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実践

遅くなりました。

 翌日。ベーカリーを開店して一通り客を捌ききった頃にラナがやって来た。


「いらっしゃいませ」


「やあシキト君。そろそろバイトが板に付いてきたね。本格的にここに就いたらどうだい?」


「いえ、俺には冒険者の方が性にあってるので遠慮しておきますよ」


「そうかい」


「そんなことよりラナさん。店長を手伝って欲しいのですが」


「む? 手伝うとは何をだい?」


「勿論、会計のですよ」


 ラナに昨日の授業のことを話し、実際に会計をすることで算術を身につけようとしていることを話した。


「なるほど。私が買うパンをヤナが会計すると。それで私はできるだけ多くのパンを買えばいいわけだな?」


「はい。初日に会った時のような量のパンを買ってくれれば、店長もそこそこ計算ができるようになると思います。あとは自信がつけば問題ないでしょう」


「それならお易い御用というやつだ。ところで今日も授業はやる予定かい?」


「そのつもりです」


「私にも教えて欲しいのだが、いいだろうか」


「いいですよ。教えると言いましたからね」


「ありがとう。助かるよ」


「それでは早速。店長。そろそろやりますよ」


「ああ。たった今新しくパンが焼けたところだ。ラナ、頼む」


「ああ、任せてもらおう」


 ラナが適当にパンを選んでいる間に式人はヤナと確認を行っていた。といっても昨日の今日だから失敗しても構わないと式人は思っている。いくら大人でも教わったばかりのことをすぐに実行できるかと言われたら、答えは否だろう。当然だ。完全に理解するなんて到底不可能だからだ。それにはどのような過程を経て、どのような結果になるのかを完全に把握していなければできない芸当だ。そんなことができるのは一部の天才と呼ばれる者だけだ。


 だが、かつて式人がいた世界ではそれが普通だった。すぐに実行できなければ無能の烙印を押され、周りから嘲笑を浴びせられる。明らかに異常だ。狂っていると言っていい。

 そして式人はその世界では、無能扱いをされていた。別にできない訳では無かった。寧ろ人並みにはできていた。だが、かつての世界で求められていたのは凡人よりも天才だ。平均よりも秀才を。平凡よりも非凡を。ジェネラリストよりもスペシャリストを。

 そんな世界で生まれ育った式人は圧倒的に自己評価が低い。他人から無能の誹りを受け続けた人間が、自分は無能だと思ってしまうのは仕方のないことだった。


 それでも式人は生き続けてきた。狂っていたかつての世界では自殺が多く、次々と死んでいく周りを見てもそれだけはしなかった。誰が天才(お前たち)の為に死んでやるものかと。それをしてしまっては負けを認めてしまうことになる。自ら死を選ぶなど逃げるのと同義だ。無能は無能なりにできることがあると必死に模索してきた式人は一つの解を得た。それは答えとは言い難い、ただの妥協案だった。それが人に教えるということだった。要は天才を作り上げようとしたのだ。その考えに至った時、式人はまだ高校生だった。


 果たしてそれは上手くいった。元より人に教えることは上手かった式人は、無能が天才に追いつくために努力したことを子ども達に伝えてきた。反面教師というやつだ。そうして何人かの天才や秀才を、ただの高校生が世界に送り出そうとしてきた。だが、式人は何の前触れも無くこの世界、アーレスにやって来た。


 そんな何年も前のことを式人は思い出していた。今では育てた生徒がどうなっているのか知ることもできず、かと言って戻ろうとは思えないため、そのことが唯一の心残りだった。そんなことを考えていたからだろうか。少しの間、式人は止まってしまっていた。


「シキト君。準備ができたんだが・・・どうかしたのかい?」


 ラナに声をかけられてようやく気づいた式人はさっきまでの考えを頭の片隅に追いやった。(かぶり)を振ってこの世界に来たときの()()()を振り払った式人は、気を取り直してヤナの会計を見ることにした。


「いえ、なんでもありません。それでは店長。早速ですがやってもらいましょう」


「分かった。ではラナ、パンを出してくれ」


「ああ、これだけあれば十分だろう。ヤナ、頑張ってくれ」


「ふむ。あんパンが3つにクリームパンが2つ、ハムチーズパンが3つにメロンパンが4つか。まずはあんパンが1つ10アルカで3つだから30A。クリームパンが1つで15Aだから・・・15+15で・・・・・・5+5は10だから30A。ハムチーズパンが1つ20Aだから・・・60A。メロンパンが1つ10Aだから40A。全部で・・・30+30+60+40だから・・・・・・30+30は60で・・・60+40は100だから・・・全部で160Aになるな。合っているか?」


「ええ、合ってますよ。流石店長。完璧ですよ」


「いや、シキト君の教え方が上手かっただけさ」


「そんなことはありませんよ」


「それでもお礼は言わせてくれ。ありがとう」


「ど、どういたしまして?」


「ふふふ、どうして疑問形なんだい?」


 誰かにお礼を言われ慣れていない式人はどうすればいいか分からず、取り敢えず疑問形で返したら笑われてしまった。その間に考え込んでいたラナは、


「シキト君。私にも教えてくれると言ったね?」


「ええ」


「是非、私の職場でも教えてくれないだろうか」


「はい?」


「勿論、報酬は出そう。どうだろうか」


「いや、そもそもラナさんはどこで働いているんですか?」


「おや、言ってなかったか」


 そこでラナは改めて自己紹介をすることにしたようで、一拍溜めて言った。


「では改めて。私は冒険者斡旋組合アルザス支部の支部長ラナだ。いわゆるギルドマスターというやつだよ。よろしく、シキト君」


 この街のギルドマスターとの出会いはパン屋で客と店員という奇妙な出会いだった。

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