6.箸休めー英雄の生まれた日
鬱蒼と繁る樹木の合間を、音もなく歩く複数の人影がある。
光りも差し込まないその先から、ガサガサと複数の生き物が動く音がする。
ここは、邪気溜まりの境界の森。
人と魔を別つ、狭間の森。
本来であれば、ここがこのように騒がしくなることはない。お互いに不干渉を貫いてきたバランスは、数年前、ある理由から脆くも崩れ去った。
それ以来、人と魔、双方が境界を越え始めている。
人影の中から、特に小柄な影が走り出す。手掛かりすらもほとんどない大木を登り、枝を使って音のなる方へと走り去っていく。
しばらくすると小柄な人影は、出掛けた時と同じように、また音もなく戻ってきた。
「隊長、前方、距離1キロ。ゴブリンおよそ300。オークおよそ200。中には上位種と思われるものも含まれています。その他、数は少ないながらも、指揮官個体と思われる異形上位種の存在も確認しました」
無言で藪の先を見通そうとしている影に向かって、小声で報告する。
「侵攻か?」
「いえ、大進行かと」
深刻な口調でそう答えると緩く頭を振る。それと同時に、背中とほぼ同等の大きさの何かも、ふるりと揺れた。
「帰るぞ、これは我々だけで対処できるレベルではない。村に戻り、長老議会にかけねば。最悪は、"人"にすら知らせてやらねばならぬやも知れぬ」
そういうと、影たちは一様に音もなく去った。
******
一年後
「オレも行く!」
町ですらないテントの群れ、その中央の広場でまだ若い少年の声が響いた。
「オレも行く!どうせ、村も襲われて、家族もみんな死んだ!!村の連中だって散り散りになっている。狼人族の男として、オレだって今年で成人だ!
魔物のヤツラとの決戦だろ?!なら、オレも行く!」
幼いとも言える顔立ちに、尖った耳、フサフサとしたしっぽ。砂色の簡素なチェニックに、狩りの獲物から作ったと思われる、皮のベスト。この辺りの獣人ではありふれた格好に、溢れんばかりの憎悪を込めて、少年は徴兵官を睨み付ける。
狸族の太鼓腹に丸い耳を持つ、その草臥れた中年徴兵官は、会心の笑みで、親しげに少年の肩を抱いた。
「そうかい、そうかい、あの勇猛と謳われている、狼人が来てくれるなら嬉しいことだ。先の里の襲撃は運がなかったな。
敵を取りたいんだろう?なら、大歓迎だ。おれについてこい」
「あぁ、殺してやる、魔物のヤツラ。次は、人族のヤツラも、兵士を出すと聞いたんだ。オレら、獣人の強さを思い知らせてやる」
暗い目をして宣言する少年の頭越しに、徴兵官は周りにまた声を張り上げる。
「さぁ、他に志願者はいないか?!魔物の大進行を食い止める為に、我等亜人族と人族が共に闘う、世紀の戦場だ!これを尻込みするなら、獣人の男じゃないぜ!!さぁ、猛虎将軍、竜公と共に血と焔の中を駆け巡ろうぞ!!」
おおぉぉ……
少年に触発されたのか周りで見ていた、獣人たちから次々と志願者が押し寄せる。男だけではなく、戦える種族の女達もだ。
広場は異常な熱気を帯びる。
****
明日には、魔物の侵攻域にはいる。背後には獣人最大の居住地、ソルの大森林があり、緩やかな丘陵が広がる。普段であれば、豊かな森と草原の恵みを享受し、緩やかに時が流れる。
そんなギリギリの位置で、人族最大の軍事国家を中核とした遠征軍と、この地域に元々住んでいた獣人の生き残りを集めた軍が夜営をしている。
遠征軍は装備も食料も潤沢に運び込み、統制の取れたが歩哨が巡回を続けていた。
対して地元民の軍は、そんな重装備の人族を嘲笑うかのように、道々で獲物を取り、露天を宿とし、本来の活動時間がきたと闇を見通す眼を持つ種族達が毎晩、浮かれ騒いでいた。
「なぁ、オヤジさん。ちょっと聞いてもいいか?」
獣人の夜営地の一角、焚き火を囲うように休む、統一感のない20人前後の部隊で、年若い狼人の少年は、年かさの熊人に声をかけた。
「おぉ、ボウズから話しかけてくるなんて、珍しいな。明日は槍でも降るか?……んな顔、するんじゃねーよ。なんだ、明日のことで怖くなったか?」
歴戦の戦士だと物語る傷痕の残る相貌を緩ませて、少年をからかう。周りを囲む大人たちからも、圧し殺した笑いがさざ波の様に響いた。
「ちげーよ。怖くなんかない。それよりも、今回の魔物の侵攻って、ダイシンコウって呼んでるだろ?しかも、あれだけオレたちを嫌いっているニンゲンまで軍を出した。一体何が違うんだ?」
少年の疑問に周りの大人たちは、驚き呆れた様な目をした。
「なんだ、ボウズ、知らんのか?」
「知らない。村じゃ、魔物なんか現れる都度狩ってた。侵攻なんかされたことない」
その回答に周囲からは、さすが脳筋、狼族…との呟きが漏れる。
その脳筋と呟いた大人を睨みつつ、少年は回答を待つ。
「あー、なんだ、狼族は戦いには頭を使うが、それ以外は気にしねぇってのは、マジなんだな……。オレも神官とかじゃねぇからな、詳しくはない。そこは分かれよ?
侵攻ってのは、文字どおり、魔物のヤツラがオレらの住み家を奪いに攻めてくることだ。そこに、住んでいる生き物を殺して力をつけ、変わりに住み着く。住み着かれた地は、段々と邪気を帯びるようになる。ここまではいいな?」
頷く少年を確認し、ガリガリと頭を掻く。話すべき内容をまとめて、できるだけ簡単な内容にし、少年でも理解できるように続ける。
「で、だ。大進行は、本来は大行進って呼ばれてた。それが何時からか、侵攻と混ざって大進行と呼ばれてやがるんだが……。
邪気溜まりで魔物が増えすぎるとな、溢れるんだよ。
そして、邪気の薄い所に広がる。
邪気の薄い所に着いたら、どうなると思う?
……共食いさ。
ヤツラは殺し合って上位個体を生み出す。吸収しきれなかった邪気は周囲に撒き散らされ、環境をヤツラの住み心地の良いものに変える」
熊人の醸し出す重い空気に圧倒され、誰も口を開かないまま、オヤジと呼ばれた戦士が深刻な雰囲気のまま続きを話し出す。
「……どっちも変わんねぇ様な気がするだろ?
大進行の方がヤバイんだよ。
前に大進行が起きたとき、3か国が呑まれた。
オレたちの国も、人間の国も、だ。
300年たつが、いまだにそこは俺たちが手を出せない魔境のままだ」
「オヤジさん、詳しいな。なんで……?」
「常識だ。小僧。狼人族はもう少し、歴史を学べ。さぁ、もういいだろう?これ以上は、オレも知らん。明日は、大進行を止める激戦になる。さっさと寝ちまえ」
暗い表情を浮かべてそう言い捨てると、露天に仰向けに倒れる。
「見張りの当番以外は休め。明日は早い」
そう言って目を閉じると、すぐに鼾をかき始める。
それにつられるように、三々五々みな眠りについた。
**
頭上に広がる曇天が戦士たちの気分を重苦しいものにしている。大進行を止めるため、集まった異種族連合軍は魔物の進路を塞ぐように陣を敷いた。
『……前方、距離三キロ、敵影確認!数は多数。
接触までおよそ、半刻。
魔法有効距離到達は、すぐだ!
魔導隊は詠唱開始!!
その他の者は、防御陣を組め!』
遠く人族の部隊からそんな指示が漏れ聞こえてきている。
防御を固めるその軍を嘲笑って、亜人の指揮官は口を開いた。
『さぁ、同胞よ!命をかけた祭の開始だ!!我等が引けば、我等、我が子らの住み家が失われ、滅ぶであろう!!
奮起せよ!ここが覚悟の決め時である!!』
大柄で肉厚な虎族の将軍が激を飛ばす。
『ワレラ、龍ノ末。古ノ 誓約ニヨリ、ココニ立タン。コノ地、汚スモノタチヲ、討チ滅ボサン!!』
負けじと蜥蜴人族の戦士長が同族に向かって吠えた。もともと彼らは口の構造上、他の亜人の様に話せはせず、基本的には呼吸音と体温の詳細な変化で感情を伝える種族だ。彼らがコトバを発するのは、余程の時のみ。
オオオオォォォォ……!!
それを知る亜人族の部隊は、蜥蜴人族と轡を並べて魔物に突撃を敢行した。
人族の遠征軍からは慌てた様に伝令が走り出るが、一度走り出した彼らを留めることはできなかった。
脚の早い豹族をはじめとした速度自慢、空を飛ぶ鷹や隼などの猛禽族が先を争うように、魔物の群れに喰らい付く。
まるで一本の槍のように、隊列に傷を入れていった。
全体から見たら小さな傷口だが、その傷を更に広げるかのように、遅れていた主力部隊が突入する。
その主力の中には、多種多様な戦闘種族の男達がいた。
20人ほどの集団の先頭で、肉厚の牛刀を振り回す熊が涎をたらし、凶悪な風貌を歪めて走っている。その隣には立派な一角を持つ犀族が、見事な牙の象族が…と同じ獣人族はいない。ほとんどのものたちが、頭部が全て獣相に変わっており、臨戦体制だ。
「さぁ、気合い入れろよ!おまえら!怯えるな、退くな、仲間を見捨てるな!獣人は情がふけぇんだ。後ろの森には仲間の村もある。ここが踏ん張りどころだ!」
そう言うと、身体ごとぶつかって、魔物の群れに飛び込んでいった。
熊に率いられたその他の戦士達も、次々に魔物の群れに斬り込む。
ガッ!!
「ボウズ、無事か?!」
どれ程戦ったであろうか。夜明けに始まった攻勢は乱戦の様相を呈しており、いまだにどちらが有利か分からない。
率いる部隊を気遣いながら戦っていた熊人は、足元がふらつき始めた年若い少年にフォローに入った。
手傷を負い初めてはいるが、まだまだ余裕がありそうな口調のまま、頭と手は次の獲物を求めて忙しなく動いている。
「ガンバれ!もう少しすりゃ、昼になる。そうすりゃ、魔物の力は落ちる。少しは休めるぞ!!」
「ふ、ふざけるな、休みなんかいるかよ!」
「おぅ、そのいきだ!ボウズ、足を止めるな、手を止めるな!動き続けろ!」
獣相の部隊の中で、少年だけはいまだ耳と尾のみが獣を呈している。獣人はその元となった祖先の相を強く出せば出すほどに、種族としての強さを増す。頭部を完全に獣とすることが出来るのは成熟した大人のみ。
戦場であっても、獣相をとれない若い狼を周りの大人たちは心配していた。
………
うわぁぁぁ
オオォォォォ
に、逃げろ!!
遠く、後方の人族の陣から悲鳴と魔物の雄叫びが聞こえてくる。
僅かな隙で後ろの丘陵を見た熊人は、巨愕し、自軍の指揮官を探した。
「オヤジさん!ヤバイぜ!!ありゃ、オーガだ!しかも、後続に、死人シリーズもいる!!魔物の中に、高レベルのアンデッド、しかも使役系がいやがるってことだ!」
細い目をした狐族の狩人が声をあげる。
「っ、くそっ!なんてもん、出してきやがるんだ!死人は物理攻撃が利かねぇ!オーガは人族の力じゃ面の皮を貫けねえ!!」
退却の銅鑼がなる。獣人達は、悔しさに歯噛みしながら後退を始めた。
「オヤジさん、なんで?!」
「さっきの聞いてただろ?!オレたち獣人は魔法が苦手なんだよ!死人の相手は人族が主力になる!なのに、くそっ…人族が逃走したら、勝ち目はねぇんだ!!後は少しでも、森の仲間を逃がすんだよ!!!」
「……オヤジさん!!」
ガッ!! ギン!
「敵、死人! 魔法系! 全面、数は7! 護衛に、死霊騎士!!」
飛んできた礫を弾きながら、報告が上がる。それと同時に広範囲に広がった獣人の軍のあちこちから、戦闘開始の雄叫びが上がった。勝利を確信するものではなく、恐怖と絶望を押し込めるような雄叫びだ。
「ボウズ、逃げろ! 残りはついてこい!! ウゥオオォォォ!」
突っ込む熊人を追うように戦士達は次々と走り出す。
死霊騎士と接触する度に、弾き飛ばされ、切り捨てられる。実力の差は歴然としつつも、彼らは諦めず戦いを続ける。
**
グゥルゥアァァァ!!
熊人が弾き飛ばされ、近くの大樹に叩きつけられると同時に、その小柄な人影は飛び出してきた。
頭部は狼、身体は人。手足は毛皮を纏い、長い爪を持つ。その牙はうっすらと輝いている様に見えた。
雄叫びそのままに、一体の死霊騎士に噛みつき引き倒す。生き残っていた兵士達が群がり、その敵の四肢を解体し無力化する。
「ボウズ!! に、逃げろと…」
ヨロヨロと立ち上がる熊人を一瞥すると、狼人は次の獲物を求めて走り去った。
「オヤジさん、ありゃ、いったい……」
「あの耀くキバ……ボウズは狼人の中でも、大口の神の末かよ…昔、破邪の力を持っていたとされる、古の狼の末裔か…ウソだろ……」
「副長、後はお前が率いろ! 生き残ってる連中は皆、引け! 森を抜けて、神殿まで逃げろ! 生き残りはそこを目指すはずだ!! オレはボウズを追う!」
「オヤジさん!」
部隊と別れて少年を追い、森へと踏み込む。跡を追うのは簡単だった。ただ近づくにつれ、どんどん血の臭いが濃くなっていく。
ようやく熊人が少年を見つけたとき、彼は一体の死霊騎士と相討ちになり、その喉元に喰らい付いていた。
両手と右足がないその姿のまま小刻みに首を振り、それでも敵を食いちぎろうとし続けている。
「ボウズ! 口を離せ!! もう、倒した! お前も死んじまうぞ!」
身体にしがみつかれ無理に引き離されると、少年は力尽きたように意識を失った。
そんな少年を担ぎ上げたまま、熊人は走り出す。
目指すは"神殿"。
東棟側には知識が降り注ぎ、西棟には慈悲がもたらされると言い伝えられる、太古から続く人族の聖域。魔物もそこには近づけないという。
***
「なぜだ!なぜ、オレたちは中に入れないんだ!」
乾いた大地に悲痛な声が響く。周りを人族の軍に囲まれ、生き残った獣人達は押し問答をしていた。
命からがら神殿まで駆け戻った人々を待っていたのは、無情な悪意だった。
「ここは人族の地だ。神殿も人族が管理する聖域。太古よりこの地は人族の兵士を癒してきた。獣人はもう住む地を失った敗残者。人族の慈悲により生かされる奴隷」
剣や槍を向けられ、神殿から遠く離れた一角に集められる。普段であれば、戦ってでも誇りを守る獣人であるが、今は多くの戦士たちは傷付き、民はみな疲労し絶望していた。
「あれを……」
誰からともなく、空を指差す。遠く、魔物の侵攻ルートから、輝く人影が高速で飛んで来ていた。それと前後して最後まで戦っていた部隊が帰ってくる。虎族と蜥蜴人族の将軍達も一緒だった。
「将軍!!」
「みな、すまない……。だが、魔物は神人様が倒してくだされた。森も草原も無惨な有り様だが、大進行は止まった……」
虎族の将軍は精魂つきたように座り込みながら、それだけを絞り出す。
人族の兵士に剣を向けられ、座り込む獣人の間にざわめきが広がる。
「神人様……どうか、どうかお願い致します。ここにも、あなた様の助けを、慈悲を乞う憐れな民がおります。どうか、どうか、お出ましを…」
まっすぐに神殿に飛び込んでいった輝く人影に向かって、声なき祈りが広がった。
***
どれ程たったであろうか、普段は開かない西棟の正面扉が開いた。中から歩き出したのは、先ほど入っていった輝く人影。
ゆっくりと浮かび上がり、何かを探すようにくるりと1回転する。
身軽に地上に戻ると、周りを囲む人族に頓着することもなく、足早に歩き出した。
「お待ちを! 神人様! あちらは、人ではないものと、治す価値のない、奴隷しかおりません! おみ足を運ばれる所では!」
神人の後ろを付いて人族の総司令が喚いているが、人影は全く躊躇することなく歩みを進めた。
そしてついに人族に囲まれ拘束されている、獣人と奴隷達の場所にたどり着いた。
それまで一切後ろを振り向くことがなかった、神人はその時初めて振り返り、鋭く右手を一閃しながらその身に纏う輝きを強くする。
人族達はその明確な怒りの仕草を見、怯えたように後退る。
「あ………」
視線だけ注目していた獣人達の中から、吐息と間違う感嘆の声が漏れる。
神人は獣人に向き直ると、その輝きを悲しげな弱いものに変えた。そして、両膝を大地に付ける。
両膝を大地に付けるその意味は、隷属または神への祈り。
頭をたれたその身から、強い純白の輝きが発せられ、獣人と奴隷達のみを染め上げた。
「な、なんだ、これは」
外辺部にいた猛虎と呼ばれる将軍は戦闘前のように力が溢れてくるのを感じた。近くにいた部下達も四肢の欠損すら元に戻り、疲労や魔力すらも回復している。傷付いた防具が修復されていることに気が付き、神の慈悲を確信した。
「お、お待ちを……」
躊躇いがちに神人に声をかけようとしたが、今の術の有効範囲外にいた負傷者を助けるつもりなのか、柔らかな輝きを残して足早に去っていく。
「将軍、これならば、あるいは……」
人族の兵士を見ながら、言外に奴隷という選択肢から逃げられるのでは……と問う部下に対し、力強く頷く。
「あぁ、われらの誇りを取り返す。我等が子らを奴隷には落とさぬ」
……神人が魔法を行使した場所を中心に静かに戦意が高まっていった。
しばらくし陣中央が騒がしくなる。そして熊人に連れられ、狼の獣相のままの少年が引き摺られてきた。
何事かと問う将軍に対して、二人を囲んだ戦士たちが口々に「神人を噛んだ!」「無礼者!」「恩知らず!」と罵声が飛ぶ。
「狼人族よ。自力で戻れるなら、本来の姿に戻れ」
虎族の将軍が硬い表情のままそう命じると、予想以上に幼い少年が現れた。
「自分のやったことは、わかるな?」
おそらく道々に殴られ、蹴られ、石でも投げられたのであろう、沢山の殴打痕をつけたまま、それでも怯まず少年は見返した。
「わかってます。例え、見えていなくても、勘違いでも、オレは決して赦されないことをしました。種族の恩人にキバを剥いた。責任がとれるとは思いませんが、命で償います。どうか、オレの首をお持ちください」
迷いの無い透明な視線のままでそう言うと、両手を後ろに組み合わせ両膝を付く。
その純粋なまでの姿を見て溜め息を付くと、虎族の将軍は左手で少年を捕まえ歩き出した。
その後ろからは保護者然とした熊人もついてくる。
神人を探し歩く三人を取り囲むように人の群れも移動する。折に触れ、少年を痛め付けようとする獣人たちも多かったが、少年は一切抵抗することはなく、周りの大人も止めることはなかった。
しばらくすると、神人が立つ場所にたどり着いた。突き飛ばされた少年は立っていることが出来ず蹲る。その少年の隣にひれ伏した虎族の将軍は口を開いた。
「神々の代行者たる神人様に慎んで申し上げる。先に、この狼人が御身に害を及ぼしたこと、われらの本位では御座いませぬ!
何卒、何卒、ご容赦下さいますよう。おん願い奉る!」
そのまま流れるように立ち上がり、少年の背後に立った。
少年は自分の最期を覚悟していたのであろう、震えることもなく、ただ神人の姿を見ていた。
「償いになるとも、思えませぬが、せめてもの我等の詫びでございます。この戦場終われば、われら獣人族、皆うち揃いて、御礼とお詫びに何なりと致しましょう。ですのでどうぞ、今はこれでお怒りを鎮めてくださいませ!」
手にした鋼に力を込めたその瞬間、神人は両手を押しと留めるように振り、離れるように指示を出した。
虎族の将軍が離れると、力なく顔を伏せた少年の前に神人が進みしゃがみこんだ。小首を傾げるようにして、観察する視線を感じた少年は身住まいを正し、隠し持っていたナイフを靴から出すと、神人に捧げた。
少年がナイフを出した瞬間殺気だった獣人族をひとにらみで黙らせた神人は、しばらくそのままでいたかと思うと、おもむろに立ち上がりナイフを受け取った。
これで終わりか、と、覚悟を決めた少年は、また顔を伏せ切りやすい様に、そのまだ細い首を伸ばす。
微動だにせずどれくらいたったであろうか?
両肩に硬い感触があり身を固くするが、何も起こらない。恐る恐る顔をあげると、目の前に先ほど捧げたナイフが差し出されていた。
震える手で受けとると同時に、少年の身体を暖かいさざなみが駆け巡る。それに呼応するかのように、繊細で美麗な輝きが辺りを満たした。
輝きが落ち着つき、皆が神人のいた辺りを見回すが、何処にもその姿はない。
「神人様っ!!」
慌てた様に呼ぶ周囲の声に導かれる様に、空から一片の赤い鱗が落ちてきた。
少年の目の前で浮遊したまま止まったそれに、躊躇いがちに手を伸ばす。
「狼人族の戦士よ、それを見せてほしい」
最も近くで一部始終を見ていた将軍が、少年に声をかけた。
鱗を差し出そうとする少年を制止し、その手の中のアイテムを凝視する。
「おぉ!我等の同胞よ!
戦士たちよ!
聞いてくれ!!
神人様より下賜されたこのアイテムは、破邪の効果を持つ!
神人様は、この少年に破邪のアイテムを下された!
我等に戦えと、故郷を取り戻せと言われた!
この鱗に誓って、我等の誇りを取り戻そうぞ!!」
少年の右手をとり、高々と掲げてそう宣言する。
オオォォォォ!!
周りの大人たちの雰囲気に呑まれて、口すら開けない少年に、音もなくよってきた、熊人は囁いた。
「ボウズ、しっかりしろ! お前は、神さまに赦されて、戦うことを望まれたんだ! 不甲斐ない姿を見せるんじゃねぇぞ!」
「え、あ、ど、どうい、う」
死ぬ覚悟を決めていた少年を置いてきぼりに、周りのボルテージはどんどん上がっていく。
「さぁ、いくさぞ! 我等の姿は神も御照覧である!! 奮起せよ!! 突貫!!!」
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…………歴史は語る。
西の森に、太古から続く大口の神の末あり
かの者、生涯前線に立ち続け、同胞を守る
なれど、その者、決して己が上に立とうとはせず
決して、人を引きいろうとはせず
おぉ、友よ、身強き狼人族の英雄よ!
君はなぜ、王と立たぬのか!?
我はただ、神の剣である。
その慈悲を持て、生かされた罪人である。
我が身は既に神のもの。
己のもの なに1つ持たぬ我が
何かを支配することはない
それは不遜である
そう言いて、首から下げた紅の鱗を輝かせ、死戦のただなかに身をおいた。
『古の英雄 第6章 叙情詩より』