとんど残っていなかったけど」


 私と石島は思わず顔をしかめた。私は窓を少し開けて、外の冷たい空気を中に入れた。


「それから、改めて首の擦過傷がロボットのハンドと一致したよ。向きも首を回転させる方向に伸びているから、ロボットから逃れるために暴れていたというのは間違いないと思う。それから、右手の手のひらにできた防御創も、複雑な創口でドリルの刃と一致してた」


 説明は終わったようで、生駒は検案書を奪い取ってドラムバッグの中に戻した。


「私は立場的に、ロボットの暴走が原因だなんて認めるわけにはいかないんですけど、ここまで証拠が揃ってしまうと自信が無くなってきました」


 弱音を聞いて欲しかったのだろうか。私は誰ともなしに呟いた。


「新人の刑事にありがちなんだけど、証言や証拠に引きずられすぎなんだよ。解剖は、客観的な状況を伝えることしかできない。あくまで判断するのは刑事とナカさんだよ」


 生駒の言葉が胸に突き刺さり、返事の代わりに深く頷いた。見通しが立たない事件が続いて、弱気になっていたようだ。ルームミラーに、口角を上げて笑う石島の顔が映っていた。

 ウィンカーが点滅し、車が側道に入る。国道一号であることを示す青色の看板が見えた。


 到着したのはガンマエンジニアリングの工場だった。見覚えのある平らな屋根の建物にポップな字体の名前が書かれている。

 今回は迷うことなく工場の中に入ったが、通路の両脇でセットアップされているロボットや工作機械を見て、生駒が足を止めてしまった。


「先行ってて。あたしは少し見学してく」


 石島は手を上げて無言で返事をしながら、すたすたと先に進んでいく。奥にあるプレハブのような用談室に入ると、岡部が沈んだ表情で座っていた。


「駿河電工のシステムの担当者も岡部さんでしたか。お辛いかと思いますが、話をお聞きしてよろしいですか」


 岡部は黙って頷いた。流した視線で私と挨拶を交わす。


「駿河電工の事件の詳細はご存知ですか」

「テレビのニュース程度です。……あんな事故があった後なので、気をつけろと話していたのですが、まさかこんなことになるなんて」


 泣き腫らしていたようで、岡部の目は赤い。


「事件当日、岡部さんは伊藤さんと一緒にいらっしゃいましたか」

「いや、月曜日に会ってからは、連絡していませんでした」


 彼の言う月曜日というのは、三島重工の事件当日の逢瀬のことを指しているようだった。


「伊藤さんの人間関係はどうだったでしょう。恨まれるようなことはありましたか」

「素敵な女性でしたから、恨まれることはなかったと思います」


 濡れた目を見据えて答えた。


「それでは、柳という方をご存知ですか」

「知らないです」


 伊藤が最後に電話をしていた人間なので、岡部と面識があるかと思われたが違うようだ。あるいは、電話に登録されていた苗字が偽名なのかもしれない。


「続いてシステムについてお聞きします。マシニングセンタのドアが壊れていたことはご存知でしたか」

「いや、知らなかったですが――ひょっとして、それが原因で里香は亡くなったんですか」


 岡部の額に汗がにじむ。


「いえ、調査中ですが、直接の原因というわけではないようです」

「よかった……」


 椅子の背もたれに寄りかかる。


「心苦しいのですが再度聞かなければならなくてですね、一昨日の夜はどこにいましたか」

「居酒屋にいました。この前、中川とも行った店です」

「それは何時頃まででしょう」

「十一時まではいたと思います。レシートがあると思うんですが……。これです」


 岡部は作業着のポケットから財布を取り出し、中からレシートを取りだした。


「ありがとうございます、お預かりします」

「中川さんからは、何かありますか」


 彼女を亡くしたばかりの友人に質問するのは気が引けたが、私も生活がかかっているので話しかけた。


「駿河電工でもルシクラージュを使ってるのか」

「あぁ。ネットワーク周りに関しては、三島重工とほぼ同じシステムになってる」


 思った通りだった。駿河電工のシステムのネットワークに繋がっていたのは、三島重工と同じエッジサーバーと、その先の最適化ソフトだ。


「開発元からも話を聞きたいと思うんだけど、どこから購入してるか教えてくれ」

「分かった。ちょっと待ってろ」


 岡部は用談室を出て行った。


「ルシクラージュというのは、三島重工でも使われていた、ロボットの動きを最適化するというソフトのことですよね。二つの工場で使われているとなると、関係が疑われますね」


 戻りを待つ間、手帳を見返しながら石島が呟いた。

 五分も経たずに、岡部が脇に分厚い本を抱えて戻ってきた。机の上に置かれたのは、光沢のある白い装丁の説明書だった。表表紙にはRECYCLAGEと印字されている。ページをめくると、画面の写真と操作説明がびっしりと書かれていた。見覚えのあるジャード製のロボットの絵も描かれている。ロボットの開発者としてとても興味をそそられるが、今は読んでいる時間が無い。ひっくり返すと、ファクトリーネットワークスという会社名が書かれていた。

 石島に習って、スマホで連絡先を撮影する。所在地は池袋になっている。今日中に話を聞きに行くのは難しそうだと思った。


「やりとりしているのは、藤岡という人だよ」

「分かった、ありがとう」


 用談室のドアが開き、生駒が中に入ってきた。挨拶もせずにずかずかとテーブルに歩み寄り、岡部の顔をじっと見つめる。岡部は無言で視線を受け止めていた。


「なにか、僕の顔に付いていますか」

「いや、なんでもない。科学警察研究所、捜査支援研究室所属の生駒累」


 思い出したように身分証明書のカードを提示した。


「科学警察研究所。そんな大仰なところからいらっしゃっているんですか。僕はガンマエンジニアリングの岡部です」

「邪魔したみたいでゴメンね、続けて」


 生駒は珍しく謝罪の言葉を述べて、空いていた椅子に腰かけた。


「いえ、話は終わりました。この度は、ご愁傷さまでした」


 岡部は会釈をすると、足早に用談室を後にした。去り際に目元を拭っていたのが見えて、心が抉られるような気持ちになった。


「十一時までお店にいたということは、店から現場まで車でも三十分はかかりますから、アリバイになりますね」

「そうですね。裏付けのために店に確認はしてみますが、レシートも残っていますし、証明できそうです」


 お手洗いを借りて戻ってくると、石島が携帯電話を内ポケットにしまっていた。


「ファクトリーネットワークスと連絡がつきました。このまま聞き込みに行きましょう」

「今から? どこにあんの」


 生駒はいかにも嫌そうな顔をしている。


「東京です。安心してください、運転は私がしますから」


 石島が満面の笑みを浮かべて答えた。今日中に行くのは無理だという自分の判断を思い出し、根性の無さを恥じた。


 ファクトリーネットワークスの本社に到着したのは夕方だった。池袋の立ち並ぶビルの中にあり、看板には全ての階がファクトリーネットワークスの所有であることが記載されている。あまり聞かない名前だが、かなり大きな会社のようだ。

 駅前から離れており、少し入り組んだところにあるが、絶えず車と人の通行がある。都会の持つ力を久しぶりに感じ取った。

 自動ドアを通って建物の中に入る。まず迎えてくれたのは綺麗で広いホールだった。控えていた警備員に事情を話すと一階の会議室に通された。


「ソフト会社って、いい立地にあるんだね」


 生駒はブラインド越しに窓の外を眺めている。


「工場のように敷地や水が必要ないですからね。アクセスの方が重要なんだと思いますよ」


 私は部屋の中を歩き回りながら答えた。壁際には、テレビ会議を行うことができる、専用のカメラやテレビが設置されている。こういった環境で発注元と打ち合わせを繰り返しながら、ソフトを作っていくのだろう。

 ノックの音がした後、会議室のドアが少しだけ開いた。眼鏡をかけた女が遠慮がちに隙間から顔を出す。


「警察の人が来てる部屋というのは、ここでよかったですか」

「はい、私は静岡県警の石島です。急な連絡にもかかわらず、会って頂きありがとうございます」


 石島が警察手帳を見せると、女はようやく部屋の中に入ってきた。勤務中の私服が許されているのだろう、トレーナーとジーンズという、休日の気を抜いたときのような格好をしている。パーマか寝癖か判断はつかないが、少しカールした艶のある黒髪を肩まで伸ばしている。本人には言えないが、いかにもプログラマらしい雰囲気の人だった。


「藤岡です。本当は月末の忙しい時期だったんですけど、警察から会いたいなんて言われたら、断れるわけないじゃないですか。あ、冗談ですよ」


 藤岡が辛うじて聞き取れるくらいの早口でまくし立てる。見た目に反して、よく話す人だった。


「それは失礼しました。藤岡さんが、ルシクラージュを開発されたんですか」

「正確には、ルシクラージュの開発チームのリーダーです。でもほとんど一人でやったようなもんだから、そういう意味だと私が開発したっていうことでいいのかな」


 質問した石島が面食らっていた。イェスノーで答えられる質問が、その度に長くなって返ってくる。少し厄介な人のようだ。


「ルシクラージュの特徴を、簡単に教えてもらえますか」

「はい。クライアントがネットワーク経由で弊社の専用パソコンと解析ソフトを使用する、SaaS形態のアプリケーションです。クライアントのセンサデータを深層学習にかけることで、ロボットの動きを最適化することができます」


 コンパクトに要点がまとめられた回答だが、彼らが望んでいる『簡単』とは異なる。石島と生駒が私の方を振り向いた。


「SaaSというのは、ソフトウェアアズアサービスの略で、ソフトをネットワーク経由で提供する商売です。工場でパソコンやソフトを用意しなくても、ファクトリーネットワークスさんから借りられるんです」

「検索サイトがやってる、メールサービスみたいな感じ?」

「そうです」


 生駒の質問に対して答えた。


「どうして借りるんですか。自分でパソコンを買って、ソフトをインストールすればいいじゃないですか」


 次の質問は石島からだ。


「二つ理由があります。一つ目は、イコさんが言っていたメールサービスのように、自分でメールサーバーを作らなくても、いろんな端末や場所からアクセスできるからです。二つ目は、解析用のパソコンというのは高性能で高価なものなので、借りた方がメリットが大きいからです」


 藤岡が私の顔を覗き込んできた。開発チームのリーダーと言っていたので、勝手にそこそこの年齢だと思っていたが、ほうれい線も首のしわもなく、若そうだった。


「あなたは? 失礼ですけど、刑事さんじゃないですよね」

「自己紹介が遅れました。捜査に協力させて頂いている、中川です」


 軽く頭を下げて挨拶する。そういえば藤岡の登場がイレギュラーだったので、石島から紹介を受けていなかった。


「ひょっとして、お会社は」

「ジャードという会社の技術者をしています」


 今まで聞き込みのときに私個人のことを聞かれることは無かったので、戸惑いながら答えた。説明を言い直されたことに対して怒っているのだろうか。


「やっぱり、ジャードの技術者さんだったんですね。ずっとお会いしたかったんですよ」


 予想に反して、藤岡は急に喜び始めた。私は面食らって、はぁと言葉を漏らした。両手での握手を求められ、しぶしぶと応じた。


「クロノスの制御についてなんですけど、ちょっと聞いてもいいですか。今ルシクラージュで対応しようとしてるんですけど、なかなかうまくいかなくて」


 クロノスは、天井に吊り下げて使用する、パラレルリンク型のロボットである。本体から伸びる、先端が一点に集まった三本の細い腕をそれぞれ動かすことで、ハンドが付いた先端を自由な位置に移動させることができる。腕に似た多関節ロボットとはまったく異なる構造のため、人間とは次元の違う『目にもとまらぬ』速さで作業を行う。


「いいですよ。まず制御方法ですが」


 背中に冷たい視線を感じながら、私はパラレルリンクの仕組みや制御方法について藤岡に説明した。話を引き出しやすくなると、自分に言い聞かせて。元々ソフト系ではなく機械系の大学の出身だったという彼女は飲み込みが早く、短時間の講義だったにもかかわらず、深いところまで理解できていた。


「ありがとうございました。教えてもらったことを、ソフトに取り込んでみます」

「どういたしまして。ジャードのロボットの拡販に繋がるなら、喜んで教えますよ」


 手を差し出した藤岡と握手を交わした。もっとも、先の事件の原因がロボットの暴走だったとすると、拡販どころではなくなってしまう。


「中川さんの連絡先を聞いてもいいですか」


 私は頷き、名刺入れから名刺を取り出して渡した。藤岡はそれをしげしげと眺め、大切そうにクリアファイルのポケットに挟んだ。


「あたしには名刺をくれなかったのになぁ」


 なるべく気にしないようにしていたが、声をかけられたので仕方なく、冷たい視線を浴びせかけていた一人の方を振り向く。生駒がむすっとした表情をして腕を組んでいた。


「そうでしたっけ。イコさんもどうぞ」


 出しっぱなしにしていた名刺入れからもう一枚出して、生駒に渡した。彼女は藤岡と対照的に、目を通すと無造作にドラムバッグに突っ込んだ。

 冷たい視線を浴びせかけていたもう一方である、石島が咳払いをした。


「そろそろ、こちらから話をお聞きしてもよろしいですか」

「すみません、私ったら取り乱してしまって。そういえばずっと立ったままでしたね。よろしければ座って下さい」


 藤岡に促され、私達はようやく席に着いた。


「ルシクラージュの説明の中にあった、深層学習というのは何なんです」

「機械学習という、人工知能の一つです。多層化されたニューラルネットワークを通すことで、問題を解決するための特徴量を見つけるんです」


 石島と生駒が再びこちらを振り向いた。私は藤岡の顔を見て、説明を代わって良いか許可を求めた。


「人工知能は分かりますよね。コンピュータで人間の知能を真似しようという試みです。ニューラルネットワークは人工知能を実現するために使用される方法の一つで、人間の脳の構造を真似るという、順当な考え方をしたアルゴリズムです。ニューロンについては、イコさんが詳しいんじゃないですか」

「馬鹿にしてるね。脳みそは樹状突起と軸索から構成されたニューロンがたくさん集まってできていて、それぞれのニューロン間は、シナプスによって情報が伝達されてる」


 両手を樹状突起と軸索に見立ててジェスチャーを行いながら、生駒は得意げに答えた。


「そうです。それと同じように、ニューロンをパソコンの中で再現して、その繋がりの強弱を変えることで、問題を解決できるんです」


 途端に生駒の顔は苦虫を噛み潰したようなものに変わった。


「どうしてニューロンを真似することが、ロボットの最適化に繋がるの」

「それは私から説明します」


 藤岡がクリアファイルを開き、紙とペンを机の上に置いた。


「ロボットの動きというのは本来、プログラム通りの決められたものなんですけど、ルシクラージュはわざとそこにランダム性を持たせています。良くなるか悪くなるかはともかく、本来の動きから数ミリずらすんです。そして、このときのプログラム、動作時間、センサの情報を取得します」


 紙の右側に、AからEのアルファベットを縦向きに書いた。


「動作時間が短くなるプログラムは良いプログラムですよね。モーターの負荷が少ないプログラムも、モーターの寿命が長くなるので良いプログラムです。それから、外気温は動作時間や負荷に影響するかもしれません。想像し難いですが、湿度や電気の質も。では、総合的に考えると良いプログラムはどんなプログラムでしょう、生駒さん」


 いつの間にか講義が始まっていたようだ。急に振られた生駒があたふたする。


「動作時間が短くて、モーターの負荷が少なくて――」

「では、動作時間が一番短いプログラムと、モーターの負荷が一番少ないプログラムはどちらが良いプログラムですか。こういったことを勝手に考えて、良いプログラムを選定するのが深層学習です。教師なし学習というやつですね」


 藤岡は話しながら、紙の真ん中に円と線を書き加えていく。円は三つの列上に並んでおり、右の列では五個書かれていたものが、真ん中の列は三個、左の列では一個になっている。それぞれの円は隣り合った列の円と線で結ばれている。


「ルシクラージュでは、たくさんの試行したプログラムや動作時間、センサの情報を全て最初のニューロンに投入します」


 紙の右側に書かれたアルファベットから、右の列にある五個の円に向かってそれぞれ矢印が書き込まれた。


「ニューロンは伝達されやすい情報だけを次のニューロンに送ります。良いプログラムは伝達されやすいので、最後のニューロンまで伝わりますが、悪いプログラムは伝達されにくいので、途中で無くなってしまいます」


 線の上にバツ印を書き込む。経路が絶たれていない線を辿って、円から円へと矢印を書き込む。BからEのアルファベットから伸びた矢印は途中で途絶え、Aから伸びた矢印だけが一番左の円まで届いた。Aの上に、よくできましたとばかりに花丸が書き込まれた。


「こうして良いプログラムを選定できるんです」


 石島と生駒は、ぶつぶつ呟きながら、零れ落ちていく記憶を留めようと奮闘していた。


「大丈夫ですか」

「止めろ、今覚えたことが漏れ出す」


 面白そうだと思い声をかけたが、生駒に怒られた。二人の代わりに私が尋ねることにした。


「ソフトの引き合いは多いんですか」

「元ジャードの方が気に入って下さって、よく使ってくれます」

「ひょっとして岡部ですか」

「はい、やっぱりご存じなんですね。岡部さんが使って下さったのをきっかけにして、いくつかの会社に採用頂いたんです」

「それらの会社で、これまでにルシクラージュで事故があったことはありますか」


 手帳に記憶を写し終わった石島が会話に参加した。


「いや、無いですけど」

「実は、立て続けに工場で事故がありまして、そのどちらにもルシクラージュの関与していることが分かったんです」

「ひょっとして静岡の事件ですか。ルシクラージュでは、コード網羅率百パーセントの厳格なテストを行っています。事故はありえません」


 藤岡は強い口調で言い放った。コード網羅率は、プログラムのソースコードに対して、どれだけテスト条件を網羅できているかを示す指標である。確かにコード網羅率が高ければ信頼性は高くなるが、人工知能のすべての条件でテストを行うことが現実的に可能なのか、疑問に思った。


 ファクトリーネットワークスを後にし、飲み屋から漏れる、食器の当たる音と盛り上がった声を浴びながら、駐車場へと向かう。外はすっかり暗くなっていたが、人通りは多かった。


「凄かったね」


 生駒がぽつりと呟いた。


「あぁ、凄かった」


 珍しく石島が同調する。その顔は若干上気しているようだった。


「えぇ、よく喋る人でした」


 私も話を合わせることにしたが、生駒が怪訝そうな目を向けてきた。


「そこ? メロンでも入ってんのかっていう、ボンって感じの胸じゃなくて」


 そう言われると豊満だった気もするが、ロボットや深層学習の話に夢中になっていて、そこまで気にしていなかった。


「そうでしたっけ、話に集中していて気付きませんでした。今度よく拝見します」

「拝見しなくていい。で、イシさんは、何に対して感心してたの」


 生駒が意地悪そうな声を出して振り向く。石島は無言で歩みを速めて、私達に背中を向けた。


 ビジネスホテルに戻ってきたのは、二十二時だった。長い間車に乗っていたので、体中が固まっている。スーツの上着をハンガーにかけて、首と腕を回しながらテレビを付けた。

 画面には、道路から撮影した駿河電工の工場が一瞬映った。場面が切り替わり、二人のコメンテーターが事件に関する見解を話し合い始める。ロボット評論家という聞いたことの無い肩書きがテロップで表示されている。

 チャンネルを変えるべきか悩んでいたところ、スマホの着信音が鳴った。ディスプレイには非通知設定と表示されている。

 私はテレビの音量を下げた。コメンテーターが憤慨した様子で口をぱくぱくさせている。

 着信画面をちらちら見ながら待っていたが、一向に鳴り止む気配が無い。仕方なく通話ボタンを押した。


「もしもし」


 返事はなかった。声もそうだが、スピーカーの向こうからはまったく音が聞こえてこなかった。


「イコさん?」


 私の知り合いで、そんなイタズラをしそうな人間は、指一本で数えられるくらいしかいない。能天気な返事を期待して尋ねるが、返ってきたのは機械的な冷たい声だった。


「ナカガワだな」


 ボイスチェンジャーで声を変換している。普通ではない様子を感じ取り、緊張が走った。


「――どなたですか」


 私は辛うじて声を搾り出した。


「それイジョウ、クビをツっこむな。イタイオモイをすることになるぞ」


 機械的な声は、一言一言を私の頭に刻み付けるように、ゆっくりと言い放った。


「首を突っ込むって、事件のことですか」


 聞き返すが返事はない。ノイズのような雑音が入った後、ツーツーと不通音が鳴った。

 私はスマホを手に持ったまま、呆然としていた。

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