85.月夜の晩に
天空には、満ち欠けを繰り返す馴染みのある色の月と、群青と薄い紅に輝く常輝の満月。足下には、大海原を思わせる黒々と渦を巻く木々。少し目を転じれば、月光を浴びて輝く湖面と、遠くには月光を受けて輝く銀の草原も見える。風が草原を走る度に、輝きは表情を変えて、美しくも儚く、刻々と変化していた。
そんな詩的な表現をしたくなるほど美しい宵闇の中、私はダビデに作って貰ったニョッキに、みたらし餡をかけた謎の物体Xをツマミにたった一人で月見をしている。出掛けに、へたった耳のまま、ソレは美味しいのですか? とダビデに聞かれて、返答に困った。でも、団子粉がないんだから仕方ない。
空飛ぶ絨毯を作ろうと思ったが、絨毯が見つからず、空飛ぶ布となったレジャーシートの上に、ゴロンと寝転ぶ。
「自由の風……じゃなかった、坩堝さんもスカルマッシャーさんも、パトリック君も、みんな頑張ってる。私は何をしてるんだろうなぁ」
小さく漏れた声は、空に吸い込まれる様に消えていく。
坩堝さんは無事に迷宮都市群に到着した様で、冒険者ギルドを通して、先日、噂を聞いた。私が渡したデュシスからの感謝状を使ったらしく、ギルドに問い合わせがきたらしい。
スカルマッシャーさん達は無事に試験を終え、Aランクに上がった。今は、王都で新しい別のAランク達と一緒に挨拶回りをしているらしい。礼儀作法なんか知らん、知恵熱が出そうだと、アンナさんに愚痴の連絡が来ているそうだ。
パトリック君には、私から渡せる情報は全て渡した。それを元に、ギルドと長期契約も視野に交渉中だと言うことだ。お陰で最近ギルドに行くと、よくパトリック君に出会う。すっぱりと女装を辞めて、いつか愛した女を迎えに行くのだと頑張っている。
三者三様だけれど、みんな未来に向かって歩き始めている。私だけが、ここに転生したときのまま、傍観者として立っている様で、焦りを感じる。
でも、明日で傍観者であるのも終わりだろう。何故なら、明日で私も成人を迎える。ギルドと結んだ契約も終わり、私は何にも縛られなくなる。……この町と何の関わりもなくなる。
ダビデ達に話していた予定通り、冬になる前にデュシスを離れる予定だ。ただ、今はそれが無性に寂しい。いつの間にか、この町の人達に情が移っていたようだ。
それに元々、自由になるまでとの約束で一緒にいて貰ったのに、私はダビデやジルさん達との約束を果たすのが恐ろしい。私からみんなが去ってしまうのが悲しい。一人になるのは寂しい。天涯孤独のこの異世界で、頼れる人は同居人達だけなのに。
まったく、私は自分がこんなに情けなくて、女々しいなんて思ってなかったよ。
「覚悟を決めろ。悩むな、迷うな、元から分かっていた事だろう? ダビデもジルさんもアルオルも、本人達が望んで私と一緒にいるわけではない。
人は自由でなくてはならない。選択は本人の意思に基づいて行われなくてはならない。選択の結果は、全て個人に帰属する。
私が人生の全てを管理する立場でいることなど、烏滸がましい。弱さは見せるな。悩みを見せるな。彼らが困るだろう?
……笑って、彼らに自由を」
力なく呟く。
ー……泣くのは今日だけだ。
意思とは裏腹に、流れ落ちる弱さを片腕で覆って、しばらくそのまま動けなかった。
「ティナ、成人おめでとうー!!」
翌日、ダビデ達と一緒に、呼び出されてデュシスのギルドに向かった。中に入ると、マリアンヌの元気な祝福の声に出迎えられる。
「ありがとう! マスター・クルバと約束があって来たんだ。
取り次いで貰えるかな?」
私も負けじと、元気に返事をした。
「え……お嬢様、成人ですか?」
キョトンとしてダビデが問い掛けてきたから、笑って頷いた。
「うん、今日で15歳だよ。晴れて成人。ようやく約束が果たせるね」
にっこりと笑って伝えたら、ダビデが慌て出した。
「え、あ、えぇ!! ティナお嬢様、どうして教えて下さらなかったんですかっ!! 分かってたら、ご馳走を準備したのに!」
「へ? 別に昨日までと何か変わる訳でなし、普通でいいよ。何だか、大々的に祝われると、恥ずかしいし」
前世でも誕生日は、おめでとうではなく、御愁傷様、もしくはまた来たかって感じだったしね。それに、これからの事を考えると、素直に喜べないのもある。
「ティナお嬢様は良くても、ボクは良くありません! 帰りに市場に寄らせてください!!」
尻尾をピンと上げて、ダビデに叱られてしまった。最近、今後の移動のことも考えて、オルが留守の間から、順次食料品は買い込んでいたから、買わなくても大丈夫だと思うんだけど。
まぁ、ダビデが行きたいなら、付き合うけどさ。
「はーい。なら、マスター・クルバとの約束が終わったら寄ろうね。ついでに小麦粉とかの必需品も買おう。今日は荷物持ちもいっぱいいるし」
ジルさんやアルオルを視線で示しながら、そう笑った。
「あ、ダビデ達は下で待っててね。おと……マスター・クルバから、ティナだけ通すように言われてるの」
マリアンヌにそう言われて、全員が足を止めた。
「え、なんで?」
「知らないよ。カードも成人用に作り直すから、チーフは同席するみたい」
ほら、早くと急かされて、執務室に向かう階段を上がる。ダビデ達はマリアンヌと一緒に、応接室のひとつで待っていてくれるらしい。
「マスター・クルバ。失礼します」
クルバさんに挨拶をして、中に入った。促されるまま応接スペースのソファーに座る。向かい側にクルバさん、その隣にアンナさんが座っていた。
「ティナ、いや、リュスティーナ、成人おめでとう」
深刻な顔のまま、クルバさんはそう言った。いや、なんか雰囲気怖いんですけど!
初めてここに来たときの、無口系だったクルバさんを思い出してしまう。
「マスター・クルバ。ティナが困っています。
ティナ、成人おめでとう。今日からは成人ね。これで冒険者ギルドも本登録になるわ。本当におめでとう」
柔らかく微笑みながら、アンナさんは祝福してくれた。でも、表情がどこか冴えない。
「マスター・クルバ、アンナさん? なんか変ですよ?
あ、成人して私からポーションの定期納品がなくなるのを気にしてるなら、大丈夫ですから」
雰囲気を変えようと、わざと明るく言ったけれど、そんなことではないと首を振られる。
「リュスティーナ、君に伝えなくてはならないことがある」
意を決した様にクルバさんが口を開いた。
「いや、クルバさんに君って呼ばれると違和感がありますね」
「混ぜっ返すな。お前の両親と、そしてお前自身の未来の選択に関わることだ。
まずは、アンナ、ティナからギルドカードを預かって、成人用のカードに切り替えてくれ。帰りに取りに寄らせるから、ティナが帰るまで執務室には誰も入れるな」
「かしこまりました。ティナ、この石に手を置いてね。
……そうそう、これで貴女の魔力パターンが登録されたわ。後は本登録用のカードに切り替えるから、帰りに寄ってちょうだい。絶対よ」
クルバさんに一礼すると、アンナさんは階下に降りていった。
「さて、リュスティーナ。今までのデュシスへの協力、ギルドへの助勢、感謝している。お前は近年稀に見る逸材だ。流石はフェーヤとヴィアの一人娘だな」
「あの、マスター・クルバ?」
ため息混じりに両親の名前を出されて困惑する。いや、だって今まで何回か聞いても、答えてもらえなかったし。なんでまた、いきなりこんな話になってんの?
しかも、かなり深刻な雰囲気だし。
「リュスティーナ、お前は本当に何も知らないんだな?
失われし希望フェーヤブレッシャーの事も、テリオの旅人にして、世界の観察者であった聖女クラサーヴィアの事も」
ふぇーやぶれっしゃーって誰?
クラサーヴィアさんは、確かこの世界で私の母となった人の名前だけど。
聞き馴れない名前で反応できないでいると、クルバさんは私が本当に何も知らないと判断したのだろう。それなりに厚みのある手紙を取り出して、手渡してきた。
「読むと良い。
リュスティーナ、君の両親が、最後に君宛に残した手紙だ。成人までは渡さないで欲しいと、俺宛の手紙に書いてあった。これを読み、俺の話を聞き、そして選択して欲しい。……君の未来を」




