68.私の坊やを助けて
「どうかお助けを!!」
目の前の私にすがり付くご婦人を、どうしたもんかと眺めている。いや、予想してなかったと言えば嘘になるんだけど、早くても明日だと思ってた。噂ってこの世界でも、広まるの早いんだね……。
事の起こりは、デュシスの町の城門でいつものように入ろうとした時だった。案の定、二日酔いで朝っぱらからヘロヘロになった私は、早く市場のクーパー氏の所に行かないと不味いと焦って城門で審査を待っていた。
七色紋が発生してからは、町に入る人も疎らであまり待たずに、私たちの順番が巡ってくる。いつものようにギルドカードを提示して入ろうと思ったら、珍しく止められてしまった。
「お嬢さん、このギルドカードは、悪辣な娘さんの規格外薬剤師の物なんだが…?」
私の顔と後ろに控えるジルさん達を交互に見て、今日の門番役を勤める冒険者は疑問符を浮かべている。
「はい、私のものですから。何か問題でも?」
カードも返してくれないし、そのまま質問もしない門番に逆に問いかけた。
「いや、だが、見た目が…」
そう言われて、自分の今の格好を思い出す。アルが念入りに飾り立て編み込んだ髪に、ドリルちゃんから貰った装飾品をつけて、貰い物のワンピースに身を包んでいる。もちろん気合いを入れて化粧もした。
確かに、いつもの素っぴん&真っ黒ローブの私を知ってる人なら、コレ誰? かもしれない。
「……では、これで」
マジックバックから、いつものローブを取り出して上から軽く羽織る。フードを下ろして、いつもの雰囲気になったらようやく納得して貰えた。
「お、おう、確かに薬剤師。言われてみれば、ひとり足らないが、チビッ子女王サマの奴隷達だな」
ジルさん達を見て納得したように中に入って良いと言われ、城門をくぐった。
城門を出た途端に、道の端にいた若い女の人が私の目の前に立ちはだかった。驚いてまだ羽織っていたローブを道に落としてしまう。
サッとダビデが拾って畳んでくれているのを横目で見ながら、避けてもくれなければ、話しかけもしない若い女の人を見る。
「冒険者ギルドの薬剤師様ですか?」
目の前で祈るように手を組み、私に問いかける。肯定しながら若いご婦人を、軽く観察する。汚れてはいないが寄れた服に、目の下にはうっすらと隈が浮いている。
「何かご用ですか?」
約束もあるし、何か用事なら早く話してほしくて、こちらから水を向けた。
「どうかお助けを!!」
私に飛びつき、スカートにすがり付かれて、バランスを崩しかける。とっさに両サイドからジルさんとアルが支えてくれて、なんとか持ち直した。
衆人環視の中で、若いご婦人は必死に声をあげている。通りに響くその声に、町の人達の視線が集まりだした。
「え、あの、何の事ですか?」
動揺しながらも立たせようとする私に、額を寄せて、懺悔でもするように抱きついたまま動かなくなってしまった。
「あー…、ティナ、おはよう。わりぃ」
ご婦人がいた道の端から、ニッキーが顔を覗かせて謝ってくる。近づいてくるように手招きしたけれど、少し離れた位置に陣取ったままこちらを見ているだけだ。
痺れを切らして、ジルさんにニッキーを連れてきてくれる様に頼む。ジルさんはニッキーに近づくと、ヒョイと襟首を掴み上げて連れてきてくれた。
「おはよう、ニッキー。何が悪いの? こちらはどなた様?」
「口滑らした。わりぃ。
この人は俺の店の近くでいつも惣菜を売っている、フィーさんだ。生まれたばかりの赤ん坊が七色紋で、領主様が指定した治療院に隔離されている。それで昨日ポロっと、特効薬の話をしちまって…」
「薬剤師様! どうか、私の坊やをお助け下さい!
領主様の治療院では、何もしてくれないのです。神官様にもお願いをしました。でも、私では、我が家では、例え奴隷に落ちたとしても、あんな高額なお布施は払えないのです。
どうか、お願い致します。私では出来ることでしたら、何でもいたします。薬剤師様がお持ちと言う特効薬を、私の坊やに使って下さい」
ニッキーの説明を遮って、若いご婦人はそう必死に訴えてきた。
「えーっと、何歳ですか? あと、症状はどれくらい出てるのですか?」
ご婦人には悪いけれど、軽症なら後回しにしなくてはならないから、確認のため問いかけた。ただ子供があんまりに小さいなら、優先的に治さなくては可哀想だ。
「私でしょうか? 私は17になります。
坊やは初めての子で今ようやく4ヶ月です。七色紋の進行も早く、もう時間がないのです。最近はお乳も吸ってくれないし、泣く力も、もうないのです。夫は息子を助ける為に、徴兵に応じる覚悟を決めました。去年負傷して帰って来て、まだ傷が癒えきってはいないのです。今年徴兵に応じれば、確実に死ぬでしょう。
お願い致します。どうか助けて……」
最後は咽び泣き始めたご婦人の肩を撫でながら、ニッキーに言っていることは事実かと、視線を向けた。
ニッキーも沈痛な表情で頷くと、私に向かって頼んできた。
「ティナ、頼むよ。待望の子供なんだ。フィーさんの旦那は、結構な年上で、市場のみんなは子供が出来たのを祝福したんだよ。
助けてくれないか?」
「……ニッキー、うっかりじゃないよね? 計画的に口滑らしたね? まったく、甘いんだから」
溜め息混じりにそう責めながら、ダビデとジルさんの方を向いた。
「ダビデ、『退色なりし無』を持って、そちらのフィーさんのお子さんを癒して来て。使い方は分かるね。
ジルベルトは、ダビデの護衛について。ニッキー、口滑らしたんだから手伝って貰うよ。私と合流するまで、ダビデとジルベルトをお願い」
「助けて下さるのですか?」
希望に顔を上げるフィーさんを立たせながら、更にジルさん達に指示を出す。
「二人とも、おそらく治療院には、フィーさんのお子さん以外にも治癒が必要な人がいると思う。二人の判断で『退色なりし無』を使って構わない。ただし、私の所有奴隷である貴方達を馬鹿にしたり、特効薬を奪い取ろうとする無礼者に、慈悲をかける必要はない」
最後は少し声を張って、こちらを伺う町人達に聞こえるように言い放つ。
「特効薬の原材料は、次にいつ手に入るか分からない。神殿次第よ。だから、重傷者から癒しなさい。
治癒の報酬は銀貨1枚。
どうしても払えない人は後払いでもいいから、犠牲者がこれ以上出ないように、判断なさい」
「ティナ様、もし特効薬を狙って襲われた場合は、実力行使で構わないか?」
周りの注目を集めているのを承知で、ジルさんはそう尋ねた。そう言いながら、剣を鳴らし殺気を飛ばし、周囲を牽制しているのだろう。
「ええ、ただし死人は出さないように。後、二人が死ぬ様なことも御免です。死ぬくらいなら、特効薬を渡してしまいなさい。
もしそんな事になったら、私は二度と『退色なりし無』を作らないだけです」
私も負けじと、殺気と闘気をない交ぜに発しつつ、言いきった。周囲で観察する町の人達に、本気だからな、と伝える為にキツイ視線を送った。数人、後ろめたそうに視線を反らせた人がいたから、注意するようにジルさんに目配せをする。
「時間がないので、案内をお願いできますか?
大丈夫です、お子さんは必ず癒します」
ダビデからローブを受け取り、それと交換する様に『退色なりし無』を渡す。昨日の使いかけだけれど、十分に足りるだろう。昨日手持ちの素材は全て特効薬に変えた。残りは後3つ。
ニッキーとフィーさんに連れられて、別の道を行くジルさん達を見送り、アルと二人昨日のクーパー氏の店を目指す。
何度か粘つく様な嫌な視線は感じたが、何か仕掛けられる事もなく、店に着いた。少し離れた場所でマップを開き、周囲を確認する。
え、あれ? 店の中に、七色紋の罹患者が大量にいるよ??
兵士や神殿関係者はいないようだから、アルを促して店に近づいた。
店の外では昨日のアムルさんが立って待っていてくれて、私達をそのまま奥に案内してくれる。
「おはようございます。アムル様。
お嬢様の具合はいかがですか? 誰かに感染してはいませんか」
奥に歩きながら、気になっていた事を確認した。もし中の罹患者がこの店の人たちなら大変だ。
「お陰様で今日は、随分と久しぶりにお腹が減ったと、訴えられました。髪を結いたい、身体を拭きたいと無邪気に話す娘を、まあ見ることができたのは、薬剤師殿のお陰です。本当にありがとうございました」
「なら良かったです。心配していました。もし体調の回復が思わしくないなら、自作のポーションをと思っていましたが、それなら大丈夫そうですね」
お礼を言うアムルさんの声を聞いている内に、昨日とはまた別の扉の前に着いた。
室内には家主であるクーパー氏の他にも、数人が待っているようだ。
「旦那様、失礼いたします。薬剤師殿をお連れしました」
「入れ」
アムルさんが許可を求めると、間髪いれずに答えるクーパー氏の声がする。促されるままに室内に入り、見回した。
「……ほう」
「これは……」
「噂以上の……」
「まさしく、テリオ」
中にいた人達から、口々にそんな声が漏れている。最後の私をテリオだと言ったのが、奴隷商人かな?
「クーパー様、昨日は突然の訪問、申し訳なく思います。そして本日は、私の我が儘を聞き入れ、お手を貸していただけた事、感謝申し上げます」
とりあえず、ホストであるクーパー氏に頭を下げる。私を部屋の奥、上座に誘導しようとするクーパー氏に断りを入れて、同席している人達の紹介を頼んだ。
やはり予想通りだったようで、七色紋に感染した患者達の家族だそうだ。奥に罹患者達が集められているとのことで、すぐにでも治療して欲しいと頼まれる。
「薬剤師殿、ところでお礼はいかほど、ご準備すればいいのかな?」
流石は商人と言うべきか、しっかりと確認してくる。さっきジルさん達に指示した金額を言ったら驚きに目を見開かれた。
「薬剤師殿、それは本気か?
神殿では一度の治癒に金貨5枚は出さねばならぬ。それでも順番待ちで間に合わなかった者もいる。
冒険者ギルドはその価格で、許可を出しているのか?」
貴族街で婦人向けの小物を売っていると言う商人が代表して尋ねてきた。
「冒険者ギルドがどうかは分かりません。これは私に与えられた、報酬の範囲内で行うことです。
冒険者ギルドは町から疫病を一掃するために、特効薬を集めていました。その為に、ギルド独自に高レベルパーティーに依頼を出し、原材料となるドロップ品を必死に集めていました」
何処かではもう聞いているのではないですか? と、そう問いかけると、知っている人と知らない人は半々のようだ。昨日の今日で、本当に良くここまで広まったよ。マダムも鍛冶屋さんも、約束を守ってくれているのだろう。
「では、神殿が魔族を捕らえたと発表したダンジョンで、冒険者ギルドが活動していたと言うのは、本当なのか?」
「冒険者ギルドを、追い出したと言うのも本当なのか?」
「特効薬の原材料を、神殿が独占したと言うのも本当か?」
独占したかどうかは分からないが、現状を見る限り全て事実の為、頷いた。それ以上質問が出る前に、今度は私から話し始める。
「皆様、報酬をお支払頂けると言うことで、よろしいですか?
百聞は一見に如かず。どうか『退色なりし無』の効果を見て下さい。そして、ご判断頂ければと思います」
無論、否やは誰からも出ず、罹患者達が集められた部屋に案内された。使用人が恐々と扉を開けると、着いてきていた商人達も恐ろしそうに、一歩後ろに下がる。
「ティナ様、ここは私が行います」
さて、入って治癒をと思っていたらアルに止められて、特効薬を奪われた。そのまま入って、治癒を始める。
私も躊躇うことなくもうひとつ『退色なりし無』を取り出して、アルの反対側から治癒を始めた。
室内の人達全員を治し終わり、部屋の外にいた商人達に声をかける。恐る恐る覗き込んだ商人達の間を、クーパーさんはすり抜け元患者達の腕を持ち上げ、斑点が消えていることを確認させている。
商人達は納得すると、ひとり、またひとりと部屋に入り、神殿に法外な金を積んででも助けたかった大切な人達の無事を喜んだ。
「あの、旦那様、薬剤師殿…」
そんな風景を楽しんでいると、アムルさんが私達を入り口から呼んでいた。
「何事だ?」
「申し訳ありません。どうやら、ここに薬剤師殿がいると、町の噂になっているようで、七色紋の感染者を家族に持つ者達が集まってきています。……いかがされますか?」
クーパーさんも私に問いかける視線を向ける。アルの手持ちも私の手持ちの特効薬もまだ、治療可能だ。そして、オルとの待ち合わせの時間までまだ間がある。なら、やることはひとつだろう。
「案内してください。特効薬の続く限り、癒します。
クーパー様、店先をお騒がせした事をお詫び致します」
頭を下げて店を辞そうとした私を、商人達が引き留めた。自分達も同行すると言うその人たちと共に、外に出た。店の前には30人程の人だかりが出来ている。
当然のようについてきたクーパーさんとアムルさんが、誰がどれだけ悪いのかを聞いて、私達が動きやすい様に手配してくれる。
今日一日、アムルさんが着いてきてくれると言うので、素直に感謝した。私のような無名の薬剤師がどうこう言うより、大店のそれなりに名の通った従業員であるアムルさんが話すほうが効果が高い。もちろん、その他の商人さん達も、自分と関わりのある人達相手に、話をしてくれている。
店に残ると言うクーパーさんに、もしダビデとジルさんが来たら、城門で待つように伝えて欲しいと頼んで、町に繰り出した。




