第5話
◆ ◆ ◆
警察署に泊まった翌日の夜、少年が最も恐れていた事が起きた。
本州に居るはずの父親が目の前に立っている。
知られてしまったのだ。
その男は痩せぎすで、全体的にひょろりとしている。背は高くなく、一七〇センチ程度だろう。適当に撫で付けた茶色い髪を後ろで一つに括って流している。あごの線や鼻筋はすっきりとシャープに整っているが、眉は細く目つきが悪く、ともすれば三白眼に見えた。酷く冷たい印象の男だ。
品の良いスーツを身に付けてはいたが、不穏な気配を隠す気は無いらしい。面倒を起こされたとばかりに子供を強く睨み付ける視線には、情など欠片もない。
少年は記憶の中の父親と目の前の男を比べてみる。顔は殆ど覚えていないが、身に纏う酷薄な空気は記憶の彼方の父そのものだった。
紺色のスーツの男は不機嫌な声で言った。
「立ちなさい、孝顕。行くぞ」
いつまでもイスに腰掛けたまま、視線を床に固定し動こうとしない少年に、もう一度、高圧的に繰り返す。
「立て、孝顕」
手を伸ばすと少年の腕を掴み、強引に椅子から引き上げる。つかの間、孝顕は男の顔を見上げるが、すぐにまた視線を床へ逃がした。
「行くって何処へですか」
「決まっているだろう」
「…………」
孝顕は長い溜息をついた。
少年に付き添っていた婦人警官が、一連のやり取りをはらはらと見つめている。
「あの、お父さん。大変なことがあってすぐですし、もう少し、その……」
「分りました」
婦警の言葉をさえぎり、少年は平坦な声で応じた。
「手間をかけさせるな」
冷たく言い放つと男はきびすを返し、まっすぐ玄関ロビーをめざす。自分の子供に振り向きもしない。
冷酷な背中を暫し見つめてから、少年は父親の後について歩き出した──。
とある夏の日。
何の変哲も無い、ただの日常であるはずだった。
少なくとも少年にとってそれは日常の一つだった。
大切にしてきたその日常が、失われた日でもあった。
――【了】――
2015/01/10 部分訂正 2015/03/26 一部改稿
2019/04/03 大幅加筆修正・改稿