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ナイーブベイズの境界線  作者: 山吹 裕
15/15

15. エピローグ

 駿河電工の食堂で、私と生駒は机を囲んでいた。工場長は私達の無理なお願いを聞いて、定時後に貸切で使わせてくれた。私は閉じたノートパソコンを目の前に置き、生駒は膨れたドラムバッグを机の上に乗せ、到着を待っている。

 石島が食堂内に現れた。その後ろにはガンマエンジニアリングの作業着を着た岡部の姿もある。岡部は私の姿を捉えて一瞬驚いた表情を見せたが、石島に案内された席に無言で腰かけた。


「石島さんからは任意同行だとお聞きしていましたが、中川もいますし、違うようですね」


 岡部が三人の顔を見渡して言った。


「任意同行です。場所と同席者は少々特殊かもしれませんが、中川さんの同席も必要だと考え、このような形を取らせていただきました。出発前にご説明した通り、捜査への協力を依頼するもので強制力はありませんので、退席は自由です」

「いえ、不満はありませんし、捜査への協力は惜しまないですよ。それで今日は、どんなことをお話すればよろしいですか」


 岡部は首を振って釈明した後、深く席に腰かけた。


「ご説明をしたいのは、私達からになります。先日発生した事件の真相を調べる中で、ある一つの仮説にたどり着きました。今日は、私達の推理を聞いて欲しいのです」

「聞くだけでいいんですか。分かりました」


 岡部は手のひらを上に向け、続きを促した。


「ありがとうございます。それではまず、静岡の二つの事件から追うことにします。第一の事件では、三島重工の本社工場で、加藤さんが二台のロボットに頭部を挟まれて死亡しているのが見つかりました。この事件では、犯人は加藤さんと携帯電話で連絡を取り、着座アラームの不具合を解決する方法を教えると言って呼び出したと思われます」


 加藤は日頃からセンサのデータを盗んでいたので、罪の意識は薄く、足早に真夜中の工場へと向かった。カードキーを使って工場に入ると、事前の打ち合わせ通りに、トラックが搬出するためのシャッターを中から開け、犯人を招き入れた。

 着座アラームの不具合を解決するためにはロボットを操作することが不可欠のため、システムの前でロボットの教示方法に関する指導が行われていた。加藤はティーチングペンダントを手に持ち、ロボットに向かって立っていた。犯人は自動倉庫からシリンダヘッドのワークを取り外すと、加藤の背後から近寄り、ワークを振り回し側頭部を殴って気絶させた。


「被害者の頭蓋骨には、致命傷とは別に陥没骨折の跡が残っていて、その周りにはワークの黒皮が付着していたよ」


 生駒は口を挟みながら、ドラムバッグから例の血まみれの写真を取り出した。私は慌てて隠そうとしたが、岡部は赤い写真を見ても無反応だったので、無用な心配だと気付いた。

 倒れた加藤のポケットから、犯人は自分との通話履歴が残っている携帯電話を抜き出した。

 その後、ロボットシステムの上に、天井クレーンを二台とも移動させた。片方をクレーンA、もう一方をクレーンBとすると、まずクレーンAのフックの外れ止めをテープで固定して働かなくして、三メートルの一番短いスリングを取ってくると、輪になっている両端をフックにかけた。続いて、クレーンBのフックをスリングに通した。

 気絶した加藤をロボットの間まで引きずり、クレーンからぶら下がったスリングを首にかけた。その後、クレーンAとクレーンBを同時に巻き上げて、加藤の頭にロボットのハンドが当たるように、高さを調整した。また、このとき干渉防止機能を履歴が残らないように細工を施しながら無効化した。

 犯人はシステムの外に出て安全柵のドアを閉じると、持ってきたパソコンを工場のネットワークに繋ぎ、ネットワーク経由でロボットのプログラムを動かした。二台のロボットは最高速度で同時に旋回し、加藤の顔と後頭部を前後から破壊した。

 殺害後、犯人は再びシステムの中に入り、クレーンBだけを巻き上げた。するとクレーンBのフックに引っ張られ、スリングの一端がクレーンAから外れる。その後クレーンAを巻き上げて、加藤の首からスリングを引き抜いた。


「そのとき被害者の首に残ったのが、これ」


 生駒が透明のプラスチックケースに入れられた、オレンジ色の繊維を取り出した。前に見たときは赤かったが、それは血が付着していたからで、洗浄したところ、スリング特有の蛍光色があらわになった。


「三島重工のリーダーに、紛失したスリングはオレンジ色だったと聞きました」


 私もすかさず補足する。

 犯人は血まみれのスリングを袋に入れ、クレーンのフックとワイヤーに付いた血を拭った。


「ただ、巻き上げた時に拭き残した血がホイストに付いていたんだけどね。この血は、被害者のものと一致したよ」


 生駒がホイストの写真を机の上に乗せる。


「それから、二台のクレーンのフックからも血液反応が出てる」


 犯人はネットワーク経由でロボットの運転履歴を消した。続いて搬出用のシャッターを人が通れる程度に開き、内側にある閉じるボタンを押してから建物の外に出た。シャッターはボタンを一度押せば、完全に閉じるまで自動的に動き続ける。そして犯人は、スリングと携帯電話と血を拭き取るための布が入った袋を持って、悠々と工場を後にし、処分した。

 石島が言葉を切って周りを見渡す。喋ろうとする人はいなかったので、続きを始めた。


「続いて、第二の事件です。ここ駿河電工の沼津工場で、伊藤さんがマシニングセンタによって側頭部に穴を空けられ、ロボットに押さえつけられた状態で発見されました。伊藤さんは、工場に持ち込み禁止のはずのUSBメモリを持っていました。工作機械やロボットから加工プログラムを抜き出し、売るつもりだったと思われます。会社を辞めるある理由があったので、小遣い程度の感覚で手を出したのでしょう。犯人は携帯電話で連絡を取り、加工プログラムを買い取ると言って、あるいはプログラムの取得方法を知らなかった伊藤さんからの要望だったのかもしれませんが、工場のドアを開けるように伊藤さんに依頼しました」


 打ち合わせていた時間になったので、彼女は工場のドアを開けて犯人を中に招き入れた。

 すると犯人は加工プログラムを抜き出すどころか、加工システムを停止させ始めた。止めようとする伊藤を力ずくで加工システムの中に引きずり込み、犯人は安全柵のドアを内側から閉めた。ロボットから四爪のハンドを切り離し、それを使って伊藤をマシニングセンタのテーブルに押さえつけた。その時、伊藤が暴れたために四本の爪の痕が首に残った。

 犯人はマシニングセンタのスタートボタンを押して、加工プログラムを動作させた。マシニングセンタのドアはあらかじめ改造されており、ドアを開けたまま運転が可能な状態になっている。主軸が下降する最中、伊藤は必死に抵抗したが、うつぶせの姿勢だったので押しのける力も無く、伸ばした手は傷つき、やがてドリルは彼女の側頭部に突き刺さった。大きな負荷を検知してマシニングセンタは停止した。

 犯人は手にしていた四爪のハンドを引き抜くと、ロボットに取りつけ直し、さもロボットが伊藤を押さえつけていたかのように見えるように、ロボットを操作した。

 加藤のときと同じように、自分の通話履歴が残った携帯電話を回収しようとしたが、伊藤はスマホをロッカーに預けていたので見つからず、それは諦めて立ち去った。


「以上が、事件の真相だと我々は考えています。そして今回の事件の犯人は、工場と、そこで使われていたシステムに精通した人間である必要があります」

「何をおっしゃりたいのか、僕には分かりません」


 岡部がようやく口を開いた。その顔に焦りの色は見えなかった。


「なら、はっきりと教えてやる。石島さんが言っていた犯人というのは、岡部、お前のことだよ」


 私は岡部を指差した。


「勘違いだよ。だいたい、なんで僕がそんな面倒な方法で、二人を殺さないといけないんだ。聞き込みの時にも答えたけど、システムを立ち上げている、ほんの短い間しか会っていないんだけど」

「それを説明するためには、三年前の京都に遡る必要があります」


 石島が答える。岡部は話が過去に向かうことを想定していなかったのか、口元を震わせた。


「始める前に、『静岡の二つの事件から追う』とお話ししましたよね。次にお話しするのは、三年前にジャードであった事件のことです」

「エレベーター事故の件ですよね。中川に聞かせるのは止めた方がいいと思いますが」


 岡部が口を挟んだ。事故の詳細を話すことで、私がショックを受けることを心配しているのだろう。


「大丈夫。もう、あの日のことには目を背けないことにしたんだ」

「そうか……」


 岡部は黙って聞くことにしたようだった。

 ジャードのロボット開発センターにおいて、産業用エレベーターが上昇途中で停止した後、急降下を始め、脱出しようとしていた中川遥が全身を強く打ち死亡した。

 機械室の巻上機には、人の手によってブレーキのかけられていた跡が見つかった。さらに、エレベーター内に設置された非常用の電話と繋がる電話線は、ニッパーのようなもので切られていた。今となっては情報を集めることは難しいが、機械室にいた人間が、エレベーターを停止させ、外部との連絡を絶つために電話線を切断していた可能性がある。

 当時の警察は岡部を怪しんでいたが、二人の証人がアリバイを証明し、一人の証人が機械室の前にいたが誰も出入りしていなかったことを証言したことから、事故として扱われることになった。


「エレベーターに細工をしたのは、やはり岡部さんだったのではないですか。中川さん達を閉じ込めようとしていましたが、想定していなかった事態が発生し、エレベーターが途中で動き出して遥さんが亡くなってしまった」

「心外ですね。三人も証人がいたんですよ」


 岡部が答える。


「この証人というのが、当時契約社員として勤務していた加藤さんと伊藤さん、さらに後に東北で亡くなった青木さんです。三人の契約社員は、岡部さんが細工をしていた現場を偶然目撃しており、岡部さんに都合の良い証言することと引き換えに、口止め料を要求していたのではないでしょうか」

「なるほど、それで僕が二人を殺したと」

「一年前に東北の工場で亡くなった、青木さんもです」


 石島が口を閉ざし、食堂は静かになった。皆が岡部の動向を見守っている。


「よく強引に話を結びつけたな、とは思いますよ。でも、アリバイはどうなんですか。どちらの事件でも食事をしていたことをお話して、納得頂いていたじゃないですか」

「アリバイも崩れています。岡部さんと伊藤さんとの共犯関係が続いていたとしたら、犯行は可能なんです」


 加藤の事件のアリバイは簡単である。伊藤に追加の口止め料を払うことを約束し、一夜を共にしていたと証言させたのだ。

 伊藤の事件では、加藤の事件による思い込みを利用したトリックが使われた。加藤の事件では、自動倉庫とロボットのアラーム時刻から正確な時刻が割り出されたため、伊藤の事件でも同様にマシニングセンタのアラーム時刻から死亡時刻が割り出された。しかし、実際にはマシニングセンタの時刻は早められており、伊藤は二十三時よりも後に亡くなっていた。司法解剖による裏付けも行われていたが、一時間程度の誤差は出る。

 こうして、岡部は二十三時に居酒屋を出ると、一時間以内に伊藤を殺害することで、アリバイを作っていた。


「それなら、僕がやったという証拠はあるんですか」

「石島さんが言ったよな。伊藤さんの携帯電話には、柳という名前が登録されてたって」


 私は話しながら、ポケットからスマホを取り出した。岡部がこちらを振り向いた。


「その柳の電話番号が、俺のスマホに残っていた岡部の昔の電話番号と一致していることは、どう説明するんだ?」


 ディスプレイが見えるようにスマホを掲げる。岡部の電話帳のページには、昔の番号と今の番号が両方記載されている。

 岡部が体を引いて、椅子に座り直した。


「どうして上書きしなかった?」


 発せられた声は冷たく静かで、責める感じではなかった。


「やっぱりそうだったのか。再会したあの日、昔の電話番号を上書きさせるために、俺を飲みに誘ったんだな」


 岡部は二つの携帯電話を使い分けており、新しく入手した一台目は仕事やプライベート用に、ジャードにいた頃に使用していた二台目は被害者との連絡用に使用していた。その番号を知る私が捜査に関わっていると知り、新しい携帯電話の番号を伝えて上書きさせようとしていた。


「なんで上書きしなかったかって? そういう性分なんだよ」


 一緒に学び、働き、遊んだ岡部との思い出は、かけがえの無いものだった。妻と過ごした記憶を無かったことにしていた私は、これ以上思い出を忘れたくなかったのかもしれない。



「犯行を認めるんだな?」


 石島が立ち上がり、腕時計の時刻を確認する。その手には手錠が握られていた。しかし岡部は再び薄ら笑いを浮かべ、驚くべき言葉を発した。


「途中まで、ですけどね。僕は加藤さんをクレーンに吊るしただけですし、伊藤さんをマシニングセンタに押さえつけただけ、なんですから」

「何が言いたい」


 石島が彼の腕の上に手錠を構える。


「鈍いですね。加藤さんは僕がクレーンに吊るした時点では、まだ生きていました。もう金は要求しないと泣き叫んでいたので、そのまま下ろそうと思っていたんです。ですが、ロボットが急に動き出して、彼を殺したんです」


 握った両手をロボットに見立て、ぶつけた。


「伊藤さんは僕がマシニングセンタの中に押さえつけた時点では、まだ生きていました。反抗的な目が諦めの目に変わるまで、十分に懲らしめたので、そのまま開放しようと思っていたんです。ですが、マシニングセンタが急に動き出して、彼女を殺したんです」


 指先をまとめて尖らせた手をドリルに見立て、机に突き立てた。


「頭を殴って気絶させたり、乱暴に押さえつけたことには非があると思っています。ですが、殺したのはあくまでロボットやマシニングセンタでした。突き詰めれば、それらを動かしていた人工知能が悪いんです」

「何を馬鹿なことを」


 石島は発言に反して、手を出しかねていた。構えていた手錠を下ろす。


「三島重工や駿河電工のシステムには、ルシクラージュという機械学習を使用したソフトが使用されていて、ロボットやマシニングセンタはこのアプリケーションによって動きを調整されていました。おそらくルシクラージュの学習結果が間違っていたために、ロボットやマシニングセンタが暴走したのでしょう」

「きっちりテストされたAIは、そんな危険な動作なんてしない」


 私は藤岡がこの場にいたら同じように答えるだろうと思いながら、口を開いた。


「じゃあ、それを証明できるか。ソフトウェアの開発に関わったことのある人間なら、分かるだろう。機械学習の出力が、人を殺していないと言えるのか。本当に安全なものになっていると断言できるのか」


 岡部が立ち上がって続ける。


「できないよな。それが、機械学習と通常のプログラムが異なる点だから。入力が制限されている通常のプログラムは全てのパターンを想定したデバッグが可能だけど、無数の入力に対応できるがために、機械学習は完全なデバッグをできない」


 流暢に話す岡部は、自信にあふれた顔をしていて、この状況を楽しんでいるようだった。犯人であるはずのこの男が発する、一方的な言葉の奔流を受け、この場にいる全員の腰が引けていた。

 岡部は石島に向き直った。


「覚えている方もいらっしゃると思いますが、最近、人工知能とプロ棋士が囲碁で対局をしました。結果は人工知能が勝ったのですが、注目すべき点は人工知能が悪手を繰り返して負けた局があったことです。機械学習の性質上、原因は結局のところ分からなかったと聞いています。流行に乗って、様々な企業が様々な事業で使い始めていますが、機械学習を使用したソフトは、ルシクラージュはそんな不安定で危険なソフトなんです。彼らは人工知能が殺しました。僕ではありません。だから、途中までを認めます」


 誰もが圧倒されて言葉を発することができない。誰もが彼を論破できると思えない。岡部は勝ち誇った顔で周りを見渡していた。


 いや、ただ一人、彼と同等の性質を持ち、この空気の中で冷静な判断を下せる人間がいた。


「目を覚ましな。この男を止めるんでしょう」


 生駒の声で冷静さを取り戻す。彼女が支えてくれるなら、この男と向かい合える。私は質問を投げかけた。


「加藤さんが、システムに設置されていたセンサの生データを、こっそり自宅に保存していたことは知っていたか?」

「いや、知らないな」

「ここに来る前に、サイバー犯罪対策課の人と藤岡さんに協力してもらって、データを解析した。そこに残っていたのは、システムが組み上がった当初から溜められた一年分のデータだった」


 平然を装っていた岡部の眉が、ぴくりと動いた。


「注目したのは、八ミリ秒ごとに記録された、ロボットの各軸のサーボモーターの移動量だ。モーターの移動量が分かれば、当時動かしていたプログラムの動作が分かる。そして、一年分のデータを解析したところ、興味深い動作が見つかった」


 私は机の上に置いていたノートパソコンを開き、くるりと回して岡部にモニタを見せた。


「この動作に見覚えはあるか?」


 画面には、ロボットのシミュレーションソフトが開いてある。二台のロボットのCGが、アームを伸ばした状態で表示されており、交差するように互いの方向に旋回するアニメーションを繰り返している。


「ロボットの最後の姿勢が、加藤さんが殺害されたときの姿勢と一致した」


 タッチパッドを叩き、シミュレーションを一時停止させると、二台のロボットは三角形を描いた。


「このデータが保存されていたのは、一年前。丁度システムができあがった頃のことだ。幸い三島重工には工場の入出記録が残っていた。照らし合わせると、このプログラムを動かしていたのは岡部、お前だってことが分かったんだ」


 私は立ち上がり、岡部と視線の高さを合わせた。


「殺したのは人工知能じゃない。一年前から綿密に計画を立て、プログラムという毒をパソコンの中に潜ませ続けていた、異常な執念を持った殺人鬼。――お前だよ」


 食堂は静寂に包まれた。岡部は椅子に腰掛けると、頭の後ろで手を組み、背もたれにもたれかかった。


「あいつ、そんなデータを残していたのか」


 自身が殺人事件の犯人だと認めた瞬間だった。


「どうして三年も後になって、殺したんだ」


 岡部はやる気の無い顔で、こちらを振り向いた。


「加藤さんは仕事中にロボットのことを教えろと言ってきて邪魔だった。伊藤さんはアリバイ工作に使ったことで調子に乗って、結婚しろと煩かった。そうこうするうちに、殺意が積み重なって殺したんだ」

「お前は、そんな理由で――」


 石島が怒鳴ろうと大きく息を吸い込むが、生駒の冷静な声に遮られた。


「くだらない嘘はいいから、本当のことを教えてあげなよ」


 岡部は満足そうに頷くと、平然と言い放った。


「刑事さんが、口止め料を要求されていたからだと言っていたけど、多分違う。大した額でもなかったしな。聞いている最中に、三年も経っていたのかと思ったくらいだし、時期はいつでもよかった。正直、別に殺さなくてもよかった。ただ先に計画が浮かんでいて、条件に一致したのが、たまたま今年だったんだ」


 岡部が両腕を揃えて前に突き出す。石島が思い出したように手錠を構え、差し出された腕に掛けた。


「岡部宗一、十八時二十三分、殺人容疑で逮捕する」


 岡部が立ち上がり、私の前に歩み寄る。


「データが残っていたのもそうだけどさ。中川、お前がいたのは計算外だったな」


 逮捕されたというのに、岡部は不気味なくらいに落ち着き払っていた。


「考えたことはないか。もし、僕がエレベーターに細工をしていなければ。もし、お前と遥が付き合っていなければ。もし、お前が僕を出し抜くことが無ければ。もし、僕達の誰か一人でも欠けていたら。ここに遥のいた未来があったのかもしれない。あの頃人工知能があったなら、そんな未来を選び取ってくれたのかなって」


 私は表情を変えずに答える。


「遥は死んだ。加藤さんも、伊藤さんも死んだ。それがお前の選び取った未来だ。人工知能は関係ない、きっちり罰を償ってこい」


 石島に先導され、岡部が連れて行かれる。座席の間を抜け、その背中は食堂から見えなくなった。


「殺さなくてもよかったって、なんだよそれ。遥も、加藤さんも、伊藤さんも、殺される必要はなかったのに、殺されたってことかよ……」

「生来の殺人者なんていない。多分、エレベーター事故の時は、やましい目的はあったにしろ、本当の事故だったんだと思う。けれど、そのことを罪に問われなかったことが彼を狂わせた。自分が特別だという錯覚を持ち、殺人を続けてしまったんじゃないかな」


 生駒は顔を伏せ、物憂げに言った。


「でも、それ以上彼らの思考を追いかけるのは止めな。深遠に見入られるよ」


 帰宅ラッシュと重なってしまい、三島駅の構内は混雑していた。私と生駒は石島を盾にして、人ごみの中を進んでいた。

 事件は解決し、犯人は捕まった。いかにも刑事みたいな風格を持ちながら、以外にお茶目な石島。犯罪心理と法医学に精通しているが、空気を読めない行動がたまにきずな生駒。豊富な工場の知識を持つが、精神的に脆かった私。でこぼこだが、上手くお互いが噛み合っていたチームは、ここで解散する。

 券売機横の柱が見えた。生駒と待ち合わせた場所。たった一週間の思い出だというのに、懐かしく思える。

 改札の前で、石島が足を止めた。別れの時が来たのだと切ない思いを抱きながら、私達は向かい合う。


「それでは、私はここで。この度は捜査にご協力頂き、ありがとうございました」

「えへへ、どういたしまして」

「お前には言っていない」


 生駒に厳しいツッコミを入れながらも、石島は笑顔だった。彼らのようなあけすけな付き合いがうらやましく感じた。出会い別れが多い、警官ならではの光景なのかもしれない。


「中川さん、お元気で」

「石島さんも。無理しないでください」


 敬礼する石島に礼をして、改札を通る。壁に隠れて見えなくなるまで、彼はその場で敬礼を続けていた。

 私が前、生駒が後ろに立ち、上りのエスカレータに乗り込む。生駒は科警研に戻るため新幹線で東京を経由して千葉に、私は会社に戻るため京都に向かう。

 私達はエスカレータから降りたところの、電車のホームで足を止めた。


「さっき社長から直々に電話があって、会社に戻れることになったよ」

「無事調査が終わってよかったね」


 生駒はかすんだ音の、やる気の無い拍手をしてみせた。


「助けてくれて、ありがとう。記憶をなくした時も、来てくれて本当に助かった」


 『あたしを信じて協力して』と、焼肉屋で生駒はジョッキを掲げてそう言った。半信半疑で提案を受けたが、彼女はとても頼りになった。信じて共に行動してよかった。


「こちらこそ、捜査に協力してくれてありがとう」


 生駒が敬礼を見せた。ちんちくりんな感じがして、石島のようには様になっていなかったので笑った。

「あたし一人の力じゃ心もとなかったけど、ナカさんがいてくれたから、なんとかなったんだ。ナカさんは、最高の助手だった」

 お互いに口を閉じる。本当はもっとたわいもない話をしていたい。しかし気の利いた言葉の一つも思いつかない。

 電車が止まって大勢の乗客が降りてきた。このままホームの真ん中にいては邪魔になる。


「それじゃあ、元気で」


 口から出てきたのは、自分で望んでいない言葉だった。


「うん」


 生駒がドラムバッグを振り回して、こちらに背中を向ける。短い足が地面を蹴り、距離が開いていく。

 私は出しかけていた手を引っ込めると、振り返って反対方向の乗り場へと向かった。


 彼女と出会ったのは、ほんの一週間前のことだった。それも殺人現場に連れて行かれるという、忘れようがない最悪な出会いだった。自身のことを犯罪心理と法医学のプロだなんて言って、変な女だと思った。

 電車が走り去り、乗客が消えて静かになったホームに、ふと音楽が流れ始めた。デフォルメされたメロディが、古くはないが懐かしい光景を思い起こす。

 一緒に行動をしてみて、実のところ彼女は、ムードメーカーで、頭が切れて、面倒見がよく、頼りになるということが分かった。自身のことをサイコパスと呼ぶように、突拍子も無い行動で周りを困らせることもあるが、悪意によるものではなく純粋な気持ちによるものだと気づき、それは魅力へと変わった。記憶を失ったところを助けてもらい、共に事件のことを調べ、お互いを支え合っていたことで、いつしか彼女は自分の中で、離れがたく、かけがえのない存在になっていた。

 このまま別れたくない。私は振り向いた。

 火曜サスペンスのメロディを流していたのは、やはり生駒のスマホだったようだ。彼女は足を止めて電話を始めた。


 電話が終わったようで、生駒はスピーカーを耳から離してこちらを振り向いた。


「ナカさん、遺伝工学は詳しい?」


 こっそり近づいたつもりだったのだが、私が戻って来ることを知っていたかのような態度だった。もっとも犯罪心理のプロなら、これくらいのことはお見通しなのかもしれない。


「いや、勉強したことはないけど」


 遺伝工学といえば、ゲノム編集を始めとする、遺伝子を操作して生物を改変するバイオテクノロジーの一つである。突拍子もない話題だったので戸惑った。


「まぁいいや。とびきり奇妙な事件があるんだけどさ、あたしも刑事も、そういうハイテクなものは、まるで駄目なんだ。だからさ」


 生駒が照れくさそうに鼻の頭を掻き、その手を前に伸ばす。


「あたしの参考人になってよ」


 握られた拳から突き立った、親指の先を見る。


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