92.迷宮都市へ向かおう!(4)
「少しお話をさせていただいても宜しいですかな?」
そう言うと私の横に座ったレイモンドさんは、何を言うわけでもなく、ダビデを優しい瞳で見ている。
「レイモンドさん?」
「……失礼を致しました。リュスティーナ嬢と御呼びするべきでしょうか」
「ティナで、嬢も要りません」
「ではお言葉に甘えまして、ティナ嬢。お礼を申します。デュシスの町でのあなた様の行動に、心からの感謝を捧げます」
ピシリと背筋を伸ばしてからレイモンドさんは頭を下げた。面食らっている私の顔を見て、唐突だったと理解したのか、言葉を続けてくれた。
「デュシスで春に起きた事件の事です。あの時、デュシスには私の養い子がいたのです。旅の途中で、生涯の伴侶を見つけたと嬉しい連絡が来て、家族一同喜んでおりました。その滞在先のデュシスで疫病が流行り、かなり危険な目にあっていると、伝を頼りに緊急の連絡が入り、一度は覚悟を致しました」
「はぁ?」
よく分からなくて曖昧に相づちを打った。春って言うと七色紋? 疫病の患者さんの中に、レイモンドさんのお子さんがいたのかな?
「ふふ、お分かり頂けなくとも良いのです。ですがもう二度と会えぬと覚悟をした娘を、助けてくださった恩を忘れはしません。元々、私が獣人に協力し、この国に入ったのも、万一の時には、娘を助けるためでした。結局私は、何も出来なかったのですが」
自己完結して、そう語るレイモンドさんの顔は晴れやかだ。お礼を言われるのは嬉しいし、レイモンドさんが妙に私の味方をしてくれるのは、そのせいだったのか。
「そう言われれば、レイモンドさんは人間ですよね? 獣の耳も尻尾もないですし……」
「はい、私は獣人ではありません。少々縁がありまして、彼らに協力をしているだけです。このまま第6境界の森を抜け、北のデュシスの山脈を越え、国境を越えたら、そこで別れる予定でした。こうして口にすると、どれだけ無謀な計画か身につまされますね。
……ティナ嬢、こちらをどうぞ」
晴れやかな笑みを苦笑に変えて、レイモンドさんは胸元から何かを取り出して、私に差し出した。
「えーっと、これは?」
手の中にあるのは、輝く銀の鈴だ。ただし、呼び鈴は外側だけで、中に金属はないから音はならない。
「幸運の御守りです」
ニッコリと笑うと、よろめくことなく立ち上がる。
「さぁ、護衛の方もお戻りの様です。今夜一晩、露天を友とし、共に過ごして頂かなくてはならないこと、謝罪したします。疑り深い獣人を許していただきたい。彼らも限られた人員と資源で敵地を抜けねばならぬ事に、神経を尖らせているのです。
ティナ嬢、貴女の道行きに幸運があらんことを」
「あ、あの!!」
言うだけ言って、レイモンドさんは獣人達の中に帰っていってしまった。話を聞かない人だったな。
「ティナ、どうした?」
レイモンドさんと話していたのに気がついたのか、ジルさんは目でレイモンドさんが合流した辺りの獣人達を観察しながら問いかけた。
「お帰りなさい。少し話していただけです。それよりも、アルオルはどうでしたか?」
「ああ、指示は了解したとのことだ。
それと、少しの酒と食べ物、それと寝具を持ってきた。ダビデが目覚めるのは明日の夜になるだろう。それまでは、俺が食事を作るが問題はないか? アルオルについては、各自で何とかするように伝えてきた」
「食事は久々に私が作りますよ。一応、手持ちに香辛料や素材もあります。食べられる範囲のものは出来ると思います。
とりあえず、すっかり遅くなっちゃいましたけど、ダビデのお弁当を食べませんか?……あ、アルオルの分、持っていってもらえば良かったですね。どうします? 今から届けてきますか?」
そう言えばお昼を食べようと、ここに着陸したんだった。もう、お昼と言うよりはおやつの時間だけど、ご飯にしよう。
「アルオルはもう食べたと言っていた。それに、ティナ、本来は俺達の食事は朝晩の2食だからな? それでも多いくらいだ」
「まぁ、それは分かってますけど、ダンジョンや危険なフィールドでは、カロリーをとるのも、効率を高めるためには必要だと思います。それに、なにより私が食べたい。だから、日に3食にしようって話したじゃないですか」
フィールドやダンジョンで、本格的にレベリングをし始める時に、話し合った事を思い出しつつ、ジルさんに苦笑を向けた。
「まぁ、ご主人様がそれで良いなら、否やはないが」
そう言って座るジルさんの目の前に、マジックバックから出したお弁当を広げる。本来は五人前だからさすがに多い。余ったらアイテムボックス行きだ。そこなら、腐らないし。その内美味しく頂こう。
ハーブティーを入れ、ジルさんに手渡す。まだほんのりと温かいお弁当からは、香ばしい揚げた肉と、甘いたまご焼きのよい香りが漂ってきた。
「うーん、さすがダビデ。美味しそうですね。
さぁ、冷めないうちに頂きましょう」
それぞれの取り皿におかずを取り分け、白い丸パンを大きめの皿に盛る。私が食べ始めないと同居人全員が誰も口を付けないのは、今までの経験から分かった。特にジルさんは私が一口目を飲み込んでからしかフォークを握らない徹底ぶりだ。そんな訳で、簡単に豊穣神に祈りを捧げると、さっさと食べ始めた。
小さくしたおかずを口にいれ、急いで飲み込む。
「美味しいですよ。ほら、ジルさんも」
丸パンを手に取り、半分に割って、中におかずを詰め込み即席のサンドイッチを作りながら、食べるように促した。
「あぁ。豊穣神よ、今日の糧と、我が主人の慈悲に感謝します」
ジルさんも手早く神への祈りを捧げると食べ始めた。
「ジルさん、いつも言ってますけど、そのお祈り、やめませんか? 特に主人の慈悲云々」
「事実だ」
毎度恒例のやり取りをしつつ、食事を続けていると、近くで腹が鳴る音がした。
音がした方を見ると白い三角の耳をもつ青年が赤くなっている。それでもお弁当から目を離さないままだ。
「なんだ?」
ジルさんがお弁当を守るように座る位置を微妙に変えながら、青年を睨んでいる。身体の後ろからは、茶色、白、黒の三色の縞模様が可愛い太い尻尾がある。これは何の獣人だろう?
「え、あ、申し訳ございません!! おれ、いや、私は赤大熊猫族のピンと申します。あまりに美味しそうな香りにつられてしまいました」
レッサーパンダか!! あの、二本足で立つ姿は可愛いよね。
そのまま走り去ろうとする可愛い生き物の尻尾を見つめながら声をかけた。
「あの、良かったら食べますか? 二人だと食べきれないし」
「え?! よろしいので?!」
身を乗り出してくる青年を手招きする。
「ドタバタ動くな。埃が入る」
ジルさんよりいくつか下、私よりはギリギリ上の青年は威嚇するジルさんに怯えつつ、私の脇に腰かけた。
「あはは、はい、取り皿です。パンに挟んでも美味しいですよ」
「う、旨い!!」
膝立ちのまま唐揚げを一口食べたピン君はそう言うと、肉類だけを選んで取り皿に山盛りにしてかき込み始めた。
「え……」
「あ、本当だ。ウマイな。これ」
いつのまにやら集まってきた兵士と救出された獣人が、横から手を伸ばし、勝手にお弁当を食べている。瞬く間にパンを初めとして、全てがなくなった。
「え、ちょっと!!」
私の取り皿の上からも直接取っていこうとした手を叩き、文句を言う。ジルさんの皿に手を出した愚か者はいない様だ。
「何してくれてんですか! 私が食事にご招待したのは、レッサーパンダのピン君だけですよ!!」
「黙れ! ニンゲン!!
俺達の中にいて、殺されないだけでも有り難いと思え!!」
「そうだ! 俺達はお前達のせいで飢えた。仲間を殺された。俺達も死にかけた。そんなニンゲンの食事を奪って何が悪い!!」
「ニンゲン、もっと食料を持っているんだろ!!
出せ! ニンゲンの荷物を奪え!! 食料を! 金を!! 薬を!!!」
獣人達が食事に目が眩んだのか、口々に叫んでいる。これ、キレて良いよね? さすがに我慢の限界だし。
深く息を吸って怒鳴ろうと思った瞬間に、獣相化したジルさんが雄叫びを上げた。
「?!!」
人間である私だけに集中していた獣人達は、その不意打ちに驚いてジルさんを見つめている。少し離れたところにいたオスクロ達、この救出部隊の指揮官クラスも慌てて駆け寄ってきた。
「ジルベルト、何事だ!」
「見下げた奴らだ。俺はこんな奴等と同族だと思うと、恥ずかしい。オスクロ、全員殺す。いいな?」
私以上にキレたジルさんは完全に据わった目で剣を抜いた。
「ちょっと待て! ジルベルト、説明しろ!!
お前達もだ! 何があった!!」
指揮官の威厳か、オスクロが本気で怒鳴ったら、獣人たちは整列して事情を説明した。その説明の間も、ニンゲンに権利はない。食べ物を奪って当然。物資は全て獣人の物。殺されないだけでも有り難いだろうと口々にオスクロに訴えている。
「……わかったか? ならもういいな? 殺す」
「ジルさん、ダメ!!」
ユラッと動いたかと思ったら、初めの一人に肉薄しているジルさんに向かって叫んだ。何とか間に合って剣は、相手の足を抉る前に止まった。
「獣人に命令するな!!」
私の一番近くにいた獣人、多分 猪獣人がのし掛かってきて、地面に押し付けられる。いや、今、命令しなかったらお仲間がひとり死んでたか大怪我してたから。
「何故?」
そんな私を見ながら、低くジルさんは問いかける。よっぽど私が攻撃を止めたのが嫌らしい。
「それ、レッサーパンダのピン君。私が食事にご招待した人」
ジルさんの目の前で怯えてるのは、ご招待した人だから。誘っておいて殺すって何よ。ジルさん、本気で頭に血がのぼってるね。
「なら、ソレならいいな?」
「ヒッ!!」
ジルさんは私を押さえつけている、猪獣人に狙いを定めて聞いてきた。私の腕に狙われた猪獣人の震えが伝わってくる。
「ダメ。……オスクロ、これ以上なにかするなら、暴れるよ?」
「オイ! その娘を放せ!! 今すぐだ!!」
ジルさんを止めつつ、オスクロに向かって宣言する。私の本気がわかったのか、慌てて指示を出している。
そんなオスクロに向かって、数で押せばなんとかなると訴える獣人達が多い。
服についた汚れを払いつつ、立ち上がる。そんな私の側にジルさんは立った。全員の視線が私に集まっている間に、ダビデが寝ている場所に守護結界を張る。
「そもそも、私は通りすがりのただの善意で貴方達を助けただけだ。自作品とはいえ、高位の魔法薬を使い、隷属魔法を緩め、そして高レベルのモンスターから貴方達を守った。これ以上、何を求めるの?」
「ご主人様はご自身が苦手とされている魔法を使ってでも、獣人奴隷の仲間だからと助けて下された。それに、当たらなかったとは言え、我々の接触では矢で射られ、オスクロには暴力を振るわれた上でだ。
それを、癒された事に礼を言うでもなく、隷属魔法を変化させ、苦痛が襲わなくなった事に感謝するでもなく。確実に半数以上は逃げることすら出来ずに殺されていたであろう、魔物を退治して頂いた事を恩に感じるでもない。
その上、ご主人様の食事に手を出し、脇から奪い、それが当然だと? 殺されない事を感謝しろだと? 大地に這うべきは誰だ? 俺はこんな奴等を助けてほしいと、主人に頼んでしまったのか」
最後は独り言のように下を向いて呟いている。
「ジルさん、落ち着いて」
もう大丈夫かなと思って、ジルさんの二の腕に手を添えて笑いかける。
「これはオスクロ殿達が完全に悪いですな。
謝罪を。さもなくば、私もこちらから去りましょう」
「レイモンド殿?! 貴方が我々から去ったら、どうやって境界の森を抜けよとおっしゃるのか!!」
「存じません。獣人以外には何をしても良いと考えておられるのでしょう? 私も獣人ではありませんからな。自衛はしなくては」
ポロリンと楽器を爪弾きながら、レイモンドさんは話す。いつのまに来たのやら、ダビデと獣人の間に陣取ってくれていた。もしもの時には守ってくれるつもりなのかな?
「さぁ、どうする? 死ぬか、謝るか。まぁ、それでご主人様がお許しになるとも限らないが、選ばせてやる」
いまだに静まらない怒りのまま、ジルさんは獣人達を睨み付けた。いや、誰かが怒ると、周りは怒れなくなるって言うけど、アレ、本当なんだね。当事者、私のはずなのに、落ち着いてきてる。
うーん、さて、どうするかな?
とりあえず、この獣人達と一緒に一晩過ごすのは、嫌だな。




