75.軍神殿の出兵
「それで、捕らえられた冒険者達を解放して頂こうか」
納まらない怒りのまま、クルバさんが畳み掛けた。軍神殿の神官長は拒否したそうだったけれど、豊穣神殿のミール神官長に町の人達からも同意の声が上がって諦めたみたいだ。
使いをやって冒険者達を外で待つ人々の所へ誘導するように、指示を出している。
「それで、今日の予定だが……」
何事もなかったかの様に、軍神殿の神官長が話を進めてきた。本当に面の皮が厚いねぇ。ビックリだよ。
「何をおっしゃっているのかしら? ティナさんだって、自分をこんな目に合わせた人達の為に、働くなんてお嫌でしょう?」
ミールお婆ちゃんがそう言うと、もっともだとクルバさんも頷いた。
「そうですな。我々冒険者ギルドとしても、これ以上ティナがこちらに関わることは容認しかねます。このまま連れ帰りますので、そのおつもりで頂きたい」
「マスター・クルバ! それはどうかお待ちいただきたい。
確かに軍神殿が行ったことは許しがたいでしょう。しかし、町にはまだ特効薬を求める市民がおります。近隣の住人も含めれば、早く手当てをせねば間に合わぬ者もおります。どうか、軍神殿が持っているアイテムから、特効薬を作ってください」
「…クーパー殿。俺からも頼む。今は一刻も早く、特効薬を行き渡らせるのが先決のはずだ。ここは飲み込んで、助けてくれ」
町の人達の意見を代弁するスミスさんとクーパーさんはそう言って深々と頭を下げた。軍神殿は無言のまま憎々しげにこちらと、裏切った青年神官を睨んでいる。
「あらあら、なら軍神殿が持つアイテムの所有権は、ギルドにあるのでしょう? なら返却してもらえばいいのではなくて?」
お婆ちゃんが良いことを思い付いたと言わんばかりに、胸の前で手を合わせて、笑みを浮かべて提案する。それに対して、軍神殿は返却できないと間髪入れずに拒否してきた。
部屋の雰囲気が更に悪くなる。睨み合う双方を制する様に、ドリルちゃんがポーチから取り出した扇子をパチッと鳴らして注目を集める。
「ではこう致しましょう。
サミアドの欠片は、領主代行である私が預かります。そして今日の出兵式も、私の名前で行います。全員デュシスから出す兵士です。何か問題はありますか?」
否定の言葉を発しようとしたメントに扇子を突き付け黙らせると、ドリルちゃんは続けた。
「その上で、私は領主代行の名で冒険者ギルドと軍神殿に対し、要請を行います。マスター・クルバ、どうか、薬剤師のティナ・ラートルを式典成功のためにお貸しください。半年以上にも渡り、命をかける住人たちに別れの餞別を下さっても、バチは当たらないはずですわ。どうか、理性的な判断をお願い致します」
座ったままではあったけれど、貴族であるドリルちゃんは、クルバさんに頭を下げた。後ろに立っているパトリシア君を初め、みんなが驚きに息を呑んでいる。頭をあげたドリル…、領主代行・イザベル様はひたと軍神殿の神官長を見据えて、命令を発した。
「旅立つ者達を、盛大に送り出します。協力して頂けますわよね? そうそう、そちらの神官とその上司に当たるメント様も出陣と伺いましたわ。此度の軍神殿の注力、誠に感謝します」
「な、そんな」
青年神官の上司はどうやら行きたくない様だけれど、イザベル様からの実質的命令で、これが領主サイドの裁きなんだろう。これで許してほしいと言うように、イザベル様はクルバさんに頭を下げている。
「……ティナの判断に任せます。本人が嫌だと言うようなら、協力は致しかねる」
クルバさんがそう言うと、室内にいる全員の視線が集中した。
まぁ、町に特効薬の有用性を広めたのは私で、無くなると不安を煽ったのも私だ。式典を領主サイドが主導して、軍神殿のプラスにならないのなら、否やはない、かな?
「いくつかお約束を頂けるのでしたら、協力致します」
慎重にそう話すと先を続けるように言われる。
「軍神殿が押さえているサミアド遺跡を解放してください。それと私も含めて、冒険者達を不当に拘束しないと言う約束が欲しいです。
後、特効薬の配布は無償か安価で行ってください。誰かひとりでも感染者が残ってはそこからまた広まる恐れがあります。
お約束頂けるのでしたら、喜んで協力させて頂きます」
「ティナ嬢ちゃん、無償か安価でと言うなら、嬢ちゃんの受けとる報酬が減るぞ?」
「薬剤師殿、それでは働く者が可哀想ではありませんか?」
私と冒険者の生活を心配してくれる、スミスさんとクーパーさんに笑いかけた。
「そこは心配していません。領主様とマスター・クルバが何とかして下さいますよ、きっと」
「おい…」
「ティナ」
二方向からクレームがきているけれど、無視。そして、結果的に助けてくれた青年神官に向き直る。
「サーイ神官、あの、ありがとうございました。貴方の良心のお陰で面倒な事にならずに済みました」
「面倒、ですか?」
「はい、このまま不当に拘束されたり、能力の行使を強制されるなら、神殿を破壊してでも逃げないといけないと思っておりましたから。そうなったら全員命があるとは限らないですし、マスター・クルバやイザベル様に叱られるところでした」
ニッコリと笑いながら、そう告げた。この言葉に一欠片の嘘もない。それを神官達は気がついているのだろう。軍神殿も豊穣神殿も明らかに顔色を悪くした。
「こら、落ち着け。……まぁ、こんな風に、なかなかに常識が通じない悪辣娘です。どうか今後は刺激しないで頂きたい」
******
急遽、イザベル様が主導する式典となったけれど、それを感じさせない見事なものだった。
祈祷所の前にある広場に整列したデュシスの軍の後ろには、見送りの家族達がいる。軍の中には、顔色の悪いメントと疾風迅雷、青年神官の上司もちゃんといた。
広場の端には、拘束されていた冒険者も一塊になって、見物している。私も最初はそっちに混ざろうと思ったけれど、主賓の席に座らされた。もちろん式典までに時間があったから、クルバさんの上着は返却して、アルに髪を整えて貰い、ワンピースに着替えた上でだ。
ダビデを初めとしたウチの同居人達の事は、拘束された冒険者の中にいたスカルマッシャーさんたちにお願いしてきている。心配そうにこっちを見ているけれど、そんなに頼りないかな? 大丈夫だよ、いくら私でも時と場所くらいは弁えている。
祈祷所の階段の上に作られた舞台から、イザベル様が無事と武運を祈る演説をして、4神殿の神官達が協力して巨大な有効範囲の滅殺を発動させた。
イザベル様に呼ばれて、壇上に上がった。出陣する兵士と、その家族、そして噂を聞き付けてきた町の人達全員から見られている気がして落ち着かない。
イザベル様に一度深々と一礼して、特効薬を作り初めた。軍神殿から返却されたサミアドの欠片は8つだった。作るだけなら何とかなると確信があったから、8つ同時に作り初める。
わたしの周りを等間隔で素材が回る。作る数に比例して増す負担と闘いながら『退色なりし無』を作り上げた。気が抜けてふらつくが、周囲の歓声に驚いて持ち直した。目が回って気持ち悪い。
出陣する人の中には、泣き崩れている兵士もいる。喜びに腕を突き上げている人もいるし、帽子を空に投げている住人たちもいた。このままでは収まらないと思ったのか、イザベル様は私の腰を抱いて隣に立たせ、壇上のギリギリ後ろまで下がった。
「出発の時間です!
皆さま、どうか御武運を、我らに勝利を!!」
イザベル様の合図で、祈祷所の入り口に立っていた二本の柱が輝き、光の幕が出来た。敬礼をして兵士たちは次々と光の幕に入っていく。本来であれば、私の方に抜けてくるはずの兵士は消えてしまった。
後から聞いたが、二本の柱は一定条件で、神殿同士を繋ぐワープポイントになるらしい。だから、戦場にもっとも近い神殿へと移転して行ったのだ。こうやって移動時間を短縮しているからこそ、冬には住人たちが帰ってこられる様になっているんだと教えられて納得した。
「さ、ティナさんはこちらへ。お連れさまもこっちに誘導しますし、マスター・クルバも遠からずいらっしゃいますからね」
式典が終わって早々に引き上げた軍神殿とは対照的に、3神殿の重鎮達に祈祷所の中に入るように言われた。
「え、なぜ?」
「あらあら、今、外に出たらもみくちゃにされますわよ。大丈夫、冒険者の方々のお迎えが来るまで、祈祷所に隠れていらっしゃいな」
「ふふ、ティナ、そうさせて頂きなさいな。私は先に帰ります。貴族である私よりも後に出るなど本来は有り得ないことですから、少しは住人も減るでしょう。
今回は本当にありがとう。デュシスの町を代表し、お礼を申します」
お婆ちゃんとイザベル様に言われて、祈祷所の中に入ることにした。初めて入る祈祷所の中に興味津々だけれど、出来たらもう少し普通に入りたかった。
「あらあら、そうだわ。ティナさんならもしかしたら、職業も得られるかもしれませんね」
「え? 職業は成人の15歳からだと??」
「うふふ、本来はそうなんですけれど、稀に獲得条件を満たしている時には、若くして職業が得られることがあるのよ。だから中にある、宙に浮いているモニュメントに祈りを捧げてみてはどうかしら?
知っているとは思いますが、そのモニュメントは失われし至高神様に繋がる唯一残されたものです。世界中、何処の神殿に行っても必ずあるものですから、霊験あらたかですよ」
邪心の欠片もない笑顔でお婆ちゃんにオススメされる。イザベル様は神官達に挨拶して帰路につかれたようだ。
ー……えーっと、何かのフラグでしょうか? イヤな予感しかしないんですけど!!
これは、スルー推奨かな?
そう思いながら、祈祷所の中に入った瞬間、私は懐かしい声を耳にする事になる。




