63.私ぐらいは足掻いてみよう。
クルバさんの執務室に、沈黙が流れている。
その静寂のなか、遠くから歓声のような、怒声のようなそんな騒がしさが近づいてきた。
「…何かしらね?」
部屋の空気を変えようと、マダムはそう言って興味を引かれた様に、外を見た。
パトリシア君はソファーから立ち上がり、執務室にある窓から外を見ている。
「……げる! 我……は人間のて……、2日……帰か……」
風にのって、途切れ途切れに聞こえてくるけれど、何をいっているのかさっぱり分からない。ピクピクと耳が動いているダビデとジルさんの方を振り向いて、何を叫んでいるのか尋ねた。
「敬虔なるデュシスの民に告げる。我々神殿は、人間の敵である魔族を捕らえることに成功した。2日後、この町に捕らわれた魔族と、その仲間達を連れて神殿騎士団が帰還する。
疫病で苦しみし、我らが兄弟よ。元凶を神殿は捕らえた。2日後に、我らが騎士団を迎えよ。
そう言っている様です」
悩むことなく言いきるジルさんに、マダム達が驚きの視線を送る。ま、犬…じゃない、狼だから当然耳は良いんだろう。
「へぇ…2日後。クルバさん、サミアドまでは馬で数時間の距離だって聞きましたけど、間違いないですか?」
「ああ、おそらく護送と予備的な尋問、それに居合わせた冒険者達への対応等を行うために、時間がかかるのだろう。遺跡にいたのは、自由の風を除けばBランクパーティーだ。神殿も無下には出来まい。……襲うなよ?」
あ、バレた。町から離れた場所で、襲撃して解放しちゃおうと思ったんだけど、やっぱり駄目か。んー…ならどうしよっかな?
「マスター、ティナ、打ち合わせ中に申し訳ないのだけれど、私達の話はどうなるのかしら?
神殿にサミアドが押さえられたのなら、ギルドとしても『退色なりし無』は貴重よね? 分けていただけるのかしら?」
考え込む私達へマダムが痺れを切らして話しかけてきた。それにクルバさんは苦い顔をしている。
「マダム、スミス殿、申し訳ないが、こうなると、ギルドの備蓄を渡すわけにはいかなくなった。もう少し、あと数日サミアド遺跡で素材が手に入れば、町にも流し初めるつもりだったが、こうなっては次にいつ素材収集出来るかわからない。申し訳ないが、諦めてくれ」
頭を下げて、クルバさんは謝る。何かを言おうとしたパトリシア君をマダムは制し、溜め息をついた。
スミスさんも悔しそうに拳を握ったが、それ以上の事は何もせずに堪えている。
「…仕方ねぇな。本来は俺達が、こうして直接頼む事自体が、ギルドに対する横車だ。悪かったな、忙しいとこ邪魔してよ」
「そうね、確かに今回は無理を言いすぎたわね。帰りましょ」
諦めて立ち上がろうとするメンバーを引き止めて、クルバさんに話しかける。
「クルバさん、いえ、マスター・クルバ。
私は今、ここで『退色なりし無』の作成報酬を要求します」
いきなり全く違うことを話し出した私に、周りは不快そうだけど、これも必要なプロセスだ。我慢して貰おう。
「また突然だな。要求は何だ?
自由の風を解放するように働きかけろと言うなら無理だぞ」
さっきからの流れで私がそう言ってくると考えたクルバさんは、先手を打って釘を刺してきた。
大丈夫、そんなに分かりやすいことは頼まない。どちらかと言うと、もっとずっと性格が悪い、そして一歩間違えればかなりの危機を誘発しかねないお願いだ。
「そんな事は頼みません。なぜ私の報酬で、慈善活動をしなくてはいけないんですか?
要求は、今、私の手元にある『退色なりし無』とその原材料は全て私の所有とさせて貰いたいって事です。
一般冒険者の予防用まで貯まったのなら、ギルドの備蓄としては、もう十分でしょう? 溜め込みすぎても恨まれますよ?
私は金銭も貰わず、ギルドの為に、特効薬を作り続けました。少しくらい稼がせてもらっても、バチは当たらないと思います」
手元にある作成済の特効薬は9つ。素材は3つ。これだけあれば、何とかなる。
「いきなり強欲になったな。……確かにギルドの備蓄は足りてはいるな。構わん、持っていけ。どうせお前しか作れないんだ。
ただし、神殿からサミアド遺跡を取り戻したら、また『退色なりし無』を作って貰うぞ?」
「ええ、分かっています。ただ、今貰うのは、今まで作成した分ですからね。改めて報酬は頂きます」
私が何をやるのか、少しは気が付いているのだろう。クルバさんは二つ返事でOKを出した。
しかし、甘いな。確かにクルバさんの予想通り、特効薬をスミスさんとマダムに渡すつもりだけれど、狙いはそれだけじゃない。
誰も助けてくれないなら、せめて借りのある私くらいは、彼らの為に足掻いてみよう。
「……と言うわけで、今、私の手元には、若干の『退色なりし無』があります。欲しいですか?」
にこりと作った笑顔のまま、二人に問いかけた。
スミスさんとマダムは私の笑顔に驚いた様だけど、迷うことなく頷いた。
「当然だ。だが、何かウラがありそうだな」
「その笑顔、何を企んでいるのかしら?」
「ええ、少しだけお願いしたいことがあります。でも、このままクルバさんの執務室で商談をするのは、ご迷惑になりますから場所を変えませんか? 秘密が守れる場所で、人目につかない、そんな場所に心当たりがあったら教えて下さい」
「こら、ティナ。何を考えている」
クルバさんは流石に見逃せないと言うように、割り込んできたけれど、私は満面の笑みを浮かべるだけで答えはしない。多分、話したら止められる。
「……なら、私のお店ではどうかしら? あそこなら余所者がいたらすぐにわかるし、ワタシの部屋なら余計な邪魔は入らないわ。条件には当てはまると思うの」
場所を考えていたマダムにそう誘われる。確かに名案だとスミスさんも、手を打った。
マダムの店ならもうひとつしたかった事も出来るだろうし、私としても渡りに舟だ。文句はない。
***
その後適当に誤魔化して、ギルドを後にした。クルバさんは最後まで私に、妙な事はしないようにって注意をしていたけれど、聞くつもりはない。
マダム、パトリシア君、スミスさん、私達とかなり人目をひく一団が、閑散とした町を歩いて色町に入った。
色町に入ると同時に、どこからともなく黒服のお兄さん達が現れて、マダムに従うように前後を守る。驚くスミスさんと私達に苦笑しながら、パトリシア君は気にしないように言って、平然としていた。流石は跡取り息子。
「ここよ、入ってちょうだい。
…今から大切な話をします。誰も近づけないように、警告をしても近づくようなら、容赦はいりません」
黒服にそう言って、マダムは私達を招き入れ、自分は最後に応接間に入ると鍵を閉めた。
「さて、条件とやらを聞こうか」
パトリシア君がグラスに琥珀色のアルコールを入れ、三人の前に並べたタイミングで、スミスさんが声を発した。
「ええ、そうね。悪辣娘さんのお願いだものね。前回は所有奴隷の息抜きだなんて、可愛らしいお願いだったけれど、今回は何かしら?」
マダムは率先して飲み物に口をつけ、安全性をアピールしながら私を流し目で見ている。
スミスさんがグラスに手を伸ばしたタイミングで、私もグラスを持ち上げ、一口飲んだ。
口の中に広がる芳醇な薫りと独特の苦味。蒸留酒としては癖がなく飲みやすい。
いや、多分明日は二日酔いで死ぬ事になるんだろうけどさ。
場所を提供してくれて、これから商談をしようとしている顧客が出した飲み物なら、飲まないわけにはいかない。明日の事は、また後で考えよう。
景気付けと、私自身の覚悟を決めるために、更に一口飲んだ。そして静かにグラスを戻す。
酒の力を借りなきゃ、話せないなんて情けないな、まったく。
私は足掻くと決めたんだ。
さぁ、茶番劇を始めよう。
「…、お願いしたいのは真実を伝えて欲しいって事です」
「真実?」
怪訝そうなスミスさんの声を聞き、説明を始める。
「ええ、ギルドは…、冒険者ギルドは疫病・七色紋の特効薬を発見し、作成に入っていた。
ただしそれを作るには、とあるアイテムが必要だった。
そのアイテムを回収出来るのは、Bランク以上の実力がある冒険者達だけだった。
とても、とても危険な任務だったけれど、冒険者達は必死に、"町の為に"アイテムを集めていた」
「おい、小娘」
パトリシア君が我慢しきれないと言うように、割り込んでこようとしたけれど、マダムに頭を殴られて床に沈んだ。
「そんな中、神殿はアイテムが取れる場所を、封鎖してしまった。冒険者ギルドが"町の為にも"私達を中に入れ、採集をさせる様に申し入れたけれど、拒否された。
冒険者ギルドで"唯一"特効薬を作れる薬剤師はそれを嘆き、あと数日で町の住人全てに行き渡る特効薬を作れたのに、と、そう悩んだ。
そして思い詰めた薬剤師は、懇意にしていた町の住人に、特効薬をこっそり渡し、神殿が治癒を再開するまでこれでひとりでも多く助けて欲しいと懇願した。
せめて…、せめて神殿がサミアド遺跡を封鎖する際に、"冒険者から"押収したアイテムを返してもらえれば、何とかなったかもしれないのに。
そう、薬剤師が言っていたと、広めてください」
言いきった私を部屋にいた全員が、信じられない様に見ている。しばらくして、口を開いたのは、スミスさんだった。
「……暴動でも起こさせる気か?」
全身に力が入り、元高レベル冒険者の片鱗を覗かせながら、私の真意を探るように、観察される。
「…特効薬は欲しいけれど、それが町を滅ぼすことになるなら、協力は出来ないし、諦めるわよ」
マダムも噂を広める危険性に気が付いているのだろう、迷いを振り切るかの様に、緩く首を振って否定してきた。
「まさか。私だって、ここにはお世話になっています。
ただ私の手持ちの特効薬は少ないんです。町の人達を癒すのに、十分な数がある訳ではありません。
だから、神殿に、圧力をかけます。サミアド遺跡を一刻も早く、冒険者達に返せと」
ー……本当の狙いはそれだけじゃないけどね。
「それだけで良いのか? ティナ嬢ちゃんが『唯一の薬剤師』だと神殿は知っている。そんな噂を流したら、確実に狙われるぞ」
心配そうに聞いてくるスミスさんに、笑いかける。ちなみに、私の後ろ、ジルさんやダビデが立っている辺りからも、さっきからの物言いたげな気配はするけれども今は無視だ。全部終わったら、後から謝ろう。
「なら、スミスさんやマダムは、私から『退色なりし無』を買い取って、誰かに使うときに、何て説明するつもりだったんですか? 何も言わず、説明もせず、限界を超えて治癒出来なくなったときはどうするつもりだったんですか?
全ては、状況判断が甘く、ココロ優しい、子供のせい。
そうするしかないでしょう」
「…ティナがそれでいいなら、そうさせてもらうわ。
鍛治屋さん、私達には時間がないのよ。多少胡散臭くても、悪辣娘さんの提案に乗るしかないのよ」
「仕方ねぇか。だが、噂についてはこっちで内容を多少は脚色するぞ。マダムと俺らでは違う方が嬢ちゃんにとっても、都合がいいだろう。で、いくらだ?」
掛かった。
第一関門突破で、ニヤリとした笑顔をついつい浮かべてしまう。
金額の相談をしている間、ずっとにやついていたら、マダム達に怯えられてしまった。
マダムのお店にいた七色紋の罹患者で、特効薬の使い方の実演をしてから、二人に3個ずつの『退色なりし無』を渡す。
スミスさんはそれを持ってさっさと帰っていった。
マダムは、若衆の一人に特効薬が手に入った事を色町の他の二人の顔役に伝える様に指示を出している。
「あ、マダム。すみませんが、もうひとつお願いしたいことがあります」
「あら、何かしら?」
「着替えたいので、場所を貸してください。あと化粧品と息子さんも借りたいです」
「別にお安いご用だけれど、何故かしら?」
さっきまでの悪巧みモードで警戒させてしまったのか、マダムは確認してくる。
「折角なので、神殿が知ってる『悪辣娘』になろうかと思いまして。息子さんの、化粧の腕前をお借りしたいんです」
邪気のない笑顔で言ったつもりだったけれど、ますますマダムとパトリシア君を警戒させてしまった。




