第4話
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親子は四年半ほど前にこの町に引っ越してきた。孝顕がまもなく小学生になろうかという頃だった。離婚した母親は、父親から逃げるように本州から北海道へ移り住んだのだ。北海道には母方の祖母の家があると聞いたことがあるが、交流は無かった。
父親の顔は殆ど覚えていない。基本的に仕事場に引きこもっていたし、たまに帰っても会話など全く無かった。重苦しい沈黙だけが家族を取り巻いていた。
構って欲しかった。話も沢山したかったし、甘えたかった。けれどそれを素直に表現することは躊躇われた。断崖に立つかのような、呼吸さえ許されない張り詰めた空間が、少年には恐ろしかった。
離婚の理由は知らない。子供には理解できない大人の事情があったのだろう。
天井の梁からぶら下がる母親を見つめながら、孝顕は父に知られることを恐れた。とにかく、動かなくなった母親を苦労して床に降ろしたが、それ以上どうする事も出来ず、普段の生活に戻る事しか思いつかなかった。
少しでも長く父に見つからないよう、誰にも知らせてはいけない。家同士はそれなりに離れていて、騒がない限りばれないはずだ。いつもどおり普通に暮らせばいい。
お金については、生活や養育費として幾何かの金額が毎月振り込まれているのを知っていた。水道光熱費は自動振込みなので、時々残高を確認に行けばいい。確認だけならばコンビニで足りる。母は病気で入院した事にすればいい。遠くの設備の整った病院に入院しているのだ。
考えをまとめやることを決めて実行すると、孝顕は少しだけ気持ちが楽になった。それでも不安はあった。
母親の遺体だ。
初めは夜が来てもなかなか寝付けなかった。度々起きだしては隣の部屋を確認する。死体が動き出すのではないかと一晩中でも番をした。綺麗だった顔も僅か数日で直視できない状態になり、耐え切れずに顔にハンカチをかぶせた。鼻や目から不気味な液体がしみ出し、頻繁に替えねばならなかった。
このままではまずいと思った少年は、図書館や書店に行き死体に関する本を探し回る。匂いが漏れないよう、母親の部屋は窓も換気口も覆う。暑くても居間の窓は殆ど開けられず、換気には苦心した。海が近く夏でも比較的涼しいとはいえ、蒸し風呂にならなかっただけでただの気休めだった。
腐敗が進み臭いが強くなる頃には、少年の心は麻痺していた。強烈な臭いもあまり気にならなくなり、母は入院していると思えば、遺体も恐ろしくなかった。
ただ、自分の体や衣服に付いた臭いだけは気になった。外にでると、まといつく独特の臭いに気づくのだ。風呂と洗濯は今まで以上にこまめにするようになった。洗った衣服に匂いがなるべく付かないよう出来る限り気を配った。
本を読み漁り知識を得るにつれ、死体の扱いについては、子供には到底不可能な事ばかりで、解ってはいたが孝顕は愕然とする。やがては大人達に知られてしまうだろう。そして父にも……。
全てがどうにもならない。自分に出来るのは黙っていることだけだ。半ばあきらめながら、日が昇れば朝食を取り学校に行き、夕方には再び食事を作り、翌日の用意をする。ひたすら今まで通りの生活を続けた。
友人が家を訪ねたその日まで──。
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