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88.箸休めー悪友の忘れ形見

「あなた、まだ早いわよ……」


 半分眠ったまま、妻が腕を伸ばす。その手を避けつつ、クルバはまだ暗い部屋でベッドから起き上がった。


「少しやることがある。まだ寝ていなさい」


「えぇ……」


 眠りに吸い込まれていく妻の穏やかな顔をしばし眺めてから、クルバは静かに外へ歩き出した。


「……まったく、老人は朝が早くていけない」


 自宅にある書斎に入ったクルバは、後ろ手に扉を閉めつつ、呟いた。そのまま机に向かい、引き出しを開けると、通信機を取り出す。ほどなく約束通り、通信機が作動した。


「ふん、起きていたか。小僧」


「そろそろ、小僧は勘弁して頂きたいものですね。お義父さん」


「カッ、鼻垂れ小僧が、生意気な。娘がお前に惚れてなければ、認めやしなかったものを。今日は娘や孫のマリアンヌはいないのか? 気が利かんな」


 相変わらず張りがあり元気な声が室内に響く。


「マスター・クレフ、今はまだ夜も明けぬ早朝です。深夜と言ってもいい。妻や娘を起こせば、叱られますよ」


 宥めるクルバに対して、クレフは鼻を鳴らす事で答えに変えた。


「まぁ、よい。それで、ティナ、いや、リュスティーナの件じゃ。今日が成人じゃな?」


「はい、ギルドにも呼んであります。今日、狂愛と血塗れの話をする予定です」


 仕事用の声に切り替えたクレフに合わせ、クルバもまた、義理の父に対する口調から、尊敬を集める先代ギルドマスターに対するものに切り替えた。


「どこまで話す気じゃ?」


「俺が見た全てを」


「青いの」


 端的に答えるクルバを、一刀両断に切り捨てたクレフは続けた。


「成人したばかりの幼い娘に、全てを背負わすつもりか?

 それに、そなたは冒険者ギルドの現ギルドマスターじゃ。狂愛と血塗れを冒険者ギルドが守りきれなかった事まで話す気か。それで何になる? ティナが不安に思うだけであろう?」


「しかしッ! 事実は事実。あの時、冒険者ギルドはフェーヤとヴィアを見捨てた。そして、俺を含め仲間達も見捨てた。その事実はいつかティナの耳にも入る。ならば、今、明らかにしてしまった方が良い」


「お主の良心はそれで満足するであろう。

 お前は、さっさと謝って楽になりたい、違うかの? だが、ティナの事を考えろと言っておるのだ」


 苛立たしさを隠さずに、クレフは若いギルドマスターを叱りつけた。


「よいか? クルバよ。良く聞け。

 ティナがこの権力闘争に明け暮れるゲリエの国を救うかもしれない血筋であることは、否定できない事実だ。だが、ティナはこの国に育てられた訳でもなければ、自身が王族と知っている訳でもない。

 お前に報告された、折々に出てくる平民とは思えない思考からして、フェーヤもヴィアもティナが王族となる可能性も考えてはいたのであろう。

 だが、全ては本人の意思に任せなくてはならんじゃろ。なんせ、ティナはテリオじゃからのう」


 通信機の向こうで、クレフは肩でも竦めているのだろう、小さくコワイ、コワイと聞こえてくる。そしてその後、茶を啜る音がする。

 そんな穏やかな向こう側に、納得出来ないとありありと分かる声音でクルバは訴えた。


「では、クレフ老、貴殿は私にどうしろと仰られるのか?!」


「そんなものは、自分で考えよ、と言いたいところだが、可愛い娘の婿じゃからのう。

 リュスティーナには、狂愛、フェーヤの身の上を話せばよかろう。それにあの二人からの最後の手紙も、おぬしが持っているのであろう? 上手くすれば、何も言わずとも解決するだろうよ。

 ああ、それと、王都にいる昔の仲間に向けた手紙はどうする気じゃ? おぬしの一存で止めておるのだろう?」


「な、何故、それを……」


 心底驚いて尋ねるクルバに、通信機の向こうから特大のため息が漏れた。


「鎌をかけただけじゃ。フェーヤやヴィアが、パーティーメンバーの中でおぬしにだけ、手紙を書くとは考えにくい。残りの二人へもあったと見るのが普通であろう?

 まったく、素直なのは良いことだが、ギルドマスターとしては頼りないのぅ……」


「……申し訳ありません。ティナの選択が終わり次第、送る手配をする予定です」


「ふん、全てはティナの心ひとつ。もし、王族として生きるのであらば、それもよい。冒険者として生きるのであれば、今まで同様の助勢をしよう。儂の唯一の心残り。我が冒険者ギルド人生の汚点を(すす)ぐ為じゃ。この老骨に鞭打とう。

 いつか、ティナが強くなり、全てを知っても揺らがないほど己を確立したのなら、その時は膝をついて詫びよう。それまで、余計な事を言うでないぞ。

 よいな、マスター・クルバ」


 そう言うと、クレフから通信は切られた。もう作動していない通信機を、クルバは見つめ続ける。そんなクルバの背に、いつの間にか柔らかな朝日が差し込んでいた。





 ***


 思いもかけず優しい笑顔で、悪友の忘れ形見を見送ることができた。その安堵に、知らず知らずに入っていた全身の力が抜ける。


「失礼いたします。マスター・クルバ、無事、ティナ・ラートルにBランクの本登録カードの交付が終了いたしました」


 疲れた体をソファーに投げ出し、天を仰いでいたクルバに、下から上がってきたアンナは声をかけた。そして、いつも姿勢良く執務をこなすクルバとは思えない、その体勢に動揺を隠せないでいる。


「入れ。それと、扉は閉めてくれ」


「マスター・クルバ……」


「今は、今だけは、クルバでいいぞ。アンナマリア」


「クルバ兄さん……」


「アンナマリアにそう呼ばれるのも、久しぶりだな。ヴィアが全てを捨てて消えたあの日以来か。もう二度と呼んでは貰えないと思っていたよ」


 昔を思い出すクルバの表情に、アンナは涙ぐんでいる。そのまま、ポスッとクルバの隣のソファーに身を沈めた。


「クルバ兄さん、ティナには何処まで話したの?

 あの子、顔色が悪かったわ……」


「大した事は話していない。フェーヤが王族で、ヴィアを選んだからこの国に消されかけたと言うことだけだ。あの時、冒険者ギルドや、俺達がとった行動は話していない。いや、違うな。話せなかった。

 どうせなら、あの二人の手紙に、我々に対する怨み辛みでも書かれていれば良かったものを。最期まで、強く優しいヤツラだったよ」


 天を見たまま瞑目し、両手で顔を覆うクルバにいつもの強さはない。そこにいるのは、後悔に苛まれるひとりの男だ。


「クルバ兄さん、あれは仕方なかった。ヴィア姉様だって、フェーヤ兄様だって、誰の事も怒ってなかった。自分達を売ったレントゥスの事だって、貴族ならば当然の行動だって、笑って……笑って……」


 いつも気丈なアンナは、それ以上続けられずに下を向いた。この17年、ずっと心を重くしていたあの時の事を思い出す。唇を噛んだまま、肩を震わせる。


「……我々は、一度、ティナの、リュスティーナの両親を裏切っている。仲間だった、背中を預けられると、命を預けられると、そう思っていた、だが、我々は保身の為にフェーヤとヴィアを捨てた。リチェルカはあの時の俺達の選択を許せずに、去ったままだ。風の噂では、海賊船を率いているらしい……」




「マスター・クルバ。今後のティナの事はどうなさるおつもりですか?」


 双方が落ち着くのを待って、アンナがいつもの有能な受付嬢の仮面を着け直し、クルバに声をかけた。


「5日以内にデュシスを去る。何処まで地理が分かっているか不明だ。狼獣人や元高位貴族もいるから、道に迷うことはないと思われるが、ギルド所有の職員配布用の地図を準備してくれ」


「え……、マスター・クルバ、それは職員以外に渡しては、不味いものではないのですか?」


「問題はない。ティナは、冒険者ギルドと協定を結ぶ、テリオ族の成人だ。テリオへの情報提供ならば、咎められる事はない」


 それならばと頷くアンナを見て、クルバはポケットからひとつの魔石を取り出した。


「これは、クレフ老から送られてきたティナの紹介状兼推薦状だ。連名で我々デュシスのギルドと、クレフ老がおられるケミスの町のギルド、ジュエリー殿の署名も入っている。クレフ老は先般、冒険者ギルド本部の運営議会に長老として復帰されている。実質、ギルドマスター3人分の推薦状だ。しかもその一人は、眠れるキマイラ。これを持っていれば、どこのギルドでもティナを優遇せざるを得ない」


「また、凄いものを……。クレフ様は本気なのですね。本気でティナに対し、両親の贖罪を」


 老人は老い先短い分、涙もろく、入れ込みだしたら止まらんのだろうと、クルバがそう言った時だった。王都にある冒険者ギルドからの緊急通信が入る。


 それまで身体を投げ出していたのが嘘のような反応で、執務机に戻り、通信機を手に取ると間髪いれずに通話が開始される。


「……こちらゲリエ王都ギルド! 内勤職員をしておりますラプロと申します! デュシスギルド、応答願います!!」


「こちら、デュシスの冒険者ギルド、マスター・クルバだ。何事だ? なぜ、内勤職員が緊急通信を使っている?」


「マスター・クルバ! 良かった!

 どうか、冷静に聞いてください。王都のギルドマスターは、執行局に捕らわれました。罪状は不明です。ただ、乱入してきたのは執行局と騎士団です。騎士団は団長自らがやって来ました!

 執行局員達は、王家から派遣されてきたサブマスターの指示を受け、ある冒険者の情報を探していたようです。悪辣娘とやらに心当たりはありますか?


 また、王都より、つい今しがた、マスター・クルバの昔のパーティーメンバーである、レントゥス団長の騎竜が飛び立っております。

 団長は、デュシスに向かっているとのタレコミがありました。怪しい人影に、王都で噂になっている人影について、何か聞かされた様だ、それ以来、ヴィア、フェーヤと呟いていたそうです」


「情報感謝する。あとはこちらでやろう。しかし、そんなことを俺に教えて良いのか? 下手をすれば危険だぞ?」


 口早に情報を伝えてくる相手を心配し、クルバは確認をとった。


「はは、良いのです。全て覚悟の上。……ご無沙汰しております。17年前、貴方様に助けられた子供は、今、ようやくご恩を返せそうです。どうか、マスター・クルバ、ご無事で。王都のギルドは閉鎖されます。

 残ったギルド関係者と共に、冒険者達と我々は落ちのびます。自治を約束された冒険者ギルドの、それも王都のギルドマスターを捕らえるなどと……許されることではない。

 では、重要文書を破棄し次第出発しますので、これにて」


「幸運を。今、王都にはデュシスがホームのスカルマッシャーがいる。腕は確かだ。信頼も置ける。良かったら使ってやってくれ」


 感謝しますと答えて緊急通信は切れた。

 クルバが目を上げると、そこには覚悟を決めた顔のアンナがいた。


「アンナ、デュシスの冒険者ギルドに、緊急事態を発令する!

 最優先で、ティナを逃がせ! 何故かは知らんが、レントゥスにティナの存在を嗅ぎ付けられた。

 俺は、レントゥスの相手をする」


 ハッ!! と気合いの入った声でないアンナは承諾すると、走り去った。


 その後ろ姿を見送り、クルバは執務室に置いてある、昔の装備に手を伸ばす。


「……デュシスで、ヤツの騎竜が着陸出来る場所は少ない。それに、アイツの性格だ。十中八九、領主館に乗り付ける。城門で降りて待つなんて、地味なことはヤツのプライドが許さないだろう。ならば、そこで待てばいい」




 *****



 予想通りに、領主館の中庭に乗り付けてきた、竜騎士をクルバは睨み付ける。


「お前か。久しぶりだな、クルバ」


 そんな敵対心に溢れる出迎えを受けたのにも関わらず、男臭い笑みを浮かべて、髪に白いものが目立ち始めたその男は話した。ただ、クルバを警戒しているのか、騎竜からは降りようとしない。


「レントゥス、何をしに来た。何故、王都のギルドマスターを捕らえた」


「ほう、もう知っているか。ならば話は早い。

 クルバ、俺に隠していることがあるだろう? 教えてくれ」


「お前に教えることなど何もない。用件がそれだけならば、王都に帰れ。そして、現王に尻尾を振ればいい」


 武器はかろうじて抜いてはいないが、殺気だったクルバの顔を、意外そうに見る。


「何をそんなに必死になってるんだ? ならば、あながちあの噂もデマではないのか? おい、クルバよ。悪いようにはしない。この剣に誓おう。なぁ、お前は何を隠してるんだ?」


 宥めるレントゥスを蔑む様に見ると、クルバは武器を抜いた。


「お前の剣は、高潔だと? 誓う価値があるとでも思うのか?!」


「なにッ?!」


 流石にその挑発は看過できなかったのか、竜の上でレントゥスも愛用の剣を抜いた。二人の武器が傾きだした太陽に反射する。


「……?! 上空へ上がれ!!」


 一触即発の空気が流れる中、突然騎士団長は騎竜を上空に飛ばした。そのまま何かを探すように周囲を観察している。


「この、強い魔力……?! あそこか?!」


 城門にいくつかの集団がいる。辺境最大の都市ゆえに、人の出入りも多いだろうと、気にもしなかったが、確かに強力な魔力が渦巻いている。


 小柄な、黒いフードを被った人影から発せられるその魔力は、一瞬竜すらも怯ませるのに十分だった。そして、その一瞬で強い魔力も持ち主は、この地から消え去ってしまった。


「……何だったんだ、一体」


 暴れる騎竜を宥め、再度領主館に着陸する。そこには先程までと同じ、昔の仲間が立っていた。さっきの魔力が気になっているのか、城門の方角に顔を向けている。


「……おい、クルバ」


「時間稼ぎは、もう、十分だな。

 レントゥス、これをお前にと預かっていた。受けとれ」


 手首のスナップを効かせ、上手く風に乗せて、1通の手紙が投げ渡された。


「おい、これは……」


「フェーヤもヴィアも、死んだよ。その手紙を、届けてほしいと持ってきた者がいた。……もう、出発したがな」


 クルバの言葉に驚いて、手紙の裏を見たレントゥスは、見覚えのある封蝋に目を細めた。


「なぁ、レントゥス。少しだけ、元の、冒険者だった頃の俺とお前に戻って話さないか? デュシスのギルドマスターと、ゲリエの騎士団長としての俺達じゃない。フェーヤやヴィア、それに、リチェルカと一緒にバカをやっていた俺達だ」


 哀しみの中にも懐かしさを込めて、クルバは袂を分かった仲間を誘った。


「ふざけた事を言ったら、切るぞ?」


 そう言いながらも、騎竜から落ちないように自身を固定していたベルトを外し、レントゥスは地上へと降り立った。抜き身の剣を見ながら、苦笑しつつ、クルバは頷く。


「構わん。どうせ、いつ無くなってもおかしくなかった命だ。それも、ゆっくり読みたいだろう? フェーヤとヴィアの最期も聞いた。来いよ」


 今は、味方とは言いがたい関係になってしまった、二人の男は互いに間合いに入らぬよう気を付けながら、領主館の奥へと消えていった。





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