84.頼みがある
さて、今日、パトリック君とオルがデュシスに帰ってくるって、連絡があったんだよね。王都のギルドから、デュシスのギルド経由で、高速便を奴隷が利用する事に関して問い合わせが来たのが3週間前。
もちろんオッケーを出したんだけど、高速便の馭者と運営している商会が奴隷を乗せるなんてと拒否したと後になって聞かされた。デュシスの領主様やギルド経由で、オルを乗せるように強要する事も出来たけれど、無理に乗せて貰っても途中で事故に見せかけて殺されても困る。そんな訳でオルはパトリック君と、無事に婚約を解消できたドリルちゃんの帰還に合わせて帰ってくる事になったんだ。そのドリルちゃん達、領主家一行が今日、デュシスに着くらしい。領主とその奥さんは、後始末もあり王都に残ったから、帰ってくるのはドリルちゃんだけだけどね。
私としては、婚約解除になったなら、次の人を見つけるためにも、王都のいた方がいいんじゃないかなと思っていた。だから帰ってくると聞いたときには驚いた。でも、アンナさん曰く、批判的な人目に晒され、経歴に傷がつくよりは、ほとぼりが冷めるまで田舎にいた方がいいってことらしい。貴族の考え方ってよくわからないわ。
「ティナ、そろそろイザベル様が帰ってくるわ。オルの返却もあるし、一緒に領主館に行きましょう?」
ギルドで待ち合わせをしていたアンナさんと連れだって、町を歩く。傷心かもしれない姪っ子の帰還だ。アンナさんはわざわざ休みをとって、迎えることにしたらしい。
ダビデ達も一緒だけれど、やっぱり誰も話かけはしなかった。どんなに町の人達に受け入れられても、奴隷は奴隷って事で弁えているらしい。普通で良いよって何回も言ったんだけどなぁ。
「アンナさん、あの、イザベル様の件は結局どう片付いたのですか? 婚約破棄とは聞きましたけど……」
詳しい情報が入ってきていない状況で、ドリルちゃんの婚約破棄だけは知らされたけれど、予備知識は欲しいからアンナさんに水を向ける。いや、だってさ、上手く行って破棄なのか、泥を被っての破棄なのかによって、違うよね?
「私も良くは知らないのよ。ただ、オルが大活躍だったらしいわよ? 出来たら譲って欲しいくらいだって、兄……領主が話していたわ」
アンナさんも詳しくは知らないようで、首を傾げながら教えてくれた。オルを譲って欲しいってどれだけの事をやったんだろう。
「オルは譲りませんよー、と言うか譲ると言っても、本人が嫌がりそうです。しかも、貴族が抱えるには問題ありでしょう」
苦笑しつつ否定すれば、だから、私ごと抱え込もうという動きがあったのだと教えられた。びっくりしてアンナさんを見詰めたら、指を鳴らしつつ、話自体を潰したから安心してねと言われた。迫力ある笑顔が頼もしすぎる。
「ほら、ティナ、急ぎましょ」
アンナさんに手を取られて、どこかお祝いムード漂う領主の門を潜った。
「お帰りなさいませ!!」
領主館の広い中庭に、ペガサスの馬車が着陸すると同時に、出迎えていた兵士達が一斉に敬礼した。普通の馬車と違い、両方に翼がついた箱形の馬車から、ドリルちゃんがパトリック君にエスコートされて降りてくる。
「出迎え感謝します。ただいま戻りました」
窶れたかなと思いながら、儚げに笑うドリルちゃんを観察する。ドリルちゃんの手をとるパトリック君も疲れた顔だ。その二人の後から到着した、こちらも羽根つきの幌馬車から、お付きの兵士達に交ざってオルが降りてきた。
オルも疲れているのか下を向いている。
「お疲れ様」
私たちに気がついていないのかなと思って、少し離れた所から声をかけた。
「今、帰ったよ、子猫ちゃん。俺がいなくて淋しかったかい?」
オルは顔色が悪いけれど、口調だけはそのままに私に挨拶をしてきた。
「どうしたの? 顔色悪いよ? 疲れか、風邪でも引いた?」
遠征の疲れかなと思って尋ねたら、視線を反らされた。……怪しい。
「うん? オルランド、こっちを向いて質問に答えなさい。顔色が悪いけど、どうしたの?」
強めの口調で話せば、ばつが悪そうにこちらを窺っている。おーい、オルランドさん、貴方一体何やったの?
私たちが揉めていることに気がついたドリルちゃんとパトリック君が、割って入ってきた。
「ティナ、オルを責めないでやってくれ。悔しいがこいつが居なかったら、イザベルを助けられなかった」
「ええ、本当にそうです。
ティナ、貴女の所有奴隷は、大変よい働きをしました。お礼も申したいし、詳しくは中で話したいと思います。同行して頂けるかしら?」
館を指差しつつ、ドリルちゃんは私を誘導しようとした。
「いや、責めるって何で? 顔色悪いから、どうしてか聞いていただけですよ」
そう私が反論すると、パトリック君は失敗したと後悔に顔を歪める。いや、私にとっては貴方たちの反応の方が理解不能だよ。だから、オルは一体何をやったの!
「……ティナ様、恐らくですが、オルランドの首輪が作動しています」
見つめ合って身動きが取れなくなった私たちに、ジルさんが控え目に進言してきてくれた。
「え、うそ。オル! 首輪が絞まってるの?
何やったのよ!? もう!! ほら、屈んで!!」
大慌てでオルランドの首輪に手を伸ばす。触れた首輪は、かろうじて呼吸が出来るギリギリの強さで、オルランドの首を締め上げていた。圧迫だけではない何かも発している様で、首輪を中心に、火傷の痕や打撲、それと苦し紛れに爪で引っ掻いた様な傷もある。
「あぁ、もう! なんで首輪が作動してるのよ!
解除出来るのは、奴隷商人の所にいる上級隷属魔法の使い手くらいだから、ルールを破らないようにってあれだけ言ったでしょ!! それになんで王都で解除しなかったのよ!」
オルランドを叱りながら、首輪を外した。くっきりと痕が残ってしまっている。後でポーションを使ってキレイにしなくては……、そう考えていたら、首輪を外され、咳き込んでいたオルが苦しそうに話し出した。
「すまない、キャット。どうしても制限を超えて行動しなくてはならなくなってね。
これも、俺の実力不足のせいだからと、キティが首輪を外すまで堪えるつもりで、奴隷商人の所には行かなかったんだ。命令を破ってすまない」
「どの命令を破ったんだ?」
申し訳なさそうに答えるオルに対して、冷たい声でジルさんが問いかけた。それに対して、ドリルちゃんがこれ以上は中で話すと強く言い、場所を変えることになった。
「……さて、では、改めてお礼を申しますね」
アンナさんを含む全員で移動した応接室に、香り高い紅茶が運ばれるタイミングで、ドリルちゃんが口を開いた。
「オルランドが掴んだ情報を元に、無事、婚約破棄を致しました。お相手の方は、ご実家から勘当されてしまいましたが、才能豊かな方ですから、何とでもなさるでしょう。元婚約者様の奥様が現れた時には驚きましたけれど……」
「俺だけじゃ、王都で情報を得るのは難しかった。いや、オルがどうやって情報を得ていたのかも分からないが、とにかく凄かったぞ。あの駄目男の妻と子供を見つけ出して、王の御前での話し合いに乗り込ませたんだからな。相手は真っ青だった。胸が空く思いをした」
悔しそうに唇を噛みながら、それでもパトリック君はオルを誉めた。自分がそれを出来なくて悔しいんだろう。
「まったく、女と乳繰り合っているだけかと思っていたら、何処からともなく、相手の交遊関係やら、結婚証明の写しやら、結婚相手やらその子供やら……。本当にどうやったんだか」
パトリック君はそう言いながら、オルを観察するように見た。
「企業秘密だな」
オルは痣になっている首を押さえながら、軽く答えている。その後も軽い口調で話しているから、パトリック君と随分仲良くなった様だ。アル以外どうでも良いと思ってるんだろうに、よくぞここまで仲良くなれたものだ。
「いや、ちょっと待って。なら、何でそのお役立ちしたオルの首輪が作動してるのよ。オル、何やったの。情報収集や、ちょっとしたやんちゃくらいでは、絞まらないはずだよね?」
確かにガチガチに管理はしたけれど、それは私やアルやジルさん、つまりは私の関係だけだ。ドリルちゃんの婚約破棄で、ちょっとヤンチャしたくらいなら、何もならないはずなのになんで??
「……恐らくパトリックから噂を聞いたせいだろうな。それに対して少し動いたら、命令違反と判定されたんだろう。首輪が絞まり始めた。だが、そのまま看過することも出来ず、堪えられるギリギリまで動いただけだ。
もしそれを罰したいと言うなら、甘んじよう」
何でもない事のように、肩を竦めて話すオルランドを、ジルさんは睨み付けた。小さな声で何を企んでいるのやらと呟いている。
「ご主人様からみでなければ、首輪は作動しない。何があった?」
「王都での噂さ。
……辺境に現れた黒い手の美少女。あり得ないほど強い魔力と、アイテムボックスを保有する、顔だけは白皙に輝く麗しの乙女。輝く星の化身。月の娘。辺境の華。ゲリエ一の美貌の持ち主」
なんだそりゃ? 黒い手って、私の手は白いよ? それをなんで私だと思ったんだろう。
唄うように言い募るオルに首を傾げる。
そんな私を見て、パトリック君が口を開いた。
「俺はお前のことだと思った」
「私も、友人の伯爵令嬢のお茶会でその噂を聞きました。尾ひれが付いていると思いますが、ティナ、貴女を思い出しましたよ」
「へ? 私? 私は、可愛くも何ともないですよ?」
そんな私の反応に、周囲は首を振った。小さな声で、この残念娘が……と聞こえた気がしたけれど、気のせいだろう。
「元々は辺境と王都を往復する行商人から出た噂らしい。
詳しく確認した所によれば、その行商人は去年の夏にデュシスにも来ている。子猫ちゃんの事ならば、キティは目立つのは嫌いだろう? だから下火なるか、デュシスから目を逸らさせる為に動いたんだ。その結果、首輪が絞まった。決してイザベル嬢の一件で手を抜いた訳ではない。理解してくれるかな?」
問いかけるオルに曖昧に首を縦に振りつつ考える。夏、デュシス、黒い手、アイテムボックス……、私、なんかやったっけ??
確かにアイテムボックス持ちは少ないから、私が関わっている可能性は否定できないけれど……。思い出せないなぁ。
「……おい、ティナ! おい!!」
考えに沈んでいたら、パトリック君が私を呼んでいた。慌てて意識をパトリック君達に戻す。
「そんな訳で、オルは良く働いてくれた。これはオルを貸し出してくれたお前に対する礼だよ」
そう言ってパトリック君は懐から、小さな袋を取り出すと私に渡してきた。それに合わせるように、ドリルちゃんも部屋の隅に控えていた執事さんに指示をして、銀色のお盆を持ってこさせた。
「これが、デュシスの領主からのお礼ですわ。受け取ってくださいませ」
恭しく差し出されたお盆の上には、宝石で飾られた短剣と金貨が覗く袋が乗っていた。
「え、こんなに貰えないです。それに受けとる権利があるのはオ……」
言いかけた所で、アンナさんにおもいっきり足を踏まれた。驚きと痛みに、口を閉じれば、代わりにアンナさんがお礼を言って受け取っている。
「……ありがとうございます」
アンナさんに睨まれつつ、パトリック君とドリルちゃんにお礼を言う。
疲れたから休むと言うドリルちゃんの所を、全員連れだって辞した。
「……おい、ティナ」
「何、パトリック君?」
領主館の廊下で立ち止まったパトリック君に向き直る、
「頼みがある」
「ん? 何?」
「前にお前から貰ったバーム、ハンドクリームや化粧水やらを商いたい。俺と契約してくれないか?」
「へ? なんでいきなり?」
唐突に頼まれて問い直す。パトリック君は歓楽街の跡取り息子で、かつドリルちゃんの私設侍女っぽい立ち位置だ。これ以上、何をする気?
「今回の件で、俺は自分が力不足だって分かった。デュシス周辺なら、親父の影響もあってかなりのことを出来る。でも、それじゃイザベルを助けるのに足りないんだ。
領主様と話した。今回の件でイザベルは噂の人だ。今回以上の結婚は望めないだろう。だから、もしも俺が領主様が認めるだけの実力を持てれば、イザベルとの仲を考えると言われたよ。
俺がアイツを愛している事ぐらい、先刻承知だったらしい」
肩を竦めて苦笑するパトリック君を、私も周りも驚いて見つめた。平民と貴族令嬢の恋かぁ。夢があるよね。
「何ですって?! イザベルは生粋の貴族、貴方は……商売人の息子よ」
驚いたアンナさんがパトリック君に詰め寄っている。ドリルちゃんに敬称をつけるのを忘れるくらい慌てているようだ。それに、パトリック君を評するときに一拍悩んで、商売人と言った。やはり歓楽街、夜のご商売って貴族のお相手としては駄目なんだろう。それはパトリック君も分かっていたようで、動揺することなく頷いた。
「誤魔化さなくていい。俺は、歓楽街、それも女を喰い物にしてきた親の息子だ。
万一、領主様から認められても、金で貴族の地位を買うためだと一生影口を叩かれるのは分かっている。おれ自身は覚悟の上だ。それでも俺はイザベルを諦められない。アンナさんが不安に思うのも分かる。だが、イザベルを哀しませることはしないし、俺を受け入れるかどうかの最終の意思決定はイザベルにある。決して無理強いはしないし、イザベルが頷かなければ、領主様にもお願いはしない。頼むよ、信じて貰えないか?」
真摯に訴えられて、アンナさんは困ったように口を閉じた。しばらく悩んでから、本人であるイザベルと領地の未来に責任を負う領主が認めるなら仕方ないと判断したのだろう。渋々諦めた。
「えーっと、それと私のバームと何の関係があるの?」
渋々諦めたアンナさんを眺めてから、パトリック君に問いかける。
「デュシスの特産品として、王都に持ち込む。あの品質なら、貴族の女達に絶対に受ける。王都を皮切りに、この国の全土に化粧品ならばデュシスだ、俺の店だと言わせて見せる。
目指すは大商人だ」
静かな決意をみなぎらせて、パトリック君は拳を握った。
「んー……いや。それに無理」
しばらく悩んで、結局断ることにした。パトリック君に協力するのは良いけれど、そうしたらジルさんやダビデとの約束を果たせなくなる。それは困る。
「なっ!! 分け前は払う! お前が材料を取ってきて作成し、俺が高値で売り払う。悪い話じゃないだろう!」
まさか私が断ると思っていなかったのか、驚いて聞き直された。いや、話自体は悪くないのは分かる。でも、私は遠からずここを離れると決めている。だから、残念ながら付き合えない。
でも、恋する男の子を応援したくもあるしなー。イザベル嬢もパトリック君のことは憎からずって思ってるはずだし……。
最終の意思決定権はドリルちゃんにあるなら、嫌ならば断れば良いだろうし、何よりデュシスの冒険者ギルドの新しい産業になる。これを逃す手はないだろう。
「レシピは渡すよ。素材の採集ポイントも地図で渡す。
だから、それ以外の職人の手配や、冒険者の手配は自分でやりなよ。ここでなら簡単でしょ? それくらいはやらないと、領主様にもイザベル様にも認めて貰えないよ?」
恋に障害はつきもの。ここまでお膳立てをすれば十分だろう。
後は頑張れ、男の子。
「あ、ついでにコレもあげる。
貴族のアポ取りに役に立つんじゃない?」
ガッチリと取引業者を決めている貴族達の中に割ってはいるなら、目玉商品がいるだろうから万能薬を数個渡した。
……実はコレ、老化、ぶっちゃけると、シワとかシミにも効果があるんだよね。ただし、老化だから時間が経つとまた、シミもシワも出来るけどさ。今は戦争に取られて、美容用にまでは恐らく回ってないから目玉になるはず。
見た目を気にする貴族のご婦人たちなら、何としても欲しいものだろうし、これをエサに既存の商圏に食い込めばいいさ。
「小娘……」
断った私を殺しそうな目で睨んでいたパトリック君は、ポンと渡された薬に驚いているようだ。いや、いくらなんでも、まったく協力しないって事はないよ。どんだけ鬼だと思われてたんだろう。失礼な!
「そうだ。バーム関連の情報は、ギルドに指名依頼を出してよね。せっかくここにアンナさんがいるんだし、今でも大丈夫ですか? それと素材はけっこう危ない場所の物もあるから、ヤミで採らずに冒険者ギルドを使った方が良いよ」
怒濤の様に、パトリック君に私の要求を伝えた。パトリック君自身も、安定供給を求めているから冒険者達に依頼を出すのに否やはないらしい。ただ、定期依頼にするならは少し報酬を減らしてほしいとアンナさんに話している。
いきなり冒険者ギルドの商売の話になって驚いているアンナさんにニヤリと笑って提案した。
「アンナさん、これからパトリック君を依頼主に、定期依頼になる可能性がありますから、最初から噛んでた方が楽ですよ?」
そんな風に商談をしつつ、領主館を後にして町を歩く。パトリック君からは協力要請を断ったせいか、歪な残念娘、性格ワリィ、さすが悪辣娘と毒吐かれながらも、クルバさんにも一枚噛んで貰うためにギルドに向かった。




