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ナイーブベイズの境界線  作者: 山吹 裕
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4. 旧友

 朝の八時頃、石島から電話があった。昨日会えなかった工場の関係者に聞き込みを行うらしい。ホテルから出ると、見覚えのある黒のセダンが乗り付けられていた。挨拶を交わして車内に乗り込む。


「あの後、何か分かりましたか」


 ホテル前の信号で停まっている間、ウィンカーの音だけが繰り返されている車内の空気に耐えかねて声をかけた。


「難しいですね。工場で採取した指紋や足跡からは、有力な情報を得られませんでした。地道に聞き込みを行うしかなさそうです」


 車はすぐに三島重工業の本社工場に到着した。野次馬やメディアの集まる受付を横目に通り過ぎ、今やパトカーに占拠されている従業員用の駐車場に滑り込んだ。


 休憩室には既に生駒の姿があった。荷物のぱんぱんに詰まったドラムバッグを机の上に載せ、紙コップの飲み物をすすっている。


「昨日、司法解剖したんだろ。結果は?」


 手を出す石島に対して、生駒はドラムバッグから無造作に取り出した検案書と書かれた紙を渡した。ところどころ折れ曲がり、端っこに赤黒い染みがついた汚い紙に、これまた汚い字で細かい文字が書き込まれている。

 石島の背後から覗くが、専門用語が多く分からなかった。死因の種類の欄は、どの項目にも円がつけられていなかった。


「汚くて読めん。解説」


 私と同じことを考えていたようで、石島が紙を押し返した。私達は生駒の正面の席に腰掛けて耳を傾けた。


「ズボンに失禁の汚れはあったけど、着衣の乱れはなし」


 返された理由に釈然としないのか、検案書を眺めてから生駒が説明を始めた。視線が不服さを物語っていた。


「解剖の時点で心筋の緩解は始まっていて、死斑の退色は終わってた。直腸温は二十度近傍。どれも死後二十時間経っていることを示す結果で、解剖を始めたのが十八時だから、死亡時刻は一昨日の二十三時で間違いなさそう」

「死因は」


 手帳にメモを取りながら、石島が質問する。


「頭部に強力な衝撃を受けたことによる、脳挫滅。まさに即死だっただろうね」

「見た通り、ロボットに挟まれた衝撃で亡くなったってことか」

「血液から薬物は検出されなかったよ。それから、念のため飛び散っていた歯を集めて歯科法医学の先生に送ったから、しばらくすれば被害者が本人か特定できると思う」

「それで、他に事故か殺人か特定できそうな結果は無いのか? それくらい、新米の法医学者でも見つけてくるぞ」


 石島が手帳をペンで叩きながらこぼしたのを聞いて、生駒がむっとした表情を浮かべた。


「それから被害者の首に、これが付着してた」


 生駒が差し出した円筒型のプラスチックケースの中には、赤い糸のようなものが入っていた。


「一部を化学分析に回してるけど、何かの化学繊維みたい」


 石島が受け取り、光に透かしてしげしげと眺める。


「これだけでは何ともなぁ」

「だよね」


 プラスチックケースは私にも回ってきたが、見ての通りの赤い糸だった。衣類の繊維にしては、太いように見えた。


「俺達は聞き込みに行くが、お前はどうする」


 石島が立ち上がり、椅子を机の下にしまう。


「もう少し詳しく解剖してみるよ。軟組織を取り除けば、何か分かるかもしれないし」

「分かった。くれぐれも、遺族を悲しませるようなことはするなよ」

「結果を出せとか、過度に解剖するなとか、矛盾してるんだけど」

「お前の場合、普段からやり過ぎるくらいなんだから、釘を刺しておくくらいが丁度いいんだよ」


 彼女の言う『軟組織を取り除く』が具体的に何をすることなのか、まるでイメージが湧かなかった。しかしそれを聞く暇もなく、石島に続いて私は休憩室を後にした。


 私と石島は、昨日同僚から話を聞いた会議室で、事件が起きた工程のリーダーから話を聞いていた。


「被害者の加藤さんは、どんな方でしたか」

「意欲のすごい人でした。仕事を何でも積極的にしていて、いつも正社員になりたいとおっしゃっていました」


 石島の質問にリーダーがはきはきと答える。髪が短く、日に焼けた肌をした、快活そうな青年だった。年齢は二十代後半から三十代前半だろうか。オペレーターより若く見えるが、リーダーとして皆を引っ張っているのは、彼が正社員だからかもしれない。


「正社員にですか。実際のところ、なれる見込みはあったんでしょうか」

「どうでしょう。私からも、彼の活躍を上に伝えてはいたのですが、残念ながらそういう話はなかったですね」


 リーダーは答えながら、中空を見つめていた。うわべではなく、彼は加藤の更なる活躍を心から願っていたのだろう。


「そうでしたか。誰かから恨まれるようなことに心当たりは」

「深い付き合いではありませんから、プライベートまでは分かりません。ただ職場では、そういった自分は他の契約社員とは違うんだという意識を前に出し過ぎて、トラブルになったことがありました」


 同僚からは聞き出すことができなかった一面が語られた。石島が目を鋭くして、手帳に書き込む。


「トラブルですか」

「すみません、トラブルというのは言い過ぎかもしれません。少し口論になったくらいです。加藤さんが他の契約社員に命令口調で話をしたらしく、お前も契約社員だろうと反論されたのが気に食わなかったと言っていました」

「なるほど。ちなみに、口論の相手は?」

「木村というものです」


 リーダーが答える。昨日彼と同じ場所に腰掛けていた、気さくな口調とふくよかな体型の男が脳裏に浮かんだ。


「その木村さん達から、機械の調子が悪かったという話を聞きましたが」

「着座アラームの件ですよね。システムアップメーカーに調整を依頼しようと思っていたところです」


 たまにワークの取り付けが失敗する件は、リーダーも把握していたようだ。彼は、予算が切り替わるタイミングだったので、時間が掛かってしまっていたと付け加えた。


「最初にシステムを組み上げたのも、そのメーカーですか。連絡先を教えて下さい」

「はい、うちのラインは全てそちらにお願いしていますので。ガンマエンジニアリングというところです」


 リーダーが名刺入れから名刺を取り出して石島に渡した。ポップな字体で書かれた社名が印刷されており、担当者の欄には岡部宗一と書かれている。石島が手帳に連絡先を写し始めた。

 オカベソウイチ――。その字面には、見覚えがある気がする。記憶を辿るが、顔が浮かばず歯がゆく感じた。


「昨晩は何をされていましたか」


 書き写し終わったようで、石島が質問を再開した。


「オペレーターが全員帰ったのを確認してから、私もすぐに帰りました」

「何時頃でしょう」

「六時半くらいでしょうか。タイムカードの時間を見てもらえれば、正確な時間が分かると思います」


 同僚は五時に帰ったと話していたので、リーダーは少し残務をこなしてから帰ったことになる。


「分かりました、確認します。タイムカードのことは初耳なのですが、契約社員も打刻しますか」

「はい。工場に立ち入る人は全員、入口脇にあるカードリーダーで出入りが記録されていますから。いや、全員というのは語弊がありますね、刑事さん達は違ったようですし」

「なるほど。退社された後はどう過ごされましたか」

「妻と一緒に、映画を見に行きました。珍しく早く帰れたもので。家に戻ってきたのは十時頃だったと思います」

「レシートや半券はお持ちですか」

「多分財布の中に」


 リーダーはポケットから財布を取り出し、レシートの束を机の上に載せた。コンビニのレシートの下から二枚の半券を取り出し、石島に渡す。


「お預かりします。質問は以上です、ご協力ありがとうございました」


 石島が手帳を閉じて立ち上がる。その背中に向けて、リーダーが感情のこもった声で尋ねかけた。


「刑事さん、我々はこの後どうなるんでしょうか。工場は再開できるんでしょうか」


 石島がゆっくりと振り向く。


「事件後一時間半で操業再開した工場の例もあります。今回は事件が事件だけに、少しお時間がかかるかもしれませんが、再開は問題ないと思いますよ」

「よかった……」


 リーダーは目に見えて肩の力を抜いていた。

 石島の話した工場の例は、犯人が自供してすぐに捕まっていたはずである。今回の事件は犯人はもちろん捕まっていないが、万が一ロボットの暴走が原因ということになったら、今まで通りに再開することは難しいだろう。ジャードのロボットを信用して使ってくれているお客さんのためにも、一刻も早く事件の真相を突き止めなければいけない。


 会議室を後にし、私達は二階の廊下を奥に進んだ。洗面所を通り過ぎ、大きな事務所を通り過ぎ、次の扉が工場長の部屋だった。石島が軽くノックをするが、返事は無かった。


「黒田さん、いらっしゃいますか」

「入れ」


 石島が激しくドアを叩くと、ようやく部屋の中から声が聞こえた。

 そこは壁際に戸棚が並べられ、窓際に事務机が置かれたシンプルな部屋だった。ほのかに芳香剤の匂いが香っている。本棚にはラベルで区別された同じ色のファイルがびっしりと並んでいる。机の上に積み上がった書類やパソコンのモニタの向こうに、工場長の頭が半分見えた。


「止まった工場の遅れを取り戻すのに忙しい。手身近に頼む」


 中に入るなり、生え際の後退した頭が声を出した。こうなると挨拶を省略し、立ったままで話を始めるしかない。


「承知しました。まず、被害者の加藤さんのことですが」

「知らん。作業員の名前は覚えていない」


 工場長は質問に被せて感情のない声で言い放った。リーダーは加藤のことを上に話していたと言っていたが、当の本人はこの有様である。これでは仮に加藤が優秀だったとしても、正社員になることは難しかっただろう。取り付く島もない工場長の態度を気に留めずに、石島は慣れた様子で次の質問に移る。


「そうですか。では、黒田さんは昨晩はどこにいらっしゃいましたか」

「九時まで働いて帰った」

「その後のことはいかがでしょう」

「三島ゴルフセンターで閉店まで打っていた。閉店は十二時だ。それ以降の行動は必要あるか」


 工場長がいらいらした様子で答える。


「いえ、十分です」


 頭の下半分がせり上がる。黒く太い縁の眼鏡をかけた、工場長の顔があらわになった。会話からイメージしていた通りの、表情が無い気難しそうな見た目をしていた。


「それより、鑑識が終わったなら運転を再開するが、問題ないな」

「はい。午前中に荷物を片付けます」


 言いたいことだけを言って、工場長の顔は再び書類の下に沈んでいった。私達は背を向けて部屋を後にした。


 階段を下りながら、私は聞き込みの感想を口にした。


「自分の工場で人が死んでいるというのに、冷たい方ですね」

「管理する人間というのは、そんなものですよ」


 石島は冷ややかな笑みを浮かべている。警察には殉職される人もいるだろうし、いろいろあるのかもしれない。


「ただ、頭はきれるようでしたね。死亡時刻をだいたい予想して、最低限のアリバイしか口にしませんでした」


 犯人は顔見知りか、魅力的な外見で、口が達者で社会性がある人間。私は焼肉店で生駒が話していたプロファイリングのことを思い出していた。


 被害者のアパートは、三島市内の閑静な住宅街にあった。痛んだ外装の建物は、築三十年は過ぎていると思われる。私達は一階に住み込んでいる大家に会って鍵を借りてから、加藤という表札が掛けられた二〇一号室へと向かった。

 部屋は七畳程の大きさの和室のワンルームだった。曇りガラスの窓はヒビが入っており、ガムテープで補修されている。畳の上には半分に折られた万年床の布団が敷かれている。ちゃぶ台の上には空のビール缶が積み上げられており、シンクの中には汚れた皿が重ねられていて、典型的な男の一人暮らしの部屋という印象を受ける。


「既に鑑識は済ませてあるので、中川さんは気になるものがないか見てみて下さい」


 石島が手袋をしてキッチンの棚を開けた。私も車内で渡された手袋を慌ててはめた。


「どんなところを探したらいいんでしょう」


 片っ端から棚を開けて中のものを確認している石島に尋ねる。


「書類や、記憶媒体、パソコン、薬、高価なものでしょうか。見つけたら教えてください」


 視線を横に流すと、まず目に付くのは机の真ん中に置かれたパソコンである。マウスを動かすと、真っ暗だったモニタに草原の壁紙が表示された。パスワードがかかっていないようだ。


「そのままにしておいてください。うちの詳しい連中に調べさせていますので」


 石島から声を掛けられ、マウスから手を離した。

 彼は流石に慣れていて、てきぱきと机の引き出しを開けて確認していく。無駄の無い動きで、手がかりになるものが選別される。

 私は邪魔をしないように、机と反対側の壁に設けられている押し入れを開けた。引越しをしてから片付けていないのだろうか、同じサイズのダンボールが並べられている。いくつかはガムテープが剥がされて蓋が開いていた。

 ダンボールを引きずり出して中を確認する。最初の箱はハズレで、詰め込まれていたものはパンツだった。そのまま押し戻したい気持ちを抑え、端っこを持って一枚一枚取り出していく。私の家には十枚も無いと思うが、加藤は三十枚以上の様々な柄のパンツを持っていた。人の生活を覗いてしまったようで、少し悪い気がした。

 空になったダンボールの底には、黒い四角いものが横たわっていた。パンツを緩衝材にしてモノをしまう人間はいない。加藤が意図的に隠していたのだろう。取り出して、金属のカバーで覆われた外観を確認する。背面にはUSBケーブルや電源ケーブルが繋がっており、側面には排気口がある。どうやら、四テラバイトも保存できる大容量の外付けハードディスクのようだ。


「パンツの入ったダンボールの中に、ハードディスクがありました。パソコンに繋いでみてもいいですか」

「どうぞ。お手柄じゃないですか」


 石島と共にパソコンの前に立ち、ハードディスクのUSBケーブルをパソコンに接続する。キュイーンと円盤の回転する音が鳴り始め、パソコンの画面にエクスプローラの画面が表示された。ハードディスクの中は、日付の名前がつけられたフォルダで分類されているようだった。

 試しに、一ヶ月前の日付のフォルダを開いてみる。中には、管理番号と思しき数字と英語の羅列が名前になっている、複数のファイルが保存されていた。


「なんでしょう」


 石島の疑問に対する回答がまったく浮かばないので、無言でマウスを動かす。拡張子がないので、何のソフトで編集するファイルか分からない。テキストエディタで開いてみたが、文字化けしていた。


「バイナリデータですね。それ以上は分からないです」

「これも調べさせましょう」


 石島は取り外したハードディスクを、持ち込んだダンボールの中に詰め込んだ。


 その後も押入れのダンボールを片っ端から確認したが、夏服や冬服を出し入れしただけで、めぼしいものは見つからなかった。

 次に手をつけるところを探しながら、本棚を見た。生産管理や工作機械、ロボットの本が並んでいる。その中から、ジャードのロボットの取扱説明書を取り出した。ページをめくると、たくさんの付箋とメモが目に留まった。

 産業用ロボットのプログラムを作るためには、専用の施設で特別教育を受ける必要がある。私も入社した年に受けさせられた。加藤がロボットを使えるという話は聞いていないので、取扱説明書を入手して自習していたのかもしれない。同僚やリーダーの話通り、勉強熱心な人だったようだ。

 取扱説明書を戻す際、一冊の本に目が留まった。抜き取って表紙を見る。どこかで見た背表紙だと思ったら、ジャードの設立から現在までの歴史について記された社史だった。私も入社の際にもらったが、最近目にしていなかったので、無くしてしまったと思う。単にロボットを扱いたかったのではなく、ジャードのロボットのファンだったのかもしれないと思い、照れくさいような気持ちを感じながら、本を戻した。


 その後も二人がかりで一時間調べたが、手がかりになりそうなものは見つからなかった。ほとんど埋まっていない証拠品のダンボールを持ち出し、加藤の部屋に鍵をかけた。


「残念でしたね」


 私は石島に話しかけた。


「いえ、ハードディスクは大きな収穫ですし、覚醒剤や大麻の痕跡が見られなかったことで解剖の結果を裏付けることができました」


 石島にお願いされ、大家に鍵を返しに行った。車に戻ってくると、石島の電話が丁度済んだところだった。


「ガンマエンジニアリングの担当者と連絡が取れました。今から向かいます」


 ガンマエンジニアリングの連絡先はつい先程知ったばかりである。私は捜査のスピードに驚かされていた。


 ガンマエンジニアリングの工場は、加藤のアパートから下道で一時間程走った、富士市の住宅街から少し離れた場所にあった。平らな屋根の二階建ての建物で、名刺に書かれていたのと同じポップな字体でガンマエンジニアリングの名前が壁に描かれている。同様に名前が描かれた中型のトラックが横付けされている。

 外でタバコを吸っていた男性に案内してもらい、道路側の開き戸から中に入った。切削液と鉄の臭いがつんと鼻につく。金属の削れる高い音が建物中に響いている。天井の蛍光灯は省エネのためか間引いてあり、若干うす暗い。

 床に貼られた白いテープに沿って工場内の歩道を歩く。両脇には様々なメーカーのロボットや工作機械が置かれており、作業員がケーブルを綺麗にまとめてフォーミングをしたり、板金に穴をあけてボタンを取り付けたりしてシステムを立ち上げていた。

 到着したのは用談室だった。後から工場内に建てられたプレハブのような部屋になっており、観葉植物が置かれ、照明が明るく、外とはまるで空気感が違う空間だった。部屋の真ん中に置かれている長机に、一人の男が座っていた。俯いてはいるが、この特徴的な線の強い眉と切り長の目を持つ顔を、私はよく知っていた。


「岡部か」


 私の声に反応し、男は面を上げてこちらを見た。力を感じないやる気のなさそうな顔は、すぐに目を見開き口を丸くして驚きの表情に変わった。


「中川。久しぶりだな」


 立ち上がった岡部と握手を交わす。彼は当時から印象の強かったマッシュヘアを茶色に染め、快活そうな容姿に変わっていた。丸みのある輪郭で、中性的な顔立ちをしている。


「知り合いでしたか」


 私としてはかなり驚きだったのだが、刑事をしていると参考人同士が偶然知り合いというのもよくあることなのか、石島は淡々と名刺の準備をしていた。


「会社の元同期です。岡部は三年前に辞めてしまったんですけど」

「そうでしたか。では中川さんの紹介はよろしいですね。私は静岡県警の石島です」


 岡部は差し出された名刺を受取り、珍しそうにまじまじと眺めた。


「電話をくださった方ですよね。ガンマエンジニアリングの岡部です。三島重工のシステムの件で話があると伺っていましたが」

「えぇ、事件の話は聞いていますか」


 私達は促されて席に着き、話を始めた。


「テレビのニュース程度ですが」

「それで結構です。事件のあった三島重工のシステムを担当されていたのは、岡部さんでよろしかったですね」


 岡部が頷く。彼が担当していたと聞いて、ネットワークに繋がった複雑なシステムが組まれていた事も、納得がいった気がした。


「では、被害者の加藤さんはご存知でしたか」

「作業中に何度か話したという、その程度ですが」

「事件について、何か心当たりはありますか。着座アラームの件は聞いていましたか」

「着座アラームのことは耳にはしていましたけど、詳しいことはまだ聞いていませんでした。正直、心当たりと言われても、何が何だかという感じです」


 岡部が首をすくめて見せた。システムアップメーカーは立ち上げ作業や保守作業の際に数日間しか工場を訪れないので、オペレーターとの繋がりはほとんどないはずである。


「僕からも質問いいですか。なんで中川が刑事さんと一緒にいるんでしょうか。まさか刑事に転職したんじゃないですよね」


 次の質問が発せられる前に、岡部が口を挟んだ。


「いろいろあったんだ」


 石島の代わりに私が返事をする。三島重工の事件が解決するまで、会社に帰れなくなったことを簡単に話した。


「そういうことか。苦労しているんだな、協力するよ」


 岡部は同期の中でも飛び抜けて優秀な男だった。そんな彼に調査に協力してもらえるのは、とても心強く感じた。


「それなら、工場にも行ったんだろ。僕の作ったシステムはどうだった?」


 岡部がおどけて自分を指差した。


「プログラムの上手さはもちろんだけど、拡張も可能な、よく考えられたシステムだった」

「それはどうも。一応、ジャードで二年間勉強したからな」


 話をしながら、システムアップメーカーで聞き込みをしたかった理由を思い出した。三島重工のシステムはネットワークを使用した高度なもので、全体像が分からなかったのだ。


「それで、システムを組んだ人に聞こうと思ってたんだけど、ネットワークに繋がれているのは何なんだ。サーバーに情報を送っているようだったけど」

「流行のインダストリー四・〇とかIoTとかいうやつを、今できる技術で試してみた」


 岡部が自慢げに答えた。

 インダストリー四・〇は、ドイツ政府が推進する、製造業を革新するプロジェクトのことである。センサやネットワークを活用して人と機械の結び付けを強くすることで、工場の製造スピードやコストを大幅に削減することができるという。まだ概念的な側面が強いが、最近では大企業の工場や、産業機器を開発するメーカーは、どこもこれを意識している。また、IoTはあらゆるモノがインターネットに繋がれ、相互に制御を行うシステムや社会のことを指す。工場では、意味合いとしてはインダストリー四・〇に近い。


「あのシステムには、振動や負荷、温度、カメラ、いろんなセンサを組み付けてある。まず、それらのセンサで稼働中のシステムの情報を取得して、工場のサーバーにデータを送る。すると工場のサーバーはデータを集計して、クラウドのアプリケーションを実行する」

「エッジコンピューティングか。そのクラウドのアプリは何をしているんだ」


 エッジコンピューティングとは、IoTなどをスムーズに実現するための、手段の一つである。センサが収集する情報は膨大であり、秒間数ギガバイトのデータを通信できる光回線でも、外部に送ることができる情報量は限られてしまう。そこで、センサが収集した情報をあらかじめ工場内のエッジサーバーに蓄積し、集計してから外部に送ることで、処理を分散して、インターネットでやり取りする情報量を減らすことができる。


「人工知能を使用したプログラムの最適化、だよ。普段稼働しているときの情報をもとに、ロボットの動作の無駄を抑えた、最適なプログラムに修正するんだ」

「そんな便利なアプリがあったんだな」

「ルシクラージュっていうソフトでね。使うなら紹介するよ」


 製造業でもようやく人工知能が使われ始めたが、実用段階になっているものがあるとは知らなかった。メーカーに勤めていると、業務に関わる企業としかやりとりがないので、他社製品の情報はほとんど入らない。

 石島がごほんと咳払いをした。盛り上がってしまい、二人だけの世界に入り込んでしまっていた。


「失礼しました、続きをどうぞ」


 私はすごすごと下がり、背もたれに背中を預けた。岡部も舌を出して、恥ずかしがっているようだった。


「といっても最後の質問になりますが、一昨日の夜はどこにいましたか」

「アリバイですか。僕にも聞くんですか」

「恐縮ですが、関係者の皆さん全員にお聞きしていますので」


 岡部は難しい顔をして考え込んでいたが、ようやく口を開いた。


「気恥ずかしいことではあるんですが、僕の部屋で、女性と一緒に食事をしていました」


 石島の視線は、金属の輪がついていない左手の薬指に向いた。


「お二人でですか」


 岡部は鼻を掻いて恥ずかしそうに頷いた。


「仲のよろしい方なのでしょうか。お名前もよろしければ教えて下さい」

「よくなればいいなと思っているような仲です。伊藤里香さんという女性です」

「お食事は何時までされていましたか」

「まぁその、一緒にいたのは翌朝までです」


 顔を赤くして俯いてしまった岡部を見て、石島はそれ以上の質問を止めた。


「結構です。ご協力ありがとうございました。では、失礼します」


 石島が立ち上がり、礼をして用談室の出口に向かう。慌てて私も椅子を戻して追いかけようとしたが止められた。


「三年ぶりなら積もる話もあるでしょう。私は工場内を見学していますから、済んだら声をかけて下さい」


 閉まった扉から視線を移し、岡部と顔を見合わせた。


「積もる話といっても、仕事中だよな」

「なら、この後一杯どうだ。近くに泊まってるんだろ」


 岡部が手で杯を作って、あおる仕草をしてみせた。


「いいな。じゃあ電話するよ。連絡先は変わってないよな」


 今もスマホの中に、彼の電話番号が残っていたはずである。あの頃は下四桁が五三六九のため、ゴミムシゴミムシと言って自虐していた。


「すまん、番号が変わったんだ。こっちからかけるよ」


 私は頷いて、石島のあとを追った。


 用談室を出たところの、通路の脇に石島の姿を見つけて近づいた。作業員が天井クレーンを使って小型のロボットを吊り上げるところを眺めていた。工作機械の側面に設けられた架台に取り付けるようだ。上手いもので、手元のスイッチで調整して巻上機をガチャンガチャンと数回動かしただけで位置を合わせていた。


「お客さんのところではなくて、ここでシステムを組み上げるんですか」


 興味深そうに見入っていた石島が口を開いた。


「そうですね。一度お客さんに見せてから、分解して工場に運んで、もう一度組み上げる場合が多いですね」

「完成した後にばらすんですか。それは大変だ」


 組み上げなおすと、取り付ける位置が若干変わってしまうため、ロボットのプログラムを微修正する必要がある。そのために数日間お客さんの工場で作業を行う。私も本当はその目的で静岡に来たのだが、代わりの者はうまくやっているだろうか。


「それにしても、中川さんといい岡部さんといい、本当に日本人ですか。横文字が多すぎて、私みたいな古い人間には何を言っているのかまるで分からなかったですよ。結局、ネットワークに繋がれていたのは何だったんですか」

「ロボットの動作をより速くするためのソフトウェアです。センサから集めた情報をもとに、人工知能が計算して、プログラムを書き換えていたんです」


 石島は口を半開きにして、ぽかんとしていた。


「人工知能……。ロボットが会話するあれですか。まるでSFの世界ですね」

「そうでもないですよ。既に将棋や囲碁では、人工知能がプロ棋士に勝っていますし」


 技術に触れている私や岡部にとっては、人工知能は身近なものになりつつあるが、まだ社会には馴染みづらいものかもしれないと思った。


「そんなことになっているんですか。力仕事はロボットに奪われ、頭仕事は人工知能に奪われ、一芸のない人間には肩身の狭い時代になりましたね」


 ロボットや人工知能の台頭によって人間の雇用が減るのではないかという不安は、前々から指摘されていた。そんなとき開発側が決まって口にするのは、単純な仕事はロボットに任せて、人間がクリエイティブな仕事をする世界だ。そんな世界が数十年後に実現されているのか、仕事に追われ続ける私には見当がつかない。


「岡部さんのアリバイの件は、部下に任せました。今日調べられるのはここまでですので、駅まで送ります」


 岡部と話していたひと時の間に、石島は電話を済ませていたようだ。礼を言って、駐車場に駐めてある車に向かった。

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